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第六章 色々あるのは分かるけど、15歳で元服ってやっぱり早すぎないか?
第六章―05
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それは小春井巻の視線だった。
それは、いつものように射るような、冬の凍てついた氷柱をズコっと突き立てられるようなそんな痛みではなく、鳶色の瞳はなんともいえず寂しそうな色合いで見つめていて、それが痛々しく心に響いたものだった。
「小春井巻?」
「大丈夫よっ」
とその言葉を重ねておいて、小春井巻はスっと斜向いて視線をそらす。
「わたし…そんなことしないから」
そうか、やっぱり小春井巻は思うところがあって、小春井巻家に戻らずこのアパートで暮らしてるんだ。
「そうだよな。そんなことしなくても、俺は立派な蒼頭だもんな」
なんて彼にしては、気を遣ったつもりだったのだけれど、
「なに言ってるのよっ! あの儀式なくして蒼頭と認められるわけないじゃないっ!」
激怒する小春井巻を初めて見た。
え? でも? ……なんで?
まったく訳がわからない。
「もしかして、お前、お披露目ってやつしたいのか?」
「したいわよっ!」
「ええ!?」
「だって、悔しいじゃない!」
そう怒鳴ると、小春井巻はついに背中を向けてしまった。
彼は掛ける言葉が見あたらず、小春井巻のしなやかな上体をささえているデッキチェアの背もたれの、その安っぽいプラスチックの鈍い照り返しを見つめるばかりだった。
そして、やっと…といった具合に小春井巻が背中で言う。
「あなたなんかには、到底、理解なんてできないことよっ」
と。
確かにそうなんだろう。
「御免」
小春井巻の背中が痛々しく震えて見えた。
本当に御免。判ろうとしたのが間違いだったんだ……。そう思っても、それを言葉に出来ない彼だった。
すると、小春井巻が背中で呟いた。
「小春井巻家の女にとって、この蒼頭の問題は、物心ついて以来、一生その身に纏わり続ける問題なのよ。それは、17年ものあいだ、あの家で生きてれば、すでに骨の髄にまで染み込んでいるわ……」
「……いや、ほんとに悪かったよ」
いつものように悪罵に依らず正攻法で説く小春井巻の背中に、彼はいささか中てられてしまっている観があった。
やはり小春井巻の生い立ちは尋常ならざるものに違いない。その境遇を異とする彼にとって、それは理解するというよりも、もはや受け止めるといった手段によってしか二人が共存する方法は見つからないのかも知れない…とそう深く心に刻みつけた。
「俺、小春井巻がしたくないとばっかり思ってた。御免……」
「……できないのよ」
え!?
できない?
「小春井巻。……あえて事情なんか訊かないけれど、でもさ、今はできないかも知れないけどさ、まだ時間は充分有るじゃないか。二十歳まで」
「なに言ってるのっ。やっぱり、凸凹坂くん、あなたの頭は、ケイソウなみね……」
小春井巻に悪罵が戻ったことは有り難いとも思ったけど、しかし、相変わらず背中を見せたままで、それのうえ鼻声でそう言われても、だとしたら、この悪罵は鳴き声を隠すための強がりだ…なんて思うしか他はないじゃないか、なあ、小春井巻。
「わたしが『成人』と言ったのはね、小春井巻家の仕来りにおいての意味よ。それは15と決まっているの。だけど現代においては猶予期間が与えられていて、それでも19が限度とされてるのよ……」
「って、お前、誕生日はっ」
「……忘れたわよ」
「そんなっ」
「帰ってくれる……」
「………………」
「いえっ。帰りなさいっ」
なんて気丈な女なんだ。
蒼頭には涙を見せれない――ということか。
これが小春井巻家の教育の、その鉗鎚の賜というものなのかッ。
おずおずとベッドから立上がり身繕いをしてバスルームへの短い廊下に入ったところで彼は振り向いた。
机に両肘をつき、両手で顔を覆っている…そんな背中の丸まった小春井巻の姿は、どう見ても、華奢で、ありきたりな、一人の乙女でしかなかった。
そっとその場に片膝付くと、右手を胸に当て礼拝する。
「それでは女王陛下、今宵はこれで下がらせて頂きます。しかし、何かご用がございましたら、どうぞ御遠慮なくこの蒼頭をお召しくださいませ」
そう慇懃に言って、その場を立ち去った彼だった。
――あんな小春井巻の姿なんて見たくなかった……なんてことは、二日前までの彼が言えたことだ。
今は違う。
そう――なんらかんら言いながら、結局、蒼頭としてどうあるべきか、どう振舞うべきか…なんてことを考えては、日がなベッドに寝返りをうちながら煩悶としている。
「15で蒼頭を得る――か……」
15と言えば妹の歳じゃないか。
あんなガキに将来を託せる男の品定めを要求するというのか……。
――まったく酷い仕来りじゃないか。
しかし、仕来りを否定するばかりで解決する事柄でもない事ぐらい知っている。
むしろ、この場合、その仕来りを踏襲するからこそ、小春井巻の立つ瀬もあるんだろう……でも。
――わからない……。
と、そこで、バッと毛布をはぐって起き上がった。
「よしっ、図書館、行こっ!」
考えていても仕方がない。
とりあえず自分にできることが他にないのなら、今できることをして気を紛らわせよう。
なんて、これがカゲロウの無堕落流というやつだった。
いや。
小春井巻のために今できることが見つからないとしても、涼包のためなら、今、できることがあるじゃないか……。
ただ、そう考えただけのことだった。
それは、いつものように射るような、冬の凍てついた氷柱をズコっと突き立てられるようなそんな痛みではなく、鳶色の瞳はなんともいえず寂しそうな色合いで見つめていて、それが痛々しく心に響いたものだった。
「小春井巻?」
「大丈夫よっ」
とその言葉を重ねておいて、小春井巻はスっと斜向いて視線をそらす。
「わたし…そんなことしないから」
そうか、やっぱり小春井巻は思うところがあって、小春井巻家に戻らずこのアパートで暮らしてるんだ。
「そうだよな。そんなことしなくても、俺は立派な蒼頭だもんな」
なんて彼にしては、気を遣ったつもりだったのだけれど、
「なに言ってるのよっ! あの儀式なくして蒼頭と認められるわけないじゃないっ!」
激怒する小春井巻を初めて見た。
え? でも? ……なんで?
まったく訳がわからない。
「もしかして、お前、お披露目ってやつしたいのか?」
「したいわよっ!」
「ええ!?」
「だって、悔しいじゃない!」
そう怒鳴ると、小春井巻はついに背中を向けてしまった。
彼は掛ける言葉が見あたらず、小春井巻のしなやかな上体をささえているデッキチェアの背もたれの、その安っぽいプラスチックの鈍い照り返しを見つめるばかりだった。
そして、やっと…といった具合に小春井巻が背中で言う。
「あなたなんかには、到底、理解なんてできないことよっ」
と。
確かにそうなんだろう。
「御免」
小春井巻の背中が痛々しく震えて見えた。
本当に御免。判ろうとしたのが間違いだったんだ……。そう思っても、それを言葉に出来ない彼だった。
すると、小春井巻が背中で呟いた。
「小春井巻家の女にとって、この蒼頭の問題は、物心ついて以来、一生その身に纏わり続ける問題なのよ。それは、17年ものあいだ、あの家で生きてれば、すでに骨の髄にまで染み込んでいるわ……」
「……いや、ほんとに悪かったよ」
いつものように悪罵に依らず正攻法で説く小春井巻の背中に、彼はいささか中てられてしまっている観があった。
やはり小春井巻の生い立ちは尋常ならざるものに違いない。その境遇を異とする彼にとって、それは理解するというよりも、もはや受け止めるといった手段によってしか二人が共存する方法は見つからないのかも知れない…とそう深く心に刻みつけた。
「俺、小春井巻がしたくないとばっかり思ってた。御免……」
「……できないのよ」
え!?
できない?
「小春井巻。……あえて事情なんか訊かないけれど、でもさ、今はできないかも知れないけどさ、まだ時間は充分有るじゃないか。二十歳まで」
「なに言ってるのっ。やっぱり、凸凹坂くん、あなたの頭は、ケイソウなみね……」
小春井巻に悪罵が戻ったことは有り難いとも思ったけど、しかし、相変わらず背中を見せたままで、それのうえ鼻声でそう言われても、だとしたら、この悪罵は鳴き声を隠すための強がりだ…なんて思うしか他はないじゃないか、なあ、小春井巻。
「わたしが『成人』と言ったのはね、小春井巻家の仕来りにおいての意味よ。それは15と決まっているの。だけど現代においては猶予期間が与えられていて、それでも19が限度とされてるのよ……」
「って、お前、誕生日はっ」
「……忘れたわよ」
「そんなっ」
「帰ってくれる……」
「………………」
「いえっ。帰りなさいっ」
なんて気丈な女なんだ。
蒼頭には涙を見せれない――ということか。
これが小春井巻家の教育の、その鉗鎚の賜というものなのかッ。
おずおずとベッドから立上がり身繕いをしてバスルームへの短い廊下に入ったところで彼は振り向いた。
机に両肘をつき、両手で顔を覆っている…そんな背中の丸まった小春井巻の姿は、どう見ても、華奢で、ありきたりな、一人の乙女でしかなかった。
そっとその場に片膝付くと、右手を胸に当て礼拝する。
「それでは女王陛下、今宵はこれで下がらせて頂きます。しかし、何かご用がございましたら、どうぞ御遠慮なくこの蒼頭をお召しくださいませ」
そう慇懃に言って、その場を立ち去った彼だった。
――あんな小春井巻の姿なんて見たくなかった……なんてことは、二日前までの彼が言えたことだ。
今は違う。
そう――なんらかんら言いながら、結局、蒼頭としてどうあるべきか、どう振舞うべきか…なんてことを考えては、日がなベッドに寝返りをうちながら煩悶としている。
「15で蒼頭を得る――か……」
15と言えば妹の歳じゃないか。
あんなガキに将来を託せる男の品定めを要求するというのか……。
――まったく酷い仕来りじゃないか。
しかし、仕来りを否定するばかりで解決する事柄でもない事ぐらい知っている。
むしろ、この場合、その仕来りを踏襲するからこそ、小春井巻の立つ瀬もあるんだろう……でも。
――わからない……。
と、そこで、バッと毛布をはぐって起き上がった。
「よしっ、図書館、行こっ!」
考えていても仕方がない。
とりあえず自分にできることが他にないのなら、今できることをして気を紛らわせよう。
なんて、これがカゲロウの無堕落流というやつだった。
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