轟町ヒルサイト ―― On Her Majesty 's Private Service ――

甘野正雪

文字の大きさ
39 / 46
第六章 色々あるのは分かるけど、15歳で元服ってやっぱり早すぎないか?

第六章―05

しおりを挟む
 それは小春井巻の視線だった。
 それは、いつものようにるような、冬の凍てついた氷柱つららをズコっと突き立てられるようなそんな痛みではなく、鳶色の瞳はなんともいえず寂しそうな色合いで見つめていて、それが痛々しく心に響いたものだった。
「小春井巻?」
「大丈夫よっ」
 とその言葉を重ねておいて、小春井巻はスっと斜向はすむいて視線をそらす。
「わたし…そんなことしないから」
 そうか、やっぱり小春井巻は思うところがあって、小春井巻に戻らずこのアパートで暮らしてるんだ。
「そうだよな。そんなことしなくても、俺は立派な蒼頭だもんな」
 なんて彼にしては、気を遣ったつもりだったのだけれど、
「なに言ってるのよっ! あの儀式なくして蒼頭と認められるわけないじゃないっ!」
 激怒する小春井巻を初めて見た。
 え? でも? ……なんで?
 まったく訳がわからない。
「もしかして、お前、お披露目ってやつしたいのか?」
「したいわよっ!」
「ええ!?」
「だって、悔しいじゃない!」
 そう怒鳴ると、小春井巻はついに背中を向けてしまった。
 彼は掛ける言葉が見あたらず、小春井巻のしなやかな上体をささえているデッキチェアの背もたれの、その安っぽいプラスチックの鈍いかえしを見つめるばかりだった。
 そして、やっと…といった具合に小春井巻が背中で言う。
「あなたなんかには、到底、理解なんてできないことよっ」
 と。
 確かにそうなんだろう。
「御免」
 小春井巻の背中が痛々しく震えて見えた。
 本当に御免。判ろうとしたのが間違いだったんだ……。そう思っても、それを言葉に出来ない彼だった。
 すると、小春井巻が背中でつぶやいた。
「小春井巻家の女にとって、この蒼頭の問題は、物心ものごころついて以来、一生その身にまとわり続ける問題なのよ。それは、17年ものあいだ、あの家で生きてれば、すでに骨のずいにまで染み込んでいるわ……」
「……いや、ほんとに悪かったよ」
 いつものように悪罵あくばらず正攻法でく小春井巻の背中に、彼はいささかてられてしまっているかんがあった。
 やはり小春井巻のちは尋常ならざるものに違いない。その境遇を異とする彼にとって、それは理解するというよりも、もはや受け止めるといった手段によってしか二人が共存する方法は見つからないのかも知れない…とそう深く心に刻みつけた。
「俺、小春井巻がしたくないとばっかり思ってた。御免……」
「……できないのよ」
 え!?
 できない?
「小春井巻。……あえて事情なんかかないけれど、でもさ、今はできないかも知れないけどさ、まだ時間は充分有るじゃないか。二十歳はたちまで」
「なに言ってるのっ。やっぱり、凸凹坂くん、あなたの頭は、ケイソウなみね……」
 小春井巻に悪罵が戻ったことは有り難いとも思ったけど、しかし、相変わらず背中を見せたままで、それのうえ鼻声でそう言われても、だとしたら、この悪罵は鳴き声を隠すための強がりだ…なんて思うしかほかはないじゃないか、なあ、小春井巻。
「わたしが『成人』と言ったのはね、小春井巻家の仕来りにおいての意味よ。それは15と決まっているの。だけど現代においては猶予期間が与えられていて、それでも19が限度とされてるのよ……」
「って、お前、誕生日はっ」
「……忘れたわよ」
「そんなっ」
「帰ってくれる……」
「………………」
「いえっ。帰りなさいっ」
 なんて気丈な女なんだ。
 蒼頭には涙を見せれない――ということか。
 これが小春井巻家の教育の、その鉗鎚けんついたまものというものなのかッ。
 おずおずとベッドから立上がり身繕みづくろいをしてバスルームへの短い廊下に入ったところで彼は振り向いた。
 机に両肘をつき、両手で顔を覆っている…そんな背中の丸まった小春井巻の姿は、どう見ても、華奢で、ありきたりな、一人の乙女でしかなかった。
 そっとその場に片膝付くと、右手を胸に当て礼拝する。
「それでは女王陛下、今宵こよいはこれでがらせて頂きます。しかし、何かご用がございましたら、どうぞ御遠慮なくこの蒼頭をお召しくださいませ」
 そう慇懃に言って、その場を立ち去った彼だった。

 ――あんな小春井巻の姿なんて見たくなかった……なんてことは、二日前までの彼が言えたことだ。
 今は違う。
 そう――なんらかんら言いながら、結局、蒼頭としてどうあるべきか、どう振舞ふるまうべきか…なんてことを考えては、日がなベッドに寝返りをうちながら煩悶としている。
「15で蒼頭を得る――か……」
 15と言えば妹の歳じゃないか。
 あんなガキに将来をたくせる男の品定しなさだめを要求するというのか……。
 ――まったくひどい仕来りじゃないか。
  しかし、仕来りを否定するばかりで解決する事柄でもない事ぐらい知っている。
 むしろ、この場合、その仕来りを踏襲とうしゅうするからこそ、小春井巻の立つ瀬もあるんだろう……でも。
 ――わからない……。
 と、そこで、バッと毛布をはぐって起き上がった。
「よしっ、図書館、行こっ!」
 考えていても仕方がない。
 とりあえず自分にできることが他にないのなら、今できることをして気をまぎらわせよう。
 なんて、これがカゲロウの無堕落流というやつだった。
 いや。
 小春井巻のために今できることが見つからないとしても、涼包すずしげのためなら、今、できることがあるじゃないか……。
 ただ、そう考えただけのことだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...