夜逃げ聖女の婿探し

陣内百合子

文字の大きさ
上 下
1 / 1

第一話 夜逃げ

しおりを挟む

「いっそのこと追い出してくれればいいんだけど……そんなはずもないよね」

 ふうとため息をついて背もたれによりかかる。

 私の名前はアイリス・ノア。
 世界にただ一人しか存在しない、癒しに特化した特殊な加護を受けている【聖女】だ。
 
 この世界にはどうやら転生してきているらしい。
 前世でOLをやっていた記憶はしっかりある。我ながら冴えない人生だったのもよく覚えている。
 今こうして剣と魔法のファンタジーな世界にいるのだから、とにかく死んだのは確かなのだろう。

 この世界での私はいきなり孤児スタートで、この教会で生まれ育った。
 貴族なんて特権階級が、庶民より上の存在として普通にいるような世界だ。

 【聖女】の魔力は回復方面だけで言うと圧倒的かつ万能らしく、この世界に普通にいる魔法使いの使う治癒魔法とは、まったくもって比べ物にならないらしい。
 私の魔法は、肩こりからガンまで同じ対処法で、しかもあっという間に解決できるスーパードクター顔負けの能力なのだ。
 といっても、時間をかければ魔法使いの魔法でも何とかできるらしいとも聞く。

 そんな総合病院真っ青――しかも全ての科に神の手がいる――な私の力を求め、この教会に毎日たくさんの人が集まるのは無理もないわけで。
 しかも利用は基本無料。教会に寄付したい人だけ課金できるシステムだ。そのせいで人が集まるのである。重課金者も結構いる。

 教会には平均して千人前後は一日にやって来る。
 一ヶ月で三万人、一年で三十六万五千人だ。そんな生活をもう五年は過ごしている。

 少なからず人の役になっているし、【聖女】という役割そのものに不満があるわけではない。
 問題と不満があるのは労働環境の方だ。
 まず、この仕事に休みはない。
 勤務時間の概念もかなり曖昧だ。
 寝ていても助けを求める声が教会に届けば叩き起こされるし、トイレに入っていてもドアを連続ノックされたりする。

 そんな日々の疲れを癒す方法は、自らに治癒魔法をかけること。
 ちなみに、魔力とやらも莫大に持ってはいるけど有限だ。なくなると回復するまで気絶してしまう。

 これだけ働いていればお給料はさぞかしたくさん……なんてことはなく、給料は――ない。
 あったとしても使う暇がないという意味では、現代世界の医者とあまり変わりはないかもだけど。

 要するに、【聖女】なのに私は闇の産業の中にいる。


「はぁ……日付変わってしばらくしてから寝る生活ってどうなの……?」

 ぼふっ、とベッドにうつ伏せで倒れ、大した意味のない独り言をつぶやいてみる。
 話し相手も楽しみもないので、独り言の癖がついてしまっていた。
 周りに人がいても、それは同僚、しかも部下のような人ばかりなので、会話という会話はあまりない。

 ベッドというより寝台というのがふさわしい、無駄にゴツい立派なベッドは、適度に沈んで跳ね返してくれる。
 毎日しっかりシーツは取り替えられ、なんならマットレスさえしょっちゅう新しいものに替わっている。
 身の回りの物も貴族が使う一流のものばかり。
 物理的には私は満たされている。

 幸いにして、生活自体には困っていない。
 給料の代わりが、このそれなりの水準の生活保障というわけである。
 現代日本で生きていたころよりも多少贅沢に暮らしている気はする。でも電化製品がないのが致命的に痛い。

 患者が増えれば増えるほど、お礼の品やお布施なども増えているし――私の所持品の大半がそれ、この世界の基準で言うと、飢えることのない私はそれなりに豪華な生活をしていると言えるだろう。
 何かにつけて【聖女】ともてはやされもするし。

 ただ、金銭的には無一文に近い私と違い、教会の神父様方は明らかに――貴族たちが順番を自分優先にさせるため――裏金を受け取っていて、物理的にも明らかに肥えているのは伺えるが、これはもう言っても仕方がないこと。どんな世界でも汚職はあるのだ。私は生腐坊主しか知らない。
 
 私の勤務先である教会はブラックも真っ青なダークネス。
 そんな【聖女】という白っぽいイメージからは想像もできないほどの真っ黒かげんな日々を過ごしているうちに、私はあることに気づいた。

 ――もしかして、一生このまま?
 第二の青春を得たはずなのに、結局前と同じように一人?
 考えてみればもう二十歳だ。

 このままいけば、前世と同じように行き遅れて一人で生き、死ぬことになるのは明らかだ。

 ――私だって、身を焦がすような恋愛を一度くらいしてみたい。
 前世では叶わなかった、愛する旦那がいて、その人とその人の子供と一緒の生活もしてみたい。
 くだらないことで喧嘩したり仲直りしてみたり、子供の成長を見て喜んだり。
 
「前はひとりで生きられないやつって馬鹿にしてたけど、今ならわかる。……私、寂しいんだ」

 親もいない。恋人もいない。
 もっと言えば友達もいないし、寂しさを紛らわすための好きなことさえもない。

「んー、どうしよっかな……このままじゃ死ぬまでこの生活が続くよね」

 それだけは絶対に嫌だ。
 世のため人のためだけに生きるなんて嫌だ。
 せっかく二度目の人生をもらったんだから、今度は後悔しないように生きるんだ。

 【聖女】として生まれたからって、役割通りの精神まで植えつけられたわけじゃない。
 才能と人格は一致するわけじゃないのだ。
 私は慈愛と慈悲にあふれた女神なんかじゃない。欲にまみれた、ただの人間だ。

 その時、私の頭の中にひとつの考えが浮かんだ。
 たったひとつの冴えたやり方、というやつだ、
 
「そうだ、夜逃げしよう――」
 
 金目の物をカバンに詰め込んで、私はその日の晩に教会を出た。
 私はこの世界で婚活するのだ!

 ――この時の私は知らなかった。
 世界に一人しか【聖女】がいないということが、婚活にどのような苦難を招くのかを。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...