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第一章
貴族の恋
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最近調子が狂ってしょうがない。なぜこんなことを思っているかというと、偏に王子のせいである。普段なら必ずと言っていいほどに俺の仕事の邪魔をしてくる王子が、ここ数日は不気味なほど大人しいのだ。王子の紅茶を用意しに部屋を出てきたフィスを捕まえて王子の様子を尋ねたところ、一秒でも早く執務室を出るために普段の倍速で仕事を片付ける日々が続いているという。いつもは「王子が仕事をしない」と真顔で嘆いているフィスが、「休憩の一つくらいはしてほしい」と真顔で心配するくらいには真面目な仕事ぶりらしい。……待てよ? 数日王子と顔を合わせていないのに職務に影響がない現状を見ると、俺が毎日執務室に呼ばれて直接報告やら軍務の説明やらをしていたのは王子の気まぐれでしかなかったことになる。まあたしかに、毎度話の終わりはただの世間話で終わっていたな。俺はただの話し相手か。
「仕事中の軍人を話し相手に呼ぶのは王子くらいだよな」
「突然何ですか、アドレイ様」
軍用伝書鳩の講義中に失踪した鳩を捜し王宮の庭園内を歩き回っている最中の俺のぼやきに、ゲイルが間髪入れずに突っ込んだ。
「最近王子からの呼び出しがないだろう。頻繁に呼び出されるのも面倒だが、こうも呼ばれないと調子が狂うと思わないか?」
「たしかに、ここ数日は呼ばれませんね。殿下に飽きられたのでは?」
「お前は俺が主人だということを度々忘れているよな、絶対」
いや、度々どころではないか。こいつは常日頃から俺を馬鹿に、……今はそんなことはどうでもいい。
「さっさと鳩を見つけて訓練場に戻りたいが、どこにもいないな」
「そうですねえ。あと捜していないところといえば……裏庭くらいでしょうか」
「裏庭か。王子の“憩いの場”にあまり立ち入りたくはないが、仕方ないな」
裏庭といえば、グレイン王子がよく女を口説くために使っているスポットだ。今俺たちがいる正面の大庭園に比べて背が高い植物や木が多く密会に最適、とは王子の談だったか。
「いいかゲイル、万が一王子か女性の気配を感じるようであれば、何も見ないうちに退散するぞ」
「承知いたしました」
承知と言いながら目を輝かせるのをやめろ、ゲイル。
「自分に隠密の技術があるからといって、万が一の場合でも王子の様子を伺うような真似はするなよ」
「嫌だなあ、そのようなことをするわけないでしょう、ははは」
「乾いた笑いだな、おい」
そんなことを話しているうちに裏庭に足を踏み入れ、自然と二人揃って口を閉ざす。五感全てで人の気配を探るが、どうやら周囲には誰もいないようだ。ついでに鳩の気配もないが。
「奥に進むしかないか」
その後も慎重に歩みを進め、人の気配に注意しながら地面や木々の枝上を見ていく。そして、しばらくしてからようやく目的のものを見つけた。木漏れ日に当たりながら、気持ちよさそうな顔で寝ているようだ。こちらには散々探し回らせておいて自分はご休憩か、いいご身分だな鳩。
足音を極力消しながら、鳩と距離を詰める。ところが、まだ手も届かないうちに突如鳩が覚醒し羽ばたいた。そして鳩はそのまま悠々と、木々の隙間から大空へ……行くことはなかった。草むらから唸り声が聞こえたと思ったら、鳩めがけて何かが飛びかかったのだ。それは鳩を難なく捕獲すると素早く踵を返し走り去ってしまった。今のは狼だったような。……狼? まさか、鳩を食べようとして、いやそれ以前に、なぜここに狼が!?
「おいおいおい、そっちは王宮だぞ! 王族を襲うつもりではないだろうな!」
思わず叫び、慌てて後を追う。方角からして、狼が去った先にはテラスがあったはずだ。もしもそこに誰かいたら、そしてそれが王室の人間であったら、一大事どころの騒ぎではない。もはや鳩のことなどどうでもいい、とにかく狼の捕獲を!
目的地をテラスに定め、一目散に裏庭を駆け抜ける。テラスに人の影が見える……まずい。大きく舌打ちをして腰の剣を抜き、接近次第狼を刺し殺せる体勢を整える。こちらに背を向けて立つ狼が、俺達の足音に反応して顔を向けた。
今しかない。
素早く間合いを詰めて一思いに剣を振り抜く。その剣先はたしかに、狼がいる場所に届いていた。それでも狼が倒れることはなかった。俺が剣を振り抜くその刹那、狼のそばにあった人の影が、狼を器用に抱えて後退したのだ。小柄とはいえ狼だぞ、そんな軽いはずがないのだが。
「突然現れて斬りかかるとは……何者ですか」
氷の如く冷えた響きで問われ、ようやく俺は顔を上げた。狼を抱えてこちらを睨む、トパーズの瞳と目が合う。その瞬間、俺は時の流れが止まったように動けなくなり、息をすることも忘れていた。
黒檀の長い髪に、トパーズの如く澄んだ黄金の瞳。ああ、見間違えるはずがない。彼女は、彼女は……!
「ソフィア……!」
震える声で発したその名前は、俺が今日まで恋焦がれ、親友からは恋人以上の寵愛を受けていた、一人の少女の名前だった。ずっと会いたかった、一目でいいからもう一度会って、長く引きずっていた叶わぬ想いを断ち切りたかった。それなのに、彼女はそれを許してはくれないようだ。
数年ぶりに彼女の姿を見た俺は、見事に再び、恋に落ちてしまったのだ。
「仕事中の軍人を話し相手に呼ぶのは王子くらいだよな」
「突然何ですか、アドレイ様」
軍用伝書鳩の講義中に失踪した鳩を捜し王宮の庭園内を歩き回っている最中の俺のぼやきに、ゲイルが間髪入れずに突っ込んだ。
「最近王子からの呼び出しがないだろう。頻繁に呼び出されるのも面倒だが、こうも呼ばれないと調子が狂うと思わないか?」
「たしかに、ここ数日は呼ばれませんね。殿下に飽きられたのでは?」
「お前は俺が主人だということを度々忘れているよな、絶対」
いや、度々どころではないか。こいつは常日頃から俺を馬鹿に、……今はそんなことはどうでもいい。
「さっさと鳩を見つけて訓練場に戻りたいが、どこにもいないな」
「そうですねえ。あと捜していないところといえば……裏庭くらいでしょうか」
「裏庭か。王子の“憩いの場”にあまり立ち入りたくはないが、仕方ないな」
裏庭といえば、グレイン王子がよく女を口説くために使っているスポットだ。今俺たちがいる正面の大庭園に比べて背が高い植物や木が多く密会に最適、とは王子の談だったか。
「いいかゲイル、万が一王子か女性の気配を感じるようであれば、何も見ないうちに退散するぞ」
「承知いたしました」
承知と言いながら目を輝かせるのをやめろ、ゲイル。
「自分に隠密の技術があるからといって、万が一の場合でも王子の様子を伺うような真似はするなよ」
「嫌だなあ、そのようなことをするわけないでしょう、ははは」
「乾いた笑いだな、おい」
そんなことを話しているうちに裏庭に足を踏み入れ、自然と二人揃って口を閉ざす。五感全てで人の気配を探るが、どうやら周囲には誰もいないようだ。ついでに鳩の気配もないが。
「奥に進むしかないか」
その後も慎重に歩みを進め、人の気配に注意しながら地面や木々の枝上を見ていく。そして、しばらくしてからようやく目的のものを見つけた。木漏れ日に当たりながら、気持ちよさそうな顔で寝ているようだ。こちらには散々探し回らせておいて自分はご休憩か、いいご身分だな鳩。
足音を極力消しながら、鳩と距離を詰める。ところが、まだ手も届かないうちに突如鳩が覚醒し羽ばたいた。そして鳩はそのまま悠々と、木々の隙間から大空へ……行くことはなかった。草むらから唸り声が聞こえたと思ったら、鳩めがけて何かが飛びかかったのだ。それは鳩を難なく捕獲すると素早く踵を返し走り去ってしまった。今のは狼だったような。……狼? まさか、鳩を食べようとして、いやそれ以前に、なぜここに狼が!?
「おいおいおい、そっちは王宮だぞ! 王族を襲うつもりではないだろうな!」
思わず叫び、慌てて後を追う。方角からして、狼が去った先にはテラスがあったはずだ。もしもそこに誰かいたら、そしてそれが王室の人間であったら、一大事どころの騒ぎではない。もはや鳩のことなどどうでもいい、とにかく狼の捕獲を!
目的地をテラスに定め、一目散に裏庭を駆け抜ける。テラスに人の影が見える……まずい。大きく舌打ちをして腰の剣を抜き、接近次第狼を刺し殺せる体勢を整える。こちらに背を向けて立つ狼が、俺達の足音に反応して顔を向けた。
今しかない。
素早く間合いを詰めて一思いに剣を振り抜く。その剣先はたしかに、狼がいる場所に届いていた。それでも狼が倒れることはなかった。俺が剣を振り抜くその刹那、狼のそばにあった人の影が、狼を器用に抱えて後退したのだ。小柄とはいえ狼だぞ、そんな軽いはずがないのだが。
「突然現れて斬りかかるとは……何者ですか」
氷の如く冷えた響きで問われ、ようやく俺は顔を上げた。狼を抱えてこちらを睨む、トパーズの瞳と目が合う。その瞬間、俺は時の流れが止まったように動けなくなり、息をすることも忘れていた。
黒檀の長い髪に、トパーズの如く澄んだ黄金の瞳。ああ、見間違えるはずがない。彼女は、彼女は……!
「ソフィア……!」
震える声で発したその名前は、俺が今日まで恋焦がれ、親友からは恋人以上の寵愛を受けていた、一人の少女の名前だった。ずっと会いたかった、一目でいいからもう一度会って、長く引きずっていた叶わぬ想いを断ち切りたかった。それなのに、彼女はそれを許してはくれないようだ。
数年ぶりに彼女の姿を見た俺は、見事に再び、恋に落ちてしまったのだ。
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