画家と天使の溺愛生活

秋草

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誓約の章

画家は呆れる

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 巧と誓いを立てたその日。真静を家まで送り届けた要真が帰宅すると、玄関には当然のように、きっちり揃えられた革靴が置かれていた。
 懲りない男だ、と思いながら玄関を離れ、リビングに足を踏み入れる。と、そこでは兄が、至極真面目な顔で誰かと通話をしてした。
「……ああ、そうです。……ええ。ではお願いします」
 ソファーで悠然と足を組み、電話越しの挨拶を済ませた彼は、どこか満足げに口角を上げ、ようやく要真に目を向けた。
「おかえり、要真」
「……相手は? 電話終わってからニヤニヤしているのが不気味」
「会社の人事部だよ。ちょっといい人を見つけてな、ぜひスカウト候補にしてくれって言っただけだ」
「いい人?」
 自分の駒として使えそう、ということだろうか。うん、兄ならば言いかねない。
 ところが、要真の予想とは異なり、兄は直球で、そしてさも当然といった顔で言い放った。
「俺が恋人にしたい人だ」
「……は?」
「俺がアタックしやすいように、そばに置いて貰おうと思ってな。ちょうど就活直前らしいし、頭も申し分ない。彼女がうちを気に入ってくれさえすれば、入社できると思う」
「いやいやいや、兄さんってそんな阿保だった? 就職を恋愛の駒にするなんて聞いたことないけど」
 会社人事部の私物化……そのような非常識なことができるのは、兄くらいなものだ。
「あ、そのケーキお前のな」
 弟の軽蔑の視線など微塵も気に留めず、兄がテーブルの上を指差す。確かにそこには、ケーキの箱と思しき白いケースがあった。
 特にケーキを好物にしているわけではないが、せっかくだからいただこう。
 モンブランかな、といつも兄が買ってくるものを思い浮かべていると、中から出てきたのは、一面の白に一点の赤が際立つ……そう、ショートケーキだった。
「珍しいものを」
「あー……まあなんだ、気分だ」
「……へえ」
 兄よ、何も言わずとも思考を察せるのが己だけと思うな。
 要真は、兄の返事一つから事の次第を難なく察した。
「これ、狙ってる女性に渡そうとしたんでしょ」
「いやー、別に?」
「なに、今日出会っていきなりプレゼントは重いって、買って気がついたの?」
「違う違う。単に妹さんがいること忘れていたから、個数合わないなと思って渡せなかっただけだ」
「妹さんがいるのか。へえ」
 まさか家族構成まで知っているとは、どれだけ一日で話し込んだのだろう。
 妹、といえば、今日は彼女の姉が妙ににこやかだった。いいことがあったのだろうか……。
 そこでふと時計に目を落とし、要真はケーキを冷蔵庫にしまった。
「俺、今から真静ちゃんと電話だから、ケーキは兄さんが食べてよ。女性にあげようとしていたものなら自分で消費してよね」
「電話? ……お前達、いつのまにか付き合い始めたのか?」
「まさか。まだ当分は現状維持。それより、絶対邪魔しないで」
 じゃ、帰りは気をつけて。
 それだけ言い残し、急ぎ足でアトリエに籠る。
 さて、と約束の時間になると同時にかければ、すぐに呼び出し音が鳴り止んだ。
『はい!』
「……ふ。相変わらず声が大きくなるんだね」
『あっ、すみません。緊張するので、つい……』
 照れ笑いをする彼女の声音に目を細め、手近な絵筆を取り上げる。特に何かを描くわけではなく、少々手持ち無沙汰だっただけだが。
「今日約束した再来週末のことだけど、赤浜っていう俺のマネージャーに迎えに行かせるね」
 再来週末は午後に、とある雑貨メーカーの依頼で雑貨デザインの打ち合わせに行くことになっている。真静には助手として、その場に立ち会ってもらうことになったのだ。
 そういったわけで、今このような会話が始まったわけだが……。
『マネージャーさん、ですか? 倉瀬さんはどちらへ?』
「俺は午前中に少し取材が入っているから、迎えに行けないんだ。ごめんね」
『いえ、全く謝られるようなことではありません! それよりも、取材ですか。また芸術雑誌に載るのですか?』
 声が弾み、おそらくは頬が紅潮しているだろう真静を想うと、自然、要真の口元が愛しげに綻ぶ。同時に、自分は彼女の兄との約束を守れるのか、という不安が胸をかすめた。
「……そう、雑誌だよ。来月号、だったかな」
『わあ~!』
 ああ、可愛い。
 伝えられぬ想いが、そうと自覚してから徐々に膨らんでいる。
 それでも、今はまだ。
 そう自分に言い聞かせ、要真は日が変わるまで、彼女を近くに感じていた。
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