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第8話 Love Call

9.

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 良哉たちのところへ行くと、どうぞ、と、物腰のやわらかい男子学生が奥の空いた席に招いた。長テーブルを並べた簡易食堂は満員だ。
「戒斗の親戚ってあんたか?」
 椅子に座るか否かのうちに、航は案内した彼に訊ねた。その彼はきっと年上だ。実那都はそう思うが、航はおかまいなしで口の利き方は不遜だ。
「正確に云えば、戒斗さんの親戚が所有してる別荘地一帯を管理する一家に生まれて、僕は子供の頃から親戚みたいな付き合いをさせてもらってる。農芸学部三年の東堂隆大とうどうりゅうた、よろしく」
 と、気を悪くした様子もなく、東堂は屈託なく自己紹介をした。何回生かをさり気なく伝えたのは、ひょっとしたら年上だという自己主張かもしれないけれど、雰囲気を見るかぎり嫌味ではなくおもしろがっている。

「別荘地一帯って……」
 航は大抵のことを笑い飛ばすけれど、戒斗に関することはいまみたいに驚くことのほうが多い。といっても立ち直るのは早く、航は肩をすくめて気を取り直すと、「工学部一年の藍岬航です」と、今度は丁寧に名乗った。
 良哉と祐真はすでに紹介し合っていて、残った実那都と加純が順に東堂と挨拶を交わした。それから実那都はあらためて良哉たちに加純を紹介した。戒斗はともかく、良哉も祐真も、福岡では加純を見かけたことくらいはあっても話したことはない。

「祐真くん、眼鏡は変装用?」
 祐真は外出時、普段から変装をすることはないのに、今日は丸型の眼鏡をかけている。祐真の素顔を見てソングアーティスト“ユーマ”だと見抜くのは、きっとライヴまで足を運んでくれるような熱心なファンくらいだ。そのほかのところでは顔を晒していない。MVやCDジャケットでさえ真正面からのカットはなくて、ユーマの顔は知る人ぞ知るという具合だ。
「FATEらしい曲にしたいから歌い方は変わるけど、声は変わんないからな。同一人物だって認定されないように、念のために定番の眼鏡でカムフラージュだ」
 実那都の質問に答えた祐真は、どう? と首をかしげる。
「似合ってるけど、気取ったナンパ男みたい」
 実那都が感じたままを云うと、航たちは吹きだし――
「ひっでぇ」
 という祐真のひと言がまた壺に嵌まったようで、ひと際大きく笑い声をあげた。

 加純も一緒になって笑っていたが、でも、と戒斗から祐真、そして良哉へとあらためて目を向けながら続けた。
「FATEってみんなビジュアルがすごいから、祐真さんだけに目が行くってことはなさそう」
 実那都たちが良哉たちと合流する寸前、加純が放った『わあ』という感嘆は、きっといま本人が云ったことが原因だ。大学構内で航たちは目立っているし、いま派手に笑い声をあげて注目はされても、その延長上のことだ。加純の云い分は一理ある。
「それ、おれからすると微妙なんだけど、気のせいかな」
 と云って、また祐真は笑いを誘った。

 まもなく隆大が持ってきたカレーは東堂家直伝といい、隠し味としてりんごだけでなくバナナとパイナップルが入っていると説明してくれた。
 食べてみると、フルーティでスパイスの利いた、なんとも美味なカレーだ。
「美味し……」
「すごい、美味しい!」
 実那都よりも大げさな声を出して、加純は目を丸くしている。

 いや、大げさでもなくカレーは美味しい。実那都のほうが大げさに加純を捉えすぎている。加純はわざとそうしているのではなく、感情表現が豊かであるにすぎない。
 授業の一環で行ったグループディスカッションのときに、過度もなく欠損もなく愛情を与って育つことと、感情表現が素直であることは比例するという意見が出た。何を云っても拒絶されない場所では云いたいことを隠したり我慢する必要がないというのだ。その証明は、実那都と加純を見れば成立する。

「加純ちゃんて、実那都からはイメージしづらい年相応の可愛い反応するけど、高校生で東京に出てきて独り暮らしって、しっかりしてるんだな」
 祐真はのんびりとした口調で云う。
 最初の言葉はどういう意味だろう。祐真を見ると目が合い、その眼差しからして単に実那都をからかっているとわかった。見た目も雰囲気も、加純と似ていないのは実那都も承知だ。
「わたし的にはしっかりやってるっていうより、親の束縛から逃れてのびのび楽しんでるの。お母さんにずっと管理されてたし、福岡の高校に行ってたら、付き合いが悪いって云われて新しい友だちができなかったかも」

 加純は中学生のとき、塾に行かない実那都にいいなあと云ったことがあった。その頃、実那都はまったく逆のことを――母が加純に対して手取り足取り導こうとしていることを羨んでいた。隣の芝生は青く見えるというけれど、加純がそこまで親の干渉を煩わしいと感じているとは思わなかった。

「管理されるのは確かに窮屈だ」
 いの一番に戒斗が賛同した。
 以前、戒斗は『常に守られる』と云った。それは、実家にいた頃の加純と戒斗の共通点かもしれない。
「お姉ちゃんはいいよね。中学のときからの友だちと、この東京で仲良く一緒にいられるんだから。わたし――」
 と、加純は少しテーブルに身を乗りだし、ちょっとお願いがあるの、と斜め向かいの祐真を見ながら声をひそめる。
「祐真さん、ドラマデビューしたあとね、話すチャンスがあったら“ユーマ”はお姉ちゃんの元バンド仲間で親友だって自慢してもいい?」
「自慢?」と、加純が正直に云った言葉を聞いて祐真は可笑しそうに笑った。
「いいよ、そのとおりだから。ただし、本名とプライベート写真とか居場所曝しはNGだ」
 加純は、了解です、とうれしそうに敬礼のしぐさをした。

「加純、親友はそうでも、元バンド仲間って大げさだから」
 実那都が加純の認識を改めさせようとすると、大げさじゃねぇ、と航が即行で否定して、それから祐真が口を開いてあとを継ぐ。
「ショックだなぁ。実那都がオフリミットをそんなに軽く見てたなんて。あんだけがんばって完成させたのに」
「軽く見てるんじゃなくって、二カ月ちょっとしかやってないし……」
「時間は関係ない。あのとき、おれが作った“Guilty World”はオフリミットの曲だ。おれの歌として出すつもりはさらさらない。ひとつ云っておけば、航がノーって云わなきゃ、おれが世に出る場は“ユーマ”じゃなくオフリミットだったかもしれない」
 と、祐真は問うように首をひねった。

 中学時代、学芸会が終わったのち、祐真がオフリミットを継続させてもいいと云ったときに実那都は断ったけれど、それに対して残念という言葉が返ってきた。冗談だと思っていたけれど祐真は本気だったのだろうか。

「おれのせいかよ」
 びっくりした実那都の横で、航がふて腐れたように云う。
「確か……実那都には文句云えないから、オフリミットは詰まらないバンドになるって云ったのは航だったよな」
 良哉の言葉に戒斗が笑い、航はしかめっ面で正面に座った良哉を睨み返す。
「うるせぇ」
「はっ。怒るなって。祐真はユーマとして世に出た。FATEが誕生したのは航のおかげだってことにもなる。だろう?」
 戒斗が笑いながらも航を上手になだめた。
 航は顎をしゃくって偉そうにしたかと思うと。
「怒ってんのはそこじゃねぇ。おれの実那都への愛をバカにするからだ」
「航!」
 時と場所をわきまえない航の発言はいまに始まったことではないけれど、実那都はやっぱり悲鳴じみて止めた。時はすでに遅し、だけれど。

「やっぱ、おまえら、いいよ」
 祐真は頬杖をつき、実那都と航を交互に見ながらニヤニヤして、けれどどこかしみじみとした様子で云った。
「なんだよ」
 また祐真にからかわれると思ったらしく、航はむすっとして反発した。
「いくつになっても、そのまんま変わるなよって云ってる。おまえらはおれの希望の星だ」
 そう云った祐真の声からは、からかいと、それに相反する真剣さがい交ぜになって聞こえた。

 祐真は、歯に衣着せぬ性格は以前と変わらず、けれど、やっぱり実那都はやわらかくなったと感じる。東京に出てきたこと、ひとつの目標だったプロデビューをしたこと、神瀬家の居心地がいいこと。それらが合わさった結果、余裕を持てるようになったのかもしれない。

「やっぱり、お姉ちゃんはいいなぁ」
 加純は、言葉どおりにうらやましそうな口振りで祐真と似たことを云う。今日、二度めだ。
「何?」
「わたしがお姉ちゃんだったら、幸せで気絶死してそうな感じ」
 誇張した加純の云い分に高笑いしたあと航は――
「だってさ」
 と、ぼそっと漏らした。
 航に目を向けると、不安になることなんてないだろう? と航はそんな問いを投げかけるような面持ちで、実那都に勝気な笑みを向けた。
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