20 / 31
第7章 摧頽-濫りに淫ら-
1.値打ちのない躰
しおりを挟む
嵐司の肩にもたれた頬が浮いてしまうほど、毬亜はびくっとおののいた。顔を上げれば、嵐司の背中越しに吉村が見えるに違いなく、毬亜はそうできなかった。反対に、隠れるように躰を嵐司に押しつける。嵐司の腕が腰を締めつけたかと思うと、次の瞬間には真逆に引き離された。
毬亜の躰をベッドに横たえて嵐司は躰を引く。快楽から一気に冷めた躰は内部まで縮こまっているのか、男根がずるりと抜けだしていくきつさは、宴の男たちがもたらすものと同じ感覚だった。
呻くような毬亜の喘ぎ声を嵐司の薄笑いが引き継ぐ。
嵐司はあぐらを掻いた脚を片方だけ解いて、わずかに躰の向きを変えながら吉村を見やった。
「目のまえに女がいて、そいつが気に入ってるんなら抱きたい。女の意思なんて関係ない。そう教わったつもりです」
「下っ端が目上の囲い女に手を出していいと教えたつもりはないが」
「一月さんがそうおっしゃるんでしたら、おれの聞き間違いだったようです」
「聞き間違い?」
怪訝にした吉村の質問は、肩をそびやかしたしぐさでかわされた。
腹の探り合いをするような沈黙がはびこる。ともった灯があればふっと消えてしまう。そんな酸素不足を引き起こしている。毬亜は嵐司に寝かされたときのまま、じっとして動けなかった。
「いつからだ」
「一回でも百回でも問題は変わらない。少なくともマリに関しては。ですよね?」
嵐司は吉村に何一つまともに答えない。何を企んでいるのか――違う、一月さんについていけと毬亜に云った嵐司が、〝一月さん〟と慕っているのは確かであり、それならば真意は何か。
いま毬亜が気づいたのは、嵐司は最初から吉村がここにやってくることをわかっていたのではないか、ということだった。
「おれは、おまえの親父さんには恩義がある」
そう云って吉村が動く気配がした。
「嵐司、だからといって何をしても許されるとは思うな」
ベッドが揺れる。それを体感した直後、嵐司はベッドから蹴り飛ばされていた。
呻き声と毬亜が息を呑む音はどちらが大きかったのか。
ベッドに飛び乗っていた吉村は、すぐさまおりて、床に転がった嵐司に歩み寄る。
「息子は所詮、息子。ちやほやされて育ったアマちゃんか」
云い捨てながら吉村は、肩を手でかばいながら起きあがろうとした嵐司の腹部に蹴りを入れた。嵐司は背後の壁にぶち当たり、反動でまえに倒れながら躰を折る。
「下っ端がおれの意に背くのを容赦するとでも? 甘く見られたもんだ」
吉村は嵐司の腹部を踏みつけた。ぺちゃんこにする気ではないかと思うほどぐいぐいと足はのめりこんで見える。
驚怖に身を縮めていた毬亜は、気づけばベッドからおりていた。
「吉村さん!」
吉村の腕を引っ張ると足は嵐司から離れたが、振り向きもせず、再び足の裏で嵐司を蹴り飛ばす。
「可愛がってやってる礼もなしに徒にするとはな。落とし前はどうつけてくれるんだ」
いつも冷然とした吉村が激昂していることは間違いなかった。
吉村さんを止められないのなら――
毬亜はとっさに嵐司の上に覆い被さった。
「マリ、どけ」
「あたしが悪いの! あたしはバカで、どうしようもないって思って、だから嵐司はなぐさめてくれただけ」
「どけと云ってる」
毬亜は首を激しく横に振った。
「踏みつけられて当然なのはあたし。あたしの躰は全然惜しくないから」
毬亜の躰は借り物だ。なんの値打ちもない。そんな躰でも抱きしめてくれた嵐司は、毬亜の知らない多くの人にとってきっとかけがえのない人だ。
苦痛を覚悟したのに、それはいつまでたっても起こらない。
無意識に息を詰めていた毬亜は、殺されてもいいと思ったこととは裏腹に生きることを欲して、苦しさに喘いだ。
「出ていけ」
吉村の声は静けさを取り戻していた。踵を返したらしく、背後の足音が遠のいていく。
毬亜は固まったように動けなかった。逆に、とても動けるとは思えないほど手ひどくやられた嵐司のほうが立ち直りは早かった。
息をついた嵐司は毬亜の腕をつかんで一緒に上体を起こした。
「嵐司……」
「大丈夫だ」
受け合った言葉のとおり、暴行されることさえ織りこみずみだったのか、嵐司は堪えているふうではない。けれど、あれだけのことをされて痛みがないはずがない。
「でも……あたしのせい……」
嵐司は顎をしゃくるように首を振って、それ以上を制した。
立ちあがった嵐司は一度大きく息をつき、寝室を出ていった。
毬亜はその背中を見ながら、嵐司を見るのはこれが最後になるのだろうと思った。吉村も嵐司もいない。そんな自分がどうやってここで生きていけるのか、想像もつかなかった。
やがて浴室の戸が閉まる音を聞きつけると、毬亜はようやく立ちあがってリビングに行った。
すると、吉村は帰ることなく、寝室に背を向ける側のソファに座って煙草を吸っていた。顔が見えないことは救いなのかどうか。
嵐司はリビングに戻ってくると、毬亜を見据えた。
「マリのせいじゃない。おれは、一月さんが腹を立てて当然のことをした」
「ちが――」
「マリ、いつか……一月さんじゃないだれかが必要になったらおれを呼べ」
嵐司は毬亜の否定をさえぎって、ちょっとまえ云いかけていた続きを口にすると、見向きもしない吉村に向かって深々と一礼をした。
「一月さん、お世話になりました」
嵐司が出ていった部屋は、まるでだれも存在しないかのように静まり返った。ただ、煙草の薫りだけが息づく。
吉村は腹に据えかねていて、帰ってしまっていてもおかしくなかった。いまここにいる意味を考えても、後ろ姿から読みとるなど毬亜には到底無理で、埒が明かない。
値打ちのない躰を抱きしめてくれたのは吉村もそうだ。いまここにいることではなく、いまここに来たことに意味があるのかもしれなかった。
けれど、そんなふうに意味を求めることは愚かなのだろう、きっと。
毬亜の躰をベッドに横たえて嵐司は躰を引く。快楽から一気に冷めた躰は内部まで縮こまっているのか、男根がずるりと抜けだしていくきつさは、宴の男たちがもたらすものと同じ感覚だった。
呻くような毬亜の喘ぎ声を嵐司の薄笑いが引き継ぐ。
嵐司はあぐらを掻いた脚を片方だけ解いて、わずかに躰の向きを変えながら吉村を見やった。
「目のまえに女がいて、そいつが気に入ってるんなら抱きたい。女の意思なんて関係ない。そう教わったつもりです」
「下っ端が目上の囲い女に手を出していいと教えたつもりはないが」
「一月さんがそうおっしゃるんでしたら、おれの聞き間違いだったようです」
「聞き間違い?」
怪訝にした吉村の質問は、肩をそびやかしたしぐさでかわされた。
腹の探り合いをするような沈黙がはびこる。ともった灯があればふっと消えてしまう。そんな酸素不足を引き起こしている。毬亜は嵐司に寝かされたときのまま、じっとして動けなかった。
「いつからだ」
「一回でも百回でも問題は変わらない。少なくともマリに関しては。ですよね?」
嵐司は吉村に何一つまともに答えない。何を企んでいるのか――違う、一月さんについていけと毬亜に云った嵐司が、〝一月さん〟と慕っているのは確かであり、それならば真意は何か。
いま毬亜が気づいたのは、嵐司は最初から吉村がここにやってくることをわかっていたのではないか、ということだった。
「おれは、おまえの親父さんには恩義がある」
そう云って吉村が動く気配がした。
「嵐司、だからといって何をしても許されるとは思うな」
ベッドが揺れる。それを体感した直後、嵐司はベッドから蹴り飛ばされていた。
呻き声と毬亜が息を呑む音はどちらが大きかったのか。
ベッドに飛び乗っていた吉村は、すぐさまおりて、床に転がった嵐司に歩み寄る。
「息子は所詮、息子。ちやほやされて育ったアマちゃんか」
云い捨てながら吉村は、肩を手でかばいながら起きあがろうとした嵐司の腹部に蹴りを入れた。嵐司は背後の壁にぶち当たり、反動でまえに倒れながら躰を折る。
「下っ端がおれの意に背くのを容赦するとでも? 甘く見られたもんだ」
吉村は嵐司の腹部を踏みつけた。ぺちゃんこにする気ではないかと思うほどぐいぐいと足はのめりこんで見える。
驚怖に身を縮めていた毬亜は、気づけばベッドからおりていた。
「吉村さん!」
吉村の腕を引っ張ると足は嵐司から離れたが、振り向きもせず、再び足の裏で嵐司を蹴り飛ばす。
「可愛がってやってる礼もなしに徒にするとはな。落とし前はどうつけてくれるんだ」
いつも冷然とした吉村が激昂していることは間違いなかった。
吉村さんを止められないのなら――
毬亜はとっさに嵐司の上に覆い被さった。
「マリ、どけ」
「あたしが悪いの! あたしはバカで、どうしようもないって思って、だから嵐司はなぐさめてくれただけ」
「どけと云ってる」
毬亜は首を激しく横に振った。
「踏みつけられて当然なのはあたし。あたしの躰は全然惜しくないから」
毬亜の躰は借り物だ。なんの値打ちもない。そんな躰でも抱きしめてくれた嵐司は、毬亜の知らない多くの人にとってきっとかけがえのない人だ。
苦痛を覚悟したのに、それはいつまでたっても起こらない。
無意識に息を詰めていた毬亜は、殺されてもいいと思ったこととは裏腹に生きることを欲して、苦しさに喘いだ。
「出ていけ」
吉村の声は静けさを取り戻していた。踵を返したらしく、背後の足音が遠のいていく。
毬亜は固まったように動けなかった。逆に、とても動けるとは思えないほど手ひどくやられた嵐司のほうが立ち直りは早かった。
息をついた嵐司は毬亜の腕をつかんで一緒に上体を起こした。
「嵐司……」
「大丈夫だ」
受け合った言葉のとおり、暴行されることさえ織りこみずみだったのか、嵐司は堪えているふうではない。けれど、あれだけのことをされて痛みがないはずがない。
「でも……あたしのせい……」
嵐司は顎をしゃくるように首を振って、それ以上を制した。
立ちあがった嵐司は一度大きく息をつき、寝室を出ていった。
毬亜はその背中を見ながら、嵐司を見るのはこれが最後になるのだろうと思った。吉村も嵐司もいない。そんな自分がどうやってここで生きていけるのか、想像もつかなかった。
やがて浴室の戸が閉まる音を聞きつけると、毬亜はようやく立ちあがってリビングに行った。
すると、吉村は帰ることなく、寝室に背を向ける側のソファに座って煙草を吸っていた。顔が見えないことは救いなのかどうか。
嵐司はリビングに戻ってくると、毬亜を見据えた。
「マリのせいじゃない。おれは、一月さんが腹を立てて当然のことをした」
「ちが――」
「マリ、いつか……一月さんじゃないだれかが必要になったらおれを呼べ」
嵐司は毬亜の否定をさえぎって、ちょっとまえ云いかけていた続きを口にすると、見向きもしない吉村に向かって深々と一礼をした。
「一月さん、お世話になりました」
嵐司が出ていった部屋は、まるでだれも存在しないかのように静まり返った。ただ、煙草の薫りだけが息づく。
吉村は腹に据えかねていて、帰ってしまっていてもおかしくなかった。いまここにいる意味を考えても、後ろ姿から読みとるなど毬亜には到底無理で、埒が明かない。
値打ちのない躰を抱きしめてくれたのは吉村もそうだ。いまここにいることではなく、いまここに来たことに意味があるのかもしれなかった。
けれど、そんなふうに意味を求めることは愚かなのだろう、きっと。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
幸せのありか
神室さち
恋愛
兄の解雇に伴って、本社に呼び戻された氷川哉(ひかわさい)は兄の仕事の後始末とも言える関係企業の整理合理化を進めていた。
決定を下した日、彼のもとに行野樹理(ゆきのじゅり)と名乗る高校生の少女がやってくる。父親の会社との取引を継続してくれるようにと。
哉は、人生というゲームの余興に、一年以内に哉の提示する再建計画をやり遂げれば、以降も取引を続行することを決める。
担保として、樹理を差し出すのならと。止める両親を振りきり、樹理は彼のもとへ行くことを決意した。
とかなんとか書きつつ、幸せのありかを探すお話。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
自サイトに掲載していた作品を、閉鎖により移行。
視点がちょいちょい変わるので、タイトルに記載。
キリのいいところで切るので各話の文字数は一定ではありません。
ものすごく短いページもあります。サクサク更新する予定。
本日何話目、とかの注意は特に入りません。しおりで対応していただけるとありがたいです。
別小説「やさしいキスの見つけ方」のスピンオフとして生まれた作品ですが、メインは単独でも読めます。
直接的な表現はないので全年齢で公開します。
トキメキの押し売りは困ります!~イケメン外商とアラフォーOLの年末年始~
松丹子
恋愛
榎木梢(38)の癒しは、友人みっちーの子どもたちと、彼女の弟、勝弘(32)。
愛想のいい好青年は、知らない間に立派な男になっていてーー
期間限定ルームシェアをすることになった二人のゆるくて甘い年末年始。
拙作『マルヤマ百貨店へようこそ。』『素直になれない眠り姫』と舞台を同じくしていますが、それぞれ独立してお読みいただけます。
時系列的には、こちらの話の方が後です。
(本編完結済。後日談をぼちぼち公開中)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~【after story】
けいこ
恋愛
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~
のafter storyです。
よろしくお願い致しますm(_ _)m
すべてを奪われた少女は隣国にて返り咲く
狭山ひびき
恋愛
サーラには秘密がある。
絶対に口にはできない秘密と、過去が。
ある日、サーラの住む町でちょっとした事件が起こる。
両親が営むパン屋の看板娘として店に立っていたサーラの元にやってきた男、ウォレスはその事件について調べているようだった。
事件を通して知り合いになったウォレスは、その後も頻繁にパン屋を訪れるようになり、サーラの秘密があることに気づいて暴こうとしてきてーー
これは、つらい過去を持った少女が、一人の男性と出会い、過去と、本来得るはずだった立場を取り戻して幸せをつかむまでのお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる