あやかしの街よろず倶楽部

落汰花

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3.家族

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「むしろ、お前が知らない方が意外だ」
 考え込んでいると、ふいに鷹楽くんが呟いた。
「え、そう?」
「あいつも言ってたがネットで結構有名だし、この街はお前の地元なんだろ」
「あー……俺スマホあんま使わないというか、使えないというからネットとか見ないし、あと、活動範囲もあんま広くないからさ」
「方向だけじゃなく機械に関しても音痴なのかよお前」
 おっしゃる通りである。基本的には電話機能しか使わないし、いざというときに地図機能を出せるくらいには訓練したがいつも操作には戸惑う。そのうえ昔から極度の方向音痴だから、慣れたところ以外にはあまり積極的に赴かないようにしていた。父母はそれを理解し引っ越しに伴い転校をする際にはできる限り通学路のわかりやすい学校を選んでくれたけれど、それでも毎度人とのかかわりよりも先に道を覚えるのに苦労したものだ。行くことはできても帰れないなんてのは方向音痴あるあるなんじゃないだろうか。だって景色が変わるんだもの。
 とはいえ、この街には住んで長いし、一人暮らしもしているし、万が一のときは兒玉くんやキタをはじめとした世話を焼いてくれる妖もいるから、これでも結構動き回流ようになった方ではあるのだけれど――先日のように横着をすればいまだに失敗してしまうだろう。
「まぁ、知らなくて正解だったろうな。お前みたいに無駄に霊力高いやつがあんな巣窟に行ったら確実に厄介ごとに巻き込まれて今頃死んでいたかもしれない」
「対処法はあるって言ったろ」
「どんな対処法だか知らないが、お前が閃くようなことだ。どうせろくでもない手法だろ」
「これから行くんだけどな」
 関係性は変わりなければ罵倒のキレも歪みない。やっぱりちょっぴりムカつくけれど、清々しくも感じるから不思議なものだ。
「俺も行くんだから問題ないだろ。一応言っておくが、妖が暴走しても前みたいな勝手な行動を取るなよ。絶対に俺が祓った方が早い。足手まといになるだけだ」
 淡々と言い放ち「それで。いつ行くつもりだ」と鷹楽くんはスマートフォンを取り出す。廃校で幽霊の証拠作りをするのならば時間帯は必然的に夜になる。次の日に学校がない日がいいだろう。
「金曜か土曜の夜かな」
「じゃあ、土曜の二一時半に駅に来い。それから、塩もってこい」
 なんで、塩。まさか、深夜の心霊スポットに入るから? 
 汚れのない白色だから、腐敗を遅らせるからなどの理由で塩が幽霊退治に有効なのは有名な説話として知ってはいるけれど、その道のプロフェッショナルでも塩に頼るものなのだろうか。それとも塩には本当に破邪的な効果があるのか。
 首を傾げたちょうどそのとき、チャイムが鳴った。鷹楽くんはコーヒーを一気にあおって飲み下すと席を立ち、三人分のカップを流しに持っていき洗い物をはじめる。スポンジで底の溝まで丁寧に洗っていく。
 一番手間である洗い物を鷹楽くんがいつも率先してやってくれるから、俺の仕事は開け放していた窓を閉めることぐらいしかない。洗い物が終わるのと同じくらいのタイミングになるように、立ち上がって伸びをして、窓の外をしばし眺めてから縁に手をかけ、ゆっくりと閉めていく。ついでに薄手のカーテンも引いたところで水音が止んだ。
 鷹楽くんが水切りかごにカップを並べて、ポケットから取り出したハンカチタオルで手を拭う。
 それからそれぞれ荷物を持って教室を出て、施錠をし、職員室にいる文香さんに鍵を渡してから帰る。駅で別れるまでは一緒だから長い坂道を前後に並んで歩く。相変わらず俺たちの間に弾むものはないけれど、誰かと一緒に帰路に就くというだけで俺はちょっと嬉しいし楽しい。
 それにしても、妙な巡り合わせもあるものだ。妖と縁のある俺たちが幽霊の偽りの証拠を作ることになろうとは。
 けれど、喉に小骨が突き立つようなちいさな引っ掛かりもある。偽りの証拠を作ることが正しいことなのか、とか。それで本当いに茅ヶ崎くんの弟は救われるのか、とか。
 彼が本当に欲しいものは……それほど大抵の人眼からは不確かとされるものが好きならば証拠もあったら嬉しいかもしれないけれど、それよりも彼が欲しかったのは。
 しかし、本当にそうだとして、俺がしてあげられることもまた分からないから、引っかかりは解けず、妙な居心地の悪さをしばらく抱えるのだった。
 そうして迎えた土曜の朝、晴天の下でいつも通りラジオ体操をし、終了のタイミングを狙ってやってきた強かな三匹の猫に朝飯を振る舞い、それから俺も朝飯を食べにいこうとした頃で、兒玉くんがやってきた。
「天気いいしこっちで食べようよ」と誘われるままに縁側でサンドイッチを食みながら世間話をしつつ、そういえば、と、廃校について尋ねてみることにした。
「知ってるよ。結構有名だし、行ったこともある。それがどうしたの」
「今夜、鷹楽くんとそこにいくんだ」
「えっ、百々瀬くんあいつとあそこにいくの? 聞いてないんだけど」
 大人しいクロの頭を撫でながら兒玉くんはぶすくれた顔をした。
「何しにいくいのさ? この間言ってたあいつの呪いを解くためのお手伝い?」
 よろず倶楽部に来た依頼のことをかいつまんで話せば、兒玉くんは「ふぅん」となにやら思案するそぶりを見せると、ぱっと顔を閃かせた。
「僕も手伝おうか」
「兒玉くんが?」
「僕がいればガチの心霊写真が撮れるでしょ? 適当な加工や現地の妖に頼むよりよっぽど精巧で楽と思うけど」
 それは、たしかにそうだけれど。
「鷹楽くんと喧嘩するだろ」
「あいつが余計なこと言わなきゃ僕も突っかからないよ。まぁ、突っかかったところであいつには視えないけどね」
 にしっと悪い笑みを浮かべる兒玉くんを窘めるようにクロがにゃあと一鳴きした。そういえばクロと鷹楽くんが右の耳朶にしているピアスはよく似ている気がした。
「それにあそこは鷹楽の言う通り、妖の巣窟だよ。万が一があったとき、僕が君を守ってあげられる」
 そう紡ぐ声は、いつもよりもほんの少しだけ神妙な音をしていた。
「……兒玉くんは本当に俺のこと、気に入ってくれてるんだな」
「今更何言ってるのさ。当たり前でしょ。君は僕にとって二番目に大切な存在なんだから」
 鷹楽くんは衒いなく微笑む。
「あんまり二番手にかまけていると一番大切な子に愛想尽かされるぞ」
「あはは、面白いこと言うね。どう見たってそんな心配ちっともないのにさ。あの子は僕の愛をよく知っているし、僕もあの子の愛をよく知っている。僕らは悠久の契約を交わしているし、あの子も君に感謝しているから君が困っていたら手伝うように日頃から言い含められているんだ」
 心臓のあたりに細い穴が風が通り抜けるような感覚がする。
「俺は……〝俺が兒玉くんの恋を後押ししたこと〟が正しかったとは言い切れない。過失だと思っている」
「君は歪みないね」
「あのときもそんな顔してた」と兒玉くんは眦を柔らかく緩めた。
「たしかに僕は道を外れたと言えるし、そのきっかけは間違いなく君だ。けど、僕は今を最高に幸せだと思ってる。君のおかげで、彼女と出会えて、彼女と同じになれたんだから。今以上の幸福はこの世にないと思っている」
「それは結果論だろ。俺がもっとちゃんとしてたら、また話は変わっていたと思う」
「君はいつだって、いつまでも、頑固で自省的だね」
「そういうところも、好きだけどね」と兒玉くんは小さく笑い、クロの背を指先でくすぐった。
「たしかに僕も省みることはあるよ。きっかけを与えてくれた君を慮らない、ひどく傷つける選択をしてしまったなって。でも、後悔はちっともないんだ。だから僕は君に謝らないし、君に感謝をする。だから僕は君のこれからを支えたいと思うし、これから先君がどうなってもずっと君の味方であり一番の隣人であり続けるよ」
「たとえ君がこの世界を見限って破滅を望む暴君になったとしても僕は喜んで力になるさ」と兒玉くんは悪戯っぽく頬を持ち上げ、胸を張った。
 とんでもないことを言うものだと思う。
 あけすけで、突拍子もなくて、無邪気で、まさに竹を割ったような少年。それに俺はきっと、何度も救われてきた。
「俺は二番目なのに?」
「それは仕方ないじゃない。僕はふたりが川に溺れてたらそりゃあ躊躇いなくあの子の方を助けるさ」
「本当に素直だな」
「それでも、君が死んだら泣くよ。きっと、一晩中」
 いつだってへらへらとしているその姿からはうまく想像できない。けれど、彼がそう言うのなら、きっと彼はいざという時は俺のために泣いてくれるのだろうと思った。今なら、そう思える。だからこそ、かつての俺が俺を信じてくれた兒玉くんを信じきれずに、兒玉くんを試すようにその恋の背を押したことを、認められない。そのときの後悔は時の波に流されてしまったけれどそれもきっと――俺の呪いの一部なんじゃないかと思っていたりするのだ。
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