24 / 34
第24話 襲撃1
しおりを挟む翌日、後宮内は不穏な空気に包まれていた。
カーサがそれをはっきりと認識したのは朝早くのことだった。
……なんだろ。
カーサは食堂で疑問を抱いていた。まず感じたのは雰囲気が悪いということだった。積極的に目を合わせようとせず、会話も最低限。誰かとすれ違っても軽く会釈をするだけで足早にその場を離れていた。
活気がなくなり、空気が鉛を含んだように重苦しくなる。その原因が主上――ソウタ――の予想通りならばこれは根深い問題だった。
臨戦態勢。小康状態ではなく一発触発。きっかけがあればパンパンに詰まった風船は簡単に割れてしまう。千年戦争の名残が色濃く残っている証拠だった。
……大変ねぇ。
よそよそしい人々を眺めながら、カーサは一人食事をしていた。細かく刻んだ干し果物を混ぜ込んだパンに拳ほどあるチーズを交互に口に運ぶ。こんな状況でも食事の味だけは変わらないのが救いだった。
それは皆が表面上だけはどうにか取り繕っているからに過ぎない。本能を理性が押さえているうちはまだ大丈夫。だからまだ危惧する状況ではないとカーサは感じていた。
必要なのはガス抜きだ。千年続けた命のやり取り、溜まった怨恨を別の機会で発散する。やり方を知らないからこうなってしまっているだけであって、それを用意すればいくらか溜飲が下がるはずだった。
ではだれがその音頭をとるか。それはソウタしかいない。それまでカーサは動く気はなかった。
乾いた食事を終えて、流し込むように薄めたエールビールを飲み干す。他人の思惑が渦巻く中、カーサはお勤めへと向かっていた。
「夜伽番の降格?」
「えぇ、やりすぎたってことなんでしょうね」
紫鬼はそういいながらも笑みを作っていた。肌は血色がよくなり、赤みがさすようになっている。片時も離さなかった酒器は今は片付けられ、代わりに甘い焼き菓子が皿の上におかれていた。
知らずのうちにためていたストレスを酒で代用していた。それが一時的にでもなくなれば頼る必要もない。以前よりも生き生きと話す様子に、本来はもっと明るい性格だったことがうかがえる。
部屋の中は物がずいぶんと少なくなっていた。昨日のうちに紫鬼が一人で片づけをしたからだった。夜伽番でなくなればこの部屋にはいられない。ほかの女衆と同じように相部屋になるしかなかった。
……むう。
カーサは唇を尖らせて考えていた。昨日本格的にやりあったのは紫鬼とエメリアだ。しかしその前に火種を作ったのは自分だった。そのことについてまだなんのお咎めもない。これから通達されるというならまだ我慢できるが、特例のような扱いをされると苛立ってしまう。
あんたの特別じゃないんだけど。カーサはソウタのいるだろう部屋の方向をにらみつける。罰というならどんな事でもやってやろう。だから変な手心を加えるつもりならその横っ面を張っ倒すつもりでいた。
「怪我は大丈夫なんですか?」
備え付けの椅子に座るアポロが紫鬼に問いかける。焼き菓子を一つほおばり、その味に頬を緩ませる姿は無垢な子供のようでとても愛らしい。
すっと伸びた手は紫鬼のものだった。彼女は近くにあった本を一冊手に取ると、そのまま指に力を込めて握りつぶす。
みしみしと聞き覚えのない音を立てて本が激しくゆがんでいく。一度握りなおすとそのまま拳は完全に閉じていった。
「……絶好調かしら」
ぽいっと放り投げた本のなれの果てが床に当たる。ゴンっと音を立てた、もはや原型が想像できない塊は小さなカーサの手にも収まるほど圧縮されていた。
……こわっ!
小石のようなそれを懐にしまいながらカーサは思う。これが鬼種のスタンダード。比類なき力は戦闘によって磨き上げられ受け継がれていったもの。千年の研鑽をふいにされたら誰だって不調になるだろう。
ただそれに勝るとも劣らないエメリアは何者なのか。ただのハーフに純粋な鬼の力を真正面から受けることは不可能なはず。経験、技術だけでその差を埋めたとしたら驚愕を通り越してもはや恐怖だった。
……ん?
ふと視線に気づいてカーサは顔を上げる。
紫鬼だ。彼女は印象の違う笑みを浮かべてカーサを見つめていた。煙管をふかして、お気に入りのおもちゃを見つけた子供のような目つきに寒気を覚える。
「そういえばだけど、知ってるかしら?」
「な、なにを……」
「あなたが壊した衣装。あれは私の一族に代々伝わる花嫁衣裳なのよ。主上に嫁ぐからってわざわざ受け継いだものなんだけど……ねぇ、どうすればいいと思う?」
……やっぱり。
カーサはうなだれて、息を漏らす。素材から製法まで並み大抵の事では手に入らない一品だ。使い勝手が悪いのはその分歴史が詰まっているということで、金額にはできない価値がある。
当然、同じものを用意しろと言われてすぐに調達できるわけもない。仮に側だけ用意できたとしてもそこに込められた思いまでは再現できないのだから。
紫鬼は怒っている、というようには見えず、意地の悪い質問にどう返答するかを楽しんでいるようだった。煙を食み、余裕ぶった姿は絵になる。
沈黙。カーサは答えることが出来なかった。否、答えてはいけなかった。事は当人同士の範疇を越え、種族間での問題と言っても過言ではない。安易な返答のつけを払うことになるのはカーサではなく、長老含めた小人族全員になってしまうからだ。
装いを正して、土下座をする。許しすら乞えない状況では相手の言葉を待つしかなかった。
カーン。
煙管に溜まった灰を落とす音が響く。葉を詰め直し火を点けて、一息ゆったりと吸った紫鬼は、
「……弁償しろなんて言わないわ。私が受け継いだものなんだからどう使おうと、駄目にしても私が文句を言われて終わり。それ以上の問題にはさせないわ」
「ありがとうございます」
口にして、なおもカーサは冷や汗を滝のように流していた。
ろくでもないことが起こる。そんな予感に毛先が持ち上がる。
弁償しなくていいなら、話がそこで終わっているなら、わざわざ話題にする必要がない。衣装を駄目にしたことを口実に何かさせたいと思っているのがまるわかりだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる