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キノコ
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私は後日談でお話を聞きますので、事には当人による事後の客観的考察、若干の誇張、記憶違いが加わっていたりするのでしょうが、曰く、そのキノコには海外旅行の土産で貰う千円ヴィトンの違和感があったそうです。
バブル真っ盛りの海外土産の定番は、洋酒、ライター、ブランドバック、関税がしこたま乗っかって国内デパートの陳列棚に鎮座する高級品が小遣い程度で買えるとあって、もらう相手の用途なんて考えないで買い込んで、配りまくるまでが海外旅行でした。
戦後復興と高度成長を遂げた日本に比して、未だ発展途上だった近隣アジアの国々からすると、日本の旅行客は上客で、上記三種の中で比較的規制を受け難いブランドバックの偽物が大量生産され、露店に並び、三個千円、五個千円で大量に売られ、親戚縁者に配られるニーズと合致し、大量に買われ、日本国内に点在して行きました。
農協や漁協の企画するツアー旅行の時期になると、こんな片田舎にも漏れずにそれはやって来ましたが、我が故郷のみならず日本国中で、それが本物なのか偽物なのかわかる人などごく稀で、そもそもヴィトンが何なのか知らない人の方が多かったくらいだと思います。
アルゼール と聞いてピンと来る人は、余程ヴィトンに詳しい人で、何故それが我家にあるのか分かりませんが、我が家のそれは祖父さんの幼少期にまで遡っても既にあったそうで、ある時は親父と叔父さんの遊び道具、ある時は芋の保管場所だったり、古新聞がため置かれていたり、本来の用途に使われる事は無かったようですが、紛れも無く本物でした。
ふた昔も前の田舎の家庭、必然家事は祖母が担っていたわけですが、その日はたまたま男手しかなく、祖父(ジイ)さんと親父と叔父(オジ)さんの、男三人で何か作るとなったそうです。
昭和二十年代後半から三十年代の田舎の昼食、今のように栄養バランスの概念などは無く、ご飯と漬物で済ますのが当然、この日は祖母が居ないをいい事に、昼から味噌汁という贅沢をしてみようとなり、目についた野菜とキノコを切り刻み鍋で煮たそうです。
夕刻、祖母が帰宅した際には、三人が居間で大笑いをしていて、
「何か良いことがあったのかい?」
という問いかけに反応無く、暫くしても笑い止まず、終いには殺虫剤をかけられたゴキブリみたいに、仰向けで泡を噴き出したのに仰天し、村中が大騒ぎになったとの事でした。
「毒キノコならば一緒に煮た茄子の色が変わる」
という、民間伝承としても明らかに眉唾な、恐らくは
「ナスとキノコの味噌汁は美味し」
ぐらいから派生した判別方法を鵜呑みにして、作った味噌汁を食したそうです。
この山で採れる、食用キノコの通称を「バイタケ」言います。
山に広く自生するカヤの木を「バイの木」と呼び、バイの木の根本に生えるから「バイタケ」と呼ぶそうです。
「匂い松茸味しめじ」のしめじはこれを指すと、親父は言って憚らなず、山には、当然松茸も生えてはいるのですが、バイタケを見つけた途端松茸なんかには目もくれない。
「どの松茸も味は一緒、匂いがキツいキツないだけやけど、権現さんと廟堂岩のバイタケは別もんのバイタケや」
そう言いながら、どの木場で採れたバイタケもゴミ袋にいっしょくたに入れて帰る。
大当たりのみちを引くと面白いように採れる。今日は40リッターのゴミ袋が満杯に成る程採れたのだが、親父が村にいた頃と比べると、随分収量が減ったのだそうだ。
今日は、昨晩雷が鳴ったので、例年のごとく「キノコを採りに行く」と父が言い出し、早朝から支度をし、元集落へ着、山深く入る前に氏神様の境内を掃除し、お供えを終わらせた。
「秋口の雷の後はキノコが出る」
これは親父の経験則のみならず、元村民の共通認識であるらしく、秋に雷が鳴ると皆がソワソワし出すのだ。
村人それぞれに当人しか知らない秘密の狩場があり、皆あまり人には教えたがらず、親戚の婆さんに至っては、身内にすらも教えない。
親父だけが唯一誰もが知るオープンルートなのだが「ほぼ」という言葉が修飾しようの無い程の、崖だったり、薮だったり、絶壁だったりを指差して「ここから入る」と、入山するのだが、毎度、キノコ狩り最中半分の時間は命がけである。
元村民でさえも行こうとする者がいないため、毎年相当量のキノコを持ち帰る親父独壇の秘所である。
キノコは、毎年同じ場所に生えるのだが、全てのポイントで必ず生えるわけではなく、年によって生える場所生えない場所がある。なので、山中に点在する全てのポイントをチェックする必要があり、チェックポイントを多く周ればそれだけ収穫の確率が上がる。
傾斜のキツいダム湖沿い、カモシカしか通らない崖、かなり水量のある渓流越え、荊棘や枝葉で血だらけになる薮の中をズイズイと進んで行く。
私は幸か不幸か、この人が親父であるために、ルートを教わるのはこの人しかおらず、毎度必死に食らい付いて行くしかなく、今日もボロボロになりながら最初の木場へ出た。
木場(こば)とは広く、木を切り出す際の中継地や山間の農作地を指して言うそうだが、親父らはキノコや山菜が群生する場所を指してそう呼んでいる。
野山を駈ける猪並みの猛進が一変、木場に着いてからの振る舞いは、それまでの道中が無かったような静けさと緊張感で、枯枝を踏みしめる音が歩みを進める毎に響き、鼻先を地面スレスレに擦り付け、腐葉土の臭いを嗅ぎながら進む土蜘蛛の様に、鼻先を地面スレスレに置き、上目遣いで傾斜地を斜めに横切りながら、上へ上へと登りながら、木の葉を押し上げるキノコの足を探して行く。
キノコは、極力遠くでそれを見つけなくてはならず、見つけたならば見つけたキノコには近付かず、一、二段傾斜を下りて、頭の中にコンパスを思い浮かべ、そのキノコに弧が接する様に円を描く。親父の頭の中がそうなっているかは知らないが、今まで見てきた彼の動きから私があみ出した方法だ。
このコンパスで引いた円の弧に沿って生えるキノコの円形群生を「みち」と言い、みちを探る様に、慎重に、落ち葉を掻き分ける。
木場から木場へ、これを一日山中で繰り返すのだが「権現さんの森」の隣の木場へ来ると毎度緊張感が違っている。
「権現さんの森」と言っても、山の中の森だから、全部森だし山だし林だしなのですが、山岳信仰の祠がある周辺神域をそう呼ぶとの事で、神域内の動植物小石に至るまで持ち出してはならないとされ、キノコの道がその中へ続いていたとしても当然採る事はしない。
ここへ来ると、先ずは祠へ参り、傍にある大岩の上で弁当を食べる。その際に必ず人数分より一つ多く持って行き、岩陰に拡げて置いておく。
食事最中に決してその弁当は見てはならず、食べ終えて暫く後に空弁当を回収してルートへ戻る。
昔は、溪向こうの山の中腹にたたらの村があり、そこで鍋釜鍬を買う為に山向こうの町のよろず屋が、山越えをしてやって来た。
朝早くに町を発ち、先祖の村へ持って来た提灯を預けてたたら場を目指す。
大量の道具を背負子(しょいこ)に背負って、帰る頃は日の暮れで、預けていた提灯に火を灯し、権現さんの大岩で弁当を食べる。勿論一つ余分に拡げからになってから出立となるが、空弁当後に足を踏み外したり、夜迷いしたと言う話は無かったそうだ。
親父は、幼少期に一度権現さんに隣接する木場で採ったキノコを味噌汁にした事があるそうで、「茄子を一緒に煮て色が変わらなければ毒がない」という民間伝承の通り、茄子の色の変色が無いことを確認後食べたそうですが、家中が大笑いになり、いつまでも止まない笑い声に違和感を感じた隣の叔父さんが見に来た時には、既に全員泡を噴いて白目になっていた様で、長老にこっ酷く叱られ、半殺しの目に遭わされたとの事。
それ以来、親父が山に入った時は、氏神様と権現さんへの挨拶を欠くことはなく、神域寄りの木場では極々慎重にキノコを選別し、大きな怪我もキノコに当てられる事もなく過ごしている様です。
バブル真っ盛りの海外土産の定番は、洋酒、ライター、ブランドバック、関税がしこたま乗っかって国内デパートの陳列棚に鎮座する高級品が小遣い程度で買えるとあって、もらう相手の用途なんて考えないで買い込んで、配りまくるまでが海外旅行でした。
戦後復興と高度成長を遂げた日本に比して、未だ発展途上だった近隣アジアの国々からすると、日本の旅行客は上客で、上記三種の中で比較的規制を受け難いブランドバックの偽物が大量生産され、露店に並び、三個千円、五個千円で大量に売られ、親戚縁者に配られるニーズと合致し、大量に買われ、日本国内に点在して行きました。
農協や漁協の企画するツアー旅行の時期になると、こんな片田舎にも漏れずにそれはやって来ましたが、我が故郷のみならず日本国中で、それが本物なのか偽物なのかわかる人などごく稀で、そもそもヴィトンが何なのか知らない人の方が多かったくらいだと思います。
アルゼール と聞いてピンと来る人は、余程ヴィトンに詳しい人で、何故それが我家にあるのか分かりませんが、我が家のそれは祖父さんの幼少期にまで遡っても既にあったそうで、ある時は親父と叔父さんの遊び道具、ある時は芋の保管場所だったり、古新聞がため置かれていたり、本来の用途に使われる事は無かったようですが、紛れも無く本物でした。
ふた昔も前の田舎の家庭、必然家事は祖母が担っていたわけですが、その日はたまたま男手しかなく、祖父(ジイ)さんと親父と叔父(オジ)さんの、男三人で何か作るとなったそうです。
昭和二十年代後半から三十年代の田舎の昼食、今のように栄養バランスの概念などは無く、ご飯と漬物で済ますのが当然、この日は祖母が居ないをいい事に、昼から味噌汁という贅沢をしてみようとなり、目についた野菜とキノコを切り刻み鍋で煮たそうです。
夕刻、祖母が帰宅した際には、三人が居間で大笑いをしていて、
「何か良いことがあったのかい?」
という問いかけに反応無く、暫くしても笑い止まず、終いには殺虫剤をかけられたゴキブリみたいに、仰向けで泡を噴き出したのに仰天し、村中が大騒ぎになったとの事でした。
「毒キノコならば一緒に煮た茄子の色が変わる」
という、民間伝承としても明らかに眉唾な、恐らくは
「ナスとキノコの味噌汁は美味し」
ぐらいから派生した判別方法を鵜呑みにして、作った味噌汁を食したそうです。
この山で採れる、食用キノコの通称を「バイタケ」言います。
山に広く自生するカヤの木を「バイの木」と呼び、バイの木の根本に生えるから「バイタケ」と呼ぶそうです。
「匂い松茸味しめじ」のしめじはこれを指すと、親父は言って憚らなず、山には、当然松茸も生えてはいるのですが、バイタケを見つけた途端松茸なんかには目もくれない。
「どの松茸も味は一緒、匂いがキツいキツないだけやけど、権現さんと廟堂岩のバイタケは別もんのバイタケや」
そう言いながら、どの木場で採れたバイタケもゴミ袋にいっしょくたに入れて帰る。
大当たりのみちを引くと面白いように採れる。今日は40リッターのゴミ袋が満杯に成る程採れたのだが、親父が村にいた頃と比べると、随分収量が減ったのだそうだ。
今日は、昨晩雷が鳴ったので、例年のごとく「キノコを採りに行く」と父が言い出し、早朝から支度をし、元集落へ着、山深く入る前に氏神様の境内を掃除し、お供えを終わらせた。
「秋口の雷の後はキノコが出る」
これは親父の経験則のみならず、元村民の共通認識であるらしく、秋に雷が鳴ると皆がソワソワし出すのだ。
村人それぞれに当人しか知らない秘密の狩場があり、皆あまり人には教えたがらず、親戚の婆さんに至っては、身内にすらも教えない。
親父だけが唯一誰もが知るオープンルートなのだが「ほぼ」という言葉が修飾しようの無い程の、崖だったり、薮だったり、絶壁だったりを指差して「ここから入る」と、入山するのだが、毎度、キノコ狩り最中半分の時間は命がけである。
元村民でさえも行こうとする者がいないため、毎年相当量のキノコを持ち帰る親父独壇の秘所である。
キノコは、毎年同じ場所に生えるのだが、全てのポイントで必ず生えるわけではなく、年によって生える場所生えない場所がある。なので、山中に点在する全てのポイントをチェックする必要があり、チェックポイントを多く周ればそれだけ収穫の確率が上がる。
傾斜のキツいダム湖沿い、カモシカしか通らない崖、かなり水量のある渓流越え、荊棘や枝葉で血だらけになる薮の中をズイズイと進んで行く。
私は幸か不幸か、この人が親父であるために、ルートを教わるのはこの人しかおらず、毎度必死に食らい付いて行くしかなく、今日もボロボロになりながら最初の木場へ出た。
木場(こば)とは広く、木を切り出す際の中継地や山間の農作地を指して言うそうだが、親父らはキノコや山菜が群生する場所を指してそう呼んでいる。
野山を駈ける猪並みの猛進が一変、木場に着いてからの振る舞いは、それまでの道中が無かったような静けさと緊張感で、枯枝を踏みしめる音が歩みを進める毎に響き、鼻先を地面スレスレに擦り付け、腐葉土の臭いを嗅ぎながら進む土蜘蛛の様に、鼻先を地面スレスレに置き、上目遣いで傾斜地を斜めに横切りながら、上へ上へと登りながら、木の葉を押し上げるキノコの足を探して行く。
キノコは、極力遠くでそれを見つけなくてはならず、見つけたならば見つけたキノコには近付かず、一、二段傾斜を下りて、頭の中にコンパスを思い浮かべ、そのキノコに弧が接する様に円を描く。親父の頭の中がそうなっているかは知らないが、今まで見てきた彼の動きから私があみ出した方法だ。
このコンパスで引いた円の弧に沿って生えるキノコの円形群生を「みち」と言い、みちを探る様に、慎重に、落ち葉を掻き分ける。
木場から木場へ、これを一日山中で繰り返すのだが「権現さんの森」の隣の木場へ来ると毎度緊張感が違っている。
「権現さんの森」と言っても、山の中の森だから、全部森だし山だし林だしなのですが、山岳信仰の祠がある周辺神域をそう呼ぶとの事で、神域内の動植物小石に至るまで持ち出してはならないとされ、キノコの道がその中へ続いていたとしても当然採る事はしない。
ここへ来ると、先ずは祠へ参り、傍にある大岩の上で弁当を食べる。その際に必ず人数分より一つ多く持って行き、岩陰に拡げて置いておく。
食事最中に決してその弁当は見てはならず、食べ終えて暫く後に空弁当を回収してルートへ戻る。
昔は、溪向こうの山の中腹にたたらの村があり、そこで鍋釜鍬を買う為に山向こうの町のよろず屋が、山越えをしてやって来た。
朝早くに町を発ち、先祖の村へ持って来た提灯を預けてたたら場を目指す。
大量の道具を背負子(しょいこ)に背負って、帰る頃は日の暮れで、預けていた提灯に火を灯し、権現さんの大岩で弁当を食べる。勿論一つ余分に拡げからになってから出立となるが、空弁当後に足を踏み外したり、夜迷いしたと言う話は無かったそうだ。
親父は、幼少期に一度権現さんに隣接する木場で採ったキノコを味噌汁にした事があるそうで、「茄子を一緒に煮て色が変わらなければ毒がない」という民間伝承の通り、茄子の色の変色が無いことを確認後食べたそうですが、家中が大笑いになり、いつまでも止まない笑い声に違和感を感じた隣の叔父さんが見に来た時には、既に全員泡を噴いて白目になっていた様で、長老にこっ酷く叱られ、半殺しの目に遭わされたとの事。
それ以来、親父が山に入った時は、氏神様と権現さんへの挨拶を欠くことはなく、神域寄りの木場では極々慎重にキノコを選別し、大きな怪我もキノコに当てられる事もなく過ごしている様です。
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