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呪詛

奉呈

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「ぐっ……!」

 アンフィニは、苦悶の表情を浮かべ、左手で腹部を押さえながら立ち上がる。折れた骨に痛みが響き、回復魔法を腹部全体にかけながらも、腹中からこみ上げてくるものを吐き出す。
 液体が落ちる音が辺りに響き、床が赤く染まった。心配そうに眉を垂らしたミリアがアンフィニの元に駆け寄る。ノワールは、壁際で半身を起こし、ギリギリと歯軋りしながら彼女を睨んでいた。

「実際、あなた達は良くやった方だと思うわよ?」

 傷も塞がり、余裕の笑みを浮かべながら彼女は諭すように言った。

「さっきの連携と一撃も、私の命を脅かしかねないものだったし……。そうね。そこに転がってる戦士がまともに闘える状況で、私をもっと引きつけていれば必殺の剣になってたかもしれないわね……」

 ノワールは、視線を落とした。わなわなと震え、悔しさにグッと唸りをあげる。利き腕を無くし、戦う術を失った戦士に出来ることなど、無に等しい。
 絶望的。今の状況は、誰が見てもそう感じるものであった。
 すでに全快している魔を統べる者。
 仲間の一人はこの城の道中で倒れ、いざ戦闘が始まれば、戦士までも戦闘不能に。全てをかけたアンフィニの一撃も、彼女の命を奪うには至らなかった。
 
「人間と魔族の差って所よね。私はあなた達より何倍も頑丈で、力も強い。まぁ、それ以前に、あなた達、そもそも私と対等に闘える地力になっていないのよ」

 アンフィニ達は彼女を睨め付ける。彼女は少し含み笑いを漏らしながら、続けた。

「実力が足りないから、私との闘いでも、時間が経つにつれて、魔力も体力も尽きかけてじり貧になっていく。あなた達が私に勝つ方法は、さっきみたいな連携で私を釘付けにし、一撃必殺の勇者の一撃を叩き込む。その一つに限られる。それなのに、本職の回復魔法の使い手が死んでるから無理は出来ない。戦闘開始からすでに劣勢なのよ」

 彼女はひとつ、口からゆっくり息を吐き出すと、大剣を構えた。身にまとうオーラが様変わりする。彼女の金髪がオーラに煽られ、ゆらゆらとうごめく。アンフィニ達は気圧され、構えることも出来ない。震える身体を隠すこともできない。蛇に睨まれた蛙のように。

「でも、多少は楽しかったわ。闘い方に色々工夫もしてきたのは分かったしね。……言うほど、楽じゃない闘いだったわ。誇りなさい。人間」

 ゆらり。と彼女の姿が蜃気楼のように消えた。

「……がっ……」

 突き立てられる大剣。ミリアの背中から、赤いぬめりを帯びた大剣が顔を出した。ミリアは、口端から赤い血を流しながらも、彼女の眼前に杖をかざす。

『<魔女のヘクセ……』

「遅い」

 彼女はミリアの杖の先端に発せられた魔力の弾を、左手で握り潰した。ミリアが驚愕に目を見開く。そして、ミリアの身体から大剣を引き抜いた。
 ミリアは、糸が切れたカラクリ人形のように、膝から崩れ落ちる。
 崩れ落ちるミリアを見て、アンフィニは我に返り、目の前にいる彼女に、左薙ぎの剣を振るう。
 が、彼女の大剣に難なく防がれる。
 その瞬間。彼女の後方から鈍い音が響き、それによって僅かにアンフィニへ向かう意識が途切れたことにより、隙が生まれた。
 投石。世界一の力を持つ戦士の全力の悪あがきであった。
 アンフィニはそれを見逃さない。すぐさま刺突を繰り出す。
 それは、彼女の首を狙った刺突。
 彼女は首を左に逸らし、それをかわす。
 そして転身。ノワールに突っ込み、いささか乱暴に大剣を振り抜いた。
 鮮血が撒き散らされ、倒れるノワール。
 彼女がアンフィニに向き直ろうとした瞬間、アンフィニの刃が背中を襲う。
 彼女はそれを寸でのところで防ぎ、鍔迫り合いを拒否するように、力任せに大剣を振り抜く。
 アンフィニは吹き飛ばされ、着地すると同時に再び剣を構え直す。しかし、彼女は攻撃してこない。

「……もっと面白いこと、思いついちゃったわ」

 彼女は、ニヤリと口角を上げ、悪戯を思いついた少女のような笑みを浮かべた。

「何……」

 アンフィニがその言葉の意味を問おうとしたその瞬間。彼女が眼前に現れ、口をつぐむ。彼女はすぅっと息を吸い込むと、アンフィニの首元に口付けをした。

「!? やめろ!」

 アンフィニは彼女の突然の行動に驚き、振り払うように剣を振るが、彼女は後方に飛び、難なくと刃をかわす。
 すると、アンフィニの首元に違和感が走った。違和感の元に触れると、僅かに熱を帯びながら、妙な脈動を感じられる。
 彼女は、含み笑いながらアンフィニ達に手をかざし、自らが発する魔力を纏わせた。すると、三人の身体がふわりと中空に浮き、アンフィニはそれに抗うように身を捩るが、びくともせずただ彼女を睨めつけるだけであった。
 ノワールとミリアの身体も中空に浮いているが、彼等はピクリとも動かない。もはや虫の息といった状況である。

「戦士と魔法使いは、治療すれば多分死ぬことはないわ。傷が癒えたとしても、もう私に歯向かえるほどの気力は湧いてこないでしょうけど。……あなた達のすべきことは、次の世代をしっかりと育て、私にぶつけることね。……じゃあ、数十年後、次世代の勇者を心待ちにしているわ。さようなら、今の勇者さん」

 彼女の言葉が終わった瞬間、アンフィニ達の身体が弾き飛ばされた。壁を突き抜け、城の外に放り出される。そのままの勢いで、アンフィニ達は彼方へと飛んでいく。
 荒れ狂う風の中で、アンフィニは怒りを放出する様に腹の底から叫ぶ。

「ユリセリアーーーッ!」

 彼女の名はユリセリア。
 暗黒の女帝であり、魔を統べる者。
 そして、誰もいなくなった部屋の中。再び玉座に身体を横たえると、静かに目を閉じた。
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