イズの単発集(稀に投稿)

イズ

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伝承 猫又の癒術師

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「センリ、ご飯だよ!」
 センリ用のトレイに今日の分のえさを山なりに盛って台所から出ると、凄い勢いで白い影が足元まで飛んでくる。
 おもむろに下ろすと、待ってましたと言わんばかりに私の手からトレイを奪い取ってがっつき始めた。
「どう?おいしい?」
「......」
 話しかけても一瞥いちべつもせず、ごはんに夢中みたい。そんなに美味しいのならよかった。
 もう慣れてしまったけど、不思議だよね。好物がさやえんどうって。
「美味くないわけがあるか!人間も食うんだろ?なぜ分からない!」
 食べたものを飲み込んだ後、床を叩きながらセンリが抗議してくる。と言っても、猫の足で叩いているから音はお察しなところが可愛い。
「不味いとは思わないけど...普通かな」
「分からないなんて、生き方間違えてるに決まってる!」
「はいはい、片付けるよー?」
「やめろー!まだ余韻よいんに浸らせろ!」
「ニャーニャーわめいてても分かんないよ~」
「さっきからずっと聞こえてるじゃないか!おい、明日もあるんだろうな!その先も、ずっと!」
「もちろん♪この辺りは野菜が有名だからね。苦労しなくても食べられるよ」
「楓のじゃないと嫌だからな!」
「はいはーい」
 最近毎日交わすこの会話、内容なんてほとんど一緒なのによく飽きないよね。
 明日も食べられることに安心したのか、センリは二又の尻尾を抱え込んで日向で気持ち良さそうに昼寝にきょうじてしまった。季節だからなのか、最近は昼寝が多い。
 こうして見ると、ほとんど普通の猫にしか見えない。けど、センリは、長命の猫又らしい。
 私としてはそこまで変わらないんだけどね。


 ___猫又。山中の猫と人家の猫に分かれるが、歳を重ねることで、尻尾が二又に分かれ化けたものじゃ。
 人を食ったりさらったりして大暴れするものや、限界を超えた寿命を使って余生をたしなむもの。妖怪と言えど生き方はその数だけ存在するのじゃから、妖怪だからといって悪と決めつけてはいけないのじゃぞ___
 なんて大仰おおぎょうな事を聞かされたのは、母の葬式からの帰りで、私に心の余裕がそれほどなく、私が道端で倒れていたセンリを保護してから間もない頃。私以外に唯一猫又を見ることが出来るおじいちゃんが、これからの私を案じて言ってくれたことだった。
 だけど、猫又も猫もほとんど変わらない。見た目の違いなんて尻尾だけだし、そもそも私にとって、新しい家族になってくれればそんな事はどうでも良かった。
 たとえ、普通の人には見えなくても。


「今晩は何にしようかなー」
 サービスで多めに渡されたアジと...ダメだ。冷蔵庫見ながらじゃないと疲れた頭が働かない。
 両手いっぱいの買い物袋に、右左とゆらゆら揺らされながらなんとか無人の家にたどり着く。
「ただいまー!」
 暖かく迎えてくれた我が家に向かって元気よく声を出す。そうすると、応えてくれるような気がする。
 でも、今日はちょっと違うような...
 無性むしょうに心がざわついているのを感じながら、荷物を持ってリビングに入る。
 そして目に入ったのは、キッチンの近くでさやえんどうの袋を散らかしたままただならぬ様子で苦しんでいるセンリの姿だった。
「センリ!?大丈夫!?」
 ぱっと見では血は出ていない様だけど、一刻を争うのは確かだ。
「かえ、で...オラにかまう、な...」
「構うに決まってるでしょ!?安静にしてて!」
 いつも私に猫又のことについて教えてくれていたおじいちゃんは今は出かけてしまっている。
 こ、こういう時はどうすればいいの!?じゅ、獣医さんに猫の妖怪をてもらっても困るだけじゃない!?
 私が分かりやすく慌てふためていたその時、ある事を思い出した。

 ____猫又の集会?
「そうさ、毎週日曜日にこの町にいる猫又がある場所に集まるんだ。ほら、オラ達の最初の散歩で行って、階段の昇り降りで競争してたあの神社だよ!」
「あぁ、あそこ。勝手に集まったりして神社に迷惑掛けてない?」
「当たり前だ!オラ達は普通の猫じゃねぇんだ!そもそも普通の人には見えない!」
「そ、ならよかった。他の猫又はどんなこなの?」
「そうだなー...ずっとはしゃいでる奴か寝てる奴しかいないぞ?あ、一番頭の良い長は毎回集会に来るぞ!オイラが知らない事をなんでも教えてくれるんだ」____

 そうだ、集会に来る長の猫又に話を聞けば分かるかもしれない!
 しかも今日は日曜日。まだ望みはある!
 その猫又にも分からなかったら。そもそも会話が出来なかったら。そんなイフの可能性は、今の状況では意味も無に等しくなると即座に判断し、なるべく負荷がかからないようにセンリを持ち上げ、扉を蹴飛ばす様に外へと飛び出す。
 風が呼応する様に私の背中を押し続ける。それが、私を思って急かしているように感じて、体の隅から隅まで全力で神社まで走り抜けた。


 山吹に似た黄色の葉を揺らす木々が開いた階段を駆け上がる。
 数えきれない段数の先にあるお社の横。良く手入れされているご神木の下に、見慣れない光景があった。
 大量の猫が群がってそれぞれ好きなようにその時間を過ごしている。日向ひなたで寝転がっていたり、追いかけっこしていたり、楽しそうに話していたけど、私の姿、正確には腕の中にいるセンリを見た途端、全員動きを止めてしまった。
 その光景に少し戸惑っていると、貫禄のある茶色の猫又が近づいてきた。
其方そなたがセンリの主人か」
「はっ、はい。買い物から帰ってきたら、センリが...!」
「...そうか。センリを地面に下ろしてやってくれ」
 そう言われるがままに、ゆっくり降ろして腕からセンリを解放すると、その猫又がセンリに近付いて匂いを嗅いだ後、たたずまいを直して私の方をじっと見つめてきた。
「単刀直入に言う。センリはもうすぐ寿命を迎える」
「え...?」
「我々猫又は、ある時間を越えると身体の成長はその時点で止まってしまう。其方の前では気丈きじょうに振る舞っていたかもしれないが、魂は限界に近付いている」
「嘘...!?」
 すぐには信じられず、センリを凝視すると、センリは親に悪戯いたずらがバレてしまった子供にような、しかしどこかで諦めているような、そんな表情をしていた。
「心配は、掛けたくなかった...楓は、たす、けると思った、から...」
 助ける...?寿命なんて、誰も克服できないよ...
「...助ける方法はある。オススメはしないが」
「どうすればいいですか!!」
 猫又相手にガバッと顔近づけてしまい、物凄い勢いで後ろへと距離を取られてしまった。
 ご、ごめん、早く知りたくて...
「...我々妖怪の姿が見えるのであれば、少なくない程度の妖力を持つ。我々の寿命と残り妖力量はイコールで繋がっていると考えて良い。年長な者ほど量が多いが、其方ならば助けるには充分だろう。助けた後は我々猫又及び、物の怪の姿が見えるどころか感じられなくなるだろうが」
 少し気まずい顔で位置を戻しながらそう語ってくれた。
 妖力...私に?
 正直、本でしか聞いたことがないような内容だけど、既に猫又という存在を受け入れてしまっている私には、驚くぐらい素直に受け入れることができた。
「助けるかは其方が決めろ。これでも我らは永年えいねんの命を得た身。同胞をとむらう事は慣れておる。我らの事は案ずるな」
 突き付けられた二つの選択肢。考えれば考える程、少しうつむいた茶色の鼻がぼやけていくように感じる。
 目の前で苦しんでいるセンリを助けると、もういつも通りに話せなくなる。2度と見ることができなくなる。
 その先の未来を想像すれば、そんな選択肢なんて一つしかなかった。
「センリを見ることが出来なくても、これからもずっと元気にいてくれたらそれで良い!助けないなんて絶対にしない!」
「...ならば、目をつむり、我らから感じる全てを見つけ出し、その力を抜け。そうして出てきた”それ“を指先に集めるように意識せよ。妖力とは、我らを感じる為のツールだと思え」
 素直に目を瞑り、視覚以外の感覚を研ぎ澄ます。
 感じるのは、五感のうち視覚以外の4つの感覚だけではなく、5つ目の感覚があった。
 目を瞑っているのにも関わらずセンリの苦しんでいる姿が見える。今もずっと数多の猫又から視線を注がれているのが分かる。
 今もずっと、その感覚は私の身体中を流れている。
 今まで気付かなかった”それ“を感じたまま、左手の指先に力を込める。
 すると、さっきまで色んなところで動いていた“それ”は、指先に集まっていく様に感じた。
「ほう、上出来だ。それを維持してくれ」
 集まった“それ”によって指先が圧迫される様な、鬱血うっけつしたような感覚がする。
 次の瞬間、鋭い痛みがして思わず目を開くと、先が塗れた猫又の小さな爪と、私の手首から液体が流れていて、二つとも、色は紫だった。
「な、なに?これ...?」
 血液とは違う、身体から出ることのない色が出てきて、思考が止まる。
「それが妖力の塊だ。それを飲ませれば良い。落ち着け」
 センリの口の上に、私の手首を誘導してくれた。
 私が何もしなくてもこの紫の液体はセンリの口の中に入っていく。けれど、時間が経てば経つほど景色がぼやけていってしまう。
 力が抜けて、まともに立てなくなって。だんだんまぶたも重くなっていく。
「でも、嫌だ...!絶対に、助けるんだ!」
「......」
 知らないかもしれないけど、私はセンリの元気さに救われた事は何回もあった。まだ死なせない。また明日も、その先もずっと、一緒にいるんだ!
 四つん這いになってでも腕で体を支えていたけど、上から押しつぶしてくる空気と抗えない脱力感に勝てず、横に並ぶ形で倒れ込んでしまう。
 軽くなった体。どこにも焦点が合わない視界の中、紫色はどんどん多くなっていってしまって。あぁもったいないな、と思っても体は重くなるのを嫌がって動こうともしない。
 暗くしている瞼の先の気配がだんだん薄れていくのを感じながら、私は深い微睡まどろみに落ちていった。______



 途端に静かになった境内。頭に残り続けているのは、先程まで起きていた少女の事。
 我々を猫又として認識でき、それでも尚大きく困惑する事も接していた。
 そんな人間がいる、という経験は若年にとって初めての事で、数十年の時を過ごしているものにとっては二回目であった。
 そして、我々には無いものを持つ人間がそれを持つが故の行動を見るのは久しく、感化されるように自身の心が昂るのは当然の事だった。
「...センリは、其方と出会うまでは自らの破壊欲求に争うことが出来ず、度々たびたび暴れたりそのような兆候を見せるのが多かった。しかし、其方と出会ってからは変わったようだ。毎日を楽しそうに語ってくれ、衝動も安定したようだった。全く、羨ましくなる」
 感動的な場面にくすぐられた心は、制すことが出来ずにのどを震わせ続ける。
「そもそも、妖と動物の間では致命的な差があり仲を深める事は殆ど無いというのに、名前を付けられたのだと嬉しそうに語ってくれた時は、年甲斐もなく期待したものだった」
 だが、またそんな話を聞く事は出来ないのか...
「急に話せなくなるとは、寂しいものじゃのう...」
「...じいさん、いつからいた?」
「来たばっかりじゃよ、そんなに警戒するのでない」
「何か用か?治療を要するものはおらぬはずだ」
「なぁに、わしの孫を迎えに来ただけじゃ。まったく、心配かけおって」
「なんと、彼女は孫だったか。よくここまで早く来れたな」
「ふぉっふぉっ。我が愛しの孫の考える事は自然とわかるのじゃ。一緒に住んでいるからかもしれんがのう」
 そう言ってじいさんは自分の孫に視線を向け、満足そうに頷いた。
「...なぜそのような表情が出来る?其方の孫は、最愛の存在を亡くしたのだぞ!」
 センリの体に注がれた妖力は必要量に達しておらず、センリは、猫又として回復する事は出来ない。
 そもそも、彼女の体には既に妖力は欠片も残されてはおらず、妖を認識する事は不可能である。
 だがなぜ、この男は。そんなにも穏やかな姿でいられるのだ...
「大丈夫じゃ。これからも事態は良い方向に向き続ける。明日の朝になれば分かる」
 さて、と呟きながら爺さんは彼女の体を似合わぬ力で持ち上げ、優しくおぶった。
「数十年生きた猫と話すのも悪くないものじゃな。次は仕事以外で来るとするかのう」
 軽く手を上げて鳥居に向くじいさんに、感じていた疑問を問う。
「待て。何故其方は自信の妖力を削ると知りながら其方の孫に妖力を授けた?一挙動にさえ妖力を使う其方にとって、自由を奪われるも同義であるはずだ」
 妖力を持って生まれた人間がいた場合、我々にその情報が回ってくるはずだ。しかし、その様な情報は一切無かった。
 分からぬ。
「...楓はお母さんっ子だったのじゃ。じゃから、楓のお母さんが亡くなった直後は儂らがどうしようかと思うほど元気がなかった。見える世界はもっと広い事を伝えたかったのじゃ。もっとも、儂が見える世界を知って欲しかっただけなのかもしれんな」
 と、自分をバカにするように笑って長い石段を降りて行ってしまった。
 分からぬ、解らぬ、判らぬ。
 我には、自己犠牲というのがいつまで経っても理解出来ぬままなのだ____



 そんな事があってから数日後。その間ずっと眠っていた私は、目を覚ますと見慣れた我が家の自分の部屋の天井が見えた。
 私を運んでくれたおじいちゃんは私に思い出させたくないらしく、その話をすることは無く、私が話を持ち出しても話を逸らされるだけだった。
 喋る猫。もとい猫又は外を眺めても見つけることは出来ず、あの頃に戻ってしまった様に感じる。
 けれど、あの頃の私とは違う。どこかで元気にしているであろうセンリの姿を思い浮かべれば、寂しい気持ちもだいぶ和らぐのだった。
「あ、やっちゃった...」
 もういないのに、いつものトレイに盛ったさやえんどうを運ぼうとしてから私は気付く。
 一人気まずい空気感に耐えられず、縁側の良く日の当たる場所にトレイを置いてそばに座る。
 気持ちがやわらぐって言ったって、それで大丈夫だって言うのは無理がある。その結果、私は分かりやすく元気が無かった。
 そんな暗い感情は太陽に当たれば少し大人しくなる様な気がして、目を瞑って日光を浴びていた。


「あれ?今何時...?」
 いつの間にか座ったまま寝ていたらしく、体の端々が痛みを訴えていた。
 それから、ふと何かに誘われる様に首を回すと、空のトレイと、その横で、一本のしっぽを丸めながらいつも通り眠っているセンリの姿があった。

 彼女の家の中には穏やかな空気が流れ、木葉の色変わりを告げる涼しげな風が二人を包み、影に刺されたトレイの上、季節外れの風鈴が優しく存在を主張していた。
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