眠りにつけば

無名

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ブルーな瞳

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眠れない。
アイマスクを外すと生暖かい感触がまだ瞼に残っていた。
時計を横目で見ると時刻は午前2時を回っていた。
「やっぱりか。」
不眠症に悩まされている私は、いつもこの時間に目が覚める。
そっと立ち上がり、窓を開けた。
ひゅっと冷たい風が私の身体を一瞬で包み込んだ。
小さな肩を少し上げ、口をきゅっと結び、素足のまま外への1歩を踏み出した。
顔を上げると空には無数の星が並んでいた。
決められた位置にある星を見ると私は安心した。
耳にイヤホンを付けて、ドビュッシーの月の光を再生した。やわらかく優しい音色は静かな夜にぴったりだ。
目線を下にやるとつま先が赤くなっている。
もうそろそろ家の中に入ろう、と足を進めた瞬間、向こうから歩いてくる少女を見つけた。
遠目からでも綺麗な顔立ちをしているのが分かった。髪は長く艶やかな黒髪で肌は陶器のようになめらかで白く透き通っていて、鼻は小さく見る人を惹きつけるような目をしていた。
瞳の色は…何色だろう。
気付けば目を離せなくなっていた。
その少女は冬の夜にも関わらず薄い生地の薄紫色のワンピース1枚だけを身にまとっていた。
近付いてくる。
段々とこっちへやってくる。少女が近付いてくる度に心臓の鼓動が加速する。だが少女はこちらに見向きもしない。
目の前を通り過ぎていこうとした少女の手を掴み、気付けば
「さ、寒くないの?」
と言っていた。
なんてお節介なことを言っているんだと後悔した。
その少女はくすりと笑い、
「素足の子には言われたくないなあ。」
と私の顔をじっと見つめた。
「いや、えっと、その…。」
瞳の色はブルーだった。青というよりもブルーと言った方が似合う、そんな瞳の色だった。彼女に見つめられると言葉がすんなりと出てこなかった。
「仲良くなりたいんでしょ。私と。」
少女は私の顔を覗き込みながら言った。綺麗さの中にも可愛さがある、そんな子だと思った。
私はこくりと頷いた。
少女は私よりも小さな身体で私のことを力強く抱きしめた。
冷えきっていた身体が熱くなっていく。
ぽかぽかしてきて気が付いたらベッドの中で毛布にくるまっていた。
長い夢を見ていたのだろうか。
この不眠症の私が?
綺麗な顔立ちの女の子。
あの子に会いたい。
「エリカ。」
誰かに耳元で囁かれたような気がした。
そういえばあの子に名前を聞いていなかった。
エリカというのが名前だろうか。
夢なのか現実だったのかは分からない。
まだ眠気のとれない目を擦りながらあの少女の姿を思い出す。
ぱっとスマホを見ると何件もの通知が入っていた。
母親からだ。
長い間眠りについていた私を不思議に思ったのだろう、というようなメッセージが何件も入っていた。
ふぁあと大きなあくびをしたあと、
「 よし起きよう。」
そう言って起き上がると、机の上にヴェルレーヌの詩集と紫色の花が置いてあることに気が付いた。
詩集と花、素敵な組み合わせだが、どちらも暗い雰囲気だった。
「なにこれ、不気味。」
昨日から様子のおかしい私のことだ。
また何か幻覚のようなものを見ているのだろう、そう思いながら詩集をぱらぱらとめくった。
月の光___
その文字が視界に入ってきた途端、手が止まった。


君の心の風景は独創的な絵のようだ
魅惑の仮装行列が行進し
縦笛を吹き踊る人が描かれているが
仮面の下には悲しそうな表情がある

短調の調べに乗せて
愛や命を歌っているが
幸福そうな顔には見えない
歌声は月の光に溶け込むばかりだ


この後に続く詩は黒く塗りつぶされていた。
頭の中で月の光が再生された。
切なく甘い、そんな印象を持った。
「 何が起きているの…。」
困惑しながらもまたあの少女のことを思い出していた。あの子が薄紫色のワンピースをひらひらさせて手招きしながら笑っている。
「待って、行かないで…。」
気が付けば涙が出ていた。
少女は待ってはくれない。
どんどんと遠くに消えていく。
私を優しく見つめるブルーな瞳。
遠くに消えていくその少女の目には涙が浮かんでいるのが見えた。
「エリカ。」
無意識に口に出していた。
ハッとした。
きっと夢ではないはずだと思った。
はっきりと鮮明に覚えている。
ブルーな瞳。



   




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