荊棘の道なぞ誰が好んでいくものか

れんじょう

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第四話

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弟にお金を貸し与えたことは夫には秘密だった。

持参金の額は相当なもので、いつかは明らかになることだろうがそれは今ではないとアストリッドは思っていた。
収穫が見込めれば少しずつ返済していくと、何度も頭を下げながら弟は帰っていった。
賢明な弟のことだ、貸し与えたお金で種を買い、疲労している領民を支え、子爵領の立て直し、
夫が気づく前に返済を終えるだろう。
それはアストリッドの見込みで希望、だった。

だが一度うまい汁を吸ったものはそう簡単には元に戻れない。

弟は何かにつけて援助を求めるようになった。
土砂崩れを起こした道を修復するために資金が必要となっただとか、植えるだけで世話をほとんどしなくても育つ根野菜が隣国で開発されたのでそれを購入して不毛な土地を生き返らせたいだとか、流行しかけている疫病を今ここでとめるには高価な薬が必要なのだだとか、次々と難題が持ち上がり、それらにはどうしても先立つものが必要になるのだといって姉にすがる。

一度貸し与えたことがあるならば、二度、三度と渡すことに一度目ほどの躊躇いはない。

小切手を切るたびに弟は平伏せんばかりに礼を言い、領地へと戻っていく。
馬車を見送るアストリッドは、これを最後に領民たちが安寧を得られますようにと祈るばかりだった。
――――馬車の中では安堵で頬を緩める弟が、御者に行き先をシーラいきつけの商会へと告げていることも知らずに。

膨れ上がる貸付金に一度として返金されない不安は、アストリッドの呼吸を速くした。
今はまだ弟に貸し付けていることを夫はわかっていないが、そろそろ見つかるかもしれない。
何も知らない夫はアストリッドの愚行を許してくれるだろか。
夫が単身赴任している国境警備隊への任務期間が終わる前に、なんとか半分でいいからお金を返してほしい。
二人の父親である侯爵には伏したままだったが、このままだと侯爵に介入してもらわなければ共倒れになる

アストリッドは弟にそう伝えた。

それからしばらくして、アストリッドの家に馬車が二台横付けにされた。
何事かと慌てて玄関にでてみると、弟から遣わされたと馬車の中から大きな箱を家の中に運び込み始めた。
たくさんあるのでどちらに置きましょうか、と使いの者がアストリッドに声をかけたが、何が何だかわけがわからない。
返してほしいのはお金であって、こんなにたくさんの箱ではなかった。
持って帰ってもらいたかったが使いの者は子爵に叱られると首を縦に振ってくれない。
仕方なしに受け入れて、遣っていない部屋まで運び込んでもらった。

翌日の朝早くのことだった。
朝靄の立ちこめる中、一度としてアストリッドの家に訪れたことのない父親が顔色を悪くしてやってきた。

「お父様。こんなに朝早くにいったいどうされたの?」

居間に案内しながら、アストリッドは突然の訪問に疑問をもった。
父親はアストリッドと同じグリーンガーネットの瞳を曇らせて、アストリッドをじっと見た。

「昨日のことだ。おまえの弟が私に言うのだ、姉が自分に無心してくる、と」

アストリッドは侍女に渡そうとしたコートを手から滑らせた。
侍女が慌てて拾い上げる中、アストリッドは父親を凝視していた。
まるで何を言っているのかわからない、とでもいうように。
侯爵はアストリッドの姿を見て、ようやくと息を吐いた。

「まさかとは思ったが、やはり違うのだな。
だがあやつが言うのだ。お前にはずいぶんと金を貸し与えたのだと。
その金を何に遣うのかは教えてくれなかったが、お前の様子を見るにドレスや化粧品、宝石など女が欲しがる物を買いあさっているようだなどとほざきおった。お前はきっと決してそのようなことはしておりませんとうそぶくだろう。自分の言うことが信じられないのなら、お前の家の中を探してみたらよいとまで言い切りおる。
 そこでだ、お前がそんなことなどするわけがないとはわかっているが疑惑を残したままでは不愉快だろうから、家の中を探させてもらおう。もちろん分相応なものしか無いだろうが念のためだ」

早朝からの急な出来事に昨日のことをすっかり忘れていたアストリッドは、父親の案内役を買った出た。
扉を一つ一つ開けていき、中の部屋をぐるりと見渡す、チェストがあればそれを開け、クローゼットも、風呂場もキッチンも使用人部屋も貯蔵庫も何もかも開かれていくが、アストリッドに後ろ暗いことなど一つも無いので丁寧な説明とともに案内していった。
だが屋敷の一番奥の締め切った部屋の前に来たとき、思い出したのだ。
昨日弟の使いがやってきて無理矢理大荷物を置いていったことを。

「どういうことだ、これは!!!」

父親の罵声が耳を打つ。
大きな箱のなかには色とりどりのドレスに装飾品、香水に化粧道具と女であれば瞳を輝かして見入ってしまいそうな品々があふれんばかりに入っていた。
一つ目の箱、二つ目の箱、三つ目、四つ目と、ひとつ開けるごとに父親は言葉を無くし、開ける速度を速めていく。
最後の一つに手をかけて蓋を開けてみると、そこには侯爵家で見当たらなくなっていた美術品が緩衝材にくるまれて入っていた。
ぱあん、と肉を強く打つ音とともにアストリッドの体は壁まで吹っ飛んだ。
壁に頭を強打し、打たれた頬と耳がおかしなくらい痛い。
虚ろな目を何かわめいている父親に向けると、髪を持ち上げられざっくりと切り落とされた。

目の前をぱらぱらと赤い糸が落ちていく。

アストリッドは何が起こったのか理解しないまま、居間まで引きずられていった。
何度も殴られ意識は朦朧とし、耳からは血が流れているが誰も助けようとはしてくれない。
いつの間にか国境より帰ってきた夫からは離縁状が突き出され、サインできないからとナイフで親指を切り裂いて血判を押さされた。
アストリッドは何一つ弁明ができないまま、侯爵家へ戻されて屋敷牢に閉じ込められた。
二度と着飾ることを許さないと顔に塩酸をかけられた上、自分の顔を見るたびに愚かさを思い知れと牢の四方に鏡を張り巡らせた。

これは、いったい、なに?

起き上がることも出来ないアストリッドは、水を求めて地べたを這いつくばった。
鉄格子の向こうには薄く笑ってこちらを見る弟が、水の入ったコップをゆっくりと傾けていく。
薄い唇が声を出さずに語りかける。

『姉様、ありがとう。あなたのおかげで助かったよ』

それが”知っている”ことの物語の終わりだった。

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