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『好きです。』

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バス停には、〝わら天神前〟と書かれていた。
聞いたこともない。
私が尋ねるよりも先に、青柳くんは、バスを降りるなり、さっさと歩き出してしまう。
仕方がないので、私は彼の背中を追い掛けた。

バス停から歩いてすぐの場所に鳥居があった。
〝わら天神前〟と書かれている。
 青柳くんは、鳥居をくぐって中へ進むと、お参りを済ませて、お守りを買った。
私は、自分の目を疑った。
青柳くんの手に握られているのは、紛れもなく安産祈願のお守りだ。

「まさか、まさか…………十四歳の父?!」

 思ったより大きな声が出てしまった。
青柳くんが慌てた様子で私の口を塞ぐが時既に遅し。
お守りを売ってくれた巫女さんが苦笑した様子でこちらにお辞儀をした。

「ばか、母親のだよ。俺なわけがあるかっ」

「え、お母さん?」

 ふいっと顔を背けた青柳君の顔が心なしか赤い。
可愛い。こんな青柳くんを見るのは初めてだ。

「この歳になって弟か妹ができるなんて、恥ずかしくて誰にも言えないだろう。
だから一人でこっそり来ようと思ってたんだよ」

「なぁんだ、私はてっきり青柳くんが誰かを孕ませたのかと」

「お前……女子が“孕ませる”なんて言葉使うか」

 青柳くんが呆れた視線を寄越す。私は、自分が言った言葉の意味を思い出し、顔が熱くなった。

「お、おめでとう!
 おめでたいね、そりゃあ、あはは」

 私が誤魔化すように声を張り上げると、先ほどの巫女さんがくすくすと笑う声が聞こえた。
まずい、もうこのお宮には来られない。
 気まずいのは青柳くんも同じのようで、もう行くぞと言って鳥居へと歩き出した。
私も置いて行かれないよう青柳くんを追う。

「あれ、でもそれならどうして私を……」

 一人でこっそり来ようと思えば、あの時、バスに乗る私を引き留めなければできた筈だ。
 青柳くんは、前を向いたまま答えた。

「カモフラージュだよ。
 お前と一緒なら、誰かが妙な気を効かせて探さなくなるだろ」

 私の脳裏に加美長くんと由梨の顔が浮かぶ。
確かにあの二人なら、若い二人をそっとしておこうとか何とか言って探すのを辞めさせるだろう。
でも、湯川さんは猛反対するだろう。

「誰にも言うなよ」

 そう言って振り返った青柳くんの顔は、まだ少し赤かった。
それを見た私は、なんだかほっとしてしまって、色んな事がどうでも良くなってしまった。
よくよく考えてみれば、青柳くんと二人きりで京都を観光しているのだ。
こんな行幸が他にあるだろうか。

ひとまず色んなことは忘れて、今この時を楽しもうと気持ちを切り替えた私は、仕方ないなぁ、と答えようとして口を開いたが、別の音がそれに答えた。

ぐうぅぅ~~………

私の腹の虫だ。そう言えばお昼を食べ損ねてしまっていた。
慌てて誤魔化そうにも、周囲に人はいないし、青柳くんにもばっちり聞かれてしまっている。
どうしようかと固まっていると、青柳君が突然吹き出した。

「くっははは……もうダメだ、お前ほんっと変なやつ」

 お腹を抱えて笑いだす青柳くんに、私は自分の顔が熱くなるのを感じた。

「だ、だだ誰の所為でお昼食べ損ねたと思ってるのよ!
 それに、変なやつなんて、あなたにだけは言われなくないぃっ」

 私の必死な抗議も空しく、青柳くんの笑いが収まるまでしばらくかかった。


 お詫びに、と青柳くんが連れて行ってくれたのは、四条高倉にある錦市場という商店街だった。
食べ物屋さんにお土産屋さんなど色んなお店が立ち並び、店主とお客の陽気な声で賑わっている。
私たちは、そこで目についた美味しそうな食べ物を幾つか買って、その場で食べて歩いた。
青柳くんと二人でこうしていることがまるで夢の中に居るかのようだ。

 中には、青柳くんのことを覚えている店主さんもいて、彼女とデートか、と揶揄されると、まあそんなもんです、と否定しない青柳君に私はドギマギする。

「詩織ちゃんが聞いたら喜ぶだろう。
 尊くんに会えなくて寂しがってたよ」

 その言葉に、青柳くんの肩がぴくりと動いた。
私に背中を向けているので表情は見えないけど、私にはぴんときた。
彼女のことだ。

店主さんの奥さんが肘で余計なことを言うな、とつついた。
私に気を遣ってくれているのだろう。

 何となく気まずい空気のまま商店街を歩いた。
青柳くんは、さっきから私のほうを見ようとしない。

「本当は、会いたい人がいるんじゃないの」

 安産祈願のお守りを買うのが恥ずかしかったというのは、ただの言い訳で、青柳くんが班と別行動をとったのには、もっと他の理由があったのだ。
私の声は震えていた。
青柳くんは、聞こえないふりをしている。

「あの栞……押し花で作ってあった。
 詩織ちゃんって子が作ってくれた物だったりして」

 『義経記』に挟まっていた栞は、真っ赤な山茶花の押し花で作られていた。
神泉苑は、山茶花が綺麗なことでも知られている。
だから私は、青柳くんにとって神泉苑が特別な思い出の場所なのではないかと思ったのだ。

青柳くんは答えない。
それは、肯定と受け取れた。
やっぱり、と私は胸の痛みに気付きつつも、何気ないフリを装ってからかう調子で続けた。

「なぁんだ、やっぱり大事な物だったんじゃない。
 ダメだよ、借りた本に挟んだままにしちゃ。
 大事にしなくっちゃ」

「もう忘れてるよ」

 どこか冷めて諦めているような声だった。

「そんなことない。絶対、絶対に会いに行かなきゃダメ。
 じゃないと絶対後悔する」

「お前に関係ないだろう」

 青柳くんの言葉が冷たく私の心に突き刺さる。
私は、怒った。

「関係ないわけあるかぁ!
 ここまで人を連れて来ておいて、今更……わかってたけど、でも……」

 私は言葉に詰まった。
あの栞を見つけた時、青柳くんの心の中には誰か別の人がいるとわかった。
それでも、違うと信じていたかったのだ。
視界がぼやける。私は、瞬きするのを必死に堪えた。

「会いに行かないと、私が絶対に許さないからねっ」

 それだけ言い放つと、私はくるりと後ろを振り返って駆け出していた。
これが限界だった。
泣いているところを見られなくなかった。

 ああ、これが失恋ってやつか。
そう思うと、京都の空がやけに滲んで見えた。

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