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5 滝くんの夢
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瑠璃は週に二回、塾に通っている。
塾の場所は、わたしと瑠璃の家とは反対方向なので、いつものように途中まで一緒に帰ることはできない。わたしたちは別れる時間を引き延ばすように、昇降口でゆっくりと靴を履き替えていた。
「うちの母親、塾なんて行かなくてもいいんじゃない、って言うんだよね。勉強ばっかりしてちゃだめだって。わたしは、授業じゃ習わない話をいろいろ聞けるから行きたいんだけど」
「……えっ、そうなの?」
「うん」
「うちの親は逆で、塾行ってほしいみたい。だけど、行きたいときに行けばって言われてる。無理に通っても身につかないでしょって……」
「……そっか。深白んちはいいなあ。行きたいときに行けるって、自由な感じがするね。うらやましい」
瑠璃はそう言って長いため息をついた。まるで全身から空気が抜けてしまったみたいにうなだれる。
「勉強をするのはいいことだよ」
わたしは瑠璃を元気づけたくて、そっと声をかけた。
ふと、前に瑠璃が「なにがあってもびくともしない人になりたい」と言っていたことを思いだした。
もしかして瑠璃のうちは、塾のこと以外にも自由を制限されて、息苦しかったりするのかな。だから何事にも動じない人になりたいのかな。
「ありがと、深白。また明日ね!」
「うん、また明日」
わたしたちは大きく手を振りあう。さっき考えていたことをいきなり瑠璃に尋ねることはできなくて、だけど心配な気持ちもあって、わたしはしばらくじっと瑠璃を見送っていた。
瑠璃の足取りは軽かったので、ちょっぴり安心だ。塾に着くころには、ゆううつな気持ちが減っていたらいいな。
わたしはこれからどうしよう。
そうだ、手芸店に寄ってみようかな。
瑠璃のハンドメイド嫌いを知ってから、なんとなくパッチワークの作業に気が乗らなかったけど、やめる、なんてことは考えられない。久しぶりにお店に行けると思うと、新しいシンブルやチャコペン、生地だって見たくなってきた。
心の底に押しこもうとしてたパッチワーク欲が、ぽんっと飛びでてきちゃったみたいだ。
お店に行ったら、どこから見て回ろうかなあ、なんてウキウキしながら昇降口を出ると、芝生に座りこんでいる男子生徒の後ろ姿が見えた。
彼はスケッチブックを膝にのせ、ひたすらなにかをガリガリ描いている。
男子が頭を動かすたびに、明るい色のくせ毛がぴょこんと動く。この特徴的な髪……これはもう、あの人しかいないのでは? よくよく見てみると、スケッチブックの端に見覚えのあるメジャーが載っていた。
やっぱり滝くんだ。
校舎をスケッチしているのかな。好奇心にかられて、そうっと近づいてみる。手元をのぞきこむと、紙の上には、目の前の花壇とは全く違った景色が広がっていた。
それは高い場所から見下ろす角度で、四角い箱のような建物がいくつも描かれている。
建物は住宅街みたいにきちんと整列しているんじゃなくて、向きはバラバラ。そのすき間を埋めるように、木がこんもりと茂っている。建物の外壁にくっついているベンチに座って森林浴をしたら、すごく気持ちよさそう……なんて、ちょっと見ただけでいろいろ想像できそうなスケッチだった。
これって、滝くんが自分で考えて描いてるの?
滝くんはとても真剣なまなざしで描き続けていた。普段はほころんでいる口元も、今はきゅっと結ばれて、スケッチに没頭していることがわかる。
いつもとは全然違う滝くんの姿に、わたしは思わず目が釘付けになってしまった。
「待井さんも建物に興味あるの?」
えっ?
ふいに質問をされたのでびっくりした。だって滝くん、スケッチをしているからこっちを見てないんだもの。
ということは、さっきからわたしが見てたことに気づいてたってことで……。
「……ごめんなさい」
「ん、なんであやまるの?」
「なんでって、その、のぞき見してるみたい……になったから」
必死に頭を下げた。無愛想に見えちゃうわたしの見た目では、ごめんなさいがちゃんと伝わらないと思ったから。
「いやあ、別にいいよ。おれだって、測るのに夢中で待井さんにぶつかったことあったしさ。それより、待井さんがこれに興味持ってくれたほうがうれしい! 芝生見てたらなんかアイデアがわいてきてさ、忘れないうちに今すぐ描かなきゃと思って。スケッチブック持っててよかったー」
顔を上げると、滝くんは気楽そうに鉛筆をひらひらと振って、にっこりと笑っていた。さらにスケッチブックを見て見てとわたしの方に向けてくる。
スケッチを間近で見せてもらうと、木々も建物も、本当に細かく描かれているのがわかった。思わず、はああー、と感嘆の息がもれる。
わたしの反応を見た滝くんは、よりニコニコ顔になった。
「これさー、おれが建ててみたい家のスケッチなんだ。森の中に溶け込んで、住んでる人を見守ってくれてるってイメージ」
「……建てて、みたい?」
「そう。おれ、建築家になりたいんだよね」
建築家……。
それが滝くんの将来の夢なんだ。
わたしにとっては「将来」って実感のないぼんやりした言葉だけど、滝くんにとってはもう、なりたい自分がしっかりと形づくられてるんだ。
「じゃあ、いろんなものをメジャーで測ってたのって、もしかして……」
「あ、これ!」
わたしが尋ねると、滝くんはすでにおなじみになったメジャーをひょいと取り上げ、目盛りを引きだしてみせる。
「これね、コンベックスっていうんだ。建築にかかわる人はみんな持ってるんだって。自分用のを手に入れたら使いたくてしようがなくてさ。もういろんな場所で測りまくり。机と椅子の間隔がどのくらいだったら使いやすいのかなー、トイレの広さや廊下の幅にも、いい距離感があるのかなーって、いっつも測りながら考えてるんだ」
「へえ……」
あっ、淡泊そうな反応になっちゃったかな。本当はすごく感心してるのに。
距離を測ることに、そんな意味があったんだ、とか、「将来の夢」につながる行動してるなんてすごいなあ、なんて気持ちが飛び交っていたけど、発した言葉は「へえ」だけだった。もっとうまくコメントできたらいいのに。
さっきまでとは、滝くんの姿が違って見える。
彼の好奇心であふれそうな明るい色の瞳。それは建築家になるための道を映していたんだ。
うなずくわたしに同調するように、滝くんもうんうんとうなずき、ふたたび口を開いた。
「おれ、転校三回したことあるんだ。どこの学校の教室も、黒板があって教卓があって生徒の席があって、見かけはだいたいどこも似てた。だけど小学校六年のときに移った学校はほかと全然違って、すごく居心地がよかったんだよ。あれっなんで? ってびっくりした」
「居心地がいい……?」
「うん。いろいろ考えて、あ、これ、建物が違うんだって気づいた。ぱっと見は似てても、天井の高さとか、壁の色とか、机の配置とか、周りの景色とか、光のいろんなことが混ざりあって、居心地のよさにつながるんじゃないかって思ったんだ」
滝くんはわたしと視線を合わせた。普段なら恥ずかしくてすぐに目をそらしてしまうのに、なぜだか吸いこまれたように見つめたまま、動けない。
「そのいろんな『心地よさ』を自分の中にため込んでいって、いつか最高に居心地のいい家を建てるのが、おれの夢なんだ」
大声で叫んだわけでもないのに、滝くんの言葉は、わたしの胸にまっすぐに届いた。早朝の気持ちのよい空気を思いきり吸いこんだときみたいに、すっと入ってくる。
きっと滝くんは、建築家に「なりたい」人じゃなくて、「なる」人なんだ。願いを叶えるまでずっと、足を止めずに歩き続けていく人なんだ。
「滝くん、すごい……すごいね」
さっきは言えなかった言葉が、自然と出てきた。
「わたし、将来の夢って、今まで考えたことなかった。好きなことをして、楽しかったらいいって思ってるだけで……。でも滝くんは、夢のために必要なことを毎日やってるんだね。まっすぐで、すごいって思った」
途中でつっかえながらも必死で言うと、瀧くんは目をまん丸に見開き、口もぽっかりと開けて動かなくなってしまった。
あれっ、わたしの話し方、やっぱりおかしかった? あきれちゃった?
内心焦っていると、滝くんは急にがしがしと頭をかきはじめた。
「えー、今のほんと? 待井さん、マジで言ってくれた? うわー、照れるー」
照れる、という言葉のとおりに、滝くんは頬を真っ赤に染めている。
「誰かに建築家志望って話をしたらさ、いつもは『はいはい』って感じで軽く流されちゃうんだよな。周りの人から見たおれって、筋がとおってるどころかフニャフニャしてるみたいだからさ、真面目に受け取ってもらえなくて。こんなに真剣に話聞いてくれたの、待井さんが初めてだ。すっごい照れるー」
「えっ、初めて?」
「そうそう。話ちゃんときいてもらえるのって、うれしいんだな! ありがとなー、待井さん」
あきれてるんじゃなかったんだ。よかった……。それどころか、うれしいって言ってくれた。話を聞いていたことで、こんなに喜ばれるなんて予想外だ。だって、わたしは瑠璃みたいに聞き上手ってわけじゃないもんね。
気がつくと滝くんはわたしの両手をしっかり握って、上下にぶんぶんと振っている。
ええっ、あの、今まで男子に手を握られたことなんてないんですけど……これ、この手、どうしたらいいの?
内心あわあわしていると、滝くんはなにかを見つけたように目を丸く見開いた。
「おおー、今の顔、それが待井さんがあわててるときの顔なんだな! おれ、わかってきたよ」
「どうしてわかったの……?」
わたしの表情の変化、毎日顔を合わせてる家族にさえわかりにくいって言われるのに。お母さんと夕映ちゃんは「手をこう動かしたからきっと機嫌がいい!」なんて、クイズ形式で当てようとしてくるもんね。
「うん、こないだぶつかっちゃったとき、怒ってるんじゃなさそうだよなー、って思ってたんだ。ただ、あわててたんだなあって。違う?」
「違わない、です」
「ほら、やっぱりね! おれ、待井さんにくわしくなったぞー」
す、すごい。あのときのわたし、ほとんど反応ができなかったのに、気づいてくれてたんだ。滝くんには、さっきからびっくりさせられてばかりだ。
滝くんのこと、昨日までは「ふらふらしている謎の多い人」だと思ってた。だけど今日からは違う。夢に向かって一直線にがんばっている人に変わった。
ふらふらしているんじゃなくて、芯のある人。
「あっ、あの階段気になる! ちょっと実測してくるね。じゃあ待井さん、また明日!」
わたしが考えているうちに、滝くんはひょこひょこと歩いていってしまった。目的の階段に行き着くまでにも気になるものがいくつかあるらしく、ときどきしゃがみこんでコンベックスを引っ張りだしている。
……芯はあるけど、ふらふらしてるってことには変わりないのかも。
あちこち寄り道している滝くんは、いろんな花に引き寄せられている蝶々みたいで、わたしは思わず笑ってしまった。
同時に、瑠璃に言えない言葉でふくれ上がった不安が、ほんの少し小さくなったような気がした。
これってきっと、滝くんのおかげだ。
滝くんって、不思議な人だなあ。話していると目が回るほど混乱するのに、心を軽くもしてくれるなんて。
わたしはしばらく、彼の後ろ姿から目を離すことができなかった。
塾の場所は、わたしと瑠璃の家とは反対方向なので、いつものように途中まで一緒に帰ることはできない。わたしたちは別れる時間を引き延ばすように、昇降口でゆっくりと靴を履き替えていた。
「うちの母親、塾なんて行かなくてもいいんじゃない、って言うんだよね。勉強ばっかりしてちゃだめだって。わたしは、授業じゃ習わない話をいろいろ聞けるから行きたいんだけど」
「……えっ、そうなの?」
「うん」
「うちの親は逆で、塾行ってほしいみたい。だけど、行きたいときに行けばって言われてる。無理に通っても身につかないでしょって……」
「……そっか。深白んちはいいなあ。行きたいときに行けるって、自由な感じがするね。うらやましい」
瑠璃はそう言って長いため息をついた。まるで全身から空気が抜けてしまったみたいにうなだれる。
「勉強をするのはいいことだよ」
わたしは瑠璃を元気づけたくて、そっと声をかけた。
ふと、前に瑠璃が「なにがあってもびくともしない人になりたい」と言っていたことを思いだした。
もしかして瑠璃のうちは、塾のこと以外にも自由を制限されて、息苦しかったりするのかな。だから何事にも動じない人になりたいのかな。
「ありがと、深白。また明日ね!」
「うん、また明日」
わたしたちは大きく手を振りあう。さっき考えていたことをいきなり瑠璃に尋ねることはできなくて、だけど心配な気持ちもあって、わたしはしばらくじっと瑠璃を見送っていた。
瑠璃の足取りは軽かったので、ちょっぴり安心だ。塾に着くころには、ゆううつな気持ちが減っていたらいいな。
わたしはこれからどうしよう。
そうだ、手芸店に寄ってみようかな。
瑠璃のハンドメイド嫌いを知ってから、なんとなくパッチワークの作業に気が乗らなかったけど、やめる、なんてことは考えられない。久しぶりにお店に行けると思うと、新しいシンブルやチャコペン、生地だって見たくなってきた。
心の底に押しこもうとしてたパッチワーク欲が、ぽんっと飛びでてきちゃったみたいだ。
お店に行ったら、どこから見て回ろうかなあ、なんてウキウキしながら昇降口を出ると、芝生に座りこんでいる男子生徒の後ろ姿が見えた。
彼はスケッチブックを膝にのせ、ひたすらなにかをガリガリ描いている。
男子が頭を動かすたびに、明るい色のくせ毛がぴょこんと動く。この特徴的な髪……これはもう、あの人しかいないのでは? よくよく見てみると、スケッチブックの端に見覚えのあるメジャーが載っていた。
やっぱり滝くんだ。
校舎をスケッチしているのかな。好奇心にかられて、そうっと近づいてみる。手元をのぞきこむと、紙の上には、目の前の花壇とは全く違った景色が広がっていた。
それは高い場所から見下ろす角度で、四角い箱のような建物がいくつも描かれている。
建物は住宅街みたいにきちんと整列しているんじゃなくて、向きはバラバラ。そのすき間を埋めるように、木がこんもりと茂っている。建物の外壁にくっついているベンチに座って森林浴をしたら、すごく気持ちよさそう……なんて、ちょっと見ただけでいろいろ想像できそうなスケッチだった。
これって、滝くんが自分で考えて描いてるの?
滝くんはとても真剣なまなざしで描き続けていた。普段はほころんでいる口元も、今はきゅっと結ばれて、スケッチに没頭していることがわかる。
いつもとは全然違う滝くんの姿に、わたしは思わず目が釘付けになってしまった。
「待井さんも建物に興味あるの?」
えっ?
ふいに質問をされたのでびっくりした。だって滝くん、スケッチをしているからこっちを見てないんだもの。
ということは、さっきからわたしが見てたことに気づいてたってことで……。
「……ごめんなさい」
「ん、なんであやまるの?」
「なんでって、その、のぞき見してるみたい……になったから」
必死に頭を下げた。無愛想に見えちゃうわたしの見た目では、ごめんなさいがちゃんと伝わらないと思ったから。
「いやあ、別にいいよ。おれだって、測るのに夢中で待井さんにぶつかったことあったしさ。それより、待井さんがこれに興味持ってくれたほうがうれしい! 芝生見てたらなんかアイデアがわいてきてさ、忘れないうちに今すぐ描かなきゃと思って。スケッチブック持っててよかったー」
顔を上げると、滝くんは気楽そうに鉛筆をひらひらと振って、にっこりと笑っていた。さらにスケッチブックを見て見てとわたしの方に向けてくる。
スケッチを間近で見せてもらうと、木々も建物も、本当に細かく描かれているのがわかった。思わず、はああー、と感嘆の息がもれる。
わたしの反応を見た滝くんは、よりニコニコ顔になった。
「これさー、おれが建ててみたい家のスケッチなんだ。森の中に溶け込んで、住んでる人を見守ってくれてるってイメージ」
「……建てて、みたい?」
「そう。おれ、建築家になりたいんだよね」
建築家……。
それが滝くんの将来の夢なんだ。
わたしにとっては「将来」って実感のないぼんやりした言葉だけど、滝くんにとってはもう、なりたい自分がしっかりと形づくられてるんだ。
「じゃあ、いろんなものをメジャーで測ってたのって、もしかして……」
「あ、これ!」
わたしが尋ねると、滝くんはすでにおなじみになったメジャーをひょいと取り上げ、目盛りを引きだしてみせる。
「これね、コンベックスっていうんだ。建築にかかわる人はみんな持ってるんだって。自分用のを手に入れたら使いたくてしようがなくてさ。もういろんな場所で測りまくり。机と椅子の間隔がどのくらいだったら使いやすいのかなー、トイレの広さや廊下の幅にも、いい距離感があるのかなーって、いっつも測りながら考えてるんだ」
「へえ……」
あっ、淡泊そうな反応になっちゃったかな。本当はすごく感心してるのに。
距離を測ることに、そんな意味があったんだ、とか、「将来の夢」につながる行動してるなんてすごいなあ、なんて気持ちが飛び交っていたけど、発した言葉は「へえ」だけだった。もっとうまくコメントできたらいいのに。
さっきまでとは、滝くんの姿が違って見える。
彼の好奇心であふれそうな明るい色の瞳。それは建築家になるための道を映していたんだ。
うなずくわたしに同調するように、滝くんもうんうんとうなずき、ふたたび口を開いた。
「おれ、転校三回したことあるんだ。どこの学校の教室も、黒板があって教卓があって生徒の席があって、見かけはだいたいどこも似てた。だけど小学校六年のときに移った学校はほかと全然違って、すごく居心地がよかったんだよ。あれっなんで? ってびっくりした」
「居心地がいい……?」
「うん。いろいろ考えて、あ、これ、建物が違うんだって気づいた。ぱっと見は似てても、天井の高さとか、壁の色とか、机の配置とか、周りの景色とか、光のいろんなことが混ざりあって、居心地のよさにつながるんじゃないかって思ったんだ」
滝くんはわたしと視線を合わせた。普段なら恥ずかしくてすぐに目をそらしてしまうのに、なぜだか吸いこまれたように見つめたまま、動けない。
「そのいろんな『心地よさ』を自分の中にため込んでいって、いつか最高に居心地のいい家を建てるのが、おれの夢なんだ」
大声で叫んだわけでもないのに、滝くんの言葉は、わたしの胸にまっすぐに届いた。早朝の気持ちのよい空気を思いきり吸いこんだときみたいに、すっと入ってくる。
きっと滝くんは、建築家に「なりたい」人じゃなくて、「なる」人なんだ。願いを叶えるまでずっと、足を止めずに歩き続けていく人なんだ。
「滝くん、すごい……すごいね」
さっきは言えなかった言葉が、自然と出てきた。
「わたし、将来の夢って、今まで考えたことなかった。好きなことをして、楽しかったらいいって思ってるだけで……。でも滝くんは、夢のために必要なことを毎日やってるんだね。まっすぐで、すごいって思った」
途中でつっかえながらも必死で言うと、瀧くんは目をまん丸に見開き、口もぽっかりと開けて動かなくなってしまった。
あれっ、わたしの話し方、やっぱりおかしかった? あきれちゃった?
内心焦っていると、滝くんは急にがしがしと頭をかきはじめた。
「えー、今のほんと? 待井さん、マジで言ってくれた? うわー、照れるー」
照れる、という言葉のとおりに、滝くんは頬を真っ赤に染めている。
「誰かに建築家志望って話をしたらさ、いつもは『はいはい』って感じで軽く流されちゃうんだよな。周りの人から見たおれって、筋がとおってるどころかフニャフニャしてるみたいだからさ、真面目に受け取ってもらえなくて。こんなに真剣に話聞いてくれたの、待井さんが初めてだ。すっごい照れるー」
「えっ、初めて?」
「そうそう。話ちゃんときいてもらえるのって、うれしいんだな! ありがとなー、待井さん」
あきれてるんじゃなかったんだ。よかった……。それどころか、うれしいって言ってくれた。話を聞いていたことで、こんなに喜ばれるなんて予想外だ。だって、わたしは瑠璃みたいに聞き上手ってわけじゃないもんね。
気がつくと滝くんはわたしの両手をしっかり握って、上下にぶんぶんと振っている。
ええっ、あの、今まで男子に手を握られたことなんてないんですけど……これ、この手、どうしたらいいの?
内心あわあわしていると、滝くんはなにかを見つけたように目を丸く見開いた。
「おおー、今の顔、それが待井さんがあわててるときの顔なんだな! おれ、わかってきたよ」
「どうしてわかったの……?」
わたしの表情の変化、毎日顔を合わせてる家族にさえわかりにくいって言われるのに。お母さんと夕映ちゃんは「手をこう動かしたからきっと機嫌がいい!」なんて、クイズ形式で当てようとしてくるもんね。
「うん、こないだぶつかっちゃったとき、怒ってるんじゃなさそうだよなー、って思ってたんだ。ただ、あわててたんだなあって。違う?」
「違わない、です」
「ほら、やっぱりね! おれ、待井さんにくわしくなったぞー」
す、すごい。あのときのわたし、ほとんど反応ができなかったのに、気づいてくれてたんだ。滝くんには、さっきからびっくりさせられてばかりだ。
滝くんのこと、昨日までは「ふらふらしている謎の多い人」だと思ってた。だけど今日からは違う。夢に向かって一直線にがんばっている人に変わった。
ふらふらしているんじゃなくて、芯のある人。
「あっ、あの階段気になる! ちょっと実測してくるね。じゃあ待井さん、また明日!」
わたしが考えているうちに、滝くんはひょこひょこと歩いていってしまった。目的の階段に行き着くまでにも気になるものがいくつかあるらしく、ときどきしゃがみこんでコンベックスを引っ張りだしている。
……芯はあるけど、ふらふらしてるってことには変わりないのかも。
あちこち寄り道している滝くんは、いろんな花に引き寄せられている蝶々みたいで、わたしは思わず笑ってしまった。
同時に、瑠璃に言えない言葉でふくれ上がった不安が、ほんの少し小さくなったような気がした。
これってきっと、滝くんのおかげだ。
滝くんって、不思議な人だなあ。話していると目が回るほど混乱するのに、心を軽くもしてくれるなんて。
わたしはしばらく、彼の後ろ姿から目を離すことができなかった。
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