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第〇章 刀の巻 プロローグ
0-05 犬猿の仲
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「おい、てめえ、一体何者だ!?」
チンピラは、よろめきながらも何とか立ち上がり、恨みを込めた唾をぺっと吐き捨て、怒声を発した。
「おいおい、そんなに血管を浮き立たせて怒鳴られると、さすがの俺も肩が縮むぜ。」俺は、薄く唇を開き、挑発するように目を細めた。「ボロ雑巾にしてはよく喋るな。感心したよ。」
「何だと!?てめえ、ヒーロー気取りか、このクソ野郎!」股間を蹴られた男は、今にもへたり込みそうなほど膝を震わせながら、脂汗の染みた指先で俺を突き刺すように指し示した。
「くそ……調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「あ、兄貴、こいつ、どうします?」子分は、不安げに目を泳がせ、肩を小さく竦(すぼ)めた。
「どうするだと?やるしかねえだろうが!女と遊ぶのは、このケリをつけてからだ!」
「お、おう!」
子分は、気合いを入れるように拳を固め、獣のような息を吐きながら突進してきた。床板を蹴る振動が伝わり、額から汗が弾ける。
俺は、その勢いに飲まれず、静かに「三戦の構え」を取る。足裏で床を踏みしめ、呼吸を腹に落とした瞬間、両腕をゆっくりと開き――詠春拳の「攤手」へ。
伸びてきた子分の右腕に、俺の前腕が鋭くぶつかる。
骨同士が打ち合う乾いた衝撃が走り、子分の指がだらりと垂れ、両腕の力が抜けた。
「ぐぇっ……!」
怯んだその隙に、掌手を一瞬で「伏手」へ変換。
柔らかく絡め取るように手首を巻き込み、一気に間合いを詰める。
至近距離で――
パァンッ。
俺の掌が子分の頬を打った。
続けざまに腕を引き寄せ、反対の頬へもう一撃。
パァンッ。パァンッ。
頬がみるみる赤く腫れ上がり、子分の顔が揺れる。
呼吸と動きを合わせた連続ピンタ。
力任せではなく、芯だけを正確に弾く痛打。
両頬を腫らしながら、子分の身体がくず折れたその瞬間――
肘を折り畳み、体重ごとアッパーカット気味の肘打ちを顎へ叩き上げた。
「ゴッ……!」
子分の首が弧を描き、身体が宙に浮いて仰向けに倒れ込む。
ほこりが薄く舞い上がり、場が一瞬静まった。
「この野郎!」
兄貴分が叫び、懐から黒光りするバタフライナイフを勢いよく跳ね上げた。
鋭い刃が蛍光灯を反射し、獣のように突き出される。
俺は深く息を吐いた。焦りではなく、間合いを読むための呼吸だ。
ステップ。
刃が横を掠める。
ステップ。
逆手の突き刺しをかわす。
ステップ。
ナイフの角度を読み、紙一重で外へ逃がす。
相手の焦りが表情に染む。
その一瞬の乱れを逃さず、俺は肘を締め、右拳で男の肝臓へ軽いジャブを突き込んだ。
「ッ……ぐぅ!」
男の呼吸が乱れる。
肝臓への痛みは、派手ではなくとも鋭く利く。
痛みにキレた兄貴分は吠えるように直線で突き込んできた。
――直線は、読みやすい。
俺は左足を半歩引き、体をわずかにひねる。
伸びてきた刺突の手首を、右手で下からすくい上げ、そのままがっちりと掴んだ。
同時に――
左肘を下から跳ね上げる。アッパーカットの軌道で、男の肘関節を逆方向へ押し伸ばす。
「ぐあっ……!」
関節が限界まで反り、靭帯が悲鳴を上げる感触が、肘越しに伝わってきた。
八極拳の「外門頂肘」――本来は打撃だが、今回は肘を狙った関節技として使う。
断裂する寸前で、力を意図的に止めた。
折らず、切らず。ただ一生、違和感が残る角度と圧で済ませる。
ナイフが、乾いた金属音を立てて床に跳ねた。
「刃物を抜いた以上、それなりの覚悟はできてるんだろうな」
そう呟き、男の下唇に刺さったラブレットを摘み上げる。
「ひ、ぁ――や、やめ……っ、やめろ……っ!」
金属を捻るように、ぐい、と指先に力を込める。
「い゛っ、いだっ……! ちょ、ま、まっ……ぅ、う゛……!」
声にならない悲鳴が喉の奥で潰れ、男の身体がびくりと跳ねる。膝が小刻みに震え、歯がかちかちと鳴る。涙と唾液が混ざり、情けなく顎を伝って落ちた。
「ぬ、抜ける……! それ、抜けるって……! た、頼む……まじで……っ」
摘まれた金属が、肉を通して神経を直に引っ張る。
このまま倒れるのは、許さない。
「ギャっ……!」
背後から、女たちのかすれた悲鳴が漏れた。
「や、やめ……」
男の表情が、無様に歪む。命乞いだ。
……知らん。
空いている手で奴の安っぽい頭を押さえつけ、同時に下から膝を突き上げる。サンドイッチのように顎を挟み込み、猛烈な衝撃を叩き込んだ。
鈍い衝突音が骨を震わせる。
男は白目を剥き、まるで吊るされた操り人形のように、両足から力が抜け落ちた。
ぼろ雑巾みたいに、脂ぎった髪を横へ引いて放る。
手に残る感触が不快だった。――どれだけジェルを使ってる。
全ては、ほんの数十秒の出来事だった。
「何!?一体何があったんだ!?」遠くで、張り詰めたような声が弾け、警備員のブーツが慌ただしく近づいてくる音が聞こえた。騒ぎを聞きつけたデモ隊と旅行客が、一斉に首を伸ばし、好奇と警戒の入り混じった視線が、俺たちに絡みついた。
「浅羽か。一体どこのゴロツキかと思えば、まだお前だったとはな。」聞き覚えのある、低い声が背後から響いた。
振り返ると、白髪がまばらに混じった五十代くらいの男が、腕組みをして立っていた。痩せた頬に鋭い眼光が宿り、薄い眉と濃い隈が、彼の顔を引き締めていた。高く通った鼻筋、固く結ばれた薄い唇。一八〇センチを超える長身に、寸分のしわもない漆黒のスーツが吸い付くように張り付き、磨き上げられた黒い革靴が、冷たい床を規則的に叩いた。胸元で揺れる白いポケットチーフ、そして、かすかに漂う清潔な香りが、彼の存在を際立たせていた。
「そちらこそ、一体どういう風の吹き回しだ、松尾警部。」
松尾真一郎——俺が東京で、まだ駆け出しのボディガードとして身を立て始めた頃からの、腐れ縁の男だ。
友人であり、先輩であり、時に、仕事柄どうしても張り合うことになる厄介なライバルでもある。
「相変わらず、年上の人間に対する口の利き方を知らんな。まあ、色々あってな。まずは、そこのお嬢ちゃんたちに手を貸してやれ。」
「……そうか。君たち、大丈夫か?」
松尾警部に促されるまま、俺はウエットティッシュで手を拭き、まだ呆然とした表情の瑚依と、「マっちゃん」と呼ばれていた背の高い女に、静かに手を差し伸べた。
「……いいえ、大丈夫です。一人で立てますから。」瑚依は、俺の差し出した手を軽く払い、サングラスの位置を無造作に直した。そして、ワンピースに付いた埃を払うと、何事もなかったかのようにすっと立ち上がった。
「ほら、瑚依!……すみません。助けていただき、本当にありがとうございました。」マっちゃんは、少し咎めるように瑚依に言い聞かせつつ、代わりに俺の差し出した手をしっかりと握り返した。
「私は宮崎真理絵と申します。もし差し支えなければ、お礼をさせていただきたいのですが、あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」宮崎は、眼鏡のブリッジをそっと押し上げ、どこか照れくさそうな仕草を見せた。
「……浅羽隼人だ。」
「ほら、瑚依も、ちゃんと挨拶しなさい。」
「……小槻瑚依です。どうも、ありがとうございました。」小槻は、赤いハンチング帽のつばを深く押し下げ、顔を隠すようにしながら、小さな声で呟いた。まるでアイドルのように、大きなサングラスとマスクで既に顔のほとんどを覆っているのに、これ以上隠れる必要があるのだろうか。
「礼なんかいらない。助けるつもりでやったわけじゃない。」
「え?!」二人は、まるで同じタイミングで驚いたように目を丸くし、小さく口を開いた。
「さっきの平手打ちで、自分がどれほど無力か、骨身に染みて分かったはずだ。今後は、無闇に出過ぎた真似は控えろ。それがお前自身の安全のためだ。」俺の声は、氷のように冷たく響いた。
「何!?ちょっと……一体、何を仰っているんですか?あなたは?」——小槻は、信じられないといった表情で眉を釣り上げ、首を横に振った。
「聞こえなかったか?もう一度言う。自分で自分の身を守る力もないくせに、チンピラを正面から挑発するような真似は二度とすんな。」
「は!? 何!? その上から目線の正義厨、誰に説教垂れてんの!?」——小槻の声が跳ね上がり、氷のような視線が俺を射抜いた。「私が弱いからって、あのゴミチンピラに黙ってろって? ハッ、こんな偽ヒーロー気取り、Xで晒したらフォロワー0確定! 私の美貌と時間を無駄にする前に、そのダサい正義感ログアウトしなさいよ!」
「抵抗するなとは言ってない。もっと、まともな方法を考えろと言ってる。お前の今のやり方じゃ、命がいくつあっても足りないぞ。」
「まとも!? ふざけないで! 私が助け乞うた覚えなんかない! 勝手に首突っ込んで、被害者に説教!? 最低のクソ野郎にも程があるわ!」——小槻は指を突き出し、鼻先に迫った。サングラス越しに、燃える怒りが伝わった。
「お二人とも、どうか落ち着いて……」宮崎が、困ったように両手を振って二人の間に割って入った。
「そうだな。痴話喧嘩なら、場所を移してやってくれ。」松尾は、腕組みをしたまま、ニヤリと唇の端を歪めた。「Xで『#空港恋愛バトル』がトレンド入りすんぞ。」
「痴話!? 誰がこの上から野郎と恋愛バトルよ!?」小槻は、鋭い視線で松尾を睨みつけ、小さな拳を固く握りしめた。
「はあ……とりあえず、二人とも、大人しくついてこい。事情聴取させてもらう。お前ら、そこの間抜けな二人組の馬鹿を担いで運べ。」
松尾は、深く溜息をつき、近くにいた警官と警備員に顎で指示を出した。こうして、俺たちは、騒然とした成田空港第二ターミナルのホールから、侘しい取調室へと、重い足取りで向かうことになった。
小槻の鋭い視線が、まるで氷の刃のように俺の背中に突き刺さり、彼女のヒールの音が、硬質な床を鋭く鳴らした。
チンピラは、よろめきながらも何とか立ち上がり、恨みを込めた唾をぺっと吐き捨て、怒声を発した。
「おいおい、そんなに血管を浮き立たせて怒鳴られると、さすがの俺も肩が縮むぜ。」俺は、薄く唇を開き、挑発するように目を細めた。「ボロ雑巾にしてはよく喋るな。感心したよ。」
「何だと!?てめえ、ヒーロー気取りか、このクソ野郎!」股間を蹴られた男は、今にもへたり込みそうなほど膝を震わせながら、脂汗の染みた指先で俺を突き刺すように指し示した。
「くそ……調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「あ、兄貴、こいつ、どうします?」子分は、不安げに目を泳がせ、肩を小さく竦(すぼ)めた。
「どうするだと?やるしかねえだろうが!女と遊ぶのは、このケリをつけてからだ!」
「お、おう!」
子分は、気合いを入れるように拳を固め、獣のような息を吐きながら突進してきた。床板を蹴る振動が伝わり、額から汗が弾ける。
俺は、その勢いに飲まれず、静かに「三戦の構え」を取る。足裏で床を踏みしめ、呼吸を腹に落とした瞬間、両腕をゆっくりと開き――詠春拳の「攤手」へ。
伸びてきた子分の右腕に、俺の前腕が鋭くぶつかる。
骨同士が打ち合う乾いた衝撃が走り、子分の指がだらりと垂れ、両腕の力が抜けた。
「ぐぇっ……!」
怯んだその隙に、掌手を一瞬で「伏手」へ変換。
柔らかく絡め取るように手首を巻き込み、一気に間合いを詰める。
至近距離で――
パァンッ。
俺の掌が子分の頬を打った。
続けざまに腕を引き寄せ、反対の頬へもう一撃。
パァンッ。パァンッ。
頬がみるみる赤く腫れ上がり、子分の顔が揺れる。
呼吸と動きを合わせた連続ピンタ。
力任せではなく、芯だけを正確に弾く痛打。
両頬を腫らしながら、子分の身体がくず折れたその瞬間――
肘を折り畳み、体重ごとアッパーカット気味の肘打ちを顎へ叩き上げた。
「ゴッ……!」
子分の首が弧を描き、身体が宙に浮いて仰向けに倒れ込む。
ほこりが薄く舞い上がり、場が一瞬静まった。
「この野郎!」
兄貴分が叫び、懐から黒光りするバタフライナイフを勢いよく跳ね上げた。
鋭い刃が蛍光灯を反射し、獣のように突き出される。
俺は深く息を吐いた。焦りではなく、間合いを読むための呼吸だ。
ステップ。
刃が横を掠める。
ステップ。
逆手の突き刺しをかわす。
ステップ。
ナイフの角度を読み、紙一重で外へ逃がす。
相手の焦りが表情に染む。
その一瞬の乱れを逃さず、俺は肘を締め、右拳で男の肝臓へ軽いジャブを突き込んだ。
「ッ……ぐぅ!」
男の呼吸が乱れる。
肝臓への痛みは、派手ではなくとも鋭く利く。
痛みにキレた兄貴分は吠えるように直線で突き込んできた。
――直線は、読みやすい。
俺は左足を半歩引き、体をわずかにひねる。
伸びてきた刺突の手首を、右手で下からすくい上げ、そのままがっちりと掴んだ。
同時に――
左肘を下から跳ね上げる。アッパーカットの軌道で、男の肘関節を逆方向へ押し伸ばす。
「ぐあっ……!」
関節が限界まで反り、靭帯が悲鳴を上げる感触が、肘越しに伝わってきた。
八極拳の「外門頂肘」――本来は打撃だが、今回は肘を狙った関節技として使う。
断裂する寸前で、力を意図的に止めた。
折らず、切らず。ただ一生、違和感が残る角度と圧で済ませる。
ナイフが、乾いた金属音を立てて床に跳ねた。
「刃物を抜いた以上、それなりの覚悟はできてるんだろうな」
そう呟き、男の下唇に刺さったラブレットを摘み上げる。
「ひ、ぁ――や、やめ……っ、やめろ……っ!」
金属を捻るように、ぐい、と指先に力を込める。
「い゛っ、いだっ……! ちょ、ま、まっ……ぅ、う゛……!」
声にならない悲鳴が喉の奥で潰れ、男の身体がびくりと跳ねる。膝が小刻みに震え、歯がかちかちと鳴る。涙と唾液が混ざり、情けなく顎を伝って落ちた。
「ぬ、抜ける……! それ、抜けるって……! た、頼む……まじで……っ」
摘まれた金属が、肉を通して神経を直に引っ張る。
このまま倒れるのは、許さない。
「ギャっ……!」
背後から、女たちのかすれた悲鳴が漏れた。
「や、やめ……」
男の表情が、無様に歪む。命乞いだ。
……知らん。
空いている手で奴の安っぽい頭を押さえつけ、同時に下から膝を突き上げる。サンドイッチのように顎を挟み込み、猛烈な衝撃を叩き込んだ。
鈍い衝突音が骨を震わせる。
男は白目を剥き、まるで吊るされた操り人形のように、両足から力が抜け落ちた。
ぼろ雑巾みたいに、脂ぎった髪を横へ引いて放る。
手に残る感触が不快だった。――どれだけジェルを使ってる。
全ては、ほんの数十秒の出来事だった。
「何!?一体何があったんだ!?」遠くで、張り詰めたような声が弾け、警備員のブーツが慌ただしく近づいてくる音が聞こえた。騒ぎを聞きつけたデモ隊と旅行客が、一斉に首を伸ばし、好奇と警戒の入り混じった視線が、俺たちに絡みついた。
「浅羽か。一体どこのゴロツキかと思えば、まだお前だったとはな。」聞き覚えのある、低い声が背後から響いた。
振り返ると、白髪がまばらに混じった五十代くらいの男が、腕組みをして立っていた。痩せた頬に鋭い眼光が宿り、薄い眉と濃い隈が、彼の顔を引き締めていた。高く通った鼻筋、固く結ばれた薄い唇。一八〇センチを超える長身に、寸分のしわもない漆黒のスーツが吸い付くように張り付き、磨き上げられた黒い革靴が、冷たい床を規則的に叩いた。胸元で揺れる白いポケットチーフ、そして、かすかに漂う清潔な香りが、彼の存在を際立たせていた。
「そちらこそ、一体どういう風の吹き回しだ、松尾警部。」
松尾真一郎——俺が東京で、まだ駆け出しのボディガードとして身を立て始めた頃からの、腐れ縁の男だ。
友人であり、先輩であり、時に、仕事柄どうしても張り合うことになる厄介なライバルでもある。
「相変わらず、年上の人間に対する口の利き方を知らんな。まあ、色々あってな。まずは、そこのお嬢ちゃんたちに手を貸してやれ。」
「……そうか。君たち、大丈夫か?」
松尾警部に促されるまま、俺はウエットティッシュで手を拭き、まだ呆然とした表情の瑚依と、「マっちゃん」と呼ばれていた背の高い女に、静かに手を差し伸べた。
「……いいえ、大丈夫です。一人で立てますから。」瑚依は、俺の差し出した手を軽く払い、サングラスの位置を無造作に直した。そして、ワンピースに付いた埃を払うと、何事もなかったかのようにすっと立ち上がった。
「ほら、瑚依!……すみません。助けていただき、本当にありがとうございました。」マっちゃんは、少し咎めるように瑚依に言い聞かせつつ、代わりに俺の差し出した手をしっかりと握り返した。
「私は宮崎真理絵と申します。もし差し支えなければ、お礼をさせていただきたいのですが、あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」宮崎は、眼鏡のブリッジをそっと押し上げ、どこか照れくさそうな仕草を見せた。
「……浅羽隼人だ。」
「ほら、瑚依も、ちゃんと挨拶しなさい。」
「……小槻瑚依です。どうも、ありがとうございました。」小槻は、赤いハンチング帽のつばを深く押し下げ、顔を隠すようにしながら、小さな声で呟いた。まるでアイドルのように、大きなサングラスとマスクで既に顔のほとんどを覆っているのに、これ以上隠れる必要があるのだろうか。
「礼なんかいらない。助けるつもりでやったわけじゃない。」
「え?!」二人は、まるで同じタイミングで驚いたように目を丸くし、小さく口を開いた。
「さっきの平手打ちで、自分がどれほど無力か、骨身に染みて分かったはずだ。今後は、無闇に出過ぎた真似は控えろ。それがお前自身の安全のためだ。」俺の声は、氷のように冷たく響いた。
「何!?ちょっと……一体、何を仰っているんですか?あなたは?」——小槻は、信じられないといった表情で眉を釣り上げ、首を横に振った。
「聞こえなかったか?もう一度言う。自分で自分の身を守る力もないくせに、チンピラを正面から挑発するような真似は二度とすんな。」
「は!? 何!? その上から目線の正義厨、誰に説教垂れてんの!?」——小槻の声が跳ね上がり、氷のような視線が俺を射抜いた。「私が弱いからって、あのゴミチンピラに黙ってろって? ハッ、こんな偽ヒーロー気取り、Xで晒したらフォロワー0確定! 私の美貌と時間を無駄にする前に、そのダサい正義感ログアウトしなさいよ!」
「抵抗するなとは言ってない。もっと、まともな方法を考えろと言ってる。お前の今のやり方じゃ、命がいくつあっても足りないぞ。」
「まとも!? ふざけないで! 私が助け乞うた覚えなんかない! 勝手に首突っ込んで、被害者に説教!? 最低のクソ野郎にも程があるわ!」——小槻は指を突き出し、鼻先に迫った。サングラス越しに、燃える怒りが伝わった。
「お二人とも、どうか落ち着いて……」宮崎が、困ったように両手を振って二人の間に割って入った。
「そうだな。痴話喧嘩なら、場所を移してやってくれ。」松尾は、腕組みをしたまま、ニヤリと唇の端を歪めた。「Xで『#空港恋愛バトル』がトレンド入りすんぞ。」
「痴話!? 誰がこの上から野郎と恋愛バトルよ!?」小槻は、鋭い視線で松尾を睨みつけ、小さな拳を固く握りしめた。
「はあ……とりあえず、二人とも、大人しくついてこい。事情聴取させてもらう。お前ら、そこの間抜けな二人組の馬鹿を担いで運べ。」
松尾は、深く溜息をつき、近くにいた警官と警備員に顎で指示を出した。こうして、俺たちは、騒然とした成田空港第二ターミナルのホールから、侘しい取調室へと、重い足取りで向かうことになった。
小槻の鋭い視線が、まるで氷の刃のように俺の背中に突き刺さり、彼女のヒールの音が、硬質な床を鋭く鳴らした。
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