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第〇章 刀の巻 プロローグ
0-29 はったり
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「……申し訳ありません、お客様。先ほどのパイロットのアナウンスの通り、現在、機体は不安定な気流を通過しております。お急ぎでなければ、お席にお戻りいただき、シートベルトを――」
瑚依とすれ違った客室乗務員が、困った顔で俺を止めた。
「うーん……でも、俺も限界なんですよ」
ビジネスクラスのトイレを指差す。使用中ランプは、まだ赤い。
視線が、自然と一人の男に流れた。
茶色のスーツに、幾何学模様のネクタイ。
ほぼ同時に、男も顔を上げた。
目が合った。
一瞬だけだが、確かに。
男の隣には、ちょうど空席があった。
だが、顔色はさっきより悪い。冷や汗まで浮いている。
「……もし、あの席で一度待たせてもらって、トイレが空いたら自分の席に戻る。それじゃダメですか?」
俺は空席を指し、真剣な顔で聞いた。
「はあ……」
乗務員は一瞬迷った末、渋々うなずく。
「短時間でお願いしますね」
俺は頷き、素早く腰を下ろした。
俺がシートベルトを締めたのを確認すると、彼女は自分の席へ戻り、同じくベルトを締めた。
男は、俺を完全に無視している。
横目で観察する。
顔は青白い。手のひらに汗。
片手でシートベルトのバックルをいじりながら、もう片方の手を背中側に回し、何かを探る仕草。
――隠してる。
「……荒井重憲さん、だな?」
平静を装い、スマホを開く。
短く文字を打ち込み、画面を見せた。
「松尾警部からの伝言だ。調子はどう?」
男――荒井は、わずかに肩の力を抜いた。
スマホを取り出し、数秒で返してくる。
「ああ。そっちは?」
静かだ。
遠くで誰かのいびき。くぐもったエンジン音。
静寂をいっそう際立たせている。
俺は、もう一行打つ。
「仕事の話をしよう。あと20分で、このフライトに死者が出る。」
荒井の体が、びくりと跳ねた。
画面から視線を上げ、俺を見る。
「……それは、確かな情報なのか?」
「ああ。犯人候補も、ほぼ絞れてる」
短く言い切る。
「来い。手を貸してもらう」
荒井は数秒迷った末、頷いた。
俺は何の合図もせず立ち上がる。
ビジネスクラスを見渡すが、誰もこちらを見ていない。
そのままキャビン後方へ。
セルフサービスカウンターのエリア。乱気流のせいか、無人。
好都合だ。
十秒もせず、荒井が入ってきて、カーテンを閉めた。
互いの関係を悟らせるわけにはいかない。
搭乗前の化粧室で一度言葉を交わしたきり、人前では一切接触していない。
荒井が険しい目を向けてくる。
口を開く前に、俺が先に言った。
「……もう、やめにしねえか」
声を落とす。
「今なら、この件は静かに終わらせられる」
それを聞くと、荒井の体が震え、俺を見た。
額から冷や汗が滴り落ちていた。
9.11以降、空港の警備は狂気じみてる。
爪切り1つで怪しまれる世界だ。
そんな場所に、堂々と武器を持ち込めるのは――航空警備官だけ。
脅迫状の情報が警視庁関係者にしか流れていないなら、なおさらだ。
それでも、最初は正直、根拠も自信もない推測しかなかった。だが、例の二人組のアホのおかげで、疑いはほぼ一〇〇%の確信へ変わった。
だから俺は、待合室で「朔」に依頼した。
航空警備課の任務リストを洗わせ、動機を持ち得る人物を絞った。
それでも、ひとつだけ理解できない矛盾がある。
襲撃者まで送り込んでくるほど、俺を排除したいと思うなら、なぜP229拳銃を細工なしで俺に渡した? 俺の乱入が突然すぎて、細工する余裕もなかったのか? それとも、細工がバレたら搭乗前に告発されるから、やむを得なかったのか?
それとも、心のどこかで、誰かに阻止してほしかったのか?
推理ごっこを楽しんでる暇はない。
一秒の遅れが、命を奪う。
「……何の話だ」
白を切る荒井に、畳みかける。
「マレーシア・フェニックス航空235便」
名を出した瞬間、荒井の顔が歪んだ。胃の奥がせり上がるような表情。
「1か月前、消息を絶った便だ。お前の妻と、五歳の娘が乗ってた」
「……どこまで知っている?」
俺はスマホを見せた。
夜の街角。黒い封筒をポストに投函する男の姿。
荒井だった。
「……浅羽、さんだったか」
必死に取り繕う。
「こんなの証拠にならない。合成だろ。AIによる偽造だ」
「そうかもな」
俺は肩をすくめる。
「だが、脅迫状があり、ここに俺と松尾警部、そしてお前がいるのは事実だ。……だから、提案がある」
声を落とす。
「着陸まで、俺と一緒に行動しろ」
荒井が言葉を失う。
「もしお前が無実なら、この間に何か起きる。対処すればいい」
荒井の表情には、痛いところを突かれたように、苛立ちを示した。
「逆に、これが真実なら――」
俺は腕時計を見る。
「俺が張り付いてる限り、テロは起こせない」
実際、画像は合成だ。
だが、はったりは効く。
探偵じゃない。警察でもない。
俺は、結果を止める側だ。
荒井は驚きで目を丸くし、しばらく言葉を失った。やがって、言葉を選びながら、訪ねる。ただ、口調は打って変わって、もう丁寧語ではなくなる。
「……松尾警部には、この件を伝えたのか?」
「今のところ、まだだ。」
「……仮に、俺が犯人だったら?」
「……そして、お前の推測通りに、俺を見張りしたら、このフライトに何も起きなかった。どうする?」
「何もしねぇよ。」
「……はぁ!?」
「何も問題がないのに、わざわざ騒ぎを起こすことはないだろ。」
俺は肩をすくめる。
「……なぜだ?俺を庇う気か?」
「安心しろ。俺は警察じゃねえ」
冷たい声で言う。
「事情があって、松尾警部に雇われてる。ただの民間人だ。ボディガードみたいなもんさ」
「ボディガード!?」——荒井が驚きを抑えて呟いた。「そんなわけねえだろ!それだったら、お前に拳銃を渡すなんて、重い違法行為じゃねえか!何でそんなリスクを冒す価値が——」
「――そんなこと、今はどうでもいい。」
一歩、距離を詰める。
「言ったはずだ。今なら、静かに終わらせられる。判断するのがお前だ。さて、どうする?」
瑚依とすれ違った客室乗務員が、困った顔で俺を止めた。
「うーん……でも、俺も限界なんですよ」
ビジネスクラスのトイレを指差す。使用中ランプは、まだ赤い。
視線が、自然と一人の男に流れた。
茶色のスーツに、幾何学模様のネクタイ。
ほぼ同時に、男も顔を上げた。
目が合った。
一瞬だけだが、確かに。
男の隣には、ちょうど空席があった。
だが、顔色はさっきより悪い。冷や汗まで浮いている。
「……もし、あの席で一度待たせてもらって、トイレが空いたら自分の席に戻る。それじゃダメですか?」
俺は空席を指し、真剣な顔で聞いた。
「はあ……」
乗務員は一瞬迷った末、渋々うなずく。
「短時間でお願いしますね」
俺は頷き、素早く腰を下ろした。
俺がシートベルトを締めたのを確認すると、彼女は自分の席へ戻り、同じくベルトを締めた。
男は、俺を完全に無視している。
横目で観察する。
顔は青白い。手のひらに汗。
片手でシートベルトのバックルをいじりながら、もう片方の手を背中側に回し、何かを探る仕草。
――隠してる。
「……荒井重憲さん、だな?」
平静を装い、スマホを開く。
短く文字を打ち込み、画面を見せた。
「松尾警部からの伝言だ。調子はどう?」
男――荒井は、わずかに肩の力を抜いた。
スマホを取り出し、数秒で返してくる。
「ああ。そっちは?」
静かだ。
遠くで誰かのいびき。くぐもったエンジン音。
静寂をいっそう際立たせている。
俺は、もう一行打つ。
「仕事の話をしよう。あと20分で、このフライトに死者が出る。」
荒井の体が、びくりと跳ねた。
画面から視線を上げ、俺を見る。
「……それは、確かな情報なのか?」
「ああ。犯人候補も、ほぼ絞れてる」
短く言い切る。
「来い。手を貸してもらう」
荒井は数秒迷った末、頷いた。
俺は何の合図もせず立ち上がる。
ビジネスクラスを見渡すが、誰もこちらを見ていない。
そのままキャビン後方へ。
セルフサービスカウンターのエリア。乱気流のせいか、無人。
好都合だ。
十秒もせず、荒井が入ってきて、カーテンを閉めた。
互いの関係を悟らせるわけにはいかない。
搭乗前の化粧室で一度言葉を交わしたきり、人前では一切接触していない。
荒井が険しい目を向けてくる。
口を開く前に、俺が先に言った。
「……もう、やめにしねえか」
声を落とす。
「今なら、この件は静かに終わらせられる」
それを聞くと、荒井の体が震え、俺を見た。
額から冷や汗が滴り落ちていた。
9.11以降、空港の警備は狂気じみてる。
爪切り1つで怪しまれる世界だ。
そんな場所に、堂々と武器を持ち込めるのは――航空警備官だけ。
脅迫状の情報が警視庁関係者にしか流れていないなら、なおさらだ。
それでも、最初は正直、根拠も自信もない推測しかなかった。だが、例の二人組のアホのおかげで、疑いはほぼ一〇〇%の確信へ変わった。
だから俺は、待合室で「朔」に依頼した。
航空警備課の任務リストを洗わせ、動機を持ち得る人物を絞った。
それでも、ひとつだけ理解できない矛盾がある。
襲撃者まで送り込んでくるほど、俺を排除したいと思うなら、なぜP229拳銃を細工なしで俺に渡した? 俺の乱入が突然すぎて、細工する余裕もなかったのか? それとも、細工がバレたら搭乗前に告発されるから、やむを得なかったのか?
それとも、心のどこかで、誰かに阻止してほしかったのか?
推理ごっこを楽しんでる暇はない。
一秒の遅れが、命を奪う。
「……何の話だ」
白を切る荒井に、畳みかける。
「マレーシア・フェニックス航空235便」
名を出した瞬間、荒井の顔が歪んだ。胃の奥がせり上がるような表情。
「1か月前、消息を絶った便だ。お前の妻と、五歳の娘が乗ってた」
「……どこまで知っている?」
俺はスマホを見せた。
夜の街角。黒い封筒をポストに投函する男の姿。
荒井だった。
「……浅羽、さんだったか」
必死に取り繕う。
「こんなの証拠にならない。合成だろ。AIによる偽造だ」
「そうかもな」
俺は肩をすくめる。
「だが、脅迫状があり、ここに俺と松尾警部、そしてお前がいるのは事実だ。……だから、提案がある」
声を落とす。
「着陸まで、俺と一緒に行動しろ」
荒井が言葉を失う。
「もしお前が無実なら、この間に何か起きる。対処すればいい」
荒井の表情には、痛いところを突かれたように、苛立ちを示した。
「逆に、これが真実なら――」
俺は腕時計を見る。
「俺が張り付いてる限り、テロは起こせない」
実際、画像は合成だ。
だが、はったりは効く。
探偵じゃない。警察でもない。
俺は、結果を止める側だ。
荒井は驚きで目を丸くし、しばらく言葉を失った。やがって、言葉を選びながら、訪ねる。ただ、口調は打って変わって、もう丁寧語ではなくなる。
「……松尾警部には、この件を伝えたのか?」
「今のところ、まだだ。」
「……仮に、俺が犯人だったら?」
「……そして、お前の推測通りに、俺を見張りしたら、このフライトに何も起きなかった。どうする?」
「何もしねぇよ。」
「……はぁ!?」
「何も問題がないのに、わざわざ騒ぎを起こすことはないだろ。」
俺は肩をすくめる。
「……なぜだ?俺を庇う気か?」
「安心しろ。俺は警察じゃねえ」
冷たい声で言う。
「事情があって、松尾警部に雇われてる。ただの民間人だ。ボディガードみたいなもんさ」
「ボディガード!?」——荒井が驚きを抑えて呟いた。「そんなわけねえだろ!それだったら、お前に拳銃を渡すなんて、重い違法行為じゃねえか!何でそんなリスクを冒す価値が——」
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