「刀には竜、花は咲かず」~孤独なおっさん武術家と毒舌アイドルの異世界タッグ~

アサバハヤト

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第三章 花の卷 嵐の前の静けさ

3-01 口説き

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 賑やかなホールの喧騒が遠ざかり、背後で扉が静かに閉まる。壁に掛けられた古めかしい時計に目をやると、針はもうすぐ七時を指そうとしていた。

 「では、俺は妻と娘と一緒に家に帰るよ。」バルンはそう言って、どこか安堵したような表情を浮かべた。

 「ああ、そうか。じゃあ俺は直接『ルーナストック』という雑貨屋に行ってみるよ。」俺は頷きながら答えた。

 バルンは少し顎を上げ、「ああ、やつの店ね……ここを出て左へ進み、二つ目の角を右に曲がると、すぐに見えてくるはずだ。特徴的な、月を象った看板が出ているからな。確か、夜の八時までやっていたはずだ。よろしく頼むよ。」

 そう言うと、彼は小さな革袋を取り出し、俺に手渡してきた。「ついでに、これも渡しておく。トルヴァルドのやつは、疑り深くて、妙なところでプライドが高いからね。適当に何か買い物をしてやってくれ。そうすれば、少しは態度が柔らかくなるだろうさ。」袋の中には、鈍い光を放つ銀貨と銅貨が十数枚入っていた。「余った分は、自由に使っていい。前払いだ。」

 「……だそうだ。」俺は新久と瑚依、そして足元でちょこちょこと動く松尾に視線を移した。「これは俺個人への依頼だが、お前らはどうする? 一緒に来るか?」

 新久はにこやかに頷いた。「もちろんよ。トルヴァルドさんにも久しぶりに会いたいし、それに、盗まれた遺物のことも少し興味があるのよね。」

 瑚依は少し不安げな表情で、「う、うん……不法侵入の泥棒なんで、怖いけど、浅羽さんと一緒に行動するよ……」と小さな声で言った。

 松尾はカピバラの丸い鼻を「ふん」と鳴らし、「今更、俺をバルンの家に置き去りにするつもりじゃないよなあ。」とでも言いたげな視線を送ってきた。

 「じゃ、決定だな。」バルンは力強く俺の手を握った。「朗報を待っているよ。」

 「豚さん、バイバイ!また遊ぼうね!」リナがフレイアの手を繋ぎながら、松尾に手を振った。

 「……もうどうでもいいよ。訂正する気はしねぇ。」間違った呼び名に、松尾が観念したようにため息をついた。

 俺たちがホールの扉に手をかけ、外へ出ようとしたその時だった。「待って」と、背後からあやみちゃんの声が響いた。

 振り返ると、彼女は少し息を切らせながら、カウンターからこちらを見つめていた。「あんたたち……空人だろ? それに、さっきの話だと、『ルーナストック』の用心棒を志願するつもりなんだろう?」

 「ええ、そうだが……」

 俺が肯定の意を示すと、あやみちゃんは少し困ったような表情で話し始めた。「実は、私からもあなたたちにお願いしたいことがあるの。ちょっと、いいかしら?」

 彼女はカウンターの向こうから身を乗り出し、声を潜めた。「知ってる通り、衛兵が来ないせいで、町が物騒な状態になっていて、怪しいやつらが出入りし始めてね。最近、宿にも厄介な吟遊詩人が居座って困っているのよ。」

 吟遊詩人? どうやら、ただの用心棒の仕事だけでは終わらないらしい。

 「その吟遊詩人が、何か?」

 俺が尋ね返すと、あやみちゃんは溜息をついた。

 「その男の名前はフレデリックっていうんだけど、急にうちの宿に滞在し始めてから、毎晩毎晩、しつこく私を口説き続けるのよ。歌声はまあまあ上手いんだけど、とにかく馴れ馴れしくて……」

 口説き?それを聞くと、ホールの薄暗い照明の下、俺はふっとあやみという女を観察した。

 目はでかく、夜の裏路地を切り裂くネオンのように、鋭くて吸い込まれそうな深さがある。ハーフの血がその瞳に異国の夜空を映し込み、どこか遠い物語を匂わせる。鼻は高く、彫りの深い顔に影を刻むほどシャープで、まるで西洋の彫刻と東洋の繊細さがせめぎ合ってる。唇は薄く、軽く噛んだタバコの先のような危険な色気を漂わせ、微かに笑うだけで空気が変わるようだ。頬はすっきりとしていて、滑らかな肌にハーフならではの柔らかな陰影が浮かぶ。派手じゃないのに、あの異国のルーツが視線を絡め取る。



 なるほど、こりゃ、この街じゃ目立つ女だ。口説かずにはいられねえわけだ。俺はそう考えている最中、なぜか、瑚依から猛烈な睨みを感じた。
 
 「フレデリック?」バルンが思わず口を挟む。「気をつけろよ。あいつは気取ったミルク飲み野郎だ。」

 俺は苦笑した。どうやらバルンの中に、ミルクを飲むことは男らしくないというイメージらしい。

 「なんだ?バルン、お前もフレデリックのことが嫌いなのか?」と松尾が首を傾げて問う。

 「奴は吟遊詩人の名を汚してる。我ら山の民は、戦士であり、詩人でもある。長い歴史を持っている。俺はその伝統を誇りに思っている。だがフレデリックときたら……金と女の気を引くためだけに歌っている。あんなのは我らの伝統への冒涜だ。」

 バルンの言葉に対し、あやみちゃんは深く頷き、話を続ける。

 「そうなのよ。うちの宿には、前からオーラヴっていう、もっと素敵な歌を歌う吟遊詩人がいるんだけど、フレデリックの歌声のせいで、お客さんたちはすっかり彼の方にばかり注目するようになってしまって。オーラヴも困っているし、何より私がうんざりなの。誰もあの男を追い出すことができないのよ……」

 あやみちゃんは、まるで最後の頼みの綱にでも縋るような眼差しで、俺たちを見つめた。

 「あなたたち、用心棒を志願するほど腕が立つなら、何か良い方法があるんじゃないかしら? あのしつこい吟遊詩人を、どうにか追い払ってくれない?金は払うから!」

 用心棒の依頼とは別に、厄介な問題が持ち込まれたか。まずはトルヴァルドの店に行くのが先だが……。

 「店の件が第一だ。」俺は静かに言った。「だが、そちらの件も少しばかり話を聞かせてもらうとしよう。手が空き次第、状況を見に行くこともできるかもしれない。」
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