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07 後ろ向きな前向き
しおりを挟む帰還したアクセルは、妻の死後海軍を辞した嘗ての上官で師を、秘書寄りの執事として採用した。
そしてジャム瓶の話をした。
「同じ物を見た事はあるか」
「ないですねえ。どこから来たお嬢ちゃんなんですかねえ」
丁寧に折られた花と優しいメッセージから瓶の送り主が女子と予想していたが、確信はなかった。
それからというもの、アクセルは任務中も時間があれば海面で光る物を探し、ゴミを拾ってはがっかりする日々を繰り返した。
最初の発見から二年後、遂に二つ目のジャム瓶を発見した。
なんと辺境伯邸傍の川辺で拾った。こんな近くに出所があった。
領内の子供かもしれないと思いつつ、茎のメッセージを開き見る。折り紙の花は前回とは違う。
「人に優劣を付ける意味。犬猫に優劣を付ける意味」
アクセルは「ああ」と内心に頷いた。
「犬も猫もいい」
どちらも人間の暮らしに欠かせない、古代から付き合いのある連中だ。
折り紙も、文字も文章も洗練さが増していた。アクセルと同様に相手もまた成長している。二年でこの成長ぶりだから貴族の子供かもしれない。
その後も港や川で小瓶を拾う幸運が何度か続き、アクセルは自領よりも上流に住む子供が流している可能性に思い至った。
会ってみたい、と思うようになるまで時間は掛からなかった。
二十歳の頃。隊司令だったアクセルは隣国の寄港地に立ち寄り、記念式典に出席した。隣国側の参加者は圧倒的に多かった。盛大にしたかったと見え、軍関係者の家族まで招待されていた。
そこに少女がいた。
――彼女だ。
根拠は少女が身に着けていた白いワンピースだ。最初に拾った花と同じモチーフがプリントされている。差している日傘は二つ目に拾った花の模様で、手袋のレースは三つ目の花と同じ刺繍だ。
どれも夏の花壇の花だと老執事に教わった。一つだけならまだしも三つ揃う事など偶然では有り得ない。想像していた年齢にも彼女は合う。
アクセルは副長に言って彼女の素性を調べさせた。
リリアン・デュプティ、十二歳。
――デュプティ伯爵領か。
川の上流に住む令嬢と判明し、納得と共に確信が固まった。
正体が分かったところでアクセルはアクションを起こさなかった。
次の任務がある。大した戦功も立てておらず領主としても日が浅い。
彼女を求めるには力が足りない。あの敵将を超える戦功が欲しい。
焦る必要は無い。彼女に婚約者はいないと言うし、仮にいても関係ない。大国はこちら。悪いがどうとでもさせてもらう。
十二歳なら学校に通っている筈だ。卒業までまだ六年ある。
――迎えに行く。待っていろ。
一方的に見付けた彼女に一方的に念じ、アクセルは隣国の港を後にした。
凡そ五年後、大戦功を引っ提げて隣人宅に結婚の申し出を叩きつける。
軍港から帰宅したアクセルは、あたふたと玄関にやって来たリリアンと視線を交わした。
ささっと姿勢を正した彼女は「お帰りなさいませ、旦那様」と丁寧に一礼する。
アクセルは今日も可憐な花柄のワンピースを着ているリリアンを凝視した。
――好きだ。
強く、強く念じた。
あまり見過ぎて恐がらせてはいけないので数秒で切り上げる。少しは免疫がついてきただろうが過信はすまい。
リリアンから視線を外したアクセルは、執務室に直行した。
毎度アクセルに睨まれているリリアンだけれど、そろそろ免疫がついて――ない。
いつものように硬直して、機敏に立ち去る彼の凛々しい後ろ姿をただ見送る。
最近では何も言い渡されない事に安堵感すら覚えている。少なくともアクセルは、まだ離婚の意思を固めていない。
決めかねている、のではなく多忙だからリリアンどころではないのだろう。
ともあれ、彼の思考が積極的に離婚に向いていない状態はリリアンにとって好都合以外の何でもない。
――我ながら後ろ向きな前向き。
ダメな傾向だ。分かっていてもリリアンには現状打破の術が無い。
結婚から既に一週間。新婚夫婦は新婚夫婦を一つもやっていない。
こんなでもリリアンは、結構幸せだったりする。
毎日、数秒間もアクセルを間近で拝める。十二歳の頃、初めて彼を見た時から憧れている。言わばファンだ。
彼と同じ屋根の下にいる。とんでもない幸運に恵まれている。
――全然活かせてないないけど、その幸運。
翌朝。
アクセルの出勤を見送った後、リリアンは川辺に出掛けた。
合流したミュラーから、少年向けコミックを手渡された。
ギャグバトル漫画「復活、古代魔獣王ミュー!」だ。
主人公のミューは、掌サイズのラブリーな黒い仔猫で、地域猫に交じってシティで暮らしている。しかしミューの正体は、千年か万年か前にどっかの誰かに封印されし邪悪なる存在、古代魔獣王なのである。
ラブリーな見た目を活かして人間達にお世話をさせているミューだが、再び世界征服を目論んで――ない。
「今が快適ミュー。滅ぼす意味ないミュー」
封印の経年劣化で密かに目覚めた為、古代魔獣王の復活に誰も気付いていない。ワールドニュースにならなかった。忘れられている。他生物の諸君にはぜひ油断せず、討伐隊とか準備しておいて欲しかったのに寂しい。
忘れられているのは仕方がない。大分前に魔獣自体が絶滅した。ミューは世界に一体だけの魔獣になっていた。
気色悪い魔物なら現存している。愛玩力ゼロの、需要ないやつ。憎まれっ子世に憚るだ。
ミューはのらくらと考えた。地域の皆さんには大変ちやほやしてもらっている。
高過ぎる戦闘力も有り余っている事だし、人知れず地域に貢献するのがいい。
気色悪い魔物やら悪党やらを見かけたら、とりあえず始末する。
「一撃で塵になれる魔法の炎、ブラックファイアをお見舞いミュー」
魔物が燃え、山賊が燃え、海賊が燃えて塵になる。
小さな体に無限のパワー、古代魔獣王ミューの戦いが始まった――!
リリアンは、コミック第一巻を読み終えて頬を紅潮させた。
「感動しました」
「面白可愛いですよね、古代魔獣王ミュー」
実在して欲しい。
残念ながら魔獣は完全なるフィクション生物で、世界のどこかに封印されている可能性はない。現実世界でも魔物しか存在しない。海の魔物は特に攻略が難しく、長らく大陸同士の交流を阻んでいた。
魔物と違い、魔力も魔法も持たない人は、魔石をエネルギー変換する術と、ハイテク魔術兵器の発明で脅威に対抗してきた。世界地図が完成したのは、それほど大昔の事ではないのだ。
ふとミュラーが「世の中は難しい……」とぼやいた。
問い返そうとしてリリアンは口を噤む。
彼女は何か行き詰っている。安易に相談に乗る事は憚られた。
――少尉も研究者。
研究内容は聞いていない。
父も兄も、家では仕事の話なんて滅多にしなかった。
「今何の研究をしている」と外に明かせない。開発競争の時代だ。
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