42 / 48
42 母親として
ランチタイム過ぎ。
日曜日とあって、カフェ・スノードロップの店内は少し閑散としていた。
ティータイム前まで客足が落ち、まったりとした時間が続く。
いつものようにオーナー席でキアラが勉強する中、スノードロップは人様に構ってもらっていた。
「ほーら仔豹ちゃん、猫じゃらしですよー」
「みゃ、みゃ」
仔豹の眼前で猫じゃらしを振っているのは、義母アン=マリーだったりする。
猫好きとは知らなかったキアラは、義母の意外な一面を見て見事に惚けた。
キアラの対面に座るアベルは、隣の席で仔豹と遊ぶ母親を横目にしている。
やれやれと言う風に嘆息し、キアラの方に向き戻った。
「いきなり来て訳が分からんな」
「遊んで頂けるのは有難いです。スノードロップも大喜びしてます」
「全く。初孫に構うばあさんそのものだ」
キアラは覇気のない笑みを浮かべた。同意だけど、同意しては失礼だ。
曖昧なキアラの反応をどう受け取ったのか、アベルが何やらハッとなって口元に片手を被せる。
上目遣いにキアラを見た。
「今のは無神経だったか……」
「え? 私に対してですか?」
意味が分からないキアラはきょとんとアベルを見返した。
アベルは「いや、君が気にならんなら構わんのだ」と低く言い、視線を逸らした。
「それより、話しかけて勉強の邪魔をしてしまった。続けてくれ」
「あ、はい」
「無いとは思うが、分からないところがあれば訊いてくれ」
「有難うございます」
会釈をして、キアラは外国語のテキストに向き戻った。東西南北、西を除いて国境を接する隣近国とは言語が異なる。いずれもキアラには精々日常会話レベルの語学力しかない。
外交官を目指す訳でなし、マルチリンガルになる必要はない。けれど、父親の本職が通訳なのであまり出来ないと恥ずかしい。
来月、アベルが本格的な夏季休暇を取るのに合わせて旅行に出掛ける。世界大陸を出て海峡を渡り、巨大な島国へ行く。太陽が沈まない大帝国には、幼少期からずっと憧れていた。
大帝国の言語は世界規模の会議や競技の公用語とされている。貴婦人として、話せも読めも書けもしないのはマズい。
――旅先で恥を掻かない程度の語学力を身に着けておかないと。
ノートを取るキアラを他所に、スノードロップは「みゃ、みゃ」と猫じゃらしに夢中になっている。楽しそうで何より。
帰りの馬車を背に、アン=マリーは「また来ますね」と言い、仔豹ごとキアラを両腕で抱き締めた。
キアラは照れたような笑みで「いつでもお待ちしております」と頷き、彼女の腕の中で仔豹も「みゃ」と同意してくれた。多分。
別れの挨拶を終え、アン=マリーは馬車に乗り込む。アベルも後に続いた。駅まで送るだけで一緒に帰郷するのではない。
馬車が動き出すや、アベルは「汽車とは珍しい」とアン=マリーに切り出した。
「好きではないと言っていたでしょう」
「人の多さがね。でも偶には煩わしいのも良いのです。今の時間帯は空いてるそうですし、三時間の移動が一時間で済むなら、速いに越したことはありません」
「そうですか」と気のない返事をした横顔を、アン=マリーは一瞥した。
「で、どうなんです」
「……どうとは」
「キアラですよ。そろそろ孫は出来そうですか?」
アベルはぎょっと母親を見た。
「出来ません」
「あらそう。では暫く仔豹ちゃんが私の孫になりそうですね」
「――そんな話を、絶対にキアラの前でしないでください」
「ああ、はいはい」
アベルの顔が背けられ、反対側の車窓に向かう。
アン=マリーは嘆息した。
結婚二年目の息子夫婦に子供はいない。急かす気はなくとも、アン=マリーは少しばかりそわそわしていた。
キアラの言い分が「まだ遊びたいから」では閉口しかなかった。しかし母親として不安がてんこ盛りのキアラに懸念もあった。
――今のキアラなら問題ないわ。
努力する姿勢を子供に見せられる。特別な教育は要らない。子供というのは親を真似る。良い事も悪い事も。その癖、親の言う事は聞かない。
だから生き様――姿勢が最も大事なのだ。
「休暇は海外でしたね」
徐に口にしたアン=マリーに、アベルが低く「はい」と答える。
アン=マリーは不機嫌そうな横顔を窺った。
「じゃあ頑張って」
「……勝手な期待は困ります」
「期待してるのは貴方なのでは?」
「…………」
アベルはアン=マリーを見なかった。
アン=マリーは嘆息し「こんなポンコツで大丈夫かしら」と思った。
ティータイムが迫る中、カフェ・スノードロップに異変が起こっていた。
客層が可笑しい。やけにキラキラとした貴族達が詰めかけている。
顔を見合わせたウェイトレス達は、不在のキアラの代わりに、貴族慣れしているであろうバリスタに泣きついた。
「貴族様の対応を、作法も何も知らない私らごときがして良いんでしょうか……」
「はあ? 良いに決まってるだろ。何だと思ってるの。同じ人間だよ」
「でも階級が……」
バリスタは苦笑した。
「そんなのは承知の上で彼らはうちに来てるんだ。まあ王妃殿下と王太子妃殿下の影響なんだけどね。でも俺達の仕事は何も変わらないよ。いつも通りのサービスでいいから」
「わ、分かりました」
そそくさとウェイトレス達が担当テーブルに散っていく。
今も大聖堂前で開催中のバザーの大反響が、店舗にも及んでいる。
「流行ね。いいけど」とバリスタは肩を竦め、焙煎マシンのスイッチを入れる。
今日は店仕舞いまで大忙しになりそうだ。
あなたにおすすめの小説
「親友の兄と結婚したら、親友に夫を取られました。離婚します」
柴田はつみ
恋愛
誰も、悪くない。
だから三年間、笑っていた。
親友の兄と結婚したエルミラ。
でも夫が振り向くのは、いつも親友が夫を呼ぶときだけ
「離婚しましょう、シオン様」
「絶対に、ダメです」
逃げようとするたびに、距離が縮まる。
知るほどに、好きになってしまう。
この男を捨てるには、もう少しだけ時間が必要みたいです。
「帰ってこい」と何度言われても、もう私の帰る家はここです
なつめ
恋愛
伯爵家の次女として生まれたエルネスタ・ヴァルディーンは、実家では姉の影に隠され、嫁ぎ先では夫に顧みられず、いつも誰かの都合で居場所を奪われてきた。
感情を荒立てず、望まず、怒らず、泣かず、ただ「迷惑にならない女」として生きてきた彼女は、ある日、冷え切った婚姻を終わらせられる。
離縁後、行き場をなくしたエルネスタが辿り着いたのは、辺境にある小さな騎士家、レナック家の屋敷だった。
古びた床板。少し欠けた食器。豪華ではないけれど湯気の立つ食卓。素朴でよく笑う義母。言葉は少ないが、寒くないか、食べられるか、眠れたかと不器用に気にかけてくれる騎士団長、オズヴァルド・レナック。
そこには、エルネスタがずっと知らなかったものがあった。
帰ってきた人を責めない灯り。
役に立たなくても座っていい椅子。
泣いても追い出されない部屋。
初めて「ここにいていい」と思えたエルネスタは、少しずつ笑い方を思い出していく。
だが、彼女がようやく幸福になり始めた頃、元夫と実家は何度も彼女の前に現れる。
「帰ってこい」
「家族なんだから」
「世間体を考えなさい」
「お前の居場所はうちだ」
けれどエルネスタは、もう知っている。
血の繋がりだけでは、家にはならない。
婚姻の形だけでは、居場所にはならない。
これは、帰る場所を持てなかった女が、自分の足で扉を開け、自分の意思で**“帰る家”**を選び取る物語。
取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので
モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。
貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。
──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。
……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!?
公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。
(『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)
氷の王妃は、微笑むのをやめることにした
クラスト
恋愛
「君を愛するたび、俺は君を忘れていく」
感情を燃料に変える都市アムネシア。義肢技師のカイルは、感情の「苗床」として育てられた少女リナを盗み出した。追手を退ける唯一の武器は、リナへの恋心を力に変える黒の義肢。
愛を叫べば腕は唸るが、戦いの後、カイルの心からリナの笑顔が一つ消える。名前を忘れ、声を忘れ、最後には恋したことさえ――。
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。
私と義弟の安全は確保出来たので、ゆっくり恋人を探そうと思います
織り子
恋愛
18歳で処刑された大公家の令嬢、セレノア・グレイス。
目を覚ますと――あの日の6年前に戻っていた。
まだ無邪気な弟ルシアン、笑う両親。
再び訪れる“反逆の運命”を知るのは、彼女だけ。
――大公家に産まれた時点で、自由な恋愛は諦めていた。だが、本当は他の令嬢達の話を聞くたびにうらやましかった。人生1度きり。もう少し花のある人生を送りたかった。一度でいいから、恋愛をしてみたい。
限られた6年の中で、セレノアは動き出す。
愛する家族を守るため、未来を変えるために。
そして本当の願い(恋愛)を叶えるために。
夢を現実にしないための正しいマニュアル
しゃーりん
恋愛
娘が処刑される夢を見た。
現在、娘はまだ6歳。それは本当に9年後に起こる出来事?
処刑される未来を変えるため、過去にも起きた夢の出来事を参考にして、変えてはいけないことと変えるべきことを調べ始める。
婚約者になる王子の周囲を変え、貴族の平民に対する接し方のマニュアルを作り、娘の未来のために頑張るお話。