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43 思い出
アン=マリーの馬車を見送ったキアラは、実家に向かった。
別居以来、初めてとなる。不動産屋の件で兄と顔を合わせたのは、近所のカフェだった。
キアラの善行を新聞記事で知った兄が「戻って良し」と許可を下した。
不動産屋を営む友人から「妹さんはちゃんとしてたぞ?」と聞いていたそうだけれど、「あいつはイイ奴だから点が甘いんだ」と考え本気にしなかった。
「……まあ、大公妃殿下の記事が嘘っぱちじゃないみたいで安心したよ」
リビングルームで再会した兄は、凡そ二ヶ月ぶりとなる妹に拍子抜けして見せた。
キアラは「その節は……」と兄に一礼して、兄の一家にも挨拶をした。両親はにこにこしていて「帰って来てくれて嬉しいな」と全身で伝えてくる。有難いけど相変わらずで気が抜ける。
「皆様には長らくご迷惑をお掛けしておりました。本日は城の許可を得て、事情の説明に参りました」
「手紙にも書いていたな。それで、お前は一体何がどうなってそうなったんだ」
「全てご説明させて頂きます。ですがその前に、この素晴らしいスノードロップを皆様にご紹介させてください」
「さっきから気になっていた。ぬいぐるみかと思ったら瞬きして驚いた」
「欠伸もします。ミルクを飲んでおトイレもします」
「おいおい、ここでするなよ」
「ご心配なく。お利口なスノードロップはおトイレをおトレイでします」
「おいおい、人間の赤ん坊を超えてるのかよ」
キアラは今日に至るまでの経緯を家族に語った。
自分の話よりスノードロップの話の方が確実に長くなった。
「――帰郷はしません。また悪の組織に掴まってはいけませんから」
「みゃ」
「そうだそうだ」と兄と父が賛同した。父は中東の文明文化に感銘を受けているとはいえ、かの国に巣食う武装集団を「山賊」呼ばわりし嫌悪している。動物密売を資金源にしている事情にも憤っている。
「帰る事はない。君はもう我が家の一員だ。キアラの息子だ」
「みゃ」
「お父様、水を差してごめんなさい。スノードロップは女の子です」
「みゃ」
「キアラの娘だ。私の孫娘だ」
言い直した父に兄の息子達も続いた。
「ぼくらの従妹だ。ねこ従妹だ」
「みゃ」
「甥っ子のみんな、水を差してごめんなさい。スノードロップは雪豹の子です」
「みゃ」
久しぶりとなったキアラの帰宅は賑やかで、楽しかった。
実家を辞する前、キアラは嘗ての自分の部屋に足を運んでみた。
学生時代のまま保存されているのを見て、苦笑した。
「後で処分なりするよう言わなくちゃ」
「みゃ?」
「甥っ子達、随分大きくなってるもの。今二人でお部屋をシェアしてるんですって。ここを空にすればそれぞれのお部屋が持てるわ。服飾品の類も、お義姉様に使って頂けるものがある筈よ」
「みゃ?」
実家に残された高価なファッションアイテムは、九割が婚約者だったアベルから贈られたものだ。「古代の姫」は、クローゼットに収めたプレゼントの数々を眺めては悦に入っていた。
使わなくなったものしかない。売るなり譲るなりして活用するのがいい。
古代の姫は、きっと嫌がるだろう。
「これ全部、私がアベル様から貰ったのよ! 誰にもあげないからね!」
――でも私は、使えないコレクションの展示に興味がないの。
思い出よりも甥っ子達の方が大事だ。実を取る。アベルは絶対に許してくれる。
窓辺の椅子にかけられた白いシーツを剥いで、キアラは腰を下ろす。いつものように膝の上に仔豹がぴょいと飛び載って、丸まった。
ほわほわの被毛を撫でながら、キアラは窓の外を見る。見慣れた近所の景色が広がっていた。
家族の声が脳裏を掠める。孫娘、従妹――。
遊んでも遊び足りない古代の姫は、結婚後もアベルとの子供を望まなかった。
アベルはキアラとは逆だった。
彼の初夜の言葉を、キアラは覚えている。
「君との子が欲しい」
キアラは妖しく微笑んだ。
「私はアベル様と長ーく新婚を楽しみたいの」
「……子が欲しくないのか」
「今はまだね。だって体形変わるじゃない。子供に時間を取られるのも御免だわ」
「……いずれは産んでくれるんだな」
「いずれね。あ、この前雑誌で読んだんだけど、完璧に避妊しても出来ちゃう時は出来ちゃうんですって。だからそんなに私との子供が欲しいなら、アベル様が勝てばいいんじゃない?」
「……勝つ?」
「ピルよりアベル様の種が強かったら出来ちゃうかもよ?」
「――――」
キアラの挑発にアベルは乗り、自分は一切避妊しないまま行為に及んだ。
彼との行為をキアラはいつも楽しんでいた。楽しむ為に彼を挑発した。求められる事を喜び、それを幸せと感じていた。
――想いは全然通じ合ってなかったけどね。
二人は徐々にすれ違っていった。アベルはキアラを求めなくなり、キアラはそんなアベルに不満を募らせていた。
キアラは、古代の姫の言動や感情は概ね理解出来た。
分からない事も多かった。彼女が深い思考を働かせると、脳に霧がかかったようになって遮断された。
アベルとの夜の営みも、今現在のキアラにとっての経験でも思い出でもない。一つの肉体に脳と心が二つ同居していた状態だったのか、傍観者みたく乖離している。八年間の経験は全て他人事、「知っているだけ」で自分のものではない。
キアラの中には正体不明の意思があった。キアラはいつも不安に駆られていた。
正体が分かった今も、姫を理解出来ないでいる。
それでいて妙な感じもある。
――懐かしいような、他人とは思えないような。
つまりこれが波長が合う、という事なのだろう。
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