私の英雄

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21 もう二度と




いつだかのディナーの席で、気の利かないユーグにしては珍しく、外国の土産話をシャロンに聞かせてやった事があった。
皇城の式典に出席した後、帝都百貨店に立ち寄り最新式のエレベーターで最上階まで昇ってみた、という内容だった。
その場面を想像して、シャロンは「……ケージ(函)に乗るの?」と少し青い顔をしていた。
ユーグは「しまった」と内心思った癖に、例によって「ふん」とぶっきらぼうに鼻を鳴らした。

「別に、大したものでもなかった。……まあ、扉と逆の壁がクリアガラスだったから景色は楽しめたが」
「外が見えるの? じゃあ壁が窓になってるのね?」
「……ああ。開かない窓だ」

だからその内連れて行ってやるよ、と続けそうになった口を咄嗟に噤んだ。
黙したユーグに構わず、シャロンは安堵の笑みを浮かべた。

「開放的で楽しそうね。そんな素敵な乗り物なら私も乗ってみたいわ」
「……ふん」

「ふん」じゃねえよクソが、とユーグは思っていた。
だがクソなので思うばかりだった。「察しろ」、「自分から乞え」とシャロンに念じるだけで常に口に出す事を怠ってきた。
一体自分を何様だと思っていたのだろう。

そんなだからバチが当たったのだ。



シャロンには妙な癖があって、常にウォークインクローゼットの扉を半分以上開いていた。
彼女は閉所恐怖症だった。
暗くて狭い空間がダメで、窓の無い小部屋も苦手だ。滞在を続けるとやがてパニックを起こす。
母親を亡くした幼い彼女を、度々折檻と称してクズの父親なり義母なり義妹なり便乗の使用人なりが、地下の物置部屋に放り込んでいた事に因る。

トラウマを抱えているシャロンに、あの日ユーグはうっかりエレベーターの話なんかしてしまった。
素直に「恐がらせて悪かったな」と言えなかった。「後ろの壁はガラス張りだから安心していいぞ」とも言えなかった。

――クソが、お前が死んじまえよ!

夜の運河に飛び込んだユーグは、小舟に取り付いて外から木箱の繋ぎ目を掴んだ。
溶接された鉄製のコンテナでなし、釘打ちされただけの木箱など魔人の握力なら素手で破壊出来る。
箱の側面を剥がすというよりほぼ粉砕した。
その拍子に舟がバランスを崩して傾き、箱の中身がくらりと出てきた。
ユーグは両腕で彼女を受け止めた。

「シャロン!」

薄い寝間着姿のまま連れ出されたシャロンは、青白い顔をして呼吸困難に陥っていた。
閉所で目覚めてパニックになり、息が出来なくなった。空気があるのに酸欠になっている。
彼女の閉所恐怖症を知っている者がアンヌに情報提供をしたに違いなかった。クソの家族の誰かか。一番怪しいのは共通の敵である義妹だ。ドレスだヒールだと騒ぐ価値観が王女とまるきり同じ。類が友を呼んだ。
いや家族全員同罪だ。シャロンに恐怖を植え付けた。

――どいつもこいつもクソが!

船着き場まで急いで泳ぎ、ユーグはショック状態のシャロンを運んだ。
岸辺に彼女を横たえて「息を吸え!」と何度も言い聞かせた。

「おいシャロン、死ぬんじゃないぞ。絶対に死ぬな。お前が死んだら俺は、――俺も生きていけるかよ。俺も死ぬからな。俺を殺したくなかったら死ぬ気で生きろよシャロン。なあシャロン、頼むから――」

馬鹿みたいな男の嘆願を、背後の白猫だけが見守っていた。
幸い、無謀な魔神コネクトは行われなかった。動揺しまくりで何より。どうせエラーになっていた。

そして馬鹿みたいな男の嘆願は空のどこかに届き、シャロンが落ち着いてきた。
開いているのに焦点の合っていなかった彼女の碧い両眼が、鼻先から自分を覗き込むユーグを認めた。

「ユー、グ……?」
「ああ俺だ。もう大丈夫だからな」
「……私、なんか、凄く恐い夢視てた、ような」
「何もあるか。何も起こってねえよ。お前は大丈夫だ。この俺がついてるだろ」
「な、んだ……全部、夢か」

震えるシャロンの白い手がユーグの胸元を掴んだ。

「……私、恐かった、ユーグ」

ユーグはシャロンの手の甲を包むようにして握り締め、未だ凍えた様に震え続ける彼女の細い肩を片腕の中に抱き寄せた。

「ああ大丈夫だ。俺がずっと守ってやる」
「……ずっと? でも、無理よ」
「無理じゃない。俺がずっと傍にいてやる」

一度安堵しかけたシャロンの表情が、怯えた子供のようになった。

「無理よ……だって私達、もう他人、ですもの……」

ハッとユーグが顔を上げたのと、シャロンの顔が伏せられたのは同時だった。
シャロンの白い顔は瞑目していた。
長い睫毛が震えている。呼吸が浅い。
ユーグは脱いだ上着を彼女の肩にかけ、彼女の肩や腕を摩った。

――もう他人。

ゾッとする言葉だと思った。
嫌だと思った。
二度とシャロンと離れたくなかった。

「離れるべきじゃなかったんだよ、俺達は」

ユーグの瞳が金色の光を放つ。
魔神コネクトだ。先ほど雑魚どもをぶっ飛ばすのに微量の魔力を消耗したが、魔神は夜の船上という滾るシチュエーションを気に入ったようで没収は無かった。消耗分も既に回復している。
マックス状態で毎度お馴染みのハイグレード魔神と難なくコネクトした。

脳内に紅い光が溢れ、巨人のようなシルエットに変化する。
アレスが来た。名付け親は古代人で、好戦的なので別名を軍神とも言う。
いつものようにユーグとコネクトしたアレスは、まず戦場でない状況に「おや?」という雰囲気を漂わせる。
ユーグの脳内「プレイリスト」を一瞥し「どれだ?」と首を傾げている。ユーグは過去に使用した魔法をリスト化している。リスト選択だけで魔神が「あれな」と察せられる為、最速タイムで発動に至れる。
例えば火炎の竜巻には「ツイスター・ウィズ・ファイア」とタイトルを付けてある。
しかし今必要とされる魔法はプレイリストには無い。

「――アレス、よく聞け」

アレスとのコネクトは今日で最後になる、とユーグは覚悟した。



白猫は、一連を見届けた。




眠るシャロンを慎重に抱えてユーグは立ち上がり、無人となった船に向かって歩き出した。
梯子に片足を載せ、肩越しに猫を振り返る。
猫は「みゃー」と小さい頭を上下させた。「行きたまえ」で「さらば」だ。

ユーグは船に乗り込み、機関を始動させた。
強奪された船が黒い運河を滑り出し、港を目指す。
ぶっ飛ばした海賊連中は、と一瞬考え、ユーグは首を横に振った。

――どうでもいい。

周囲は雑木林と野原で、土の柔らかい畑は無い。堅い地面に落下するなり枝に串刺しになるなりして高確率で死んでいる。
生きているかもしれないが放置する。朝になれば重体の輩を付近の住民が見付けて通報するだろう。それで御用だ。

――見付かって御用は、俺もか。

帝国伯爵の婚約者を国外に連れ去っている。
だがもう二度とシャロンと離れないと決めた。
その為にすべき事をした。後悔はない。

ユーグは今日、ほとんどのものを失った。
あれほど何も無い自分には戻りたくないと思っていたのに、やってみればどうという事もなかった。価値の無いものが消え、大事なものだけが残った。清々した。

ユーグにはシャロンだけでいい。





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