私の英雄

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29 知らない世界




シャロンは、縁も所縁も無い土地に一人降り立つ。
島から連れ出されて既に十日が経過している。

――寒い。

三月上旬。
北の世界は長い冬を終え、雪解けの最中にあった。

帝国、南沿岸部。
ここまでシャロンを連行してきた王国海軍の三隻は、民間人という名の荷物を降ろすや行ってしまった。
道中、彼らはシャロンに対して丁重な態度を崩さなかったけれど不愛想で、会話という会話もなくただ「上陸後に説明がある」と言っていた。
だからシャロンは上陸すれば合流出来るものと思い込んでいた。
見える範囲に、夫の姿はない。

「――ユーグは?」

これに帝国の医師が即答した。

「貴女に夫はいません」

港の入国管理で、シャロンは検疫を受けさせられていた。帝国を中心とする北の西方世界にとって、狭い海の対岸にある南方大陸はまだまだ未知で危険で信用ならない土地なのだ。
バイキン扱いが済むと、医師は真実とやらの説明を始めた。
シャロンが去年までの記憶しか持たない事は、洋上の艦から連絡が行っていたらしい。シャロンの記憶喪失を知り、艦内の軍医は「それでなのか……」という納得の表情を浮かべていた。全く意味が分からなかった。
既に事情を承知している帝国の医師は、王国の軍医と違って無表情だった。
シャロンは、医師の話を何一つ信じる事が出来なかった。
なんとユーグは、シャロンが記憶喪失なのを良い事に噓八百を並べ立てて連れ回していたと言うのだ。

「それどころか貴女の健忘すらも彼の仕業かもしれません」
「う、嘘ですよ。そんなの嘘です。全部デタラメです」
「デタラメは彼の方です。彼は、貴女を婚約者がある身と知りながら連れ去った。身勝手な誘拐犯なんですよ」
「――――」

シャロンは、もう何に衝撃を受ければ良いのか分からなかった。

管理局を出ると、すぐに馬車に乗せられた。
とにかく混乱していてシャロンは抵抗も反発も何も出来なかった。
帝国の彼らが嘘を吐いているとは思えない。王国海軍に送られてこの港まで来たのだ。国王の命令で迎えに来た、と水兵は言葉少なく語っていた。

「――自分は、コルベール閣下を心より尊敬しております。あの方は王国海軍の誉れであり英雄です。どんな事があってもその事実は変わりません」

軍医同様、水兵が何を言いたいのかシャロンにはさっぱり分からなかった。
彼らの可笑しな反応の理由は、一応分かった。
だからといってユーグが誘拐犯などという話を鵜呑みにも出来ない。
だってずっと幸せだった。シャロンは島暮らしが楽しくて仕方なかった。嫌な目になんて遭っていない。ユーグの事が心から好きだった。
二人はちゃんと夫婦だった。
ユーグを頻りに庇うシャロンに、医師は顔を顰めていた。

「敢えて今申し上げておきますが、貴女こそが彼を恨んでいた筈ですよ」
「なにを、そんな筈は」
「彼は貴女を捨てて第二王女と婚約し、出世したと聞いています。けれど王女が事故死してしまい彼の出世の道は閉ざされた。それで寂しくなったから貴女への未練を思い出して暴挙に出た、という程度の真相だと思うんですがね」

やはりシャロンには信じられないし、信じたくもなかった。
何が真実で何が嘘なのか分からない。

――私、どうなっちゃうの?

どうすればいいの? ではない。なにせ現状どうしようもない。
自分の意思でなく、見知らぬ道を運ばれている。海では「ユーグに会える」と思い込んでいたから冷静でいられた。
今はただ恐ろしい。

馬車で数分走った後、駅に到着した。
何度も背後を振り返ってはシャロンはユーグの姿を捜した。
捜しに行きたい。駆け出したい。けれど帝国陸軍の軍服に壁みたく四方を囲まれていてどこにも行けない。
ホームにはブラックカラーの豪奢な汽車が停止していた。
一人が大きな掌を差し出してシャロンを促した。

「さあ、お嬢様。こちらの特別車両にご乗車ください」

穏やかに強制する声に逆らえず、シャロンは鋼鉄の函に恐る恐る踏み込んだ。

定刻。汽車は動き出した。ぐんぐん速力を上げながら広大な農園の景色の中を滑るように通過していく。
三十分ほどの快走を経て、途中の駅を全てスルーしてきた車列は減速を始めた。一際立派な白い駅舎に先頭から滑り込んでいく。
シャロンは車窓に張り付き、横に流れて行く景色に駅名標を捉えた。

ゴシック体でこうあった――「デュプレ」。
知らない。聞いた事も無い。
そして誘導されるがまま下車したシャロンを待っていた人物もまた、知らない。

「私は陸軍少将クロード・ジャン・ガロー、貴女の正式な婚約者だ」

聞いた事も無い名前の主を仰ぎ、シャロンは茫然としていた。



クロードと名乗った帝国軍人はとても大人で、大物特有のどっしりとした雰囲気を漂わせていた。
不安げなシャロンに対して煩い質問も説明もせず、真っ先に「長旅でさぞ疲れているだろう」と労ってくれた。

「ここでのんびりと過ごすといい。何も焦る事はない。記憶というのは失われても自然と思い出せるものだと医師が言っていた。たっぷりと時間を使ってゆっくりと田舎暮らしに慣れて行ってくれ」

シャロンは彼の気遣いに心から感謝した。
同じくらい不満も感じた。選択肢が無い。このデュプレなる土地から外に出られない。
優しい言動だからこそクロードは、シャロンに有無を言わせなかった。スマートなやり方でシャロンの反発を封じたのだ。
お陰でシャロンの不安は何も解消されていない。

――思い出せれば。

不安も解消されて、シャロンは元通り、クロードの正式な婚約者とやらに戻れるのかもしれない。
でも現状、シャロンはそれを望んでいない。
記憶云々よりとにかくユーグに会いたい。誘拐だか逃亡だか知らないけれど、何であれ彼の口から直接聞きたい。

二人は幸福なハネムーンの最中にあった。
今のシャロンの認識からすれば、クロードは折角のハネムーンをぶち壊した張本人でしかない。
聞けば、王国海軍を動かしたのは確かに国王だが依頼者はクロードだと言う。
しかも王太子の名前が新国王になっており、シャロンの不安は余計に増した。
自分の知る世界ではなくなっている。不安で仕方がない。

――ユーグ。

彼の顔が見たい。声が聞きたい。
知らない世界に一人でいるのは恐い。嵐の夜と同じだ。

不安と疑問でいっぱいのシャロンのもとに、若いメイドがやってきてバスルームを手で示した。
何かと思えば、

「御髪を元のお色に戻す様にと、閣下より――」

現状ブルネットのシャロンが本来は金髪だと知るクロードも、なんだか恐い。
記憶について焦らなくていいと言っていたのに早く髪色を戻せと言う。
島から身に着けてきた物も早々に取り払われた。
元に戻そうとしている。クロードの無言の圧と思えてならなかった。





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