彼女は思い出せない

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21 呪

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今のデジレは不思議な状態に陥っている、とアンは思う。
思い出がなくて知識がある。会った事のない、例えば歴史上の偉人は覚えているのに肉親や友人は覚えていない。
近い人ほど記憶になく、遠い人ほど記憶にある。皮肉だ。

新王太子アシルを、デジレは知識としてのみ知っている。
人物としては知らない。会った事のない、歴史上の偉人に等しい。

――それは私の所為でもある。

遭難時、デジレは一種の呪いにかかっていた。
呪いの正体は、前王太子アレクサンドルのミーティア、キグナスの特殊能力だ。脳にパルスを送信する事で対象者の行動を操る。
デジレにかけられていた呪いは「大惨事に見舞われたら死の行動を取る」という性質の悪いものだった。
命令コードは無駄に凝っていて分岐していた。危機に瀕した際、想起する相手次第で取る行動が変わる。アレクサンドルなら「救命艇に走る」、アシルなら「死の行動を取る」――後者を想起してしまったデジレは、自分の手で自分の首を絞めた。

彼女の首を絞めたのは彼女自身だったのだ。手近に凶器がなかったのは救いとしか言いようがない。ペンの一本でも手にしていたなら彼女に明日は無かった。
彼女を瀕死に追いやったのは無論彼女自身ではなく、確実にアレクサンドルだ。
船の衝突事故すらアレクサンドルのプロデュースである。予め、双方の当直クルーに「この船を視認したら問答無用で突っ込む」とか仕込んでおけばいい。
デジレの記憶の断片から彼女が代役だった事も分かっている。前任の令嬢にアレルギーに似た症状が出たのもキグナスの仕業だろう。脳の錯覚でも健康体は病む。
衝突事故により、二隻の船に乗っていた乗客乗員は全滅した。アレクサンドルはエゴの為だけに、平然と自国民を犠牲にした。
彼は自分に靡かない、自分を負かす存在となるデジレを抹殺したかった。

――人間のやる事とは思えない。王太子は危険人物だ。

最恐最悪の脅威、アレクサンドルが存命する限り大陸にデジレの安息はない。アンは沈黙する事にした。

――第三王子には悪いが、早々に既婚者となった彼も信用出来ない。それに王太子に対抗出来ない坊やなんて頼れない。記憶喪失のデジレを任せられない。

国に帰せば、折角救った命が無駄になる。
アンのミーティア、麒麟は「ミーティア由来に限定し、人体の悪影響を取り除く」という能力を持つ。デジレが延命と引き換えに思い出を失ったのは、強力な呪いが脳に負荷をかけていたところに、アンが「アシルの事を思い出させない」よう複雑な処置を施した影響だ。
発見時、砂浜に横たわっていたデジレは、覚醒が進むと自分の首を絞めた。彼女の奇行に仰天したアンは覚醒させてはならないと察し、呪いの可能性に思い至った。
呪いと言ってもオカルトではない。原因は病か薬か思い込みか、プラズマだ。
麒麟には呪いを解く手段がある。それは呪いをかける個体の存在を示唆していた。案の定というか、アンは砂浜でキグナスの能力と遭遇した。
キグナスは悪くない。脳科学を悪用したアレクサンドルだけが悪い。ロクでなしの天才が一番手に負えない。

麒麟の処置によってデジレは一命を取り留めた。
事故現場から諸島までは相当遠い。呪いを除けば、デジレは五体満足で長距離を移動した。奇跡的な強運もパーヴォの関係者なら納得がいくし、皮肉にも呪いが、漂流中のデジレを海の脅威から守った。
極力「他の原因では死ねない」状態になっていた。だから船の沈没に呑まれる事もなかった。
死の作業中に失神し、そのまま海を漂流出来たのはパーヴォの庇護だろう。彼女が覚醒して死ねないよう、意識と体の自由を奪った。
色々な条件が重なっていた。デジレは持っていた。
思い出は持っていない。アンでは取り戻してやれない。麒麟の処置は同一人物に二度施せない。

――彼は、持っているのかいないのか分からないお人だ。

アシルはフェニックスとキグナスを手中に収め、大国の頂点に立った。
今や彼のゴールは消えた。ゴールの位置が変わった。
デジレは生きていたが彼を忘れ、二人の関係はリセットされた。

思い出を持たないデジレと、彼はどう向き合うのだろうか。



アシルが「さっきのは本当にデジレだったのか?」と疑いを抱いたのは、艦に引き返して暫くしてからの事だった。
何故か、艦隊の近くまで父王の乗る王室所有クルーザーが接近していた。

「いや彼女の位置が移動したから余は追っただけで、――まさか今から戦場になるのかここは。もう逃げた方が良い?」

待て、逃げるな、と父王を引き止めたアシルは、先ほど対面した偽物が本物だった可能性に思い至った。父王が同じ海域にいる。近くに「いる」事は間違いない。
生存の可能性について訊いてみると、父王は頷いた。

「たとえ順位が最下であっても命拾いは有り得る。パーヴォは状況次第で庇護を調節する事があり、上位が安泰ならば余剰のパワーを緊急の下位に回すのだ。ゼロサムゲームには違いなくとも、危機的状況の者や物が優先された例は過去ある」
「……先に教えろ」
「訊かれるまで忘れておった。超レアケースゆえな」

ならばさっきの女はデジレで有り得るのだ。
思わぬところから光明、かどうか分からない光が射し込まれてきた。

アシルは大至急、大ドラゴン帝国側に連絡を入れた。
こうなると読んでいたのか、先方は「来るならどうぞ」と即答した。
再び船から船を経て船に乗り継ぐ羽目になったアシルは、平静を保とうと必死だった。ぬか喜びになったらと思うと恐ろしいが、確認せずにはいられない。

――そこにいるのか、デジレ。

期待と不安で心臓が痛かった。





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