無題のドキュメント

夏目有也

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22. 夢うつつに子宮に潜り込む

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 夢うつつに子宮に潜り込む彼を私は幻視する。匿名の女性の股ぐらに10歳のいおりがいて、指先から子宮へ帰巣するようだった。めりめりめりと音を立てて、大陰唇の端が裂ける。骨盤が門の開放のように広がる。それを繋ぐ靭帯は、限界まで張り詰めた太いゴムが切断されるようなぶちんという音とともに弾け切れる。匿名の女性の声帯を痛めつけるような動物的絶叫が響く。彼は亀頭を真似るように頭からぬるぬると身体をねじ込む。まだ幼い身体が、それでも子宮へ沈むには育ちすぎた身体が、別の身体へと侵入する。
 やがて、彼は胎内にすっぽりと収まる。毛布でも被るみたいに、子宮にくるまれて眠る。匿名の女性は、妊婦にしても巨大すぎる皮膚がはち切れそうな腹を抱えて、肺に穴が開いたような呼吸を続ける。痛みに意識がぶっ飛びかけているこの汗だくの女性が、私たちの母親なのだろうか。

 父が塾長を務める画塾に、盲目の少年が塾生として訪れるようになる。名は雨海柊あまみしゅうといった。盲目である上に、絵画の経験もない彼は、ただただ戸惑っている様子だった。
 この画塾には数人の講師がいて、塾長である父が画塾に来て塾生に直接指導することは珍しかった。塾生は塾長を、たまに山奥から降りて来る伏し目がちな野生の熊くらいにしか思っていないかもしれない。それにも関わらず、盲目の少年が画塾で受講する際には、そこには必ず父がいて、それこそ手取り足取り描き方について教えていた。

「盲目なんてかわいそうだよね」「がんばってるね」「絵は難しいだろうね」「なんでここにいるんだろう」「音楽とかのほうがよくない?ピアノとか」「そういうこと言わないであげてほしいのよ」「かわいそうだよ」「眼が見えないなら、耳がよくなりそうじゃん」「何やるかなんてその人の自由だよ」「あ、またオイルこぼしちゃった」「だれか助けてあげなよ」「また俺かよ」「色がわかんないなら、絵の具とかいらなくない?」「何描いてるんだろう」「俺がわかるわけないじゃん」「下手とかいう以前の問題」「ろくに絵筆えふでも扱えない」「なんで塾長はあの子に優しいんだろうね」「月謝を払ってないらしいよ」「まじか」「噂なんだけどさ」「なになに?」「うーん、やっぱいいや」「なんだよ」「ただの噂だから。忘れて」「気持ち悪いな。言えよ」「でもなー」「言えって」「噂だから、他の人には言わないで欲しいんだけど」「うん、絶対言わない」「塾長があの子にお金払ってるらしいよ」「はあ、なんで?」「知らない」「庵くんは月謝払ってるのかな?」「塾長が払ってるんじゃない?知らないけど」「なんか不思議だね」「そう?」「そう言えば、庵くんはまたなんかの賞とってたね」「奴は別格だろ」「次元が違いすぎる」「ガチだよね」「神童だからね」「またなんかキモい絵描いてたけど」「キモいって」「それが才能なんじゃない?」「あんまよくわかんないけど」「デッサンのときに秘訣を訊いたら、観察してれば描けるだって」「素っ気ないね」「観て描ければ、訊かないって」「変人だから」「変人だけど、天才だから」

 この画塾において、宇佐美庵うさみいおりが頂点で、雨海柊が底辺だった。

 肉塊の球体の次に、白湯とお粥と白飯の絵を庵が描く。お湯や湯気、煮崩れた米や炊き上げられた米の一粒一粒が丁寧に描写されている。そのふっくらと炊けた白飯がやけに美味しそうで、白飯と味噌汁と沢庵たくあんを夕食として用意して欲しいと全身白の使用人に頼んだのを思い出す。
「母親がオフィーリアみたいな人だったらいいのにな」と沢庵をぽりぽり食べながら、庵は呟いた。

 夢か現実か妄想か、判断ができない記憶が私にはある。それは27歳で未だに、いや27歳になったからこそ、もう判断することができない。
 記憶を保持する機能が欠落した祖父の両足首には玩具がんぐの手錠で拘束されており、枯れ枝のようなすねには麻の糸で蝶が縫いつけられていた。針で脛と蝶を縫ったのだろう。糸が貫通した皮膚から、血だまりの球体が固まりこびりついていた。蝶は弱々しくもまだ生きていて、糸の長さの半径という限られた球体の小さな世界の中でもがいていた。
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