無題のドキュメント

夏目有也

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28. 慢性痛に喰い殺される

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 慢性痛に喰い殺されそうになる。自傷癖をさらにこじらせていく。15歳のいおりは、力の限り自らを殴る。彼は自傷で加減するというような甘ったれではない。全力で自らを殴り、全力で自らに殴られた。顔面が血で真っ赤に染まり、くちょくちょになるまで殴った。痛みにより痛みを散らしていた。
 青年となり腕力が増した彼が自らを本気で殴りつけることで、左眼が失明した。自傷による白内障で、視力を失った。左眼は網膜剥離を起こし、水晶体が脱臼だっきゅうしていた。その失明により、彼の左眼は強度の外斜視がいしゃしとなった。
 失明後、病院の個室で父が庵とふたりでいるところを頻繁に見かけた。寡黙な父は、彼の身体にしては小さく頼りないパイプ椅子に腰掛け、両肘を両膝に置き、両手で口を覆うような態勢で上体を支えて庵を見つめていた。庵は右眼だけ右手で隠したり隠さなかったりして、開眼しているのに見えない失明という不思議な現象を体験し続けているように見えた。

 庵はまるでアイドルのように過剰に持てはやされ、消費されていた。そうなればなるほど、逆行するように言動や行動が非アイドル的に過激になっていった。その過激化により、メディアも庵の本性にようやく勘づいた。自傷や喧嘩によるおびただしい傷や痣は、化粧なんかのまやかしでどうにかできる次元ではなかったし、自傷による左眼の失明とその斜視にメディアはドン引きしていた。メディアは銀みたいに熱せられてから、熱源を失うとすぐに冷めた。

「芸術やってるような奴って、やっぱ変な奴が多い」「問題起こす前に、切り上げましょう」「顔がよかったから期待してたのに、残念」「こいつはメディアに出しちゃダメな奴」「その画塾に盲目の画家がいるらしいじゃん」「いいネタだよねぇ。燃えるなぁ」「顔も盲目にしては全然悪くないですよね」「悪くないけど、眼がねぇ。盲目感でちゃってる」「使われてない感じね」「色眼鏡とかサングラスみたいなのかけてもらえばいいんじゃない?」「確かにね」「はい、庵くんバイバイ」「貴重な才能なのに勿体もったいない」「そんなすごいんだ。俺さぁ、絵とか見たことないんだよね」「ひでぇ」「まあ、見たところでわかんないですしね」「何かの記事で読みましたけど、どっかの批評家が彼は最高の素描家そびょうかだって。ただそれ以上でも以下でもなく、芸術家ではないって」「それって褒めてるの?」「素描ってなんだっけ」「デッサンのことだよ」「天才か、怪物か」

 骨の髄をしゃぶりつくし、旨味をむさぼるように、斜陽のとある雑誌が祖父を芸術家ではなく「悪趣味イラストレイター」と呼び、祖父の作品群をまるで恥部であるかのように晒し、さらに庵を「悪魔の子」と呼び、彼の奇怪な言動や行動、自傷癖や暴力嗜好などを曝露し書き殴った。
 ネット上では、その記事に対して、庵や祖父の擁護派の一部がブチ切れ、その名に恥じないような徹底的な擁護をした。擁護派の意見には論理的に破綻したものもあり、そこにアンチが沸き、それを嘲笑し非難していた。関係などないのに、擁護派の頂点は庵であるともくされ、擁護派への中傷も庵へと向けられた。そんな落とし所の影すら見えない論争の結果、庵を晒したその斜陽雑誌はよく売れた。
 混沌だった。制御不能なところで、勝手に擁護され、勝手に非難されていた。

 少女Vは庵から腹パンを喰らった後、彼への復讐を誓っていた。復讐方法はすでに決めていた。彼の左手の薬指をへし折り、報復する。その発想は、ある噂から着想を得た。彼のモデルを志願したある女が、左手の薬指を折るように説得されたという噂だった。そして、彼が左利きの絵描きであることから、左手薬指の指折りこそが復讐劇に相応しいオチだと考えた。
 少女Vには恋人がいた。蛇のような目をした坊主頭の男だった。蛇坊主は高校三年生で、無類のおっぱい好きだった。少女Vは高校二年生にして発育がよく、彼は巨乳を揉みたいという純粋なのか不純なのかよくわからない理由で彼女と付き合っていた。少女Vは蛇坊主に庵への復讐を依頼した。
 蛇坊主は庵のことを小学生の頃から知っていたし、乗り気にはなれない依頼だった。ヤルことしか能のない蛇坊主が復讐を請け負うのを渋ると、発破はっぱをかけるため、「わたしを好きでもないから護ってもくれない!」「どうせ身体だけが目当てなんでしょ!」「ヤルことしか考えてないんでしょ!」「復讐してくれないなら別れる!」と少女Vはヒステリックにまくし立てた。図星を突かれたことを隠すためと、巨乳とタダマンを失うのを恐れ、蛇男は復讐を請け負うことを決めた。

 土砂降りの午後、公園で指折りによる復讐が決行されることになる。小遣いを見返りに集めた複数人の男子学生で構成された急造の集団で、眼帯をした庵をうつ伏せの状態で押さえ込み、四肢の自由を奪う。泥だらけで野生動物みたいに暴れ狂う庵の左手の薬指を、少女Vは手でぐいんと持ち上げる。左手の薬指は雨雲を指差すように天に向けられる。その指の腹に、蛇坊主の足裏で触れる。思い切り足を踏み込めば、左手の薬指は反ってへし折れる。少女Vが必死すぎる形相で「ヤれ!ヤれ!ヤれ!ヤれ!ヤれ!」と雨音にかき消されまいと叫ぶ。土砂降りの解放感からか、集団は異様なテンションで、未開の地の戦闘部族のように暴力を望む雄叫びをあげ、それはうねりとなる。暴力嗜好は少女Vを感染源として雨を媒介に集団へと感染するようだった。
 脚に徐々に力を込めていく。左手の薬指がみしみしときしむ音を、足裏から感受する。足裏にこんなにも全神経を集中させたことは今までなかった。まるで靴底のゴムに神経が根を張るように巡らされ、指紋を感じ取れるほどに研ぎ澄まされていると思えた。脚に力を込めれば、こいつの指は折れる。
 あれ、待てよ。筆持つときって、薬指って使うのか。痛いから絵が描きづらいってことか。そこまで考えた上での薬指折りなのか。いや、考えてねぇだろう。なんでこんな馬鹿の自己満足のために、指折りなんてしなきゃいけないんだろう。
 蛇坊主は庵がもう暴れ狂ってないことに気づく。ただただその灰色がかった眼で、じっと蛇坊主の顔を覗いているようだった。庵は右の顔を下に、大きな手で顔は地面に埋まるように押さえつけられていた。揉みくちゃにされたことで、左眼の眼帯は外れていた。斜視の左眼は、蛇坊主を真正面から捉えていた。自傷で左眼を失明したという噂があった。ただ、その左眼にも見られているという実感があった。それは人が人の指をへし折るとき、どんな表情をするのかを観察しているように見えた。底知れない何かに、身がすくんだ。もうすでに手遅れであることにも気付かずに、何か取り返しのつかないことをしているように思えた。
 叫ぶ少女Vを見る。濡れたシャツから派手なブラジャーが透けて見えた。雨にずぶ濡れになった彼女は、ものすごいブスだった。とんでもなくブスだった。この上なくブスだった。ただの乳がでかいだけの不細工だった。この女は、自らの手を汚さずに、何かとても汚いものを擦りつけようとしている。

「誰かいる!」と誰かが叫んだ。本当に誰かがいたのかなんて誰にもわからない。だがその声をトリガーにして、庵と少女V以外の全員が、弾丸のような全速力で逃げ出した。全身を打つ雨に溺れかけそうになりながら、蛇坊主は必死に走った。

 庵の左手の薬指は折れていなかったが、ひびが入った。そのせいで、思い描くように絵を描けない期間が続いた。小さな戦争はすでにはじまっていた。
 そして、この小さな戦争のせいで、後に庵は幽霊くんと対決することになる。
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