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204号室
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南シナから来た超大型台風が関東へ上陸した夜、木造ボロアパートでは数百人もの男から漏れる呻き声のような音が響いていた。
外廊下で頻りに、バンバンと何やら固いもの同士が激しくぶつかる衝撃音が聞こえる。慎重な齧歯類が巣穴から外を警戒するように、私は玄関の覗き穴から外の様子を伺う。誰もいないように見える。
101 号室から外廊下に出て、周りを見回してみる。するとその衝撃音が気になっていったのか、愛らしいフランス人形のような少女も玄関から顔を覗かせていた。彼女と目が合うと、彼女はわざとらしく迷惑そうに顔を顰めながら天を指差す。「あなた、この騒音をなんとかしてちょうだい」という台詞まで聞こえてきそうな名演だった。
例の衝撃音は上方から聞こえるようだ。外階段から二階へ上がると、204 号室のドアが開け放たれてた。そのドアが強風に煽られ、衝撃音を出しているらしい。雨風は部屋に吹き込み、水浸しに違いない。
きりきりと胃を痛めながら一歩一歩その部屋に近づいていくと、ポルノの音が強風に紛れて聞こえることに気づく。それは叫びに近い喘ぎであるように思えた。
開け放たれた扉からその部屋を覗くと、聖母像に囲まれた少年が座っていた。後頭部しか見えないが、ポルノの画面に顔を向けているように見える。
「こんにちはー」と少年に向かって声を掛けてみる。こんなときでも私は間の抜けた声しか出せないらしい。「大丈夫ですかー?」
少年の反応はない。彼は左に小首を傾げているような体勢で静止している。昨夜見たときと同じ体勢をしている。いや、これは昨夜からずっとこの体勢だということだろうか。
「お邪魔します」と言いながら私は恐る恐る部屋に入る。汗と尿が乾き切ったような臭いが鼻をついた。少年に近づくために部屋の奥に進む毎に、その臭いはきつくなっていく。部屋に侵入者が来ても、少年は全く何も反応しない。
私は後ろから少年の顔を覗き込む。彼はどうやら生きてはいるようだった。弱々しくも呼吸は確かにある。最悪の想定は免れたようだった。
ただ、生きてはいたものの、その少年は普通ではなかった。斜視の目はどこをも見てはおらず、目が合うこともなく、朦朧とした意識を音もなく物語るようだった。
それに股間には貞操帯が装着されている。
窓の外の黒い何かがふと目に入る。黒いビニール袋に見えたが、目を凝らすと動かないその何かは、横たわってる烏だった。死骸のようだ。烏の死骸を見るのは珍しい。というより、今まで見たことがなかった。
嘴に白い何かがついている。それは米粒みたいに見える。
とても重いものが倒れるような鈍い物音が押入れからした。私の心臓は跳ね上がり、その後も存在感のある力強い鼓動を続ける。耳を澄ますと、壊れかけの笛みたいな空気が抜ける音もする。超大型台風による隙間風が押し入れから漏れているのだろうか。私は足音がしないように押入れに近づいていく。
押入れに手をかけ、ゆっくりと開けると、汗と尿が乾き切ったような強烈な臭いに咽せかえった。臭いの元はどうやらここらしい。
雑に散らかった押入れ内に、染みが目立つズタ袋がある。なんの染みだろうか。そして、その袋は生き物が呼吸するかのようにグロテスクに動いている。壊れかけの笛みたいな音もこの袋から聞こえる。
生きている。そう思った。紐で固く閉ざされた袋を開け、中を覗き見る。
さらに強まる臭いに涙目になりながら、初めに目に入ったのは毛だった。ぬらぬらと脂ぎっていて不潔にほつれ合う髪の毛。そして、その毛の間から垢まみれの男の横顔が見え、目が合った。
私は小さく短い悲鳴を上げ、ゆっくりと後退りする。すると、そのズタ袋は私のほうへ倒れた。その男は生きている。子宮から生まれるように袋から這い出ようとするが、手足を拘束されていてうまくいかない。男は私を見つめ、口を開く。その口からは壊れかけの笛のような音しか出ない。声帯が抜かれているのかもしれない。
私にはその男が「殺してくれ」と言っているように見えた。
トチ狂ってる。これは完全に狂ってる。警察を呼ばなければならない。自室の固定電話に急ごうとしたときだった。
骨のない脇腹に、すっと冷たい何かが入ったような気がした。その何かは、私の体の内奥にめり込んでいる。届いてはいけないところまで、抉れている。コンマ数秒遅れて、鋭い痛みが身体を貫く。
振り向くと、あのキチガイ女がいた。
外廊下で頻りに、バンバンと何やら固いもの同士が激しくぶつかる衝撃音が聞こえる。慎重な齧歯類が巣穴から外を警戒するように、私は玄関の覗き穴から外の様子を伺う。誰もいないように見える。
101 号室から外廊下に出て、周りを見回してみる。するとその衝撃音が気になっていったのか、愛らしいフランス人形のような少女も玄関から顔を覗かせていた。彼女と目が合うと、彼女はわざとらしく迷惑そうに顔を顰めながら天を指差す。「あなた、この騒音をなんとかしてちょうだい」という台詞まで聞こえてきそうな名演だった。
例の衝撃音は上方から聞こえるようだ。外階段から二階へ上がると、204 号室のドアが開け放たれてた。そのドアが強風に煽られ、衝撃音を出しているらしい。雨風は部屋に吹き込み、水浸しに違いない。
きりきりと胃を痛めながら一歩一歩その部屋に近づいていくと、ポルノの音が強風に紛れて聞こえることに気づく。それは叫びに近い喘ぎであるように思えた。
開け放たれた扉からその部屋を覗くと、聖母像に囲まれた少年が座っていた。後頭部しか見えないが、ポルノの画面に顔を向けているように見える。
「こんにちはー」と少年に向かって声を掛けてみる。こんなときでも私は間の抜けた声しか出せないらしい。「大丈夫ですかー?」
少年の反応はない。彼は左に小首を傾げているような体勢で静止している。昨夜見たときと同じ体勢をしている。いや、これは昨夜からずっとこの体勢だということだろうか。
「お邪魔します」と言いながら私は恐る恐る部屋に入る。汗と尿が乾き切ったような臭いが鼻をついた。少年に近づくために部屋の奥に進む毎に、その臭いはきつくなっていく。部屋に侵入者が来ても、少年は全く何も反応しない。
私は後ろから少年の顔を覗き込む。彼はどうやら生きてはいるようだった。弱々しくも呼吸は確かにある。最悪の想定は免れたようだった。
ただ、生きてはいたものの、その少年は普通ではなかった。斜視の目はどこをも見てはおらず、目が合うこともなく、朦朧とした意識を音もなく物語るようだった。
それに股間には貞操帯が装着されている。
窓の外の黒い何かがふと目に入る。黒いビニール袋に見えたが、目を凝らすと動かないその何かは、横たわってる烏だった。死骸のようだ。烏の死骸を見るのは珍しい。というより、今まで見たことがなかった。
嘴に白い何かがついている。それは米粒みたいに見える。
とても重いものが倒れるような鈍い物音が押入れからした。私の心臓は跳ね上がり、その後も存在感のある力強い鼓動を続ける。耳を澄ますと、壊れかけの笛みたいな空気が抜ける音もする。超大型台風による隙間風が押し入れから漏れているのだろうか。私は足音がしないように押入れに近づいていく。
押入れに手をかけ、ゆっくりと開けると、汗と尿が乾き切ったような強烈な臭いに咽せかえった。臭いの元はどうやらここらしい。
雑に散らかった押入れ内に、染みが目立つズタ袋がある。なんの染みだろうか。そして、その袋は生き物が呼吸するかのようにグロテスクに動いている。壊れかけの笛みたいな音もこの袋から聞こえる。
生きている。そう思った。紐で固く閉ざされた袋を開け、中を覗き見る。
さらに強まる臭いに涙目になりながら、初めに目に入ったのは毛だった。ぬらぬらと脂ぎっていて不潔にほつれ合う髪の毛。そして、その毛の間から垢まみれの男の横顔が見え、目が合った。
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