うどん

春花とおく

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うどん

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寒い冬のお昼に君はよくうどんを作った。

それが僕は好きで、好きで。それはもう、君と同じくらいに。いつでも食べられるくらいに。

寒風が窓をカタカタ言わせて、鈍色の雲が空を覆うような日には、君はよく言った。

「今日のお昼はおうどんにしよう」

取り立てて宣言する程のうどんでは無い。冷凍のうどんを温めて、だししょうゆを薄めて出汁を作る。そこに温まったうどん投入して、鍋で出汁と一緒に煮込んだ、簡単なうどん。君は「硬いのが嫌だから」と、ふにゃふにゃになるまでうどんを茹でていた。それでも凍った、硬いうどんはよく残っていて、それで君は苦虫を噛み潰すように、うどんを噛み締めていた。その表情は素晴らしく可愛らしく、そして愛おしかった。

君はよく、とろろ昆布をうどんに加えていた。「これだけで美味しさ3倍増しだよ」って。トロトロになった昆布を箸で絡めとって、加える君はどこか官能的で、旨味に頬を綻ばせる君は幸福だ。確かに、ただのうどんにとろろ昆布を入れただけで、店のうどんに負けず劣らず美味しくなった。実家ではそんな習慣のなかった僕に取っては、かなり大きな発見だ。君との結婚生活──二年に満たぬ至福の時の中でも。例えば、君といると日常が五割増で幸せになるとか、そんなものの中で。

少し気分のいい日は卵をつけてくれた。マグカップに卵と、少しの水を入れて、レンジで温める。即席温泉卵の完成だ。出汁が卵白とまろやかに混ざりあって、卵黄はそれにコクを加えて、一層うどんは美味しくなる。

椀を掬うように持つと、かじかんだ手に血が巡るようだった。その手を君の頬にあて、戯れた。君の頬はいつも暖かだ。そして柔らかい。ホッとさせられて、ペタりと僕の手に吸い付く。やっぱり、ほっぺたと呼ぶ方がいい。

「まだ、冷たいって」

代わりに僕の手は、君の温度を吸い取る。

「ほら、もう暖かい」

熱いうどんは、どれだけ早く食べようとしても、その熱でどうしてもゆっくりになってしまう。はふはふと、口をパクパクさせながら、幸せに喘ぐように、少しずつすすった。幸福はゆっくり味わうのがいい。それは、限りあるものだから。うどんが伸びてしまい出汁が冷めてしまっても、それにはそれの味わいがあるのだから。

うどんを食べ後にはいつもセックスをした。

ワンルームにギリギリの小さなベッドで、温もりを育むように、僕たちは体を重ねた。僕たちは茹でられて煮込まれて、ふにゃふにゃと、互いの境界を感じられなくなるまで感じた。

君の身体は白かった。君の手足は細かった。よじった身体は捻れたうどんを思わせた。だからすすった。出汁が跳ねるように君は喘いだ。

古墳のように盛り上がった君の乳房に鎮座する乳首は豆のようだった。豆みたいに可愛らしく、豆みたいに生命の萌芽を感じた。赤ちゃんはここから生命を吸うのだ。僕たちに子どもは出来なかったけれど、もしいたとしたら、きっと元気な子だっただろう。君の分まで長生きして、僕に君を、ずっと、感じさせてくれたに違いない。それを思うと一層悲しい。だから、代わりに、君の生命を吸った僕が君の分を生きようと思う。

君の中は暖かだった。すっかり裸になった僕たちは、原始人の頃に戻って寒さを忘れ、体を重ねては離し、また重ねてを繰り返した。まるでそうすることが僕たちの使命であり、そうすることで救われるかのように。僕は祈っていたのだと思う。へこへこと、情けない僕は、神頼みをするように、体を動かした。この幸福が、ずっと続くようにと。

でもやっぱり、幸福な時はすぐに去ってゆくものだ。あまりに焦れったく、恒久に思える時も、実際に流れるのは一瞬だ。絶頂に達して、失われる。それは人間に宿命づけられたものなのかも知れない。

一緒にイこうと決めてはいても、いつも先に果てるのは僕だ。うっかりミルクを零してしまった子どものように、寂しく情けない気持ちになる僕を君は優しく抱擁してくれた。性器の繋がりごときが心の繋がりに等しいとは思わない。それでも、この時ばかりは少しだけ──白濁と粘る精液くらいの強さで、繋がってられるんじゃないかと思ってしまう。それは生臭く、野性的で、儚いものだけれど、だからこそ僕らは無邪気に繋がっていられた。ただ己を満たすために、相手を想い、互いに快楽を貪り食らう。彼我の境界を見失うまでに。

僕たちが体を離す時、それは世界の寒さを再確認する時だ。世界──とは言っても、狭いアパートの一室に過ぎないのだけれど。さっきまで君の肌があったところが、ぽっかりと穴が空いたように冷える。さっきまでこの世界を変えんと屹立していた僕のペニスは、その役目を果たしたと満足気に、実際には自己満足に過ぎないのだけれど、一息つくかのように項垂れた。

ふにゃふにゃとなったペニスを見て君は笑った。

「うどんみたい」

そうして、すすった。

「ねえ」

君はかつて言った。裸で隣合って寝ている時だ。君の掴んだ手の柔らかさ、君の乳房の冷えまでよく覚えている。何故だろう。

「男の人はセックスとか、オナニーの後にはテンション下がるって本当?」

「射精に伴う倦怠感と憂鬱感。いわゆる…」

君がどういった意図でそれを尋ねたのか、いつか聞こうと思っていたら聞けずじまいになってしまった。きっと、事後の戯れに過ぎなかったのだろうけど。

確かに、射精したらペニスはふにゃふにゃのうどんになってはしまうけれど、テンションが下がるということは無いな。ネットの男達が言うように、色んなことが面倒くさくなったり、性行為を後悔したり、そんなことも、少なくとも僕はなったことがない。ほら、現に今、僕は君のつまらない戯れに付き合っているし、もう一度くらい突き合ってもいいと思っている。

そんなことを答えた。すると君は、「バカみたい」と囁いた。それが、抜けば無力になるばかりか装備者すら呪う伝説の剣こと男根についてのコメントなのか、それとも僕のつまらぬ冗談に対する嘲笑であるのか、これもまた聞きそびれた。こんなしょうもないことでもこれだけあるのだから、きっと今まで君に聞きそびれたことはもっと沢山あることだろう。今となっては仕方ないから、君の遺影に問うて、返事はきっとないだろうから、勝手に自分で想像することにする。妄想するように。そして自慰行為にふける。

でも、これは確かなのだけれど、僕は今、間違いなく生きる気力を無くしている。うどんとは違ってペニスは暫くすればまた固くなるけれど、この場合はどうも違うようだ。二年経っても僕はふにゃふにゃのままだ。映画を観れば隣に君が居ないことに気が付いてしまうし、うどんを食べたら最後のセックスを思い出してしまう。かと言って一人慰めても、かえって君の暖かみに寂しくなってしまう。実験台された犬のようだ。僕のあらゆる行動は、君と結び付けられてしまった。涎を垂らす代わりに僕は、少しばかりの涙を流す。

君と過ごした時間は幸せの連続で、何度も絶頂に達するということはなかったけれど、カップにココアを注ぎ込むような、穏やかな幸福に満ちていた。君が先に逝ってしまって、僕は一人。一人にも飽きてしまった。なのに、もう誰とも会いたいと思えない。君といた時に感じたような、心臓の奥から漲る活力はとうに出し尽くしてしまった。

ああ、君に会いたい。君のうどんが食べたい。そして、君とセックスをしたい。

寒くなると思い出す。そして一層寒くなる。温まろうとうどんを作る。いつからか昆布を切らしていることに気が付いて、また悲しくなる。射精に伴う倦怠感と憂鬱感を味わう。







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