お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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四十三話

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才蔵はくだんの屋敷の前に来た。

表札がある訳ではないので、誰の屋敷かは分からない。

通用口からでなく、わざわざ正門を開けて入るのは、かなり身分が高い証拠だろう。

門番の態度からしてもそうである。


その時、又通用口が勢い良く開いたと見るや、一人の侍が屋敷から飛び出して来て、才蔵と危うくぶつかりそうになる。


血相を変えた男は「邪魔だ!馬鹿者!」と彼を怒鳴りつけ、鉄砲玉もかくやと言う勢いで走って行った。


あっけに取られていると、どこからか風のようにその侍に襲いかかった影があった。


あっという間の早業。


「!」


「ぐっ!」くぐもった悲鳴が上がり、飛び出して行った侍が地面にドゥッと音を立てて倒れた。



才蔵は懐から十手をかざし「お、お前さん!そのお人に何しやがった!?」声を張り上げる。


十手が満月の月明かりにキラッと光った。


倒れた男をそのままに、抜き身の刀を持つ、その影が近づいて来たので才蔵は身構える。


「……岡っ引きか?……おや?もしや“いわきや”の才蔵親分?」


そう言って近づいた顔をよくよく見れば……


「た、田代の旦那?いってぇ何をしなすってるんで?」


田代平助は、才蔵の女房、お艶がやっている一膳飯屋“いわきや”の常連で、当然、彼とも顔見知りである。


平介はニヤリとし、刀を納めた。「峰打ちだ、案ずるな。俺は頭の黒いネズミ退治の手伝いよ」







戻った上屋敷で堂々と名乗りをあげた右京。


藩主の双子の弟であり、身代わりをしていた右京の事は、屋敷の上から下まで知っている。


何せ藩主と同じ顔なのだから、これ以上の保証はない。


出奔して以来、梨のつぶてだった彼が突然舞い戻り、門番は肝をつぶした。


慌てて正門を開け、平伏しそうになるのを笑って留め、中に入って行く。


右京様ご帰還!の知らせを受けて、屋敷はいっぺんに騒がしくなった。


「……堂々と戻られるとは、貴方様らしいですな。」騒ぎに伊織が出て来て半ば感心、半ば呆れたように言った。


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