「ともだち」の定義。

ユンボイナ

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「ともだち」の定義。

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 「よし、今日のホームルームは『友達』ということについて議論するぞ。今から紙を配る。」
 梅雨入り前のある日、N中学三年二組の担任、前川哲夫がA4サイズのものを四分の一程度に切った紙片をクラス中に配布した。そして、こう言った。
「その紙には各自の思う、『友達』の定義を書け。名前は書かなくていい。書けたら前に持って来い。」
クラス中がどよめいた。それもそのはずである。中学三年生、友達が誰かということに関心はあっても、友達とは何かについて深く考えたことなどある者はほとんどいない。
「急にそんな難しいこと言われても困るよ、なあ、みんな。」
お調子者の末広一弥が軽く抗議しつつ、他のクラスメイトに同意を求めた。が、前川は「いいから黙って書け。時間はたっぷり二十分やる。」と言って無視をした。末広は、「なんだよ、仲のいいやつらの名前でも書いときゃいいのか?」などとブツブツ言いながら首をひねっていた。
  その一方で、蔵本夏海はある考えを展開していた。自分にとって、一人の時間は非常に大切なものである。なるべくなら時間は最大限自分のために使われるべきであって、他の人のために使うのは原則として苦痛だ。しかし、その大切な時間を一緒に過ごすことが苦にならない例外的な人物こそが「友達」である、と。 
 しかし、蔵本にはこれらのことを長々と文章に、それもこの小さな紙片に書くのはおかしいように思われた。
  ではまとめて、「長い時間一緒にいて苦痛ではない人」と書けばいいのだろうか。でも、それだとどうも格好がつかない。しかもその書き方だと、家族など友達以外も含まれてしまう。さて、どうしよう。クラスの半分以上は既に紙片を前川に提出済みである。
 「十五分経過。後五分で書いてない奴も回収するぞ。」
前川が宣言したとき、蔵本は突如閃いた。自分の大事な時間とは勉強以外の「暇」な時間に他ならないのだから、友達の定義とは暇つぶしである、と。蔵本は紙片いっぱいに大きく、「ひまつぶし」と書いて提出した。蔵本は、「いいことを書いた」という満足感でいっぱいだった。
  さて、二十分経過したので、前川は宣言通り未提出の者の紙片も回収した。そして、集めた紙片をシャッフルして読み上げ始めた。
「えー、友達とは……恋人ではなくて好きな人。女子の字だな。」
一番前の席にいる金沢が、「誰だろ?」と言って振り返る。
「次。友達とは……一緒に遊ぶ人。これは男子の字だ。」
末広が「これ、俺だ!」と叫んだ。仕方なく前川は尋ねた。
「何で友達とは『一緒に遊ぶ人』なんだ?」
「友達の名前を全員書こうとしたら長くなるから、とりあえずみんな『一緒に遊ぶ人』ってことで。」
クラス中がゲラゲラ笑った。
「なんだよ、そのままじゃん。」
末広と仲のいい福島が言った。これに末広は口を尖らせて反論した。
「こういうの、かっこつけてひねって書かなきゃいけないのかよ。もうかっこつけの福島とは遊んでやらない!」
前川は「静かにしろ!」と注意して続けた。
「友達とは……秘密を話せる人。なるほどなあ。友達とは……対等な関係で話せる人。ふむふむ。友達とは……勉強でもスポーツでも競い合ったり教え合ったりして、お互いに頑張れる人。いい答えだなあ。」
 この調子で数人分が読み上げられたところで、前川の様子が少々変わった。
「友達とは……暇つぶし。ひまつぶし?」
教室がざわついた。一人の女子生徒が、「これを書いた子の友達、かわいそう!」と叫んだ。蔵本としては、正直なところ友達が『ひまつぶし』で何が悪いのかよく分からない。しかし、周りの空気から、書いてはいけないことを書いてしまったらしいことだけは分かった。まずい、私が書いたのがばれたら他の子たちに何を言われるか分からない、と蔵本が焦り始めたそのとき、一番後ろの席の変わり者で有名な住吉が言った。
「あれ、俺だ。本当のことを言って何が悪い?」
また末広が振り向いて言った。
「おい、住吉! ひまつぶしじゃなくてひつまぶしの間違いじゃねぇのかよ。」
今度の末広の発言には誰も笑わなかった。前川が住吉の代わりに答えた。
「ひつまぶしじゃない。『ひまつぶし』って書いてあるぞ。友達とは暇つぶし……うーん。」
微妙な空気が漂う中、前川は読み上げを再開した。
「友達とは……ラブではなくてライクの人。これは最初の定義に似てるな。友達とは……趣味などが合って話をしていて楽しい人。うんうん。」
蔵本は不安だった。本当に住吉が自分と同じことを書いたのなら、もう一度前川が「ひまつぶし」と読み上げるからだ。
 そして、そのときはきた。
「友達とは……ひまつぶし。何だ、もう一人いるぞ。」
クラスの女子たちは、「誰よ、ひどーい!」「さいてーい!」などと口々に言う。住吉は、「俺と同じことを書いた奴がいるとはなあ。」と言っている。
「もう、この『ひまつぶし』同士は友達になれ。」
前川は冗談のつもりで言ったのだが、やっぱり誰も笑わなかった。その後、クラス全員分を読み終わって前川が簡単に講評をするとチャイムが鳴った。
「よし、今日のホームルームはここまで。」

 放課後、いつものように蔵本は、同じクラスの春日と島田と一緒に帰ることにした。春日は得意げに言う。
「ホームルームの時間の、『勉強でもスポーツでも競い合ったり教え合ったりして、お互いに頑張れる人』って書いたのは私なんだ。」
「へぇ、すごいね。私はよく分からなかったからラブじゃなくてライクの人って書いたよ。蔵本さんは?」
蔵本は口ごもった。
「まあ、その、適当に。」
春日はそんな蔵本を咎めるように言った。
「ずるいよ、蔵本さんだけ教えてくれないなんて。まさか、『ひまつぶし』なんて書いたんじゃないよね?」
蔵本は即座に否定した。
「まさか、島田さんと似たようなことしか書いてないよ。」
「良かった。暇つぶし、本当に酷いよね。そんなんだから、住吉くんはいつもひとりぼっちなんだよ。」
島田がそう言ったところで、後方から三人を自転車で追い抜いて行った男子生徒がいた。くだんの住吉である。
「やばい、聞こえたかな?」
島田は慌てたが、春日は落ち着いて言った。
「住吉くんだもの、もし聞こえてても別に怒られないよ。」
蔵本は小さくなっていく住吉の背中をしばらく見ていた。

  春日や島田と別れてから、蔵本はもう一度「友達」の定義について考えてみた。春日や島田とクラスでいつも一緒にいるのは、クラスでひとりぼっちになるのを避けるためで、学校が終わってから遊ぶことはほとんどない。もちろん、彼女たちが遊びに誘ってきたら、特に用がない限り一緒に遊ぶだろう。しかし、積極的に遊びたいかと言われるとそうでもない。春日は正論ばかり言うので一緒にいても面白くはない。島田は春日の機嫌ばかり伺って自分の意見は言わないので、これもつまらない。つまり、二人とも一緒に暇つぶしをするには、蔵本としては楽しくない相手なのだ。
  そうすると、蔵本の定義ではあの二人は「友達」ではないことになってしまう。もっとも、春日と島田に対して正面切って、「あなたたちは友達ではない。」などと言うと激怒するだろう。そもそもそんなことは恐ろしくてできない。
  では、蔵本にとって友達とは誰なのか。小学生の頃に一緒に習字教室に通っていた「さとちゃん」は友達だったといえる。彼女とは、どんなたわいない話もして、気がついたら夕方になっていたということが度々あった。また、小三と小四のときに同じクラスだった「えっちゃん」も友達だった。彼女とは家でポテトチップスをつまみながら、クラスの担任やクラスメイトの話をだらだらして、たまに自転車で近くの公園に行くだけだったが、時間が経つのが非常に早かった。
  しかし、蔵本が中学受験をしてN中学に行ったおかげで、二人とも離れてしまって今は全く接点がない。そうか、私には「友達」がいないのか。そういう結論に達したとき、蔵本は暗い気分になった。とはいえ、みんなが友達と遊んだり部活で汗を流したりしている時間に、一人でこうやって様々なことを考えるのは非常に意味のあることに思えた。名ばかりの友達や後輩などにその時間を取られてしまうのはもったいない。蔵本は家に着くと普段着に着替え、机の上に置いてある読みかけの小説を開けた。

 翌日の放課後、蔵本は夕方から塾があったが二時間くらい間があったので、一人教室で塾のテキストを復習していた。英語は好きだが、一時間も読み込んだり、意味が曖昧な単語を調べたりしていると頭が疲れてきた。それで気分転換に席を立って廊下を歩いていると、美術室の扉が少し開いているのに気がついた。
  開いた扉の隙間から中を覗いてみると、カモメが堤防にとまっている絵が完成しようというところだった。空の色と海の色の違い、そして白いカモメ。蔵本はこの絵の配色が気に入った。しかし、絵を描いている人物は、まさかの住吉だった。住吉が美術部に所属しているのは周知の事実だったが、彼がどのような作品を制作しているかは誰も気にとめなかったから、蔵本も初めて住吉の絵を見て驚いた。
  蔵本は住吉とは挨拶程度で話をしたことがなかったので、少しためらった。ただ、昨日のホームルームの一件で、住吉も共犯者だという感情を持っていたので、今日は話しかけてみることにした。半開きの扉を開けて美術室の中に入ると、蔵本はこう声をかけた。
「住吉くん、その絵、綺麗だね。」
住吉は振り向くと、細い目をやや目を見開いた。
「何だ、蔵本さんか。」
「その海の色が好き。青一色じゃないんだね。」
「当たり前だよ、海の中には岩もあるし海藻も生えてるからね。単純な青になるはずがない。」
住吉はちょっと鼻で笑ったような言い方をしたが、特に嫌がっているようではなかったので、蔵本は話を続けた。
「その絵、どうするの。」
「もうすぐ締切の大会があるから、それに出すんだ。いつも見ているようなものをそのまま描いただけだけど、僕もこの絵は結構気に入っている。」
 蔵本はここで例の話を持ち出した。
「あのね、昨日のホームルームなんだけど、『ひまつぶし』って……」
ああ、と答えて住吉は笑った。
「僕はね、いつも頭の中が絵のことでいっぱいて、次から次に描きたいものが浮かんでくるんだ。授業中でも何かいいアイディアが思いついたら、教科書やノートにさっと描いちゃうし。」
蔵本はその教科書やノートを見てみたいと思った。住吉は続ける。
「そんなんだから、まとまった時間が取れる休み時間や放課後なんて遊んでる暇はないの。それなのにみんな適当に集まってぐちゃぐちゃ話をしてるだろ? みんな暇だな、友達って空いた時間の暇つぶしなのかなーって。」
どうやら、「ひまつぶし」という回答に至った経緯が蔵本とは違ったらしい。彼女は、少し寂しい思いで住吉の話を聞いていた。
「でも、女子は大変だよね。誰と誰が仲が良くて、誰と誰がケンカしてるとか、そんなのばっかりじゃん。」
そんなのばっかりでもない、と蔵本は言いかけたがやめた。
「まあね。」
「あと、みんなひとりぼっちにならないように頑張ってる。」
蔵本は自分のことを言われているような気がしてドキッとした。
「ぼっちを防ぐために無理やり作る友達なんて、友達じゃないよな。一人で絵を描いてるのが好きな俺からしたら全く分からない。」
ますます蔵本の心が落ち着かなくなった。
「ごめんね、住吉くん、絵の邪魔をして。」
蔵本が立ち去りかけたとき、住吉は言った。
「もう一人、友達の定義で『ひまつぶし』って書いたの、蔵本さんでしょ?」
「何でそう思うの?」
驚いた蔵本は尋ねた。
「何でって、ひまつぶしって紙が読まれたとき、女子はみんな前や横を向いて怒ってたけど、蔵本さんだけ下向いてたからね。後ろの席だからよく見えるんだわ。」
確かに私は早く時間が過ぎればいい、と俯いていた。もう少しポーカーフェイスを身につけなくては、と蔵本は反省した。
「それと後、蔵本さんは春日や島田といるとき、時々目が死んでる……」
「そっか、さすが画家は観察力あるね。じゃあね!」
蔵本は住吉の話を遮り、慌てて美術室を後にした。

  それ以降、蔵本が住吉に話しかけることはなかった。彼に全てを見透かされているような気がして恐ろしかったからだ。その一方で、彼の「目が死んでる」という指摘を気にした蔵本は、春日や島田といるとき努めて明るく振る舞うようにした。春日の正論に対して何かいい切り返しができるわけではないが、とりあえず口角を上げてニコニコするようにした。一週間くらい経つとその変化に島田が気づいたらしく、「蔵本さん、最近どうしたの。いいことでもあった?」と尋ねられた。
「何にもないよ。そのうち梅雨入りして、七月が来たら期末試験だし。塾の宿題もてんこ盛りだし、いいこと無し!」
春日は言った。
「蔵本さんは高校受験を控えてても余裕綽々なんだね。羨ましいわ。」
このN中学は国立大学の付属だが、付属高校がないために全員高校受験をしなくてはならなかった。
「余裕綽々なんてとんでもない、受験勉強は大変だから顔だけでも笑ってないと!」
蔵本としては半分ウソ、半分本当だった。受験も人間関係も、笑っていなければやってられない。
「そういや、秋の文化祭の準備もそろそろあるね。」
島田が思い出したように言った。

 ある日、放課後にクラス会が開かれ、我が三年二組は文化祭に何をするかについて話し合いがなされた。みんな受験間近ということもあり、劇や演奏などの練習を要する出し物はやめよう、何か展示物を作ろうということだけは早くに決まった。しかし、何を作るかについては、誰も良い案を持ち合わせていなかった。ただただ、何か作ろうと言うだけだった。
「ねえみんな、真面目に考えようよ!」
開会から三十分程度経って司会を務める春日が叫んだとき、一番後ろにいた男子が手を上げた。住吉だ。
「住吉くん、何?」
「ドット絵の、ドット一つひとつを大きくして、壁画を作るの。図案は俺が考えるからさ、みんな色を塗ったり貼り合わせたり、校舎に吊るしたりしたらいいよ。」
末広が後ろを向いて怒鳴った。
「おい、それじゃあお前の作品をみんなが作るみたいなもんじゃないか!」
住吉は静かに言った。
「大丈夫、そんな込み入った絵柄にする気はないから。」
春日は言った。
「末広くん、住吉くんの案は合理的だと思うよ。住吉くんが絵を考えてくれたら、後はみんなが紙に住吉くんの指示した色を塗って繋ぎ合わせるだけなんだもん。」
「それもそうか。」
末広は納得したようだった。
「じゃあ、他に意見がなければ壁画になりますが、いいですか?」
クラス全員が返事をする代わりに拍手をした。
 その一ヶ月後、期末試験が終わって、またクラス会が開かれた。今日は住吉が春日に言って招集させたのだ。
「なんだよ、試験が終わってとっとと遊びに行きたいのによぉ。」
末広が文句を言った。
「はいはい、発表だけなのですぐに終わります。」
教壇から春日はなだめた。その横に住吉が一枚の紙を持って立っている。
「壁画の図案が決まりました。じゃあ、住吉くん発表して!」
住吉がその紙を広げて持った。
「何だよ、小さくて見えねぇ。」
末広はまた文句を言った。紙はA4サイズだった。
「見えない人は前に来てよく見てくださーい!」
クラスの半分近くが教壇のほうに集まった。近視気味でよく見えない蔵本も前に行った。そこにあったのは……。
「北斎か?」
福島が住吉に尋ねた。住吉は答えた。
「そう、葛飾北斎の神奈川沖浪裏。ドット絵にするにあたってかなりデフォルメしたよ。舟も消したし、背景も白でいいから、色も白・青・水色、黒の四色しか要らない。絵の具塗るの大変だから、色画用紙にしたらいいよ。」
「すげーな、お前、天才!」
末広はさっきまでとはうってかわって、住吉を褒め始めた。
「誰か、こんな下絵を作ってきた住吉にハンバーガー奢ってやってよ。」
「そこはお前が奢ってやれよ!」
福島が突っ込んだ。みんな爆笑した。
 住吉のアイディアのおかげで、三年二組は夏休み明けから準備するので充分間に合うことが分かった。もちろん、必要な色画用紙は担任に言って前もって準備してもらった。

  夏休み明けの放課後、春日が司会で三度目の文化祭に関するクラス会が開かれた。また春日の隣に住吉が立っている。
「住吉くん、具体的に壁画を作るのはどうしたらいいんだろう?」
住吉はニコニコして答えた。
「要は色画用紙を順番に並べればいいだけだから、俺が夏休み中に色画用紙に番号をふって並べておいた。一行ずつ色画用紙をまとめて置いてある。これをとりあえず並べていけばいいんだよ。」
春日は質問した。
「じゃあ、私達は何をしたらいいの?」
「とりあえず並べるスペースが必要だから、教室の机と椅子を全部廊下に出してくれないかな。あと、美術室にビニールシートと色画用紙があるから持ってきて欲しい。」
住吉の言う通り、男子生徒は机と椅子を廊下に出し、女子生徒は美術室に置いてあったビニールシートと色画用紙を手分けして持ってきた。
金沢が言った。
「住吉くん、この色画用紙小さくない?」
「ああ、八つ切りの色画用紙をそのまま使うとでかい絵になっちゃうから、休み中に俺が四分の一に切っておいたよ。」
金沢がカードサイズになった色画用紙をぱらぱらめくってみると、右肩に「一の一」、「一の二」などと番号が書いてあった。
「頼むからバラバラにしないでくれよ。ちゃんと順番に並んでるんだからさ。」
住吉の上からの物言いにムッとした金沢だったが、黙って従うことにした。後から遅れてやってきた蔵本には、住吉は紙袋を渡してこう言った。
「あ、蔵本さんはビニールテープ持って行ってよ。あとハサミね。これで貼り合わせするんだから。」
蔵本が紙袋を受け取って教室へ戻ると、すでに教室内の机と椅子は全て搬出され、床にはビニールシートが敷かれていた。
住吉は指示を出した。
「じゃあ、女子は左から一、二、三……の順に色画用紙の束を並べて。」
女子生徒たちは言われたままに、色画用紙の束を横一例に並べた。
「よし、今度は一の一、一の二、一の三……の順で下に色画用紙を一枚ずつ並べていって。」
同様に、女子生徒たちはそれぞれ色画用紙の束を下向きに展開していった。それらが全て並んだとき、一枚の大きな波の絵が浮かび上がった。
「お、本当だ、すげー!」
末広は興奮して言った。しかし、福島が疑問を呈した。
「待てよ、これ、左右逆じゃねぇか?」
住吉はニヤリと笑って言った。
「そうだよ。裏からテープで貼り合わせるから、わざと裏向きになるように並べてもらったの。」
「住吉、やっぱり天才だ!」
末広は住吉を褒めちぎった。しかし、住吉は気にもとめず蔵本から紙袋を受け取って、テープとハサミを取り出した。
「まずは縦のラインを貼り付けていくから、こうやって上下の色画用紙をテープでつなげていくんだ。テープはとりあえず十個買っておいたけど、足りなくなったら言って。買いに行くから。」
作業が始まった。テープの数に限りがあるため、仕事からあぶれる者もいる。
「なあ、俺たちはどうしたらいいんだよ。」
住吉は言った。
「帰っていいよ。また明日交代でやってくれ。」
「本当に帰っていいんだな?」
「大丈夫、文化祭には充分間に合うよ。」
生徒の半分以上は喜んで帰っていった。

 貼り合わせ作業は五日程で終わった。春日がここで疑問を呈した。
「住吉くん、絵は完成したけど、これをどうやって吊るしたらいいの?」
「色々考えたけど、紙の強度の問題もあるから、ビニールシートにこの絵を貼り付けて、ビニールシートごと吊るすのが一番いいかなーって。ロープは家から持ってきた。ほら。」
住吉は机の横にぶら下げてある紙袋を指さした。
「絵をビニールシートに貼るにはどうしたらいい?」
住吉は言った。
「強力両面テープじゃないかな。俺、自転車でホームセンター行って見てくるよ。」
「住吉くん一人にやらせられない。誰か、他に自転車通学の子いる?」
金沢が手を上げた。
「私の自転車貸してあげるから、誰か住吉くんとホームセンターでデートしてきたらいいよ。」
末広は笑った。
「おい、斬新だな、ホームセンターデート。委員長の春日がクラスの女子を代表して行ってこいよ。」
春日は真顔で言った。
「別に私が行ってもいいと思ってたけど、デートって言われるなら嫌だよ。誰か希望者は?」
残っている女子、金沢、春日、島田、蔵本は誰も手を上げなかった。男子もニヤニヤしながら様子を伺っている。それを見て、住吉が言った。
「いや、別に両面テープくらい俺一人で買ってくるからいい。」
春日は反論した。
「毎度毎度住吉くんだけに行かせるわけにはいかないもん。あ、みんな喉乾いたよね。ジュースもついでに買ってきてもらおうよ。」
末広が言った。
「俺、コーラ飲みたい!」
福島も続いた。
「じゃあ、俺はサイダー。」
「よし、じゃんけんで住吉と一緒に両面テープとジュース買ってくる奴を決めよう!」
住吉以外のその場にいる男子女子合わせて八人程度がじゃんけんを始めた。
結局、じゃんけんに負けたのは蔵本だった。
「はい、蔵本さん、これね。」
金沢は明るい調子で蔵本に自分の自転車の鍵を渡した。
「住吉くん、私たちは待ってる間、何してたらいいかな?」
春日は真面目に尋ねた。
「あー、どうやって壁画を吊るすかでも議論してて。」
住吉は投げやりに言った。

 蔵本は無言で駐輪場へ向かう住吉に着いて行ったが、住吉も無言だった。自転車に乗ってからも、特に二人は話をしなかった。蔵本は気まずかったが、だからと言って何か喋ると、また住吉から鋭い指摘を受けるようで恐ろしかったのだ。一方の住吉は特に何も考えているようではなかった。ホームセンターに着くと、住吉はいかにも工作用の両面テープが置いてありそうな売り場へ行き、すぐに両面テープが並んでいるのを発見した。住吉はホームセンターに行きなれていたのだ。
「どれがいいかな?」
住吉がやっと言葉を発した。
「粘着力がありそうなやつ、何種類か買って試したらどうかな。予算内なら大丈夫でしょ。」
住吉が首を横に振った。
「色画用紙が思ったより高くて、すでに予算の結構な部分を使ってしまったんだ。ブルーシートは学校の備品だからすごく助かった。」
「じゃあさ、この超強力って書いてあるやつにしようよ。これでダメなら諦めるしかない。」
「待って、これ短いのに千円以上するぞ。予算オーバーだ。」
蔵本は言った。
「四辺全体にきれいに貼る必要ないじゃん。じゃあ、これで良くない?」
蔵本は細切れになっているものがたくさん入った両面テープを取って住吉に渡した。
「作業には便利そうだけど、粘着力が心配だな。」
「屋外でも使えるって書いてあるし、大丈夫でしょ。これを千円分買って帰ろう!」
「蔵本さん、結構アバウトなんだな。」
「そう?」
蔵本は少し不機嫌になったが、住吉が持っているカゴにその両面テープを二袋放り込んだ。
「住吉くん、次はジュース買わないと。」
蔵本はペットボトル入りのジュースが置いてある売り場へ行った。
「めんどくさいから、コーラとサイダー五本ずつ買って帰るか。」
「住吉くんのほうがアバウトじゃない! 帰っちゃった子もいるかもしれないし、炭酸が苦手な子もいると思うよ。こういう場合は紙コップと大きなペットボトルを買うに限るよ。コーラとサイダーとお茶ね。五百ミリのペットボトル十本買うより安い。」
「そりゃ失礼しました。じゃあレジ行こうか。」
蔵本は待って、と住吉を止めた。
「お菓子がないのは気が利かない。このチョコ買って行こうよ。」
蔵本は、大きな袋入りのチョコ菓子も、住吉の持ったカゴに入れた。
「あ、両面テープは別会計にしないとまずい。俺はこのジュースと紙コップとチョコを持ってレジへ行くから、蔵本さんは両面テープをレジに通してきて。レシートくれたら後で精算するからさ。」
住吉はカゴの中から両面テープ二袋を取って蔵本に渡した。
「了解!」
二人は別々のレジに並んで会計を済ませた。

 ホームセンターから学校に戻るまでの道は、行きと違って、二人はよく喋った。
「住吉くんてさ、絵を描くのが忙しい割には文化祭の壁画に熱心だよね。何で?」
「みんな何も決められなさそうだったから、たまには人のために何かしてやらないといけないかなあって。まあ、これは俺も楽しんでるからいいんだ。」
蔵本は言った。
「これは暇つぶしじゃないってこと?」
「断言できる。暇つぶしじゃない!」
逆に住吉が蔵本に尋ねた。
「蔵本さんさあ、本当は塾とかで勉強忙しいはずなのに、春日がいるから気をつかって壁画の手伝いしてるんでしょ。嫌じゃないか?」
蔵本は笑った。
「正直だるいなあとは思うよ。だけど、小さな色画用紙が繋ぎ合わされていくのを見るのは楽しかった。」
「暇つぶしなの?」
「そう、楽しい暇つぶし!」
そうか、と言って住吉は笑った。
「蔵本さんってやっぱり変わってるね。」
「住吉くんには言われたくない。」
蔵本も笑った。

 二人が教室に戻ると、末広と福島は教卓の上でピンポン玉で遊んでいて、金沢と春日は金沢が持ってきていた雑誌を見ていた。
「あれ、他の奴らは?」
住吉が聞くと、春日が答えた。
「島田さんと、あと男子二人は塾だって。」
末広と福島は手を止めて、住吉の持っているビニール袋をのぞきこんだ。
「お、でかいペットボトルじゃん。一人一本か?」
「んなわけないだろ、紙コップも入ってるぞ。」
「チョコもある! よし、食おうぜ。」
六人は、ビニールシートの空いた部分に座って、紙コップを手にチョコを食べながら話をした。
春日が言った。
「両面テープ、これで足りるかな?」
蔵本はサイダーを飲みながら答えた。
「ひと袋五十枚だから、計百枚。四辺に二十センチ間隔で貼って充分足りる計算だよ。貼る前に剥離紙剥がさないで壁画に並べてみたらいい。」
「それなら足りそう……でも今日は待ちくたびれちゃった。これ食べて終了にしない?」
「終了!」
春日の横にいた金沢が右手で拳を作って真上に挙げた。そして、雑誌の占いコーナーを蔵本のほうに見せた。
「蔵本さんってかに座だっけ? このかに座の欄を見てよ。」
蔵本は見てびっくりした。
「ラッキーアイテムは自転車?」
「そうそう。私の貸した自転車が恋のキューピットに……」
「なるわけないじゃない! ほら、ありがとう。」
蔵本は投げつけるようにして金沢に自転車の鍵を返した。

  その後、壁画をブルーシートに貼る作業は順調に進み、文化祭当日の早朝にはロープで屋上の手すりから壁画が吊り下げられた。校舎に浮かんだ青波。その日は快晴だったため、青空にもよく映えた。
「わあ、綺麗だなあ。」
あまり壁画制作を手伝わなかった者も、壁画を見て感動したようだ。
住吉がお世辞を言った。
「壁画がどうにか予算内で収まったのは蔵本さんのおかげだよ。」
「壁画が予算ギリギリになったのは、住吉くんが高い色画用紙を使ったせいだけどね。」
「ひでぇ!」
言葉とは裏腹に住吉は笑っていた。
 なお、この壁画は非常に教師や他のクラスの生徒からの評判が良く、校長から褒められた、と担任の前川も上機嫌だった。

 九月の文化祭から半年が経った。受験も終わり、合格発表もあった。蔵本は、第一志望の高校に合格し、春日や島田とは別の高校になった。春日や島田は、「別の高校に行っても仲良くしようね。」と言うが、多分、卒業してしまうと同窓会でもない限り会わないだろうと思う。
 住吉は、勉強が苦手だったせいで、クラスメイトが合格したようなレベルの高校には行けなかった。それで、はなからそのレベルの高校を受験するのを諦めて芸術コースのある高校に進学することになった。
  卒業式を数日後に控えたある日、蔵本は住吉に美術室に呼び出された。
「心配しなくても、愛の告白じゃないから。」
住吉にそう言われて美術室に行くと、前に見たカモメの絵がイーゼルに架けてあった。
「これ、蔵本さん、要らない?」
「え、これ、住吉くんが頑張って描いたやつじゃないの?」
蔵本は驚いた。
「いやー、これ、一応特別賞になって返ってきたのはいいんだけど、うちにはもう飾る場所がないんだ。母親には、学校に寄付してこいって言われたけど、学校にあげるくらいなら誉めてくれた蔵本さんにあげようかなって……邪魔だし要らないよね。」
「もらっていいならもらう! ありがとう。」
今度は住吉が驚いた。
「え、これどこに飾るつもり?」
「親に言ってちゃんと額に入れてもらって、自分の部屋に飾る! 私、この絵を見たら、教科書の若山牧水の短歌を思い出すし、あの短歌も好きなんだよね。」
もちろん、「あの短歌」とは、「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」である。
「ああ、そんなのもあったっけ。」
住吉は頭をかいた。
「住吉くん、この絵には『ひまつぶし』の友になってもらうよ!」
「お、おう。」
住吉は呆然と立っていたが、蔵本は大事そうにその絵を持って美術室を出て行った。

 蔵本は帰宅すると、とりあえず窓際に絵を立てかけてみた。やっぱり、この海の一色ではない複雑さが好きだ。カモメに何らかの意思が感じられるのも良い。
ふと、この絵の作者について考えてみる。住吉と二人で一緒にいた時間は暇つぶしとして楽しかったか? いや、どちらかというと、何を言われるか分からないという恐怖が先にあって、後のほうは住吉に言われる前に自分が何か言ってみたり、逃げたりしてあまり落ち着くものではなかった。したがって、蔵本にとって住吉は友達ではない。
 しかし、住吉に対して何か恋心があったかというと、それも違う。好きなら少しでも近くにいたいだろうが、できれば程よく距離を置いて、たまに話すくらいがちょうどよい。きっと、春日や島田と同様、卒業してしまえば何ら繋がりがなくなってしまうだろう。ただ、春日や島田と違い、ちょっとそれは寂しい気がする。
 友情でも恋愛感情でもない、不思議な感情。尊敬する、というのとも少し違う。もう、「対住吉的感情」と呼ぶしかない。そこまで考えて蔵本はベッドに寝転んだ。







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