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監察官の来訪
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朝霧の中を、一台の馬車がゆっくりと進んでいた。
王家の紋章を掲げた黒い馬車――それは辺境に似つかわしくないほど、静かで重々しい。
クラリッサは村の入口に立ち、レオンと共にその到着を見届けていた。
「……王都の“監察官”ですって? 本当に来るとは思いませんでしたわ」
「王家が動くということは、それだけお前の存在が大きくなった証拠だ」
「誉め言葉と受け取ってよろしいかしら?」
「まだわからん。誉め言葉になるか、宣告になるかは――これからだ」
馬車が止まり、扉が開いた。
黒衣に金糸の縁を施したローブ、長い白髪を後ろで束ねた老人が降り立つ。
クラリッサは息を呑んだ。
「……まさか、あなたが」
「久しいな、クラリッサ。いや――“ヴァレンティーヌの娘”よ」
その声は柔らかく、懐かしい。
かつて、王立学院で“香り学”を教えていた教授――ラザール・ハミルトン卿。
クラリッサの師であり、ユージンの師でもあった男。
「どうして、あなたが王家の監察官に?」
ラザールは目を細め、ゆっくりと微笑んだ。
「時代が変わった。香りは今や“学問”ではなく、“権力”の道具だ。
そして私は、香りが人を滅ぼす前に“記録”しなければならんのだ」
「記録、ですって?」
「“香りの王国計画”――その始まりを」
⸻
村の会議場。
ラザールは香りの壺を机に置き、クラリッサとレオンの前に腰を下ろした。
「王家は“香り”を国家運営の核に据えようとしている。
人の感情を誘導し、民心を統べる――いわば、“香りによる支配”だ」
クラリッサの扇子が震える。
「そんな……香りは癒しのためのもの。それを……」
「そう教えたのは私だ。だが、ユージンは違った。
彼は香りを“支配の芸術”と捉えた。
その思想を、王家が拾ったのだ」
クラリッサの瞳に驚愕と怒りが混じる。
「――つまり、彼の理論が、あの計画の根幹なのですのね」
「そうだ。そしてセシリアは、それを政治に転用しようとしている」
レオンが腕を組み、低く問う。
「監察官として、あなたは止めに来たのか?」
「いいや。私は“見届ける”ために来た。
どちらが正しいか、判断するのは私ではない」
「……なら、あなたの立場はどこにあるの?」
クラリッサの声には震えがあった。
ラザールは一瞬だけ寂しげに目を伏せる。
「かつて、私は香りを“心の記憶”と呼んだ。
だが今は、それが“呪いの記憶”に変わろうとしている。
その変化を、見届ける者が必要なのだ」
⸻
沈黙が落ちる。
クラリッサは立ち上がり、扇子を閉じた。
「わたくしは、香りを呪いにはしませんわ。
誓いましたの――誰かを支配するためには使わないと」
ラザールは微笑む。
「その誓いがどれほど美しくても、風が吹けば散る。
それでも立ち続けるのが、“ヴァレンティーヌ”の娘だ」
彼は立ち上がり、出口に向かう。
「明日、王都に戻る前に……一つだけ忠告しておこう。
セシリアは“香りの複製術”に手を出した。
君の“誓いの香り”が、彼女の手に渡る前に――消すんだ」
クラリッサは息を呑む。
“誓いの香り”――あの夜、レオンと交わした香り。
それが今、王都の陰謀の中心にあるというのか。
ラザールが振り返り、微笑む。
「香りは、心を結ぶ。だが同時に、心を縛る。
どちらに転ぶかは、君次第だ」
風が吹き抜けた。
ラザールのマントが翻り、香りの壺の蓋がわずかに開く。
そこから漏れた一筋の香気が、空気を震わせた――
まるで、何かの“記憶”を呼び覚ますように。
王家の紋章を掲げた黒い馬車――それは辺境に似つかわしくないほど、静かで重々しい。
クラリッサは村の入口に立ち、レオンと共にその到着を見届けていた。
「……王都の“監察官”ですって? 本当に来るとは思いませんでしたわ」
「王家が動くということは、それだけお前の存在が大きくなった証拠だ」
「誉め言葉と受け取ってよろしいかしら?」
「まだわからん。誉め言葉になるか、宣告になるかは――これからだ」
馬車が止まり、扉が開いた。
黒衣に金糸の縁を施したローブ、長い白髪を後ろで束ねた老人が降り立つ。
クラリッサは息を呑んだ。
「……まさか、あなたが」
「久しいな、クラリッサ。いや――“ヴァレンティーヌの娘”よ」
その声は柔らかく、懐かしい。
かつて、王立学院で“香り学”を教えていた教授――ラザール・ハミルトン卿。
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「どうして、あなたが王家の監察官に?」
ラザールは目を細め、ゆっくりと微笑んだ。
「時代が変わった。香りは今や“学問”ではなく、“権力”の道具だ。
そして私は、香りが人を滅ぼす前に“記録”しなければならんのだ」
「記録、ですって?」
「“香りの王国計画”――その始まりを」
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村の会議場。
ラザールは香りの壺を机に置き、クラリッサとレオンの前に腰を下ろした。
「王家は“香り”を国家運営の核に据えようとしている。
人の感情を誘導し、民心を統べる――いわば、“香りによる支配”だ」
クラリッサの扇子が震える。
「そんな……香りは癒しのためのもの。それを……」
「そう教えたのは私だ。だが、ユージンは違った。
彼は香りを“支配の芸術”と捉えた。
その思想を、王家が拾ったのだ」
クラリッサの瞳に驚愕と怒りが混じる。
「――つまり、彼の理論が、あの計画の根幹なのですのね」
「そうだ。そしてセシリアは、それを政治に転用しようとしている」
レオンが腕を組み、低く問う。
「監察官として、あなたは止めに来たのか?」
「いいや。私は“見届ける”ために来た。
どちらが正しいか、判断するのは私ではない」
「……なら、あなたの立場はどこにあるの?」
クラリッサの声には震えがあった。
ラザールは一瞬だけ寂しげに目を伏せる。
「かつて、私は香りを“心の記憶”と呼んだ。
だが今は、それが“呪いの記憶”に変わろうとしている。
その変化を、見届ける者が必要なのだ」
⸻
沈黙が落ちる。
クラリッサは立ち上がり、扇子を閉じた。
「わたくしは、香りを呪いにはしませんわ。
誓いましたの――誰かを支配するためには使わないと」
ラザールは微笑む。
「その誓いがどれほど美しくても、風が吹けば散る。
それでも立ち続けるのが、“ヴァレンティーヌ”の娘だ」
彼は立ち上がり、出口に向かう。
「明日、王都に戻る前に……一つだけ忠告しておこう。
セシリアは“香りの複製術”に手を出した。
君の“誓いの香り”が、彼女の手に渡る前に――消すんだ」
クラリッサは息を呑む。
“誓いの香り”――あの夜、レオンと交わした香り。
それが今、王都の陰謀の中心にあるというのか。
ラザールが振り返り、微笑む。
「香りは、心を結ぶ。だが同時に、心を縛る。
どちらに転ぶかは、君次第だ」
風が吹き抜けた。
ラザールのマントが翻り、香りの壺の蓋がわずかに開く。
そこから漏れた一筋の香気が、空気を震わせた――
まるで、何かの“記憶”を呼び覚ますように。
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