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第43話:行商人と冬の足音③
しおりを挟む板バネの商談がまとまり、契約書の作成も終わった頃。
ガラムさんが、ふと手を止めて天井を仰いだ。
「……なぁ、シスター」
「はい?」
「念のために聞くが……さすがに、これ以上はないよな?」
ガラムさんがじろりと私を見る。
その目は、獲物を探す目ではなく、何か得体の知れないものを警戒するような目だった。
「これ以上びっくりさせられると、俺の心臓か財布のどっちかが破裂しそうでな」
「んー……」
私はペンを持ったまま、小首をかしげた。
(……あると言えば、ある)
さっきガラムさんがポロッとこぼした愚痴が、ずっと引っかかっていたのだ。
『行きは雑貨を運んでくるが、帰りは材木を積みたい。……なのに、空になった木箱が場所を取って邪魔なんだよなぁ』
その悩み、解決できるかもしれない。
頭に浮かんだのは、畳んで運べる箱だ。
(前世で見たコンテナって、確か20世紀から普及したんだよね……)
まあ、素材を木にするし、構造自体はシンプルだ。そこまで大げさなものにはならないはず。
「……ガラムさん。ちょっと見てもらっていいですか?」
私は席を立ち、部屋の隅に立てかけてあった木の板を数枚選んだ。
トトが加工してくれた、手頃な大きさのパーツだ。
「板か? 薪にでもするのか?」
「まあまあ、見ててください」
私は袖をまくり、一番大きな底板を作業台に置いた。
深呼吸を一つ。
目を細めて、じっと板を見つめる。
見慣れた感覚だ。木の繊維が透けるように見え、どこを削れば噛み合うかが分かる。
トトが切り出してくれたパーツは、ほぼ完璧だ。でも、木で可動ギミックを作るなら、ほんの少しだけ「遊び」がいる。
(……ここか)
木と木が擦れ合う予定の接続部分。このままだと、動きが渋くなりそうだ。
私は紙ヤスリを手に取り、引っかかりそうな部分をそっと撫でた。
シュッ、シュッ。
迷いのない二撫で。うん、これで滑らかに動くはず。
あとは、組み立てだ。釘は使わない。木と木の凸凹を組み合わせる「組木(くみき)」細工でいく。
コン、コン。
木槌で軽く叩くと、吸い付くように板がハマった。
トトの精度のおかげだ。迷う時間がほとんどない。
トントン。スルッ。カチッ。
側面が立ち上がり、可動軸が通り、ロック機構が収まっていく。
気がつけば、目の前には美しい木箱が鎮座していた。
「……できた」
私はふぅ、と息を吐いた。
「は、早ぇな……」
ガラムさんが目を丸くして箱を覗き込む。
「だがシスター。……これ、ただの木箱じゃないか? 蓋もないし」
「ふふ、ここからが本番ですよ」
私は箱の側面をポンと叩いた。
「ガラムさん、言ってましたよね。『帰りの馬車は、空箱が空気を運んでいるようなもんで無駄だ』って」
「あ、ああ……」
「私の故郷じゃ、『空気ほど高い荷物はない』って言うんですよ」
私はそう言って、箱の両サイドにあるロックを外した。
「だから……空気を抜いちゃいましょう」
パタパタッ、カチャン!
軽快な音が響く。
箱の側面が内側に倒れ込み、あっという間にペチャンコの「一枚の板」に戻った。
「……ッ!?」
ガラムさんが目を見開いて立ち上がった。
彼は「消えた」なんて馬鹿なことは言わない。その目は、すでに板の厚みを計算していた。
「畳んだ、のか……? この強度で?」
「はい。これなら畳んで隙間に積んでおけます。空いたスペースに、材木でも毛皮でも、好きなだけ積んで帰れますよ」
私の言葉に、ガラムさんが震える手でペタンコになった箱を撫でた。
長い沈黙。
やがて彼が、絞り出すような低い声で言った。
「……シスター。あんた、自分が何を作ったか分かってんのか?」
「へ……?」
私がきょとんとしていると、ガラムさんがバッと顔を上げた。
「……くそっ」
彼が悔しそうに唇を噛んだ。
「何度あったと思う。目の前に宝があるのに、空箱のせいで持って帰れなかった日が」
ドン! ガラムさんがテーブルを叩く。
「遠くの村で、最高の丸太を見つけた時。喉から手が出るほど欲しい。都に持ち帰れば大金になると分かってる。……なのに」
その拳が震えている。
「荷台には、行きの商品が入ってた空箱が鎮座してやがるんだ。捨てるに捨てられず……泣く泣く諦めて帰るしかねぇ」
彼の声には、商人として何年も積み重ねてきた悔しさが滲んでいた。
「空気を運ぶために、儲けを逃す……。商売人にとって、これほど惨めなことはねえよ」
ガラムさんが、愛おしそうに畳まれた板を抱きしめる。
「だが、これなら……足元に突っ込んでおける。空いた荷台に、村の特産品をギチギチに詰め込めるんだ」
彼の瞳に、ギラギラとした野心の火が灯る。
パタン、カチャン。パタン、カチャン。
ガラムさんは何度も箱を組み立てては畳み、その精巧さにため息をついた。
「……まるで油を塗ったみたいにヌルヌル動く。引っかかりが一つもねぇ」
「そこは、トトちゃんの完璧な切り出しのおかげです。私は最後にちょっと調整しただけで」
「……参った。降参だ」
ガラムさんが両手を挙げる。
「お前ら、本当に何者だ? こんな魔法みたいな箱まで作っちまうとは……」
「えへへ、ただのものづくりが好きなシスターですよ」
「……違いない」
ガラムさんは苦笑いをして、契約書に新たな項目を書き加えた。
† † †
すべての商談が終わり、ガラムさんが帰る時が来た。
「ああ、そうだ。これを置いていく」
ガラムさんが荷台から降ろしたのは、ボロボロに錆びた鉄くずの山と、麻袋がいくつか。
「板バネを作るには鉄がいるだろう? 途中で拾ったクズ鉄だが、親方(トト)なら宝の山に変えられるはずだ」
「えっ、いいんですか!?」
「その代わり、次の発注分は頼んだぞ」
ガラムさんは次々と袋を降ろしていく。
「こっちは岩塩と砂糖、あと日用品だ。冬を越すには、美味い飯が必要だからな」
「それから……」
ガラムさんが最後に降ろしたのは、フワフワの白いものが詰まった大きな袋だった。
「羊毛だ。北の牧場で仕入れたやつだが、お前さんたちなら上手く使えるだろ」
「羊毛まで……!」
鉄に調味料、そして羊毛。冬を越すために必要なものが、全部揃った。
ガラムさんの粋な計らいに、胸が熱くなる。
ガラムさんが御者台に登り、手綱を握る。
去り際、彼はふと思い出したように振り返った。
「そういや、王都で妙な噂を聞いたぜ」
「噂、ですか?」
「ああ。Sランクの『勇者パーティ』が、遠征で手痛い失敗をしたとかな」
心臓がドクリと跳ねた。
勇者パーティ。私がかつて所属していた場所だ。
「……何でも、ポーション切れに装備の整備不良が重なって、撤退を余儀なくされたらしい」
ガラムさんは意味ありげな視線をチラリと私に向けた。
「『足元の準備』をしてくれる人間をないがしろにしたツケだろうよ。……逃した魚は大きかったな、そいつらは」
彼はそれだけ言うと、ニカッと白い歯を見せた。
「じゃあな! 風邪ひくなよ!」
彼は大きく手を振り、馬車を発進させた。
遠ざかる車輪の音が、板バネのおかげか、来た時よりも少しだけ軽やかに聞こえる。
私は彼が見えなくなるまで見送ってから、空を見上げた。
分厚い鉛色の雲が、空一面を覆っている。
(……もうすぐ、冬が来る)
冷たい風が頬を撫でる。
でも、不思議と寒さは感じなかった。
隣にはトトとモコ、そしてピコがいる。
家の中には温かい暖炉と、新しい仕事が待っている。
私は悴(かじか)んだ手をこすり合わせ、白い息を吐きながら、仲間たちの待つ我が家へと戻るのだった……。
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