だがしかし

帽子屋

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 俺が日ごろの運動不足と神田に呪いを掛け始め、そのつぶやきが胸のうちに留めておけないほどの疲労に苛まれ酸素を求める呼吸と呪言がないまぜになってきた頃、急に山道がぽかりと開き、今まで登ってきた山が一望できる場所へたどりついた。俺は命の枝くんにすがるように曲げていた背中を伸ばし、久しく見ない山の風景を見た。こんな風景、最後に見たのいつだっけ。呼吸を落ち着かせる俺の前を風が通り抜けていく。

うん。確かに涼しい風は吹いている。が、陽射しは暑い。暑いぞ、神田。涼しくねぇよ。

 俺はぎらつく太陽光に頭を焦がされる前に日陰に逃れることにした。後ろを振り返れば木の下のちょうどよい木陰でのほほん神田が石に座り、水筒を傾けお茶を飲んでいる。なんとも余裕のある光景だ。素敵なハイキングに出掛けてきたぞ。自然に囲まれて飲むお茶ってなんて美味しいんだろう。自然万歳! 山よありがとう! そんな声すら聴こえて来そうだ。

……おい。神田……。

だが俺の喉から出た声は
「俺にも冷たいお茶をください」
ドスの聞いた恨み言葉でもなく呪いまじない言葉でもなく、ただただ雨乞い、水を求める声だった。

「え~ ごめ~ん 今ので飲み終わっちゃった~ きみ、ペース配分考えないで飲んじゃうから~」

俺に軽い殺意が過ぎったのは言うまでもない。神田君。目的地、及びそこまでの到達距離、平均時間、歩行難易度、諸々を最初から示してくれないと、ペースの配分も何もあったもんじゃないだろう? 都会を離れて涼しい自然に囲まれたバカンスにいこ~ じゃ、わからないよね? だいたいな。どこがバカンスじゃ! バカやろう!

 外気温以上に、はらわたが煮えそうなフツフツとした俺の思いは全く伝わることはないらしく、神田は「この先に~ 食事処があるから、そこでご飯食べてお水もわけてもらお~」とまた歩き始めた。

……。
俺は何も言わず神田のうしろを、命の枝君を大地に突き刺す気力も失って引きずりながらついていった。
俺、熱中症で死なないかな。もうすでに熱疲労状態なんじゃねーのか? おい、神田。俺が倒れたらお前の責任だからな。お前、学部的に問題になるんじゃねーか? 知らねーからな。

 神田が言う食事処までの道のりには、放置され崩れかかった空家がところどころそのままにされ、だが、まだ使っていそうな物置、自転車(?)があったり、電線が繋がっている家があることからどうやら人がいるらしい。だからといって誰にすれ違うこともない。

こんなところに人、本当にまだ住んでるのか? と言うか、食事処って……。人がいないところの食事処って……。
疲労が呪いを上回り、その上を不安が覆いかぶさる。俺、生きて帰れるかな。

 しばらく行くと、山々とあとにしてきた集落を見渡せそうな一角に食事処と書かれたどこにでもあるようなのぼりが見えた。俺の中で現実離れしたこの状況にはためく、なんてことのないのぼりは恐ろしく現実的で涙が出そうだった。命の枝君、俺はやり遂げたよ。
「こんにちは~」
慣れた様子で神田が店の引き戸を開ける。
「おー。お久し振りだね」
こちらも慣れた様子で店主が神田をみとめて店の奥から出てきた。神田はこの店の常連なのか、知人の家にでも招かれたようにひょいひょいと席に向かう。なんだ。もしかして本当に親戚か?
入口で立ち止まった俺のところに人の良さそうなおじさんがやってきて「連れてこられちゃったんだ? 大変だなあ」と笑いながら席まで案内してくれた。
「ええ。まぁ……」
そりゃあ、もう。死ぬほど大変でした。だいたいこの神田ってやつはですね……。
俺は愚痴をばら撒いてやりたかったが、本当に親戚だったら店を追い出されて水ももらえなくなるかもしれないと不安になり、言葉を飲み込んだ。おじさんは「いやあ大変だなあ。あんた」と何度か繰り返し労ってくれた。俺はそれに応えるように『大変でした。死ぬほど大変でした。お願い。お水ください』と引きつった顔で内心唱えていた。なにはともあれ水、ください。
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