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夢から覚めたあと

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 明るい光がファルカを包み込む。柔らかな風が優しく頬に触れる。
 ああ、この風を知っている。
 いつも優しくて、一人ぼっちで震えていたファルカを温かく包んでくれていた。
 寂しくないように。
 護ってくれた。
 小さな男の子の姿をした風の精霊。
「…プルレ」
 淡いブルーの瞳がホッと安堵に染まる。
 小さな男の子の姿から、彼本来の少年の姿へと変わる。
 長い乳白色の髪が光に溶けていくようで眩しくて目を細める。
「ファルカ!」
 伸ばされた手がファルカの腕を力強く掴み、外の世界へと引き上げる。
 その背を押すもう一つの手のぬくもりを感じて、ファルカは振り返った。
 燃え上がるような赤い髪が流れていく先を無意識に視線は追いかける。
 眩しい光の向こう側に、ラグが笑顔を湛えたまま離れていく。
 離れていくぬくもり。
「え…や…やだっ、ラグ!?」
 ファルカは慌ててラグに手を伸ばし、追いすがった。
 せっかく会えたのに。
 また消えてしまう!
 ずっとずっと探していた。会いたかった。
 会って、他愛もない会話で笑って、温かい手のぬくもりを感じたかった。
 泣きたくなるような日々も耐えたのに。
 そうして、ようやく見つけたのに!
「ラグ!!」
 ファルカが伸ばした手はラグには届かなかった。
 何故か、プルレが羽交い絞めにするようにファルカの腰と肩に腕を回して引き留めたからだ。
「やだ、プルレ、離して!ラグが!またラグがいなくなっちゃう!」
 離れるのは嫌だ。
 ようやく会えたのに!
「ラグ!!!」
 どんなに身をよじってもプルレは離してはくれず、どんどんラグとの距離は遠くなる。
 大粒の涙が知らずにこぼれ落ちたとき、ラグが笑顔で手を振った。
「ファルカ、大丈夫だ。夢から覚めたら会える」
 力強く頷きながらラグはそう言った。
 ここは眠りの館。
 女王に招かれたのはハロウィンの夢の世界。
 現実の世界ではなく。
 本当のラグに、夢から覚めれば、会える。
「…あ…」
 光の中にラグが消えていく。
 夢から覚めたら会える。
 その言葉だけが何度も何度も繰り返しファルカを震わせる。
 あの笑顔にもう一度会いたい。
 声を聞きたい。
 取り戻したい、ラグを。
 ファルカは振り返ってプルレを見上げた。
「ラグを取り戻しに行くわ」
 決意とともに宣言するとプルレが優しい笑顔で頷いた。
「うん」
 大人になったプルレは子どもの頃の面影もたくさん残していて、男の子なのに優美だ。光に溶けていきそうな美しさにファルカは陶然としながら見上げる。
 この優しい守護精霊は何の見返りもないのに親友の頼みを聞き、契約を結んだファルカにも振り回されるのを楽しんでいるように見える。
「力を貸して、プルレ」
「もちろん」
「女王の館を壊してでもラグを起こすわ」
「…それでこそファルカだね」
 ほんの少し顔を引きつらせながら、プルレは笑った。



 はっと目が覚めた。
 天井は高く、薄暗い。身じろぎをするとすぐ近くに誰かの気配を感じた。
「ファルカ、起きた?」
 静かに、声を潜めてプルレがそっと顔を覗き込む。その顔は緊張に強張っていたが、ファルカが目覚めてほっとしたようだった。
「プルレ、ここは?」
「女王の館だよ」
 ファルカが起き上がるのを助けるようにプルレはファルカの体を支える。
 その背後に近付く気配にプルレはぎくりと身を強張らせた。
「よもや眠りから覚めるとは…」
 怒りに満ちた女の声音にファルカは息を飲む。
 赤く激しく燃え上がる炎のように、感情をあらわにするレミィ・ローザは息を飲むほど美しく、ファルカは圧倒された。
 女王の怒りを全身に浴びながら、プルレがうめき声を上げながらも、ファルカを抱き上げ距離を取る。
 そして、平伏する。
「女王陛下、ファルカは試練を受け、こうして眠りから覚めました。彼女は自由です」
 凛としたプルレの言葉に、女王は睨みつけたままびくりと肩を震わせる。
「西風の後継者め。生意気な…」
 女王が手をすっと掲げる。
 中空にいくつもの炎が灯り、女王の周りを旋回する。
「大丈夫。女王はもうファルカに手は出せないんだ」
 プルレの言葉の通り、直接の脅威はない。炎は二人の周りを旋回しているだけだった。
 それでも熱気が渦を巻くようにファルカとプルレの頬を焼く。
 じりじりとした暑さに汗がふきだした。
 ポケットの違和感を感じたのはそのときだった。
「お母様、そこまでです!!」
 凛とした声が響きわたった。
 声のした方を振り返ってみると、良く見知った人物がそこに立っていた。
 レミィ・ローザを母と呼んだ人物は長い髪の毛を煩わし気に払いながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 どうして彼女がここにいるのだろう。
 ファルカはあまりのことに呆然となった。
「エイリィ、どうして?」
 エイリィはファルカに向けてにこりと笑ってみせる。
「ここは私に任せて。早く行きなさい」
 レミィ・ローザは扉の前で顔色を無くし震えていた。さっきまでの威厳に溢れた女王の姿とはまるで変ってしまった。彼女に怒られるのを本気で怖がっているようでもある。
 エイリィが発した言葉がファルカの頭の中でぐるぐると回っている。
 お母様と呼びかけたエイリィ。
 レミィ・ローザはラグの母親だ。エイリィの母親でもあるというのなら、エイリィとラグは姉弟になるということだ。
「エイリィ、ラグのお姉さんなの?」
「そうみたいねぇ。半分だけだけど」
 ふふふとエイリィは小首をかしげながら笑う。しかし、すぐ女王には怒りに満ちた視線で睨みつけた。
 その視線に女王が震えあがっているのがわかる。ファルカは呆然と二人を見つめた。
「何ゆえ、そなたまでがこの小娘の味方につく? そなたが人の子に肩入れするとは信じられぬ」
「お母様は、私を怒らせました。私の記憶にまで干渉しましたね。その報いは受けていただきます」
 言葉に詰まった女王が、悔しそうに俯く。
「そ、それは…」
「いい加減、子離れなさいませんと。周りがいい迷惑ですわ」
「お、お黙り!」
 癇癪を起す子どものように女王は叫ぶ。
 プルレに背中を押され、恐る恐るファルカは歩き出した。
 女王の前に立った時、鋭く睨み付けられて、心臓が止まるかと思った。
 女王は扉の前に立っている。ここを突破しなければラグには会えないのだ。
 ファルカはさっき感じたポケットの違和感を思い出した。
 くっとこぶしを握り締めて、女王と対峙する。
 そして叫ぶ。
「トリック・オア・トリート!」
「え?」
 女王がきょとんとして固まった。
 今夜はハロウィンだ。だが、こんな状況で、まさかファルカのような人間の小娘にその言葉をかけられるとは夢にも思っていなかったに違いない。
 そして、やはりお菓子は持っていなかった。
 ファルカはポケットからオレンジジュース入りの水鉄砲を取り出し、女王に向けてにっこりと笑いかける。
「お菓子、くれないならイタズラさせていただきます!!」
「え、ええっ?」
 ファルカの構える水鉄砲からオレンジジュースが勢いよく発射され、女王が顔を引きつらせた。
「きゃああああああっ」
 悲鳴を上げ、顔をそむけるが、オレンジジュースは女王の顔にヒットした。女王はそのまま仰向けにひっくり返ったかと思うと、次の瞬間にはすやすやと眠ってしまった。
「なんだかもう、嫁と姑の図が見えてくるようだわ」
 あきれたようにつぶやくエイリィ。
 ファルカはそうっと女王の脇をすり抜け、扉の取っ手に手を伸ばした。
 軽い音がして、何の抵抗もなく、扉は開いた。
 広い部屋の奥に迷わず目は向く。
 寝台に静かに横たわる人影に胸が躍った。
 赤茶色の短い髪。人好きのする笑顔は、今はないけれど、寝顔は年相応の幼さを残していて、ファルカは思わず笑みを浮かべた。
 金細工のブレスレットがラグの手首にある。赤いルビーがやっとあるべき場所に戻ったことを喜ぶかのように輝いていた。
「眠り姫の逆ね。お姫様のキスで目覚める王子様がいたって良いわよね」
 ラグの頬にそっと手を伸ばす。
 ほんの少し冷えた頬と穏やかな寝息を確認する。
「起きて、ラグ」
 ファルカはそっとラグにキスをした。
「夢じゃないって、証明して」
 今度こそ、本当に。
 夢から覚めたら会えるのだと。
 ぱちりと何の前触れもなく、ラグは目を開けた。
 無言のまま、ファルカの顔を見て、ラグは嬉しそうに笑った。

 

 夕日に染まる教室の一角。
 帰り支度をする生徒たちの中で、ファルカとラグはのんびりと風に当たりながら校庭を眺めていた。
「お母様は寂しかったんじゃないの? ほら、だって、ラグはずっとこっちの世界に来たままで、帰ってなかったんでしょ?」
「まあな。でも一度は帰る約束はしてあったんだ。一度帰って、それから、ずっと人間界こっちで生きていくからって言おうと思っていたんだ。姉貴もこっちにいるしな。反対されるとは思ってもみなかった」
 ラグはファルカの頭をやさしく撫で、髪から頬へと手を添える。
「いろいろ、悪かったな」
「ううん」
 言いたいことは山のようにあったはずなのに、ファルカは何も言えなくなっている。
 今、ここにラグがいてくれる。それだけで、何もかもが許せる。
「大丈夫、信じていたから」
 途中、何度もくじけそうになったけど。それは秘密だ。
「ファルカぁ」
「わっ、ミモザ?」
 いつの間に来ていたのか、背後から、ミモザがしがみついてきた。
「ファルカぁ、聞いてよ。昨夜の占い、してみたんだけどね」
 そういえば、昨日そんなことを言っていたのを思い出した。
「なぁんにも映んなかったの。真っ暗なままで。私、結婚できないのかなぁ」
「あ、え? ミモザ、りんごは?」
「ちゃんと皮むいて、四つ切りにして食べた……」
「……あー、食べちゃったのね」
 ちょっとかじるだけで良かったのに。
「う、まあ、占いだしね。あんまり気にしないで。ね、ミモザ」
「うん、またエイリィに新しい占い教えてもらったの。今度はそれ試してみる」
「あ、そう」
 懲りないというか、なんというか。
「うん、またね、ファルカ。ラグ先輩も、また明日」
「おう、気をつけて帰れよ」
 さっきまでしょんぼりとしていたのに、にっこりと笑ってミモザは帰っていく。
 ファルカとラグは顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
 そこにいるのが当然のように、ラグに挨拶をしていったミモザ。
 元通りになった世界。
 プルレやエイリィに助けてもらいながら、ファルカが取り戻した世界だ。
「そういえば、どうしてプルレの姿は子供じゃないといけなかったの?」
「え、そりゃ……まあ、その……なんだ。そういうわけだ」
「……何、それ?」
 ラグの顔が赤かったのは、たぶん夕日のせいだけじゃなかったはず。
 実際、プルレのあの姿には、ちょっとばかり、ときめいてしまった。
 だからちょっとだけ意地悪をしたくなった。
「あぁ、プルレの本当の姿って、結構、私好みだったかも」
「なにっ!?」
 ファルカの爆弾発言にラグは顔色を変えて慌てふためく。
 ファルカはくすくすと笑った。
「冗談よ」

 ラグが今、ここにいてくれる。
 それだけで、ファルカはとても幸せだと思った。





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