3 / 6
蛮頭寺(ばんとうじ)の由来
しおりを挟む
今は昔のことでございます。
武蔵国の西方に、山で囲まれた広い盆地があって、その一角に、小さな農村がございました。
この村の高台には、万宝寺という古いお寺が建っていて、山の中腹から、いつも村人たちの様子を見守っておりました。
初夏のある夜更けのことでございます。
和尚さんがいつものように、燭台に灯をともして、お経を唱えておりました。
すると、誰かお堂の戸を叩く者があります。
「こんな夜中に、いま時分」
和尚さんが障子を開けると、そこには年の頃三十ばかりの、剃髪して黒い衣をまとった若い入道が、その麗しい顔にやさしい眼差しで立っているではありませんか。
驚いた和尚さんは、すぐにその若い入道を中に招き入れ、お茶などふまって、ことのあらましを彼にたずねました。
なんでもその入道は、どうしても知りたいことがあって、ずいぶん長いこと、旅を続けているというのです。
「いったい何を、おたずねでしょうか?」
和尚さんがいぶかってそう聞くと、若い入道は次のように口走ったのでございます。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
和尚さんは気味が悪くなって、口をつむいでしまいました。
すると蝋燭の炎が、風もないのにフッと、消え失せたのでございます――
*
明くる朝、村の名主どのが井戸の水をくんでいると、若い衆の何人かが、転げるようにそちらへやってきます。
「こんな朝早くから、何事じゃな」
名主どのがたずねると、今朝がた万宝寺へ参ったところ、なんと和尚さんの骸がお堂に転がっていて、その首から上は、すっぱり切り落とされているというではありませんか。
「これはただ事ではない」
すぐさま名主どのは、村の衆を集め、万宝寺へと走りました。
すると確かに、開かれた障子の中をのぞけば、そこには首のない和尚さんの痛ましい屍骸と、おびただしい血が飛び散っていたのでございます。
「これはきっと、魔物の仕業に違いない」
一同はお寺の中も周りもくまなく探しましたが、和尚さんの首から上は、ついに見つかりませんでした。
村人たちはこの恐ろしい仕打ちに恐怖し、いつまでもおののいたのです。
*
名主どのはすぐに、京の都から名のある高僧に足を運んでもらい、その恐ろしい魔物を取り除こうとしました。
「ご安心ください。必ずやその化物を、退治してご覧にいれましょう」
その夜、高僧が万宝寺のお堂で読経をしていると、あの若い入道が確かにまた現れ、くだんの問答をしかけてきたのです。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
高僧はすっかり、答えに詰まってしまいました。
「それは……」
果たして蝋燭の火はふっと、消え失せたのでございます――
*
それから何人もの、覚えのある僧侶たちが、万宝寺を訪れましたが、みな一様に、首のない骸と変わり果てたのです。
このようにして、このお寺に寄りつく者はすっかりいなくなり、万宝寺は荒れ果てる一方でした。
*
それから半年ばかりも経った頃でございます。
ひとりの修行僧が、旅の途中で杖を休めたいと、名主どのの家にやってきました。
名主どのはその僧に膳などをふるまいながら、この村を襲った出来事について、彼に語りました。
「それは、なんと……よし、わたしが、退治してさしあげよう」
名主どのは必死に止めましたが、その修行僧は意に介さず、夜の万宝寺へと向かったのでございます。
*
修行僧がお堂で経を読んでいると、あの若い入道がどこからともなくやってきて、くだんの問答をしかけてきました。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
修行僧はにっこり笑って、こう答えました。
「這い続ければこそ龍にもなり、飛び続ければこそ鳳凰にもなり、ほえ続ければこそ麒麟にもなる。これでどうかな?」
すると入道は、うめき声を上げて、苦しみだしました。
見目麗しい顔が泥のように崩れたかと思うと、岩の塊ほどもある大きな鬼の首へと、変じたではありませんか。
鬼の首は、その裂けた口を開いて、修行僧に襲いかかってきました。
彼はその一撃を難なくよけると、腕を大きく開いて鬼の首の両耳を後ろから引っつかみ、お堂の床に叩きつけて、たちどころにその息の根を止めてしまいました。
*
翌朝、万宝寺へ到着した名主どのはじめ村の衆が驚いたのも無理はありません。
お堂の床に食いこんだ化物の大首の上で、あの修行僧がいびきを上げながら、寝入っているではありませんか。
起き上がった彼からことのあらましを聞いた名主どのたちは、ぜひにと、その修行僧に万宝寺の新しい住職に就いてもらうよう、申し出ました。
彼は快く引き受け、鬼の首を手厚く供養して、荒れ果てた寺を建て直し、かくしてこの村には、平和が戻ったのです。
あの恐ろしい化物はなぜ、人間に問答をしかけようなどと思ったのでしょうか。
それだけは誰にも、わかりませんでした。
ただ、この万宝寺が建っていた村一帯は、いつしか蛮頭寺という地名で呼ばれるようになった、ということでございます。
八面和尚
武蔵国の西方に、山で囲まれた広い盆地があって、その一角に、小さな農村がございました。
この村の高台には、万宝寺という古いお寺が建っていて、山の中腹から、いつも村人たちの様子を見守っておりました。
初夏のある夜更けのことでございます。
和尚さんがいつものように、燭台に灯をともして、お経を唱えておりました。
すると、誰かお堂の戸を叩く者があります。
「こんな夜中に、いま時分」
和尚さんが障子を開けると、そこには年の頃三十ばかりの、剃髪して黒い衣をまとった若い入道が、その麗しい顔にやさしい眼差しで立っているではありませんか。
驚いた和尚さんは、すぐにその若い入道を中に招き入れ、お茶などふまって、ことのあらましを彼にたずねました。
なんでもその入道は、どうしても知りたいことがあって、ずいぶん長いこと、旅を続けているというのです。
「いったい何を、おたずねでしょうか?」
和尚さんがいぶかってそう聞くと、若い入道は次のように口走ったのでございます。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
和尚さんは気味が悪くなって、口をつむいでしまいました。
すると蝋燭の炎が、風もないのにフッと、消え失せたのでございます――
*
明くる朝、村の名主どのが井戸の水をくんでいると、若い衆の何人かが、転げるようにそちらへやってきます。
「こんな朝早くから、何事じゃな」
名主どのがたずねると、今朝がた万宝寺へ参ったところ、なんと和尚さんの骸がお堂に転がっていて、その首から上は、すっぱり切り落とされているというではありませんか。
「これはただ事ではない」
すぐさま名主どのは、村の衆を集め、万宝寺へと走りました。
すると確かに、開かれた障子の中をのぞけば、そこには首のない和尚さんの痛ましい屍骸と、おびただしい血が飛び散っていたのでございます。
「これはきっと、魔物の仕業に違いない」
一同はお寺の中も周りもくまなく探しましたが、和尚さんの首から上は、ついに見つかりませんでした。
村人たちはこの恐ろしい仕打ちに恐怖し、いつまでもおののいたのです。
*
名主どのはすぐに、京の都から名のある高僧に足を運んでもらい、その恐ろしい魔物を取り除こうとしました。
「ご安心ください。必ずやその化物を、退治してご覧にいれましょう」
その夜、高僧が万宝寺のお堂で読経をしていると、あの若い入道が確かにまた現れ、くだんの問答をしかけてきたのです。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
高僧はすっかり、答えに詰まってしまいました。
「それは……」
果たして蝋燭の火はふっと、消え失せたのでございます――
*
それから何人もの、覚えのある僧侶たちが、万宝寺を訪れましたが、みな一様に、首のない骸と変わり果てたのです。
このようにして、このお寺に寄りつく者はすっかりいなくなり、万宝寺は荒れ果てる一方でした。
*
それから半年ばかりも経った頃でございます。
ひとりの修行僧が、旅の途中で杖を休めたいと、名主どのの家にやってきました。
名主どのはその僧に膳などをふるまいながら、この村を襲った出来事について、彼に語りました。
「それは、なんと……よし、わたしが、退治してさしあげよう」
名主どのは必死に止めましたが、その修行僧は意に介さず、夜の万宝寺へと向かったのでございます。
*
修行僧がお堂で経を読んでいると、あの若い入道がどこからともなくやってきて、くだんの問答をしかけてきました。
「……地を這う姿は地虫であり、天を目指すは鳥のごとく、ほえる様子は獣のよう、とはこれいかに……」
修行僧はにっこり笑って、こう答えました。
「這い続ければこそ龍にもなり、飛び続ければこそ鳳凰にもなり、ほえ続ければこそ麒麟にもなる。これでどうかな?」
すると入道は、うめき声を上げて、苦しみだしました。
見目麗しい顔が泥のように崩れたかと思うと、岩の塊ほどもある大きな鬼の首へと、変じたではありませんか。
鬼の首は、その裂けた口を開いて、修行僧に襲いかかってきました。
彼はその一撃を難なくよけると、腕を大きく開いて鬼の首の両耳を後ろから引っつかみ、お堂の床に叩きつけて、たちどころにその息の根を止めてしまいました。
*
翌朝、万宝寺へ到着した名主どのはじめ村の衆が驚いたのも無理はありません。
お堂の床に食いこんだ化物の大首の上で、あの修行僧がいびきを上げながら、寝入っているではありませんか。
起き上がった彼からことのあらましを聞いた名主どのたちは、ぜひにと、その修行僧に万宝寺の新しい住職に就いてもらうよう、申し出ました。
彼は快く引き受け、鬼の首を手厚く供養して、荒れ果てた寺を建て直し、かくしてこの村には、平和が戻ったのです。
あの恐ろしい化物はなぜ、人間に問答をしかけようなどと思ったのでしょうか。
それだけは誰にも、わかりませんでした。
ただ、この万宝寺が建っていた村一帯は、いつしか蛮頭寺という地名で呼ばれるようになった、ということでございます。
八面和尚
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる