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天蛙 Angel Frog
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天蛙(あまがえる) ~Angel Frog~
その日、八月の朝にしては爽やかで、まだ六時を過ぎたばかりだと云うのに、寝所に差し込む朝日の光量の力強さに身体が勝手に反応し、いつもなら寝坊助なのだが、この日に限って私は目覚め良好で飛び起きてしまうほどだった。
これは、そんな朝のことだった。
朝一番にやる事と云ったら、同居人の世話であった。
その同居人というのは、もう彼是十二年になろうという付き合いの“あまがえる”のことだ。
一口に“あまがえる”と言っても、顔に黒色で隈取りのある二ホンアマガエルではなくて、シュレーゲルアオガエルといって花札で柳の下にいるカエル(と言われています)の方だ。
いつものようにプラスチック製のケージを覗くと、先程までの元気がまるでマンガの衝撃を受けた瞬間を描いたひとコマの演出のように、私は雷に打たれ、或いは放電してしまったかのようにとても立っていられる状態ではなくなってしまった。
家の玄関の靴箱の上、小窓から朝日が差し込み適度に明るい場所に陣取った小さなケージ。
昆虫や小動物を飼う用途に最適化されている小さなケージの中に、池のつもりで配置された小さなタッパーを使った水場に、今まさに飛び込んだかのようなピーンと伸びた状態で、にっこり笑っているようにも見える眼差しをそのままに、その小さな同居人は既に旅立っていたのだった。
現実が、痛みもなく自分を侵食している。
身体の異変を確かに感じている。
ジッと自分の手を見つめる。
オレは今、どこにいる。
炎が見える。
何が燃えているのか、燃え盛っている炎が見える。
こんなに近くで燃えていたのか?
すぐ傍に立っているはずだが、全く熱くない。
眼の前にある何かの化石がきらきら光を反射している。
骨格部分の何かが、長い年月をかけてオパールに変質したようだ。
思わず手を出して感触を確かめてしまう。
ひんやりとしていて気持ちが良い。
どの位経ったのか?
思い返していた。
自分を囲む見えない壁の向こう側から、とても巨大な何かが、時々自分を見ているのを感じていた。
だがそれは、自分をどうにかしようと狙っているのではなく、自分の油断を、隙を見せる瞬間を狙っているのではなく、なんというか、至極申し訳なさそうにしているのを感じていた。
視線の主を、その全体を視界に収めるには、オレはあまりに小さかったようだが、今、漠然と理解した。
視線の主は、常にオレを気に掛けてくれていたのだ。
腹は減っていないか?
不潔でいないか?
楽しくしてるか?
などなど・・・
そして、何よりも、オレが元気にしているのかを。
オレは守られていた!
そう悟った瞬間、オレは自分の背中の皮を何か大きな力が突き破って解き放たれたのを感じた。
急激な上昇感がオレを襲う。
瞬間的に遠退く意識。
なんとか意識を繫ぎ止めると、オレは眼下に見たこともない景色を見ていた。
どこだここは?
これは何だ?
生物なのか?
これほど巨大な生物が存在するのか?
この変わった姿の巨大な奴、いったい何をしている?
疑問は尽きないが気になるモノが次々に現れる。
それこそ視界内の全てが興味の対象だ。
その巨大な奴の、すぐ傍に何かある。
それはなんだ!?
気になるので注目する。
向こう側が見えるのに確かに透明な壁が四方を囲む何か。
その中に見慣れた景色がある!
まさか!?
まさかそれは!?
オレが暮らしてたのはそこなのか!!!
近づいてもっとよく見たいと思い、降りようとした時、巨大な奴の周りをゆらゆらと立ち昇るエネルギーがものすごい勢いで噴出してきた。
言葉は交わしていないがハッキリ理解できた。
今、近づくことは敵わない。
この巨大な何者かは今、全てを拒絶している。
悲しみ・・・
いったい何がそんなに悲しいというのか?
考えたところでオレに何が解るでもなく・・・
だいたい、さっきから何をしている?
近づけないなら回り込めばいいのだ。
位置を変えると何をしていたのかが見えたので分かった。
地面に穴を掘っていたのか。
しかしその巨体が利用するにはまだまだサイズが足りないのではないか?
尻すら収まらんぞ。
そんなことを考えていると、巨大な奴が穴の底に小さな何かをそっと横たえるのが見えた。
そんなに大事そうに、何を・・・
!?
予想もしなかった。
正直言って驚いた。
そこにいるのが本物なら、ここにいるのはいったい何者だ?という話し。
こんなこと、
どのように理解したらいい?
ただただ戸惑うばかりで考えがまとまらない。
そうしているうちに、巨大な奴は穴に土を戻し始めた。
速やかに埋め戻された穴を遠巻きに眺めながら、オレは脳裏に焼き付いて離れない光景を見ていた。
穴の底に横たわる自分の姿を。
どの位の時間をそこで過ごしたのか?
巨大な奴の周りに立ち昇ってみえるエネルギーのようなものの感じが、いくらか和らいできた。
更に時が経つと噴出するエネルギーは収まりを見せて、違う感じのエネルギーの波動を放ち始めた。
何かを感じる。
・・・礼?礼だと?
オレに礼だと!?
この巨大な奴の思いがそのように感じられた。
そして同時に、確かに感じられた。
自由・・・と。
そうか!
いまこそ解った!
オレはずっとこの巨大な奴、アンタに気に掛けてもらっていた!
アンタはオレをその透明な壁が四方を囲む小さな世界に閉じ込めていたと思って申し訳なく思っていた、ということか。
・・・どうやらオレは自由・・・って事らしいから、好きにさせてもらうよ。
オレは、ずっとアンタに守られていた。
だからこれからは、オレがアンタを気に掛ける番だ。
もしもアンタが間違った決断をしそうになったら、具申に現れることにするよ。
さて、アンタの住まう世界がどんなもんか、見て回るだけでも相当掛かりそうだ。
オレの事は時々思い出す程度にして、さっさと忘れて欲しいね。
残念した日にゃ、お互いに不本意な関係になっちまう。
じゃ、もう行くよ
そしてカエルだった者は微かな風を残して優しく吹き抜けた。
小さな同居人を埋葬し終えた私は、心に空虚を感じていた。
悲しみに頬を濡らして、とても顔を上げる気になれなかった。
だけど、なんとなくこれではいけないと心を奮い立たせて立ち上がった。
その時、まるでその気持ちが正解だと言わんばかりに、
すっかり湿ってしまった頬を微かな風が優しくなでていった。
その日、八月の朝にしては爽やかで、まだ六時を過ぎたばかりだと云うのに、寝所に差し込む朝日の光量の力強さに身体が勝手に反応し、いつもなら寝坊助なのだが、この日に限って私は目覚め良好で飛び起きてしまうほどだった。
これは、そんな朝のことだった。
朝一番にやる事と云ったら、同居人の世話であった。
その同居人というのは、もう彼是十二年になろうという付き合いの“あまがえる”のことだ。
一口に“あまがえる”と言っても、顔に黒色で隈取りのある二ホンアマガエルではなくて、シュレーゲルアオガエルといって花札で柳の下にいるカエル(と言われています)の方だ。
いつものようにプラスチック製のケージを覗くと、先程までの元気がまるでマンガの衝撃を受けた瞬間を描いたひとコマの演出のように、私は雷に打たれ、或いは放電してしまったかのようにとても立っていられる状態ではなくなってしまった。
家の玄関の靴箱の上、小窓から朝日が差し込み適度に明るい場所に陣取った小さなケージ。
昆虫や小動物を飼う用途に最適化されている小さなケージの中に、池のつもりで配置された小さなタッパーを使った水場に、今まさに飛び込んだかのようなピーンと伸びた状態で、にっこり笑っているようにも見える眼差しをそのままに、その小さな同居人は既に旅立っていたのだった。
現実が、痛みもなく自分を侵食している。
身体の異変を確かに感じている。
ジッと自分の手を見つめる。
オレは今、どこにいる。
炎が見える。
何が燃えているのか、燃え盛っている炎が見える。
こんなに近くで燃えていたのか?
すぐ傍に立っているはずだが、全く熱くない。
眼の前にある何かの化石がきらきら光を反射している。
骨格部分の何かが、長い年月をかけてオパールに変質したようだ。
思わず手を出して感触を確かめてしまう。
ひんやりとしていて気持ちが良い。
どの位経ったのか?
思い返していた。
自分を囲む見えない壁の向こう側から、とても巨大な何かが、時々自分を見ているのを感じていた。
だがそれは、自分をどうにかしようと狙っているのではなく、自分の油断を、隙を見せる瞬間を狙っているのではなく、なんというか、至極申し訳なさそうにしているのを感じていた。
視線の主を、その全体を視界に収めるには、オレはあまりに小さかったようだが、今、漠然と理解した。
視線の主は、常にオレを気に掛けてくれていたのだ。
腹は減っていないか?
不潔でいないか?
楽しくしてるか?
などなど・・・
そして、何よりも、オレが元気にしているのかを。
オレは守られていた!
そう悟った瞬間、オレは自分の背中の皮を何か大きな力が突き破って解き放たれたのを感じた。
急激な上昇感がオレを襲う。
瞬間的に遠退く意識。
なんとか意識を繫ぎ止めると、オレは眼下に見たこともない景色を見ていた。
どこだここは?
これは何だ?
生物なのか?
これほど巨大な生物が存在するのか?
この変わった姿の巨大な奴、いったい何をしている?
疑問は尽きないが気になるモノが次々に現れる。
それこそ視界内の全てが興味の対象だ。
その巨大な奴の、すぐ傍に何かある。
それはなんだ!?
気になるので注目する。
向こう側が見えるのに確かに透明な壁が四方を囲む何か。
その中に見慣れた景色がある!
まさか!?
まさかそれは!?
オレが暮らしてたのはそこなのか!!!
近づいてもっとよく見たいと思い、降りようとした時、巨大な奴の周りをゆらゆらと立ち昇るエネルギーがものすごい勢いで噴出してきた。
言葉は交わしていないがハッキリ理解できた。
今、近づくことは敵わない。
この巨大な何者かは今、全てを拒絶している。
悲しみ・・・
いったい何がそんなに悲しいというのか?
考えたところでオレに何が解るでもなく・・・
だいたい、さっきから何をしている?
近づけないなら回り込めばいいのだ。
位置を変えると何をしていたのかが見えたので分かった。
地面に穴を掘っていたのか。
しかしその巨体が利用するにはまだまだサイズが足りないのではないか?
尻すら収まらんぞ。
そんなことを考えていると、巨大な奴が穴の底に小さな何かをそっと横たえるのが見えた。
そんなに大事そうに、何を・・・
!?
予想もしなかった。
正直言って驚いた。
そこにいるのが本物なら、ここにいるのはいったい何者だ?という話し。
こんなこと、
どのように理解したらいい?
ただただ戸惑うばかりで考えがまとまらない。
そうしているうちに、巨大な奴は穴に土を戻し始めた。
速やかに埋め戻された穴を遠巻きに眺めながら、オレは脳裏に焼き付いて離れない光景を見ていた。
穴の底に横たわる自分の姿を。
どの位の時間をそこで過ごしたのか?
巨大な奴の周りに立ち昇ってみえるエネルギーのようなものの感じが、いくらか和らいできた。
更に時が経つと噴出するエネルギーは収まりを見せて、違う感じのエネルギーの波動を放ち始めた。
何かを感じる。
・・・礼?礼だと?
オレに礼だと!?
この巨大な奴の思いがそのように感じられた。
そして同時に、確かに感じられた。
自由・・・と。
そうか!
いまこそ解った!
オレはずっとこの巨大な奴、アンタに気に掛けてもらっていた!
アンタはオレをその透明な壁が四方を囲む小さな世界に閉じ込めていたと思って申し訳なく思っていた、ということか。
・・・どうやらオレは自由・・・って事らしいから、好きにさせてもらうよ。
オレは、ずっとアンタに守られていた。
だからこれからは、オレがアンタを気に掛ける番だ。
もしもアンタが間違った決断をしそうになったら、具申に現れることにするよ。
さて、アンタの住まう世界がどんなもんか、見て回るだけでも相当掛かりそうだ。
オレの事は時々思い出す程度にして、さっさと忘れて欲しいね。
残念した日にゃ、お互いに不本意な関係になっちまう。
じゃ、もう行くよ
そしてカエルだった者は微かな風を残して優しく吹き抜けた。
小さな同居人を埋葬し終えた私は、心に空虚を感じていた。
悲しみに頬を濡らして、とても顔を上げる気になれなかった。
だけど、なんとなくこれではいけないと心を奮い立たせて立ち上がった。
その時、まるでその気持ちが正解だと言わんばかりに、
すっかり湿ってしまった頬を微かな風が優しくなでていった。
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