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私たちはオフライン
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昨今、郵便料金が値上がった。SNSなどの活況もあって、手紙を出す人も減りつつある。
けれど、私たちはオフラインでしか繋がれない。
そこには理由がある。実際に会ってはならないと思うからだ。
---
第一章
岡本は、郵便局で働く職員だ。妻子もあり、仕事も今は順風満帆だ。過去に目を向ける暇もつもりもない。真面目で勤勉な岡本は、親友や同僚からの信頼も厚い。何も不自由はしていない。そう、今は。
年末年始休みは、他の職業人よりは少ない。それでも、担当業務が窓口であるため、郵便局員のなかでは休めるほうだ。
今年の正月休みも、妻と近くのスーパーで買い出しをし、娘の勉強を見ていた。
岡本の楽しみは、ラーメン屋巡り。近頃、職場の健康診断で中性脂肪を減らすよう指摘され、走ることを始めた。
「お父さん、がんばって!」
娘の佐奈が、自転車に乗りながら熱心に応援する。
「がんばれー」
佐奈は年頃の女の子だが、岡本を避けることはない。思春期の子を持つ周囲からすれば、羨ましがられるほどのお父さん子だった。
川沿いのまっすぐ続く土手を、2.5キロほどゆっくり走って、岡本は立ち止まった。息が苦しい。
フルマラソンの道は遠いな。
岡本は、いつからか、なんとなくフルマラソンを目指すようになっていた。
「休憩……!」
息をするのがやっとのなか、勢いが止まらなそうな佐奈を呼び止める。
「もう終わり?」
呆れたような口調で言われ、終わりだとも言えなかった。
「目指せフルマラソンでしょ?」
「いつかは……」
なんとなくではあったが、フルマラソンを目指すきっかけは、琴子からの年賀状だった。
「琴子」
岡本は、琴子との関係を適切な言葉で説明できる自信がない。
友達ではない。仲間と呼べるのかも分からない。
ただ、不思議と琴子とは共通点が多いのだ。
「お父さん、どうしたの?」
回想など滅多にしない岡本が黙り込んだのを、佐奈が訝しんだ。
「今度、大学の頃の友達と鹿児島マラソンを走る。8キロだけどな」
「知ってるよ。お母さん言ってた」
「情報早いな」
「今日応援に来たのも、佐奈、友達とカラオケ行きたいからなの」
今年受験生の佐奈だが、すでに推薦で第一志望校に合格している。止める理由もなかった。
「まだ気を抜くなよ。周りには進路が決まってない子もいるんだから」
「オッケー!」
佐奈は軽々とペダルをこぎ、岡本を先導し始める。
「来た道そのまま帰ると、5キロになるよ!お父さん」
「言いたいことは分かった。がんばれってことだな」
「ピンポーン!」
佐奈は大きく手で丸を作り、スピードを上げた。
岡本は、いまだに佐奈の名前入りの年賀状を出し、写真も選んでいたが、そろそろ辞め時かもしれないと、娘の成長を実感していた。
---
第二章
琴子は、冬の寒さを忘れるほど、体も心もほんのり温かかった。
小走りでポストに向かい、年賀状を投函したせいかもしれない。
琴子が年賀状を書く相手は、決まって三人だ。
岡本から届く年賀状の写真は、飼い猫から娘へと変わったが、文面はほとんど変わらない。
「お元気ですか」
「仕事もおかげさまで続いております」
「お互いマラソンがんばりましょう」
何気ない言葉だが、琴子は嬉しかった。
琴子もまた、岡本との関係を何と表現すればいいのか分からない。
「同志」か、「共通点の多い仲間」だろうか。
郵便局で短期バイトをしたこと。猫を飼い始めた時期。病気と向き合っていること。
そこに「マラソン」が加わった。
数人でファミレスに行き、カラオケをしたことはあるが、物静かな二人はあまり会話を交わした記憶がない。
それでも岡本には、お茶目な一面があった。
カラオケで『クレヨンしんちゃん』の主題歌を歌ったり、ベイスターズが負けると少し拗ねたり。
そして岡本には門限があった。
保育園へ佐奈を迎えに行くのは、決まって岡本の役割だった。
琴子は、毎年届く佐奈の写真を見て、会ったこともないのに大きくなったものだと感心していた。
元旦。
琴子は何度もポストを開けた。
十時、十一時、正午――。
今年は、岡本からの年賀状は届かなかった。
石口さんと、永井さんからの年賀状は届いていた。
石口さんは、精神科デイケアで働く作業療法士だ。
「琴子さん、マラソンすごいです」
「お便り、いつも励みになります」
琴子が走り続ける理由のひとつは、石口さんの言葉だった。
「大会がなくても走るのよ」
「続けることが、いつか力になるから」
だが年賀状の末尾に、こう書かれていた。
「今年で年始のご挨拶を失礼させていただきます」
ショックだった。
連絡先を知らない。
今の職場を離れたら、もう繋がれない。
「便りのないのが、元気の証よ」
母の言葉が、少しだけ救いだった。
永井さんの年賀状には、
「一人暮らし五年目、仕事も六年目。お互いがんばろうね」
とあった。
永井さんとは、就労系のプログラムで、琴子と一緒に学んだ仲間だ。「月曜日の就労プログラム、がんばろうね!」と当時、年賀状を頂いたこともあった。
すごいなぁ。永井さん。仕事6年目かぁ。
きっと、器用に物事をこなすし、人間関係の方もうまく築きながらも、交わす力もあるしなぁ。
琴子が、関心していると、スマホのLINEが鳴った。
そこへ、親友・七海からLINEが届く。
便利で、温かい。でも、琴子は思う。
――温もりは、オフラインにこそ宿るのかもしれない。
---
第三章
岡本からの年賀状は、三日に届いた。
「大会に参加して完走するのは、すごいですね」
琴子は、岡本が走っていることをSNSで知っている。
フォローもしないし、閲覧したことも秘密だ。
「私たちはオフライン」
そう、そのほうがお互いの「今ある人生」ためによいのだ。琴子は、岡本や、石口さん、もちろん永井さんのメアドも、LINEも知らない。
「オフライン」は、「手軽さ」や「便利さ」はないが、お互いを思いやる「時間」と「温もり」が確かにある。
エピローグ
冬が終わり、春の始め頃、琴子のもとに立て続けに葉書が3通届いた。
1通目は、岡本から。「この前、鹿児島マラソン走ってきましたよ。琴子さんを見習って、いつかフルマラソン走ってみたいです」
岡本からの葉書は、年賀状以外初めてだったので、琴子はいささか驚きを隠せなかった。
2通目は、永井さんから。
「私たち婚約しました」
幸せそうな永井さんの笑顔と、隣に映るのは、なかなか優しそうな男性だった。琴子は、思わず目を細めた。嬉しく思った。
3通目は、石口さんから。
「私たちメンタルヘルスデイケアは、7階から、2階へ移動しました。みんな外の景色が見えなくなって残念!と言っています」
その下には、小さく自宅の住所が初めて書かれてていた。
琴子は、葉書を選びに書店へと向かう。それは、「オフライン」ならではの楽しみであった。
けれど、私たちはオフラインでしか繋がれない。
そこには理由がある。実際に会ってはならないと思うからだ。
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第一章
岡本は、郵便局で働く職員だ。妻子もあり、仕事も今は順風満帆だ。過去に目を向ける暇もつもりもない。真面目で勤勉な岡本は、親友や同僚からの信頼も厚い。何も不自由はしていない。そう、今は。
年末年始休みは、他の職業人よりは少ない。それでも、担当業務が窓口であるため、郵便局員のなかでは休めるほうだ。
今年の正月休みも、妻と近くのスーパーで買い出しをし、娘の勉強を見ていた。
岡本の楽しみは、ラーメン屋巡り。近頃、職場の健康診断で中性脂肪を減らすよう指摘され、走ることを始めた。
「お父さん、がんばって!」
娘の佐奈が、自転車に乗りながら熱心に応援する。
「がんばれー」
佐奈は年頃の女の子だが、岡本を避けることはない。思春期の子を持つ周囲からすれば、羨ましがられるほどのお父さん子だった。
川沿いのまっすぐ続く土手を、2.5キロほどゆっくり走って、岡本は立ち止まった。息が苦しい。
フルマラソンの道は遠いな。
岡本は、いつからか、なんとなくフルマラソンを目指すようになっていた。
「休憩……!」
息をするのがやっとのなか、勢いが止まらなそうな佐奈を呼び止める。
「もう終わり?」
呆れたような口調で言われ、終わりだとも言えなかった。
「目指せフルマラソンでしょ?」
「いつかは……」
なんとなくではあったが、フルマラソンを目指すきっかけは、琴子からの年賀状だった。
「琴子」
岡本は、琴子との関係を適切な言葉で説明できる自信がない。
友達ではない。仲間と呼べるのかも分からない。
ただ、不思議と琴子とは共通点が多いのだ。
「お父さん、どうしたの?」
回想など滅多にしない岡本が黙り込んだのを、佐奈が訝しんだ。
「今度、大学の頃の友達と鹿児島マラソンを走る。8キロだけどな」
「知ってるよ。お母さん言ってた」
「情報早いな」
「今日応援に来たのも、佐奈、友達とカラオケ行きたいからなの」
今年受験生の佐奈だが、すでに推薦で第一志望校に合格している。止める理由もなかった。
「まだ気を抜くなよ。周りには進路が決まってない子もいるんだから」
「オッケー!」
佐奈は軽々とペダルをこぎ、岡本を先導し始める。
「来た道そのまま帰ると、5キロになるよ!お父さん」
「言いたいことは分かった。がんばれってことだな」
「ピンポーン!」
佐奈は大きく手で丸を作り、スピードを上げた。
岡本は、いまだに佐奈の名前入りの年賀状を出し、写真も選んでいたが、そろそろ辞め時かもしれないと、娘の成長を実感していた。
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第二章
琴子は、冬の寒さを忘れるほど、体も心もほんのり温かかった。
小走りでポストに向かい、年賀状を投函したせいかもしれない。
琴子が年賀状を書く相手は、決まって三人だ。
岡本から届く年賀状の写真は、飼い猫から娘へと変わったが、文面はほとんど変わらない。
「お元気ですか」
「仕事もおかげさまで続いております」
「お互いマラソンがんばりましょう」
何気ない言葉だが、琴子は嬉しかった。
琴子もまた、岡本との関係を何と表現すればいいのか分からない。
「同志」か、「共通点の多い仲間」だろうか。
郵便局で短期バイトをしたこと。猫を飼い始めた時期。病気と向き合っていること。
そこに「マラソン」が加わった。
数人でファミレスに行き、カラオケをしたことはあるが、物静かな二人はあまり会話を交わした記憶がない。
それでも岡本には、お茶目な一面があった。
カラオケで『クレヨンしんちゃん』の主題歌を歌ったり、ベイスターズが負けると少し拗ねたり。
そして岡本には門限があった。
保育園へ佐奈を迎えに行くのは、決まって岡本の役割だった。
琴子は、毎年届く佐奈の写真を見て、会ったこともないのに大きくなったものだと感心していた。
元旦。
琴子は何度もポストを開けた。
十時、十一時、正午――。
今年は、岡本からの年賀状は届かなかった。
石口さんと、永井さんからの年賀状は届いていた。
石口さんは、精神科デイケアで働く作業療法士だ。
「琴子さん、マラソンすごいです」
「お便り、いつも励みになります」
琴子が走り続ける理由のひとつは、石口さんの言葉だった。
「大会がなくても走るのよ」
「続けることが、いつか力になるから」
だが年賀状の末尾に、こう書かれていた。
「今年で年始のご挨拶を失礼させていただきます」
ショックだった。
連絡先を知らない。
今の職場を離れたら、もう繋がれない。
「便りのないのが、元気の証よ」
母の言葉が、少しだけ救いだった。
永井さんの年賀状には、
「一人暮らし五年目、仕事も六年目。お互いがんばろうね」
とあった。
永井さんとは、就労系のプログラムで、琴子と一緒に学んだ仲間だ。「月曜日の就労プログラム、がんばろうね!」と当時、年賀状を頂いたこともあった。
すごいなぁ。永井さん。仕事6年目かぁ。
きっと、器用に物事をこなすし、人間関係の方もうまく築きながらも、交わす力もあるしなぁ。
琴子が、関心していると、スマホのLINEが鳴った。
そこへ、親友・七海からLINEが届く。
便利で、温かい。でも、琴子は思う。
――温もりは、オフラインにこそ宿るのかもしれない。
---
第三章
岡本からの年賀状は、三日に届いた。
「大会に参加して完走するのは、すごいですね」
琴子は、岡本が走っていることをSNSで知っている。
フォローもしないし、閲覧したことも秘密だ。
「私たちはオフライン」
そう、そのほうがお互いの「今ある人生」ためによいのだ。琴子は、岡本や、石口さん、もちろん永井さんのメアドも、LINEも知らない。
「オフライン」は、「手軽さ」や「便利さ」はないが、お互いを思いやる「時間」と「温もり」が確かにある。
エピローグ
冬が終わり、春の始め頃、琴子のもとに立て続けに葉書が3通届いた。
1通目は、岡本から。「この前、鹿児島マラソン走ってきましたよ。琴子さんを見習って、いつかフルマラソン走ってみたいです」
岡本からの葉書は、年賀状以外初めてだったので、琴子はいささか驚きを隠せなかった。
2通目は、永井さんから。
「私たち婚約しました」
幸せそうな永井さんの笑顔と、隣に映るのは、なかなか優しそうな男性だった。琴子は、思わず目を細めた。嬉しく思った。
3通目は、石口さんから。
「私たちメンタルヘルスデイケアは、7階から、2階へ移動しました。みんな外の景色が見えなくなって残念!と言っています」
その下には、小さく自宅の住所が初めて書かれてていた。
琴子は、葉書を選びに書店へと向かう。それは、「オフライン」ならではの楽しみであった。
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