17 / 95
十七、女たち - le ragazze parlano -
翌朝は快晴だった。イノイルは一年を通して比較的涼しい気候だから、初夏の日差しが強く照り付ける中でもひんやりとした風が吹いていて、肌に心地よい。
アルテミシアの冷淡な態度にイグリはひどく腹を立てているだろうと思ったが、城まで速駆けの勝負を挑むと、いつものように華麗に微笑んで快諾してくれた。
「その顔、みんなに何か言われなかった?」
馬を駆けさせながら、少し前方を走るイグリの方へ声を張り上げた。イグリは目の下や頬についた痣の目立つ顔で振り向くと、愉快そうに白い歯を見せた。
「言われたさ。特にリコとブランに。上官とやり合ったって言ったら英雄扱いだったぜ」
気を遣わないように配慮してくれたのだろうとアルテミシアは思ったが、その言い方があまりに誇らしげだったので思わず笑ってしまった。
「競走だろ?余裕だな」
イグリは掛け声を上げ、馬を鞭打った。
「あっ、ずるい!」
アルテミシアもデメトラの腹を蹴り、慌てて追いかけた。
「上官とは、ちゃんと話せたのか?」
城門に着いたイグリは余裕の表情でひらりと馬から降り、後からやっと追いついて来たアルテミシアに問いかけた。
「うん」
デメトラの上にいるアルテミシアの顔は、今朝の空に似つかわしく晴れ晴れしている。杏子色のドレスが彼女の気分を表しているようにも見えた。イグリは胸中穏やかとは言えないものの、久しぶりに春の太陽のようなアルテミシアの姿が見られて安堵し、嬉しく思った。少なくとも、決死の覚悟で尊敬する上官を殴りに行ったのは間違いではなかったはずだ。
「憑き物が落ちたな。ミーシャは嫌がるだろうけど、また上官が原因で君が落ち込むようなことがあったら、多分また殴りに行くと思うよ」
アルテミシアは「ははっ」と愉快そうに笑い声をあげた。
「わたしはまた怒ると思うけど、それでもよければ是非腕を鍛えて。今度は負けないようにしないとね」
「俺が勝ってた」
イグリがムキになって反論すると、アルテミシアはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「わたしにはそう見えなかった」
心外だとばかりにイグリが胸を膨らませ、轡を取って馬を厩へ入れた。アルテミシアは兵舎へと向かう背に声を掛けた。
「イグリ、あなたの友情に感謝してる。ありがとう」
複雑な思いを抱えつつ、イグリは振り向いて陽気に微笑んだ。アルテミシアが元気なら、それで本望だ。
イグリがサゲンの執務室へ赴くと、上官もスッキリした顔をしている。厳密にはいつもと変わらぬ無表情だが、それでも付き合いの長いイグリにはわかった。憎らしいことに、こちらも憑き物が落ちたようだ。唯一の救いはサゲンの顔にも自分と同じように痣が目立っていることだ。あれが完全に消えるまでは、上官に立ち向かった自分の勇敢さを密やかに噛み締めることができるだろう。
「謝りに来たのか」
サゲンがにこりともせずに訊いた。
「違います」
イグリは痣のある整った顔に爽やかな笑みを浮かべた。サゲンは気を悪くした様子も、驚いた素振りも見せず、目を細めただけだった。これが部下を褒めるときの表情であることを、イグリは理解している。
「そうだろうな」
多少お調子者とはいえ、サゲンには常に忠実なイグリが敢えて牙を剥いたのだ。後悔などしていないことは初めから分かっている。
「あなたとミーシャの関係が良い方に進んだのは何となくわかりましたけどね、上官」
イグリは瞳を悪戯っぽく輝かせた。
「悪いけど俺も本気なので、うかうかしてたら貰います。ミーシャには完全に友達だと思われていますけど、上官と違って彼女とは同い年だし、こう言っちゃなんだけどあなたよりも女性の扱いは上手いから、チャンスはあるはずだ」
サゲンは一瞬苦々しげに口元を引き結んだがすぐに緩め、いつもの上官の顔に戻った。
「それはお前の自由だから、口出しはしない」
サゲンは不快感などおくびにも出さずに大人の男らしくそう言ったが、最後にこう付け足した。
「だがあれは俺が好きだぞ」
なんということだ。バルカ将軍が部下に向かってこのように対抗心を剥き出しにするとは。イグリは真っ青な瞳を大きく見開いた。
(存外この方も子供っぽいところがある)
「せいぜいそう思っていればいいですよ」
イグリは苦笑を隠そうともしなかった。
それから数日経って、アルテミシアの身辺が俄かに忙しくなった。宴のためだ。エラは新参の身でありながら同室のケイナを食事係から借り受けることに成功し、アルテミシアがイサ・アンナの重臣から歴史の講義を受けるために来ていた小ぢんまりしたサロンへとやって来た。老いた重臣は「なんと、講義の最中ですぞ」と真っ白な口髭をもごもごさせていきり立ったが、城内のことに慣れているケイナが上手く言いくるめて重臣を退室させることに成功した。
何事かと大人しく一部始終を見守っていたアルテミシアは、後からぞろぞろとやって来たいくつもの高価そうな布を抱えた洒落者たちの集団を見てようやく合点がいった。
「忘れてた」
本音をぽろりとこぼしたアルテミシアにエラが一瞬ふざけて怒った顔を見せたが、そばに他の使用人達がいたのですぐに礼儀正しく畏まった態度になり、アルテミシアだけに分かるようにウインクした。
二人が人前での振る舞いに気を遣うようになったのには、理由がある。
エラが女中として働き出した日に、ロハクが釘を刺した相手はエラではなく、アルテミシアだった。
「あなたは女王陛下直属の通詞であり、見習いとはいえ外交官です。新参者で下っ端には違いありませんが、城の出入りを許された他の臣下諸卿と概ね同等の立場であることをお忘れなきよう」
つまりは、いくら仲が良くてもエラに対しては上に立つ者として振る舞えということだ。不遇ながら社会経験の多いエラはそんなことを言われなくても諸事心得ているから、城に入った次の日にはアルテミシアに対して自然に頭を下げるようになった。それに対して困惑したのはアルテミシアの方だった。貴族と言えど、たかだか田舎の小貴族に過ぎないベルージ家では、傅かれるのはそう望んだ傲慢な家長のエンリコだけだったし、乳母や僅かな使用人と共に山の別邸へ移された後は、言葉こそ丁寧なものの主従の垣根を越えてまるで本当の家族のように過ごして来たのだ。こういう対応には慣れていない。
「ですが、慣れねばなりません」
と、ロハクにピシャリと言われてしまった。自分の感情はどうあれ客観的に見ればそれが道理だと思ったから観念して従ったが、せめて二人だけの時は普通に接してくれるようにエラに頼んだ。エラはアルテミシアにとっては、初めてできた女友達なのだ。立場の違いなどでその関係を失ってしまいたくなかった。
エラの同僚のケイナもまた、素直そうで気の利く娘だった。アルテミシアが姿見を陽当たりの良いところに用意してくれたケイナに礼を言うと、ケイナはそばかすの浮いた頬をくしゃっとさせて、いかにも陽気で人懐こい田舎娘といった感じの笑顔を浮かべた。
「アルテミシア・リンド様、あたくしエラと同室のケイナと申します。女中頭のキーリエ夫人には宴までよくよくお世話つかまつるようにと仰せつかっておりますので、どうぞよろしくお願いします」
「よろしく、ケイナ。どうぞミーシャと呼んで」
ケイナは恭しく貴婦人に対する礼をした。
「ケイナはわたしより二つ年上なのだけど、お母様と一緒に五歳の時からここにいるからいろいろと詳しいの。とても力になってくれているわ」
エラがアルテミシアに小声で告げた。アルテミシアは安堵した。エラがいかに美人で気立てが良くても、王城の女中として城に上がるにはロハクの言う通り性急過ぎた。規則を無視して無理やり城へ入れたものだから、周りからきつく当たられていないかと心配していたのだ。見たところ、ケイナの前では気を許しているように見える。
「エラのそばにいい人がいてくれてよかった」
ケイナはアルテミシアに笑いかけられ、いかにも人懐こい大きな口を引き上げて笑った。
「エラは面白い子ですわ、ミーシャ様。あたくしはこの城のことしか存じ上げませんから、エラが話してくれるエマンシュナでの暮らしや海賊に攫われた話なんかはまるで別世界で、何度聞いてもワクワクします」
アルテミシアは小さな衝撃を受けた。やはりエラは強い。ついこの間、またひとつ大きな傷を心に残したはずなのに、全てではなかったとしてもそれを話す勇気があるとは、驚嘆すべきことだ。加えてケイナはエラの身の上話を悲運な少女の哀しい物語ではなく、壮大な冒険譚として捉えている。それはエラがそのように語ったからに他ならない。もしかしたら誰かに傷を負った出来事を部分的にでも話すことで、何かを克服しようとしているのかもしれない。
(それに比べてわたしは…)
アルテミシアはケイナにうまく笑いかけることができなかった。エラは心の深い傷に立ち向かい、アルテミシアはまだ越えられない壁の前で立ち止まっている。
思いを巡らせて遠い目をし始めたアルテミシアの横に、鷲鼻が特徴的で身体のほっそりした仕立屋の女将がやって来た。黒一色のレース地のドレスをまとい、腰にはつやつやした深い赤のサテンの帯を巻いている。
いかにもベテランといった感じの中年の女将は次々にアルテミシアの身体に上等な布を当て、色味を見て「これはダメ」「これはまあまあ」「これは最高」などと言いながら選別していった。どうやら当事者であるアルテミシアの意見は求められていないらしい。エラとケイナも当人以上に熱心な目つきで頷き、或いは意見を言い、最終的に十着分もの生地を選び終えた。驚いたアルテミシアがこんなに必要ないと言って半分返そうとしたが、「これから宴や公式会見が増えますから、十着でも少ないくらいですわ」と、ケイナは譲らなかった。どの生地もアルテミシアの焼けた肌にも、日焼け跡が元の色に戻った後でも美しく映えるものだ。意見は聞かれなかったが、全部気に入った。子供の頃から新しくドレスを仕立てるよりも新しい本を買う方がよほど心が浮き立ったものだったが、久しぶりにドレスを――しかも王室付きの一流の仕立屋に作ってもらえるとなれば、いままで心の奥底に隠れていた小さな女心がウキウキと浮き立った。
「次の宴にはこれがいいですわ」
とケイナが勧めたのは、エメラルドグリーンの生地だった。
「毎年この宴では、女王陛下がイノイルの伝統色である濃い青のドレスをお召しになるのが習わしとなっています。ですから、ミーシャ様も同系色のものをお選びになる方が、統一感があってよろしいかと思いますわ」
アルテミシアはなるほど、と頷き、すべてケイナとエラに任せた。彼女たちに任せておけば間違いないだろう。仕立屋の女将と使用人たちが広げられた数々の高価な生地を片付けている間に、彼女たちは衝立を出してきてアルテミシアを中に引っ張り込み、杏子色のドレスと下に履いていた細身のズボンをくるくると脱がせてシュミーズ一枚の姿にさせると、採寸を始めた。
エラは既に何度か見たから慣れたものだが、ケイナは鍛えられた女性の身体を初めて見たらしい。
「まあ、逞しい。おきれいで羨ましいですわ」
と、溜め息をこぼして引き締まった二の腕と腿にうっとり見とれた。
「腹筋も割れているのよ」
エラがこっそりとケイナに耳打ちした。
「六年間毎日船の上で力仕事をして、二時間剣の稽古をすればこうなるよ」
と、アルテミシアは快活に笑った。ケイナはアルテミシアの真後ろに立ち、細い帯状のメジャーを首の下から足元へまっすぐに伸ばした。
「軍服もお似合いですものね。お城にいらっしゃって以来、いつも遠くから拝見していましたわ。それにしてもほっそりして綺麗なお首」
測った寸法を小さな丸テーブルに陣取ったエラが紙にサラサラと書き込んだ。
「あんまり鍛えちゃダメですよ、ミーシャ様。今日測ったサイズが宴までに変わったら大変」
エラがクスクス笑いながらアルテミシアに忠告した。
「少しくらいは余裕あるでしょ?」
エラとケイナが目を見合わせてニヤリと笑い合ったが、アルテミシアは見なかったことにした。何も考えずに全部任せると決めたのだから、二人の思い通りにさせるしかない。ケイナはアルテミシアの腕の長さを測り始めた。
「それにしても、みんながルメオの伝統色を着たら、軍服も目立って青ばっかりになりそうだね」
「あら、ミーシャ様。その日は殿方も軍装ではなく、みな宴のために盛装になさるんですよ。他の宴よりもいっそう宮殿が華やいで、ほんとうにうっとりします」
ケイナが夢を見るような顔で言った。
「なにしろ‘獅子と鷲の宴’ですもの」
アルテミシアは何のことかよく分からなかったが、エラは知っているらしく、得心がいったように「ああ」と頷いた。
「それ何?」
「エマンシュナ王国とイノイル王国が同盟を結んでから百年の間行われている記念の宴ですよ。国王同士が二年に一度互いの宮殿に招きあって宴を開くんです。一昨年は女王陛下がエマンシュナのアストレンヌ城に招かれたので、今年はエマンシュナのレオニード国王陛下をオアリス城にお招きしておもてなしをするんですよ。特に今年は王子様や他のご親戚もいらっしゃるそうなので、侍女や女中たちが浮き足立っておりますわ」
ケイナが楽しい空想をするように目を細め、採寸用のメジャーを掴んだまま胸に手を当てた。
「他の同盟国や貿易協定を結んだ国からもたくさん高貴な方が見えるそうですから、ミーシャ様もお忙しくなりますね」
と、エラもどこか楽しそうに言った。
採寸を終え、アルテミシアが杏子色のドレスとズボンに再び身を包むと、衝立の外で仕立屋のほっそりした女将が待ち受けていた。女将はエラから寸法を記録した紙を受け取るや否や、眉を上げ、顎に手を当てて、アルテミシアの全身を真剣な目つきで眺めた。
「背が高くてよく引き締まった身体をなさっていますわ。お胸も豊満とは言えませんが、綺麗な丸みがあってバランスがとてもいいですから、この天賦の造形が引き立つものをお作りいたしましょう。優雅で、かつ女性らしく」
と、女将は最後の部分を強調した。
「少し前まで男性のような格好をされていたと伺いましたよ、リンド様」
「今も必要な時は軍装ですよ。動きやすいので」
「まあ」
仕立屋の女将はキラリと目を光らせた。こういう時の一般的な反応はアルテミシアにも大体わかって来ている。「せっかくきれいなのに勿体ない」とか、「女だてらに」とか、残念がられるか非難がましく嘆息されるかのどちらかだ。しかし、女将は唇を突き出して笑い、違うことを言った。
「男装もさぞお似合いでしょうね。わたくしでしたらあなた様を稀代の美男子に仕上げられますわ」
アルテミシアは目を丸くし、おもしろくなって声を上げて笑った。こんなことを言う人は初めてだ。
「ええ、是非見てみたいですわ。軍装もとてもお似合いなんですよ。騎士のように凛々しくて」
ケイナが声を弾ませた。エラはその横でウンウンと頷き、同意している。
「軍の方はみんな背が高すぎるし、お身体つきも鍛えすぎでゴツゴツしていて、そうじゃない方はヒゲを生やして強く見せようとなさるの。そういうのが好きな者も勿論おりますけどね。でもそうでない者はみぃんな常日頃から言っていますわ。細身で爽やかでもっと穏やかな雰囲気の貴公子はいないものかって。でもミーシャ様がいらっしゃってから誰も言わなくなったんです。軍装の時、城の女性たちがミーシャ様の方を憧れの眼差しで見ているのに気づいていらっしゃいます?」
「え…そうなの?気づかなかった」
「そうですよ!背丈もちょっと高いくらいで丁度いいしお顔立ちもキリリと整っておいでですから、みなそばを通るたびに目の保養とばかりにこっそり拝んでいますよ」
「そんなに見られてるなんて、信じられない。本当に?」
尋ねられてエラもニヤリとした。
「勿論。ここに来た日から、なんだか女性たちがミーシャ様を見る目が妙だなって思っていましたとも」
「バルカ将軍と部下の方も人気がおありだと聞きましたが」
と、女将が口を挟んだ。女将は高位の侍女や貴族の子女たちのドレスも仕立てているから、城の女性たちの事情に詳しい。ケイナの瞳がキラリと輝いた。
「イグリ・ソノ・アガタ様ですね。物腰柔らかくて男前でいらっしゃいますから、女中たちの間では一、二を争う人気ぶりですわ。でもちょっと…女癖があまりよろしくないので、以前ほどはちやほやされていないようでしてよ」
ケイナが余程の事情通で、しかもこの手の話題が大好物らしいということがアルテミシアにもよく分かった。彼女のそばかすだらけの顔が生き生きとつやめいている。
「あら、最近は動向が落ち着いたらしいと聞きましてよ」
女将は身を乗り出した。どうやらこの人もケイナと同じくこの手の話が大好きなようだ。社会的にはあまり重要視されていない立場の人々だが、情報戦には兵士よりも城の女中たちのほうがよほど戦力になるだろうとアルテミシアは密かに思った。
女将は扇子を取り出し、顔の前でパタパタとさせた。
「さすがマダム、お耳が早いですね。どうやら本命ができたらしいとの噂ですわ」
「そうなの?」
アルテミシアが全くの他人事として受け取っているのを見て、エラはハラハラしてしまった。二人きりだったら「まったくもう!鈍感!」と詰ってしまっていたかもしれない。それと同時にイグリを不憫に思ったから、急いで話題を変えようとした。
「わたくしは、ロハク様も素敵だと思います。いつも穏やかな佇まいでいらっしゃって」
と言った瞬間、ケイナと女将が顔を見合わせて意味ありげな視線を交わし合ったが、アルテミシアはそれに気付かず、「ああ、エラ」と心底残念そうな表情をして見せた。
「残念だったね。ミシナさんは多分…」
「そう。ずいぶん前から女性は相手にしないと公言なさっていましてよ」
と、女将が物知り顔で先を引き取った。後ろでウンウンとケイナが首を縦に振っている。
「違います。そういう意味ではなくて…」
ただ話の矛先がイグリの本命に向かっているのを逸らそうと思っただけだ。イグリにも海賊船から助けてもらった恩義を感じている。ロハクが女中たちの寮へ案内してくれた若い従僕と視線を交わし合うのを見てうすうす勘付いてはいたが、如何せん城に入って日が浅いエラは他の男たちの名前を知らない。エラはイグリのためにこの話題を続けることにした。
「ロハク様が若い恋人とご一緒にいらっしゃるところは、とても絵になりますわ」
女将は「まっ!」と嬉しそうな声をあげ、ころころと笑った。
「そうですわね。美男同士が仲睦まじくなさるのも、見応えがあって素敵ですわ」
「男ばっかりの船じゃ、男同士なんて珍しくないよ。多分軍にはもっといると思うけど」
事実、アルテミシアの乗っていた船にも何人かはいた。同性の多く集まる場所では特によくあることだ。
「あら、当然ですわ、リンド様。うちのお針子にも愛らしい恋人同士がいましてよ。女中にもおられるのではなくて?」
女将がケイナに水を向けると、ケイナはまたウンウンと頷いた。
「それにしても、ロハク・オレガリ・ミシナ様が女性と結婚するつもりがないのは残念なことですわ。何人のご令嬢が肩を落とされたことか」
ケイナが嘆くと、女将はここぞとばかりに次の話題を持ち出した。
「結婚といえば、サゲン・エメレンス・バルカ将軍はどうなさるのかしらね」
女将はこの女同士の世間話を続ける気でいる。その証拠に、今日の仕事はもう終わったとばかりにソファに優雅に腰掛けた。
アルテミシアは思わずぴくりと反応した。サゲンに関する浮いた話を他人事として聞き流せない自分がいることに、自分でも驚いた。あの男は近くにいなくても自分の知らなかった感情を引き出すらしい。
「というと?」
ケイナが先を促すと、女将はキラリと目を輝かせた。
「わたくしこの王宮に出入りし始めてもう二十年になりますわ。ですから高貴なお方のお屋敷にもよく伺ってお勤めさせていただきますの」
と、女将は細い顎を少し上げて自慢げに勿体ぶってみせた。
「バルカ将軍のお母上様もそのうちのお一人ですわ。つい先日も伺ったのですけど、その時にご子息のお話をなさっていましてね、バルカ将軍にはどうやらもう十年ほど決まったお相手がいないそうですのよ。お若い頃に婚約が破談になった後は、いい仲になった令嬢や未亡人が少なからずいらっしゃったようですけど、どの方とも長く続かなかったそうですわ。お母上様もたいそう心配されて、度々ご実家に呼び出しては若くて高貴なご令嬢を紹介なさっているんです。近頃は将軍がお忙しくて叶わないようですけど、近いうちにまたお見合いを考えておいでですのよ」
「まあ。あの涼やかな面立ちと立ち姿ですもの。どなたか見初められればすぐにご結婚が決まるはずですわね」
エラは女将とケイナの話にやや大仰に相槌を打ちながら、ちらりとアルテミシアを見た。澄ました顔で相槌を打ちながら何も気にならない素振りを見せているが、目が全く笑っていない。それに、二人の話に耳を集中しているのがエラにはわかった。
これはあまり本人がいないところで聞くべき話題ではない。アルテミシアはひどく居心地悪く感じたが、なんとなくその場を動くことができなかった。聞かない方がいい話なのに、顔を出した好奇心がそれを阻んでいた。
(若くて高貴な令嬢をね…)
聞いてしまった罪悪感とトゲトゲした不可解な感情が拮抗している。
「それにしても、どちらの家のご令嬢を紹介されるのかしら。さぞ高貴な方なのでしょうね。バルカ将軍も城中の女性の注目の的ですから、そんな話題が大っぴらになれば誰も放っておきませんわ」
ケイナが身を乗り出し、更に話を続けようとしたところで、エラが朗らかに微笑んで話を打ち切った。
「さあさあ、ケイナ。わたしたちはミーシャ様のお食事の支度をしなければ。マダム、ドレスの件はよろしくお願いいたします。さぞ美しく洗練されたものになると期待していますわ」
「当然でしてよ」
誇り高く言って仕立屋の女将がサロンのドアの前に待たせていた洒落者のお針子たちと共に辞去すると、ケイナが小声でエラに言った。
「ミーシャ様は講義の前にお食事を済ませたって言ってたわよ」
エラは「そうだっけ?ごめんなさい」と生返事をしながら窓際に頬杖をついているアルテミシアの方を見た。思案顔だ。
(また波風が立たないといいけど)
しかし受け取り方によっては良い兆候かもしれない。仲はむしろ険悪だと言っていたアルテミシアが、誰あろうそのバルカ将軍のことで頭をいっぱいにしているのだから。
アルテミシアの冷淡な態度にイグリはひどく腹を立てているだろうと思ったが、城まで速駆けの勝負を挑むと、いつものように華麗に微笑んで快諾してくれた。
「その顔、みんなに何か言われなかった?」
馬を駆けさせながら、少し前方を走るイグリの方へ声を張り上げた。イグリは目の下や頬についた痣の目立つ顔で振り向くと、愉快そうに白い歯を見せた。
「言われたさ。特にリコとブランに。上官とやり合ったって言ったら英雄扱いだったぜ」
気を遣わないように配慮してくれたのだろうとアルテミシアは思ったが、その言い方があまりに誇らしげだったので思わず笑ってしまった。
「競走だろ?余裕だな」
イグリは掛け声を上げ、馬を鞭打った。
「あっ、ずるい!」
アルテミシアもデメトラの腹を蹴り、慌てて追いかけた。
「上官とは、ちゃんと話せたのか?」
城門に着いたイグリは余裕の表情でひらりと馬から降り、後からやっと追いついて来たアルテミシアに問いかけた。
「うん」
デメトラの上にいるアルテミシアの顔は、今朝の空に似つかわしく晴れ晴れしている。杏子色のドレスが彼女の気分を表しているようにも見えた。イグリは胸中穏やかとは言えないものの、久しぶりに春の太陽のようなアルテミシアの姿が見られて安堵し、嬉しく思った。少なくとも、決死の覚悟で尊敬する上官を殴りに行ったのは間違いではなかったはずだ。
「憑き物が落ちたな。ミーシャは嫌がるだろうけど、また上官が原因で君が落ち込むようなことがあったら、多分また殴りに行くと思うよ」
アルテミシアは「ははっ」と愉快そうに笑い声をあげた。
「わたしはまた怒ると思うけど、それでもよければ是非腕を鍛えて。今度は負けないようにしないとね」
「俺が勝ってた」
イグリがムキになって反論すると、アルテミシアはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「わたしにはそう見えなかった」
心外だとばかりにイグリが胸を膨らませ、轡を取って馬を厩へ入れた。アルテミシアは兵舎へと向かう背に声を掛けた。
「イグリ、あなたの友情に感謝してる。ありがとう」
複雑な思いを抱えつつ、イグリは振り向いて陽気に微笑んだ。アルテミシアが元気なら、それで本望だ。
イグリがサゲンの執務室へ赴くと、上官もスッキリした顔をしている。厳密にはいつもと変わらぬ無表情だが、それでも付き合いの長いイグリにはわかった。憎らしいことに、こちらも憑き物が落ちたようだ。唯一の救いはサゲンの顔にも自分と同じように痣が目立っていることだ。あれが完全に消えるまでは、上官に立ち向かった自分の勇敢さを密やかに噛み締めることができるだろう。
「謝りに来たのか」
サゲンがにこりともせずに訊いた。
「違います」
イグリは痣のある整った顔に爽やかな笑みを浮かべた。サゲンは気を悪くした様子も、驚いた素振りも見せず、目を細めただけだった。これが部下を褒めるときの表情であることを、イグリは理解している。
「そうだろうな」
多少お調子者とはいえ、サゲンには常に忠実なイグリが敢えて牙を剥いたのだ。後悔などしていないことは初めから分かっている。
「あなたとミーシャの関係が良い方に進んだのは何となくわかりましたけどね、上官」
イグリは瞳を悪戯っぽく輝かせた。
「悪いけど俺も本気なので、うかうかしてたら貰います。ミーシャには完全に友達だと思われていますけど、上官と違って彼女とは同い年だし、こう言っちゃなんだけどあなたよりも女性の扱いは上手いから、チャンスはあるはずだ」
サゲンは一瞬苦々しげに口元を引き結んだがすぐに緩め、いつもの上官の顔に戻った。
「それはお前の自由だから、口出しはしない」
サゲンは不快感などおくびにも出さずに大人の男らしくそう言ったが、最後にこう付け足した。
「だがあれは俺が好きだぞ」
なんということだ。バルカ将軍が部下に向かってこのように対抗心を剥き出しにするとは。イグリは真っ青な瞳を大きく見開いた。
(存外この方も子供っぽいところがある)
「せいぜいそう思っていればいいですよ」
イグリは苦笑を隠そうともしなかった。
それから数日経って、アルテミシアの身辺が俄かに忙しくなった。宴のためだ。エラは新参の身でありながら同室のケイナを食事係から借り受けることに成功し、アルテミシアがイサ・アンナの重臣から歴史の講義を受けるために来ていた小ぢんまりしたサロンへとやって来た。老いた重臣は「なんと、講義の最中ですぞ」と真っ白な口髭をもごもごさせていきり立ったが、城内のことに慣れているケイナが上手く言いくるめて重臣を退室させることに成功した。
何事かと大人しく一部始終を見守っていたアルテミシアは、後からぞろぞろとやって来たいくつもの高価そうな布を抱えた洒落者たちの集団を見てようやく合点がいった。
「忘れてた」
本音をぽろりとこぼしたアルテミシアにエラが一瞬ふざけて怒った顔を見せたが、そばに他の使用人達がいたのですぐに礼儀正しく畏まった態度になり、アルテミシアだけに分かるようにウインクした。
二人が人前での振る舞いに気を遣うようになったのには、理由がある。
エラが女中として働き出した日に、ロハクが釘を刺した相手はエラではなく、アルテミシアだった。
「あなたは女王陛下直属の通詞であり、見習いとはいえ外交官です。新参者で下っ端には違いありませんが、城の出入りを許された他の臣下諸卿と概ね同等の立場であることをお忘れなきよう」
つまりは、いくら仲が良くてもエラに対しては上に立つ者として振る舞えということだ。不遇ながら社会経験の多いエラはそんなことを言われなくても諸事心得ているから、城に入った次の日にはアルテミシアに対して自然に頭を下げるようになった。それに対して困惑したのはアルテミシアの方だった。貴族と言えど、たかだか田舎の小貴族に過ぎないベルージ家では、傅かれるのはそう望んだ傲慢な家長のエンリコだけだったし、乳母や僅かな使用人と共に山の別邸へ移された後は、言葉こそ丁寧なものの主従の垣根を越えてまるで本当の家族のように過ごして来たのだ。こういう対応には慣れていない。
「ですが、慣れねばなりません」
と、ロハクにピシャリと言われてしまった。自分の感情はどうあれ客観的に見ればそれが道理だと思ったから観念して従ったが、せめて二人だけの時は普通に接してくれるようにエラに頼んだ。エラはアルテミシアにとっては、初めてできた女友達なのだ。立場の違いなどでその関係を失ってしまいたくなかった。
エラの同僚のケイナもまた、素直そうで気の利く娘だった。アルテミシアが姿見を陽当たりの良いところに用意してくれたケイナに礼を言うと、ケイナはそばかすの浮いた頬をくしゃっとさせて、いかにも陽気で人懐こい田舎娘といった感じの笑顔を浮かべた。
「アルテミシア・リンド様、あたくしエラと同室のケイナと申します。女中頭のキーリエ夫人には宴までよくよくお世話つかまつるようにと仰せつかっておりますので、どうぞよろしくお願いします」
「よろしく、ケイナ。どうぞミーシャと呼んで」
ケイナは恭しく貴婦人に対する礼をした。
「ケイナはわたしより二つ年上なのだけど、お母様と一緒に五歳の時からここにいるからいろいろと詳しいの。とても力になってくれているわ」
エラがアルテミシアに小声で告げた。アルテミシアは安堵した。エラがいかに美人で気立てが良くても、王城の女中として城に上がるにはロハクの言う通り性急過ぎた。規則を無視して無理やり城へ入れたものだから、周りからきつく当たられていないかと心配していたのだ。見たところ、ケイナの前では気を許しているように見える。
「エラのそばにいい人がいてくれてよかった」
ケイナはアルテミシアに笑いかけられ、いかにも人懐こい大きな口を引き上げて笑った。
「エラは面白い子ですわ、ミーシャ様。あたくしはこの城のことしか存じ上げませんから、エラが話してくれるエマンシュナでの暮らしや海賊に攫われた話なんかはまるで別世界で、何度聞いてもワクワクします」
アルテミシアは小さな衝撃を受けた。やはりエラは強い。ついこの間、またひとつ大きな傷を心に残したはずなのに、全てではなかったとしてもそれを話す勇気があるとは、驚嘆すべきことだ。加えてケイナはエラの身の上話を悲運な少女の哀しい物語ではなく、壮大な冒険譚として捉えている。それはエラがそのように語ったからに他ならない。もしかしたら誰かに傷を負った出来事を部分的にでも話すことで、何かを克服しようとしているのかもしれない。
(それに比べてわたしは…)
アルテミシアはケイナにうまく笑いかけることができなかった。エラは心の深い傷に立ち向かい、アルテミシアはまだ越えられない壁の前で立ち止まっている。
思いを巡らせて遠い目をし始めたアルテミシアの横に、鷲鼻が特徴的で身体のほっそりした仕立屋の女将がやって来た。黒一色のレース地のドレスをまとい、腰にはつやつやした深い赤のサテンの帯を巻いている。
いかにもベテランといった感じの中年の女将は次々にアルテミシアの身体に上等な布を当て、色味を見て「これはダメ」「これはまあまあ」「これは最高」などと言いながら選別していった。どうやら当事者であるアルテミシアの意見は求められていないらしい。エラとケイナも当人以上に熱心な目つきで頷き、或いは意見を言い、最終的に十着分もの生地を選び終えた。驚いたアルテミシアがこんなに必要ないと言って半分返そうとしたが、「これから宴や公式会見が増えますから、十着でも少ないくらいですわ」と、ケイナは譲らなかった。どの生地もアルテミシアの焼けた肌にも、日焼け跡が元の色に戻った後でも美しく映えるものだ。意見は聞かれなかったが、全部気に入った。子供の頃から新しくドレスを仕立てるよりも新しい本を買う方がよほど心が浮き立ったものだったが、久しぶりにドレスを――しかも王室付きの一流の仕立屋に作ってもらえるとなれば、いままで心の奥底に隠れていた小さな女心がウキウキと浮き立った。
「次の宴にはこれがいいですわ」
とケイナが勧めたのは、エメラルドグリーンの生地だった。
「毎年この宴では、女王陛下がイノイルの伝統色である濃い青のドレスをお召しになるのが習わしとなっています。ですから、ミーシャ様も同系色のものをお選びになる方が、統一感があってよろしいかと思いますわ」
アルテミシアはなるほど、と頷き、すべてケイナとエラに任せた。彼女たちに任せておけば間違いないだろう。仕立屋の女将と使用人たちが広げられた数々の高価な生地を片付けている間に、彼女たちは衝立を出してきてアルテミシアを中に引っ張り込み、杏子色のドレスと下に履いていた細身のズボンをくるくると脱がせてシュミーズ一枚の姿にさせると、採寸を始めた。
エラは既に何度か見たから慣れたものだが、ケイナは鍛えられた女性の身体を初めて見たらしい。
「まあ、逞しい。おきれいで羨ましいですわ」
と、溜め息をこぼして引き締まった二の腕と腿にうっとり見とれた。
「腹筋も割れているのよ」
エラがこっそりとケイナに耳打ちした。
「六年間毎日船の上で力仕事をして、二時間剣の稽古をすればこうなるよ」
と、アルテミシアは快活に笑った。ケイナはアルテミシアの真後ろに立ち、細い帯状のメジャーを首の下から足元へまっすぐに伸ばした。
「軍服もお似合いですものね。お城にいらっしゃって以来、いつも遠くから拝見していましたわ。それにしてもほっそりして綺麗なお首」
測った寸法を小さな丸テーブルに陣取ったエラが紙にサラサラと書き込んだ。
「あんまり鍛えちゃダメですよ、ミーシャ様。今日測ったサイズが宴までに変わったら大変」
エラがクスクス笑いながらアルテミシアに忠告した。
「少しくらいは余裕あるでしょ?」
エラとケイナが目を見合わせてニヤリと笑い合ったが、アルテミシアは見なかったことにした。何も考えずに全部任せると決めたのだから、二人の思い通りにさせるしかない。ケイナはアルテミシアの腕の長さを測り始めた。
「それにしても、みんながルメオの伝統色を着たら、軍服も目立って青ばっかりになりそうだね」
「あら、ミーシャ様。その日は殿方も軍装ではなく、みな宴のために盛装になさるんですよ。他の宴よりもいっそう宮殿が華やいで、ほんとうにうっとりします」
ケイナが夢を見るような顔で言った。
「なにしろ‘獅子と鷲の宴’ですもの」
アルテミシアは何のことかよく分からなかったが、エラは知っているらしく、得心がいったように「ああ」と頷いた。
「それ何?」
「エマンシュナ王国とイノイル王国が同盟を結んでから百年の間行われている記念の宴ですよ。国王同士が二年に一度互いの宮殿に招きあって宴を開くんです。一昨年は女王陛下がエマンシュナのアストレンヌ城に招かれたので、今年はエマンシュナのレオニード国王陛下をオアリス城にお招きしておもてなしをするんですよ。特に今年は王子様や他のご親戚もいらっしゃるそうなので、侍女や女中たちが浮き足立っておりますわ」
ケイナが楽しい空想をするように目を細め、採寸用のメジャーを掴んだまま胸に手を当てた。
「他の同盟国や貿易協定を結んだ国からもたくさん高貴な方が見えるそうですから、ミーシャ様もお忙しくなりますね」
と、エラもどこか楽しそうに言った。
採寸を終え、アルテミシアが杏子色のドレスとズボンに再び身を包むと、衝立の外で仕立屋のほっそりした女将が待ち受けていた。女将はエラから寸法を記録した紙を受け取るや否や、眉を上げ、顎に手を当てて、アルテミシアの全身を真剣な目つきで眺めた。
「背が高くてよく引き締まった身体をなさっていますわ。お胸も豊満とは言えませんが、綺麗な丸みがあってバランスがとてもいいですから、この天賦の造形が引き立つものをお作りいたしましょう。優雅で、かつ女性らしく」
と、女将は最後の部分を強調した。
「少し前まで男性のような格好をされていたと伺いましたよ、リンド様」
「今も必要な時は軍装ですよ。動きやすいので」
「まあ」
仕立屋の女将はキラリと目を光らせた。こういう時の一般的な反応はアルテミシアにも大体わかって来ている。「せっかくきれいなのに勿体ない」とか、「女だてらに」とか、残念がられるか非難がましく嘆息されるかのどちらかだ。しかし、女将は唇を突き出して笑い、違うことを言った。
「男装もさぞお似合いでしょうね。わたくしでしたらあなた様を稀代の美男子に仕上げられますわ」
アルテミシアは目を丸くし、おもしろくなって声を上げて笑った。こんなことを言う人は初めてだ。
「ええ、是非見てみたいですわ。軍装もとてもお似合いなんですよ。騎士のように凛々しくて」
ケイナが声を弾ませた。エラはその横でウンウンと頷き、同意している。
「軍の方はみんな背が高すぎるし、お身体つきも鍛えすぎでゴツゴツしていて、そうじゃない方はヒゲを生やして強く見せようとなさるの。そういうのが好きな者も勿論おりますけどね。でもそうでない者はみぃんな常日頃から言っていますわ。細身で爽やかでもっと穏やかな雰囲気の貴公子はいないものかって。でもミーシャ様がいらっしゃってから誰も言わなくなったんです。軍装の時、城の女性たちがミーシャ様の方を憧れの眼差しで見ているのに気づいていらっしゃいます?」
「え…そうなの?気づかなかった」
「そうですよ!背丈もちょっと高いくらいで丁度いいしお顔立ちもキリリと整っておいでですから、みなそばを通るたびに目の保養とばかりにこっそり拝んでいますよ」
「そんなに見られてるなんて、信じられない。本当に?」
尋ねられてエラもニヤリとした。
「勿論。ここに来た日から、なんだか女性たちがミーシャ様を見る目が妙だなって思っていましたとも」
「バルカ将軍と部下の方も人気がおありだと聞きましたが」
と、女将が口を挟んだ。女将は高位の侍女や貴族の子女たちのドレスも仕立てているから、城の女性たちの事情に詳しい。ケイナの瞳がキラリと輝いた。
「イグリ・ソノ・アガタ様ですね。物腰柔らかくて男前でいらっしゃいますから、女中たちの間では一、二を争う人気ぶりですわ。でもちょっと…女癖があまりよろしくないので、以前ほどはちやほやされていないようでしてよ」
ケイナが余程の事情通で、しかもこの手の話題が大好物らしいということがアルテミシアにもよく分かった。彼女のそばかすだらけの顔が生き生きとつやめいている。
「あら、最近は動向が落ち着いたらしいと聞きましてよ」
女将は身を乗り出した。どうやらこの人もケイナと同じくこの手の話が大好きなようだ。社会的にはあまり重要視されていない立場の人々だが、情報戦には兵士よりも城の女中たちのほうがよほど戦力になるだろうとアルテミシアは密かに思った。
女将は扇子を取り出し、顔の前でパタパタとさせた。
「さすがマダム、お耳が早いですね。どうやら本命ができたらしいとの噂ですわ」
「そうなの?」
アルテミシアが全くの他人事として受け取っているのを見て、エラはハラハラしてしまった。二人きりだったら「まったくもう!鈍感!」と詰ってしまっていたかもしれない。それと同時にイグリを不憫に思ったから、急いで話題を変えようとした。
「わたくしは、ロハク様も素敵だと思います。いつも穏やかな佇まいでいらっしゃって」
と言った瞬間、ケイナと女将が顔を見合わせて意味ありげな視線を交わし合ったが、アルテミシアはそれに気付かず、「ああ、エラ」と心底残念そうな表情をして見せた。
「残念だったね。ミシナさんは多分…」
「そう。ずいぶん前から女性は相手にしないと公言なさっていましてよ」
と、女将が物知り顔で先を引き取った。後ろでウンウンとケイナが首を縦に振っている。
「違います。そういう意味ではなくて…」
ただ話の矛先がイグリの本命に向かっているのを逸らそうと思っただけだ。イグリにも海賊船から助けてもらった恩義を感じている。ロハクが女中たちの寮へ案内してくれた若い従僕と視線を交わし合うのを見てうすうす勘付いてはいたが、如何せん城に入って日が浅いエラは他の男たちの名前を知らない。エラはイグリのためにこの話題を続けることにした。
「ロハク様が若い恋人とご一緒にいらっしゃるところは、とても絵になりますわ」
女将は「まっ!」と嬉しそうな声をあげ、ころころと笑った。
「そうですわね。美男同士が仲睦まじくなさるのも、見応えがあって素敵ですわ」
「男ばっかりの船じゃ、男同士なんて珍しくないよ。多分軍にはもっといると思うけど」
事実、アルテミシアの乗っていた船にも何人かはいた。同性の多く集まる場所では特によくあることだ。
「あら、当然ですわ、リンド様。うちのお針子にも愛らしい恋人同士がいましてよ。女中にもおられるのではなくて?」
女将がケイナに水を向けると、ケイナはまたウンウンと頷いた。
「それにしても、ロハク・オレガリ・ミシナ様が女性と結婚するつもりがないのは残念なことですわ。何人のご令嬢が肩を落とされたことか」
ケイナが嘆くと、女将はここぞとばかりに次の話題を持ち出した。
「結婚といえば、サゲン・エメレンス・バルカ将軍はどうなさるのかしらね」
女将はこの女同士の世間話を続ける気でいる。その証拠に、今日の仕事はもう終わったとばかりにソファに優雅に腰掛けた。
アルテミシアは思わずぴくりと反応した。サゲンに関する浮いた話を他人事として聞き流せない自分がいることに、自分でも驚いた。あの男は近くにいなくても自分の知らなかった感情を引き出すらしい。
「というと?」
ケイナが先を促すと、女将はキラリと目を輝かせた。
「わたくしこの王宮に出入りし始めてもう二十年になりますわ。ですから高貴なお方のお屋敷にもよく伺ってお勤めさせていただきますの」
と、女将は細い顎を少し上げて自慢げに勿体ぶってみせた。
「バルカ将軍のお母上様もそのうちのお一人ですわ。つい先日も伺ったのですけど、その時にご子息のお話をなさっていましてね、バルカ将軍にはどうやらもう十年ほど決まったお相手がいないそうですのよ。お若い頃に婚約が破談になった後は、いい仲になった令嬢や未亡人が少なからずいらっしゃったようですけど、どの方とも長く続かなかったそうですわ。お母上様もたいそう心配されて、度々ご実家に呼び出しては若くて高貴なご令嬢を紹介なさっているんです。近頃は将軍がお忙しくて叶わないようですけど、近いうちにまたお見合いを考えておいでですのよ」
「まあ。あの涼やかな面立ちと立ち姿ですもの。どなたか見初められればすぐにご結婚が決まるはずですわね」
エラは女将とケイナの話にやや大仰に相槌を打ちながら、ちらりとアルテミシアを見た。澄ました顔で相槌を打ちながら何も気にならない素振りを見せているが、目が全く笑っていない。それに、二人の話に耳を集中しているのがエラにはわかった。
これはあまり本人がいないところで聞くべき話題ではない。アルテミシアはひどく居心地悪く感じたが、なんとなくその場を動くことができなかった。聞かない方がいい話なのに、顔を出した好奇心がそれを阻んでいた。
(若くて高貴な令嬢をね…)
聞いてしまった罪悪感とトゲトゲした不可解な感情が拮抗している。
「それにしても、どちらの家のご令嬢を紹介されるのかしら。さぞ高貴な方なのでしょうね。バルカ将軍も城中の女性の注目の的ですから、そんな話題が大っぴらになれば誰も放っておきませんわ」
ケイナが身を乗り出し、更に話を続けようとしたところで、エラが朗らかに微笑んで話を打ち切った。
「さあさあ、ケイナ。わたしたちはミーシャ様のお食事の支度をしなければ。マダム、ドレスの件はよろしくお願いいたします。さぞ美しく洗練されたものになると期待していますわ」
「当然でしてよ」
誇り高く言って仕立屋の女将がサロンのドアの前に待たせていた洒落者のお針子たちと共に辞去すると、ケイナが小声でエラに言った。
「ミーシャ様は講義の前にお食事を済ませたって言ってたわよ」
エラは「そうだっけ?ごめんなさい」と生返事をしながら窓際に頬杖をついているアルテミシアの方を見た。思案顔だ。
(また波風が立たないといいけど)
しかし受け取り方によっては良い兆候かもしれない。仲はむしろ険悪だと言っていたアルテミシアが、誰あろうそのバルカ将軍のことで頭をいっぱいにしているのだから。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
『床下に札束を隠す金髪悪女は、毎朝赤いマットの上で黒の下着姿で股を開く』〜ストレッチが、私の金脈〜
まさき
恋愛
毎朝六時。
黒の下着姿で、赤いヨガマットの上に脚を開く。
それが橘麗奈、二十八歳の朝の儀式。
ストレッチが終わったら、絨毯をめくる。
床下収納を開けて、封筒の束を確認する。
まだある。今日も、負けていない。
儚く見える目と、計算された貧しさで男の「守りたい」を引き出し、感情を売らずに金だけを回収してきた。
愛は演技。体は商売道具。金は成果。
ブリーチで傷んだ金髪も、柔らかく整えた体も、全部武器だ。
完璧だったはずの計算が、同じマンションに住む地味な男——青木奏の登場で、狂い始める。
奢らない。
触れない。
欲しがらない。
それでも、去らない。
武器が全部外れる相手に、麗奈は初めて「演じない自分」を見られてしまう。
赤いマットの上で、もう脚を開けなくなる朝が来るまでの話。
【完結】【ママ友百合】ラテアートにハートをのせて
千鶴田ルト
恋愛
専業主婦の優菜は、夫・拓馬と娘の結と共に平穏な暮らしを送っていた。
そんな彼女の前に現れた、カフェ店員の千春。
夫婦仲は良好。別れる理由なんてどこにもない。
それでも――千春との時間は、日常の中でそっと息を潜め、やがて大きな存在へと変わっていく。
ちょっと変わったママ友不倫百合ほのぼのガールズラブ物語です。
ハッピーエンドになるのでご安心ください。
イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在
唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話
中山加恋(20歳)
二十歳でトオルの妻になる
何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛
中山トオル(32歳)
17歳の加恋に一目ぼれ
加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する
加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる
会社では群を抜くほどの超エリートが、
愛してやまない加恋ちゃんに
振り回されたり落ち込まされたり…
そんなイケメンエリートの
ちょっと切なくて笑えるお話
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
義姉と押し入れに隠れたら、止まれなくなった
くろがねや
恋愛
父の再婚で、義姉ができた。
血は繋がっていない。でも——家族だ。そう言い聞かせながら、涼介はずっと沙耶から距離を取ってきた。
夏休み。田舎への帰省。甥っ子にせがまれて始まったかくれんぼ。急いで飛び込んだ押し入れの中に、先客がいた。
「……涼介くん」
薄い水色の浴衣。下ろした髪。橙色の光に染まった、沙耶の顔。
逃げ場のない暗闇の中で、二人分の体温が混ざり合う。
夜、来て。
その一言が——涼介の、全部を壊した。
甘くて、苦しくて、止まれない。
これは、ある夏の、秘密の話。