王城のマリナイア

若島まつ

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二十三、獅子と鷲の宴 - il grande banchetto del Leone e dell'Aquila -

 ケイナの手によってアンダードレスの留め具がはめられ、身体が締め付けられていく。
「ちょっとお痩せになりました?」
 と、ケイナが言った。その口ぶりからして、あまり良い意味ではないようだ。それによって締め付けが少しでも減ったのは、アルテミシアにとっては幸いなことだが。
「忙しいからって、食事を抜いたりしていませんよね?」
 エラが二枚目の緑がかったエメラルドグリーンのドレスを用意しながら気遣わしげに言った。
「食べてるけど、最近毎日身体を動かしてたからかな」
 アルテミシアはここ数日のことを思い返した。
 仕事で疲労を感じたり考えが煮詰まったりすると、必ず剣を振る。ここのところはそれが毎日続いている。理由は、主に後者だ。
 サゲンとはあの夜以来、ぎくしゃくしている。アルテミシアはあの日、明確な答えを出すことができなかった。

 澱のように溜まっていた自分の過去に向き合い、サゲンに過去の事実を告げ、受け入れられた。自分でも、完全ではなくても過去を受け入ることができた。そして、サゲンに抱く感情にとうとう名前をつけた。間違いなく恋をしている。それはいい。それでもあの夜、答えを出せなかったのは、互いを受け入れた後に起こることを恐れたからだ。
 もう少しで先へ進むところだった。ところが、サゲンとの関係がこれまでにないほどに鮮やかな色彩を持って現実味を帯びた瞬間、それに比例するようにもうひとつの現実がくっきりと影のように浮かび上がった。
 サゲン・エメレンス・バルカ将軍の恋人になるということは、それだけで宮廷での地位が変わり、政治的な意味を持ってしまいかねない。既に女王の肝煎りということで破格の待遇を受けているのだ。これ以上、誰かの影響で自分の立場を決められたくはない。次に宮廷で力を誇示することがあるならば、それは自分自身の力でのし上がった時だ。
 アルテミシアは自分の能力に自信を持ちながら、周りから見れば不思議なほどに自分という存在を小さく評価している。彼女にとって自分の存在価値を自分で認めるには、自分だけの力で周りから認められる必要があった。このまま自分で自分に価値を見出せないまま、十四の時に終えていたかもしれない人生を誰かの命を犠牲にしてまで長らえることこそ、最大の恐怖だった。
 それなのに、あの瞳に見つめられ、その体温を感じると、全てどうでもよくなってしまう。矜持も決意も捨て、そのままあの腕に全てを委ねてしまいたくなる。
 だから、先に進まないことを選んだのだ。
「心は変わるよ。わたしはあなたとこのままの関係でいたい。だって、わたしたちは今、良好な関係でしょう」
 そう言ったとき、我ながらひどい嘘だと思った。何もかもが矛盾している。本当に良好な関係であれば、これほどまでに激しい喪失感を胸に抱くことはないはずなのだ。しかしアルテミシアは心に蓋をし、サゲンの腕から抜け出した。サゲンは「そうかな」と微妙な表情で笑い、それ以上何も追求することはなかった。

 それからというもの、サゲンはアルテミシアに礼儀正しく接している。まるでこの屋敷に来たばかりの頃に戻ったようだった。アルテミシアがぎくしゃくしていると感じるのは、むりやり蓋をした場所から止まることなく血が流れているような気がするからだ。サゲンのことを考え、顔を見るたびに、決壊しそうになる。そばにいない今この時でさえ。
 エラがアルテミシアにエメラルドグリーンのドレスを着せ、胸下のボタンを留め始めた。二つ目のボタンを留めた時、薄い色の眉が憂いを帯びた。
「ほんとだ。少しお痩せになったみたい」
 と、ちょうどその時サロンの扉が開いた。
「何、それはよくない。忙しくても食事はきちんと取らねばいかぬぞ、ミーシャ」
 静かなサロンに、イサ・アンナの闊達な声が響いた。イサ・アンナは侍女や侍従を戸口に残し、サロンの奥へ武人のような足取りでやって来た。公式な場で着る真っ青なドレスに、シトー家の波の紋章とイノイル王国の鷲の紋章が染め出されたまばゆいほどに白い絹の丈の長い上衣を羽織り、前を金銀の絹糸で留めている。
「陛下!」
 あわてて脇へ退き、頭を下げた二人の女中たちに、イサ・アンナは片手を上げた。
「よい、よい。続けよ。働く者の手を止めたくはない」
 エラとケイナはかしこまって膝を折り、アルテミシアを着飾らせる作業を続けた。ケイナの頬は初めて女王を間近に見た興奮で、赤く染まっている。
 アルテミシアも少し膝を曲げて頭を下げ、イサ・アンナに微笑みかけた。
「おはようございます、イサ・アンナ様」
「ミーシャ」
 イサ・アンナが優雅に差し出した右手をアルテミシアが取り、その甲に口付けをした。
「いつにも増してお綺麗です」
 決して世辞ではない。事実、女王の若々しさと美しさときたら、老若男女問わず魅了してしまうのだ。その女王が、宴のためにいっそう着飾っている。白い陶器のような肌も、敢えて自然なまま背中に流している漆黒の絹糸のような長い髪も、いつも以上に輝いて見える。最初に夫が二人いると聞いた時はその大胆な事実に驚いたものだが、今では逆の意味で驚くべきことだと感じている。この美しく偉大な女王に、二人の夫だけで釣り合いが取れるのだろうか。
「そうであろう。侍女たちに散々おもちゃにされたからな」
 と、イサ・アンナは屈託無い笑顔を見せた。
「そなたもいっそう美しいぞ、ミーシャ。新調したドレスがよく似合う。だが、痩せてしまったのでは仕立屋が嘆く。ちゃんと食べているのか?」
(どうしてみんなわたしがちゃんと食事をしていないと思うんだろう)
 アルテミシアは目をぐるりとさせたくなったが、女王の手前、さすがに我慢した。
「ちゃんといつも通り食事はしています。身体を動かしすぎたせいですよ」
「では量を増やせ。動いた分多く食べなければ筋肉にならぬぞ」
「これ以上筋肉がついたらドレスが入りません」
 イサ・アンナは「ハハッ」と口を大きく開けて笑った。
「それは困るな。絶世の美女に変身したそなたが拝めないのでは、男どもが嘆くことになる」
「勿体無いお言葉です。でも、恐れながらそのようなことは起こらないと申し上げておきます」
「いいや、起きるさ。サゲン・エメレンスはその最たる者だ」
 腰の位置で絹のベルトを結ぶケイナが声もなくハッと息を呑んだのがアルテミシアには分かった。エラは聞こえなかったかのように黙々とアルテミシアの真新しい低めのヒール靴を用意したが、内心では噂好きのケイナが二人の関係を知ってしまったことを口惜しく思った。が、相手が女王では是非もない。
 アルテミシアはすっかり顔色を変えてしまった。それを見たイサ・アンナは、何かを理解したようにさくらんぼ色の唇に弧を描かせた。
「それはそうと、見てみろ」
 と、イサ・アンナは大きな窓にかかるカーテンを少し開け、アルテミシアに見せた。二階の窓からはあまり遠くまで見渡せないが、城門の前に続々と馬車がやって来ているのが見える。どれも大きく、豪華だ。
「わたしの新しい通詞のお披露目にはちょうど良い舞台だ。期待しているぞ」
 アルテミシアは無意識のうちに背筋を伸ばした。

 サゲンは港や城壁、宮殿の警備を自らの目で確認するために日が昇る前から馬を駆り、部下たちから報告を受け、下知を出すために奔走した後、昼過ぎに王宮へ戻って来て執務室で宴のための身支度をしていた。父の屋敷で生活していた頃には使用人に囲まれてシャツを着せられ、上着を羽織らされていたものだが、軍に入隊してからは屋敷にいる時も全て一人でこなすようになった。元来、あれこれと他人に世話を焼かれるのは好きではない。いかにそれが上流階級の作法であっても、どうにも馴染めないのだ。
 浴室でさっさと湯を浴びて髭をきれいに剃った後、新調した雪のように白いシャツを羽織ってボタンを嵌め、やや厚みのある生地で仕立てたグレーの細身のズボンに筋肉質な脚を通し、宴のために磨いた長い黒のブーツを履いた。丈が長く襟の大きな濃紺の上衣は蔦模様の銀刺繍で縁取られ、ベルトも同じように銀の装飾が施されている。仕上げに暗いワイン色のタイを首に巻いた。何かと息子に物を与えたがる母からのいちばん新しい贈り物だ。
 警備の最高責任者として指揮を執りつつ、自らも宴のもてなし役の一人として宴に参加しなければならないから、なかなか骨が折れる。ここ数日は特に多忙を極めたが、一時たりともアルテミシアのことを忘れたことはなかった。海へ出て訓練の指揮を執っている時も、執務室で部下たちから報告を受けている時も、ロハクやゴランと取るに足らない会話をしている時も、頭の反対側ではアルテミシアのことを考えている。今もそうだ。
 これまでの女性関係は、正直言って激務の合間の息抜きだった。彼女たちは色事に長けた未亡人や自由奔放な結婚生活を謳歌している上流階級の人妻たちだったが、どの女性もそれなりに気に入っていたから、恋人または愛人としての役目はできる限り果たしてきた。時間を見つけて街や海辺へ出掛けることもあったし、ベッドで互いの欲望をバラエティに富んだとても良い方法で解消してきた。望まれれば与え、互いに対して安らぎを感じなくなれば離れた。結婚相手を探している良家の令嬢と出会うことがあれば、礼儀正しい距離で接し、決して身体の関係を持つことはなかった。接触といえば、慎ましいキスくらいのものだ。
 最初の恋人――十四歳の時に親たちの間で決められた婚約者の場合は、少し事情が違う。幼い頃から家族ぐるみで親しくしていた父の友人の息女だったから、婚約については互いにすんなりと受け入れたし、彼女とは友人としても恋人としても相性が良かった。それに、愛してもいた。それからほどなくしてサゲンは海軍に入隊したが、任務が一段落したら結婚するだろうと、その頃は本気で思っていた。
 それでも、執着はなかった。婚約から数年たって破談になった時も、婚約が決まった時と同じくらいすんなりと受け入れた。もっと憤りや悔しさを感じてもいいはずなのに、自分でも不思議なほどだった。そして、相手も同じように見えた。その翌月、彼女は遠く離れたエマンシュナの西方の地へ嫁いで行った。
 ところが、アルテミシア・リンドの場合は全く違う。アルテミシアはサゲンの人生に突然現れた。誇り高い軍人にも負けない職務への忠誠心と情熱を示し、或いは脆さを、そしてそれ以上の強さを見せ、知らず知らずのうちに心の奥深いところまで入り込んでサゲンを魅了していった。芯が真っ直ぐで太陽のように生命力に溢れ、腹立たしいほどに気丈なアルテミシア・ジュディット。――初めて聞いた時から美しい名だと思った。それに、美しいのは名前だけではない。アルテミシアを取り巻いている空気の粒一つ一つまでが輝き、生気を持つようだ。例え彼女がサゲンに対して何の感情を持っていなかったとしても、万が一嫌ってさえいたとしても、彼女を手離すなど絶対に有り得ない。どんなことを犠牲にしても手に入れる。
(今は、‘緩’)
 と、サゲンは己を律した。
 アルテミシアは生の感情を直接ぶつけて靡いてくれるほど単純ではない。サゲンに惹かれているのはほぼ確実だが、彼女の中の何かが手綱を締めている。彼女が過去と向き合えば前に進むかもしれないとも思ったが、それだけでは足りないらしい。彼女の抱える問題は、思ったよりも深く、複雑だ。彼女を手に入れるためには、緩急が肝要だ。
(しかし、何故俺に頼らない)
 それが気に入らない。これまでの経験から、聞いたところで素直に話してくれるような手合いでないのは分かっている。何でも一人で抱え込もうとするのはあの女の悪い癖だ。こちらが聞き出そうとすればするほど、頑なに口を閉ざすに違いない。まったく世話が焼ける。
 サゲンは元来我慢強い方だが、アルテミシアのこととなるとどうしても例外が多くなる。苛立ちさえ欲望に変わってしまう。彼女の中で問題が解決するのを待つよりも、いっそのこと無理矢理にでもその身体を開いて目くるめく快感を味わわせ、肉欲に溺れさせて身体から支配してしまおうか。
 そちらの方が容易だ。サゲンは派手に遊んでいる方ではないが、閨で女性を満足させる術には長けている。その上、幸いなことにアルテミシアは感じやすい。キスで興奮の証を滲ませ、サゲンの軽い愛撫に激しく反応した。彼女は気付いているだろうか。サゲンの気持ちを突っぱねる直前も、誘うように甘い吐息を漏らし、その先を強請るように自分の腰が動いていたことに。
 篝火の下、アルテミシアが甘い声を響かせながらサゲンの指を濡らして昇り詰めた瞬間を思い出し、ぶるりと背筋が震え、身体が熱くなった。
(馬鹿な)
 自嘲するように薄く笑い、身支度を終えた。

 夕刻、大広間の扉が開かれた。
 オアリス城の一階は、肖像画や装飾品が多く並べられた吹き抜け天井のエントランスとロビーの他、宴や大人数の晩餐会に使用される大広間、国内外から貴賓を招いて開催される討論会や品評会に使われる広間や、王たちが個人的な付き合いの者を集めて食事会を行う小広間などの五つの広間から成り、普段は全ての部屋の内部は大きな両開きの引き戸で区切られている。しかし、この日は全ての扉を取り外し、一階全てが宴の場へと化した。そのうち、大広間はダンスフロアと立食パーティー会場、その他の広間には四人から六人用のテーブル席がいくつも設けられ、仲間たちと最高級の料理と音楽やおしゃべりを楽しめる空間になっている。イサ・アンナ自慢の広大な庭園へと小道で続く中庭にもテーブルや椅子が多く配置され、陽が沈んだ後も庭の風景を楽しめるように様々な色の丸いガラス製のランプがあちらこちらに置かれている。中庭と大庭園に流れる小川や池の水面に反射するよう、水辺に集中してランプが置かれているから、夜闇の中では美しさを増してさぞ幻想的な光景になることだろう。
 二階では、給仕係や料理係が慌ただしく立ち働いている。陽が沈んだらこの階には各国の君主や元首とその妻子たちが集まり、晩餐会が催されるのだ。そのため厨房はいつも以上にピリピリしていて、殺伐としていた。時折、不慣れな新人に腹を立てた料理長の怒号が飛んでくる。「皿の選び方も知らんのか!」「指示と違う盛り付けをするな!」「もたもたするな!」というのが主な内容だ。血気盛んな料理長の指揮下で立ち働く使用人たちの中に、エラとケイナの姿もあった。
 弦楽器や金管楽器の楽隊が演奏を始め、絢爛な衣装に身を包んだ招待客たちが大広間へ続々と入ってきた。エマンシュナの貴婦人たちはウエストを絞り、後方に膨らみを持たせたドレスを着、ルメオの貴婦人たちはアルテミシアにも見慣れた薄地の絹を何枚か重ね合わせたドレープの美しいスカートの膨らみの少ないドレス、露出が多く曲線美を際立たせているのは、アムの貴婦人だろう。女性の装いはそれぞれの国の風習をよく表している。
「男性の盛装はあまり代わり映えしませんね」
 と、アルテミシアはイサ・アンナに小声で話しかけた。招待客が大広間へと思い思いの優雅な身のこなしで入って行くこの時、イサ・アンナは通詞役のアルテミシアとロハク、それにほかの侍従たちを従え、大広間の奥に設えられた小部屋に控えている。扉の前には神話の神々が描かれた巨大なタペストリーが掛けられ、大広間の客人からは部屋が見えないようになっているが、アルテミシアは好奇心を我慢できず、ロハクの咎めるような視線を無視して扉を少しだけ開け、タペストリーと扉の隙間から大広間の様子を覗き込んだのだった。その後ろからイサ・アンナも顔を覗かせ、面白そうにニヤリと笑った。
「そうでもない。ほら、よく見ろ」
 イサ・アンナはルメオの中肉中背の初老の男を顎でしゃくった。
「あのルメオの男は身長が低いことを気にして底の高いブーツを履いている。少しでもスタイル良く見せるために、上衣の脇にラインがあるだろう」
 アルテミシアはじっとその人物を見た。確かに、ボルドーのジャケットには同系色で施された縦の脇線がある。
「それから、あそこのエマンシュナ貴族…。自らの勲功を誇示しようとしている。あの胸の勲章の多さよ。余程の功績があるのであろうな。それを目立たせるために黒一色の服を着てきたが、妻君は気に入らんようだ。見ろ、夫の装いを見るたびにうんざりしている」
 イサ・アンナは悪戯をする子供のようにくすくすと笑った。その様子がおかしくて、アルテミシアも忍び笑いをした。
「同じように見える中でもそれぞれが思う描く姿を手に入れようと趣向を凝らしているのだよ」
「なるほど。恐れ入りました」
 アルテミシアは興味深げに頷いた。
「そなたはあまりこだわりがないようだが、女中たちが素晴らしい仕事をしたな。さっきも言ったが、ドレスも髪も、よく似合っている。花を髪に編み込むとは、良い趣向だ」
 アルテミシアの髪には、左右の鬢から後頭部へ向けて、小さな白い野花が細い茎ごと編み込まれている。昼過ぎに女王がサロンを出て行った後、エラとケイナが満を持して花瓶から出してきたものだ。アムの宴でエスコバル夫人がしたのを参考に、エラがケイナと相談してこの髪型にしたらしい。今回は詰め物は使わず、髪の両側を小さな白い花で編み込み、後頭部に白い一重咲きの薔薇を一輪挿してピンで留め、残った髪は肩に向かってまっすぐ落としている。
「少し髪が伸びたから以前よりはやりやすいと喜ばれました」
「ハハ、そうだろうな。そなたは短い髪も似合うが、せっかく美しい色をしているのだから、見せる部分が長いほど良い。そなたの侍女は優れた美的感覚の持ち主だな」
 エラとケイナを女王に褒められ、アルテミシアは嬉しくなって破顔した。
「光栄です。二人とも侍女ではなく、普段は食堂付きの女中なのですが、わたしのために多くの時間を割いてくれました」
 アルテミシアは二人の献身ぶりを思い出した。いつの間にサイズを調べたのか、ドレスの他に宴に相応しいヒール靴まで用意してくれていたのだ。ヒール靴は履き慣れないが、低く仕立ててくれたために思ったより快適だ。彼女たちが普段ブーツしか履いていないアルテミシアのことを気に掛けてくれたことは疑いようがない。
「では侍女にしてやれ。今すぐでなくとも、そのうち必要になる」
 とイサ・アンナが微笑むと、アルテミシアは目を丸くした。侍女がつくのは、貴婦人だ。とても自分がそれに相応しいと思わない。それに、今日のような特別な機会には必要だが、普段なら自分で何でもこなせているのだから、必要性も感じない。アルテミシアの様子を見て、今度はイサ・アンナが目を丸くした。
「なんだ、考えたことがなかったのか?」
「失礼ながら陛下、レオニード王がお見えになりますよ」
 ロハクが二人の会話を遮って溜め息混じりに女王を促した。扉の外では既にタペストリーが高い位置に上げられ、国王の控えの間の豪奢な扉を露わにしていた。黒と金のマントを着た近習たちが重い扉を開くと、控えの間に煌々と照る大広間の灯りが差し込んでくる。
「おっと、いかん」
 イサ・アンナはそばに控えている侍従の一人からダイヤとサファイアの煌めく金の王冠を受け取り、自ら頭にかぶって颯爽と大広間へ出て行った。アルテミシアもドキドキしながらそのあとに続いた。自分の足で歩いている感覚がないほどに緊張した。大勢の高貴な招待客たちは中央を開けるように整然と脇へ退き、身を低くして二人の国王の邂逅を待った。大広間の入り口には、数人の侍従に傅かれたエマンシュナ国王レオニードがいる。
 背はあまり高くないが、上を向いた眉と鋭い眼光はその威厳をよく表している。白髪混じりの暗い栗色の髪は全て後ろへ流され、きりりと締まった口元にうっすらと上品な笑みを浮かべ、イサ・アンナの方をまっすぐ見ている。その顔には皺が刻まれているが、美男子だったであろう若い頃の姿が容易に想像できた。二列の金ボタンと多くの勲章が付いた真っ白なジャケットに真っ白なズボンと細身の黒いブーツ、その上に、アストル王家の紋章である七芒星と太陽と獅子が金糸で刺繍された緋色のマントを羽織って、優雅な足取りで大広間の中央を歩いてくる。その頭には、イサ・アンナのものにも劣らない黄金の王冠が載っている。
 イサ・アンナ女王もまた、武人のような力強さを感じさせつつも踊るように優雅な足取りで歩を進め、二人の国王は大広間中央の、太陽と月の模様になるよう違う色で配置された大理石の床の上で邂逅した。アルテミシアはどこまで付いて行って良いのか分からなかったが、女王の立ち止まる五メートルほど手前でロハクがスカートの裾をさり気なく掴んで合図をしてくれた。
 ここで、イサ・アンナがレオニードの右手を取り、僅かに膝を折って人差し指にはめられたルビーの指輪に口付けをした。臣下の礼ではない。イノイル王国とエマンシュナ王国が互いの国に王を招き合うようになってから、招いた国の王が相手の足労に感謝し、敬意を表するために儀礼として続けられて来た行為だ。次いでレオニードがイサ・アンナの右手を取り、同じように人差し指のサファイアの指輪に口付けをした。これはもてなしへの感謝を表している。続いてイサ・アンナがエマンシュナ国王への挨拶の口上を述べた。完璧な発音だった。
 アルテミシアはここ数日、イサ・アンナのマルス語の発音指導と口上の文言の微調整に多くの時間を費やした。女王の指導は簡単だった。最初から指導など受けなくても十分な出来だったはずだが、女王の希望でイノイル風の表現が強く出る箇所を何度か修正し、あとは何かと甘いものを食べたがる女王に付き合って茶を飲みながら雑談をしていた。むしろこちらの方が長い時間を掛けたかもしれない。
(イサ・アンナ様は口上の練習にかこつけて休憩がしたかっただけなのでは)
 と、アルテミシアは踏んでいる。
 しかし、その分はリコが苦しむことになった。宴で饗されるメニューが確定したのはつい二日前のことだったが、メニューと全ての料理に使われる食材を人数分、しかも各国の表記で用意しなければならなかった。食材が体に合わないなどの理由で腹を下したり倒れたりする者が出ないようにと、イサ・アンナの細やかな配慮からだ。アルテミシアも女王の用事が終わるとすぐにリコの待つ塔の四階へと戻り、二人で夜半まで同じ作業を続けた。リコはここでも有能さを証明した。
 アルテミシアにとっては感慨深い女王の口上が終わると、続いてレオニードがその独特なしゃがれ声で女王の招待に感謝する旨と互いの国を讃える口上を少しエマンシュナの訛りがあるマルス語で述べた。
 次に行われるのは、従来であれば両国王夫妻が互いにパートナーを交換して踊るイノイルとエマンシュナの伝統舞踊だが、イサ・アンナが即位して以来、両国の王同士がパートナーとなって踊ることになっている。イサ・アンナが即位してから初めて行われた獅子と鷲の宴で、イサ・アンナが余興のつもりでレオニード王をダンスに誘ったのが始まりだが、元々両国の友好を表すためのものだから、パートナーの交換よりもこちらの方が似つかわしいと言うことで評判が良く、それから毎回続けられているのだ。
 最初は、招待された側の国の伝統舞踊――この年はエマンシュナの‘エメネケット’だ。互いに向き合い、頭を下げる挨拶から始まる。そして、ステップを踏みながら交互に場所を入れ替わる動作をしばらく続けるのだ。これが、徐々に速くなる。
「ご息災のようだな、イサ女王」
「レオニードおじこそ、お元気そうだ」

 イサ・アンナがレオニード王を‘おじ’と呼んだのは、実際に血縁関係があるからだ。イサ・アンナの祖父とレオニードの祖母は兄妹にあたる。無論、国家君主同士では世間一般のような長閑かな親戚付き合いとはいかないが、両国の友好さや同盟の堅固さを誇示するには、国民に血の繋がりを意識させるのが特に役に立つ。
 とは言え、レオニード王はイサ・アンナが第三王女として生まれた頃から知っているから、心情としては本物のおじに近い。しかし、女王として即位してからは、礼儀正しく、時には厳格に、同盟国の君主として相応しい態度を取ってきた。
「マルス語が上達したようだ。とうとう指南役をお付けになったのか?」
「ええ、良い拾い物をしたものでね。後で紹介致そう」
「それは楽しみだ」
 エマンシュナの舞踊の後に低くゆっくりとした曲調のイノイルの伝統舞踊が行われ、大喝采のうちにファーストダンスが終わった。次にイサ・アンナ女王とレオニード王は皆の視線が集まる大広間の中央で同盟国の代表者たちと挨拶を交わした。初めにルメオ共和国元首オルセオロ、次にアム共和国元首ランフランキと続き、その他十か国ほどの紹介があり、最後に重要な貿易相手であるエル・ミエルドの皇太子と形式的で友好的な挨拶を交わした。
 楽団が賑やかな曲を奏で始めると、城内に集まった招待客たちに料理を振る舞うべく、大広間の奥に料理の乗ったワゴンが運び込まれ、給仕係が慌ただしく動き始めた。
 アルテミシアの重大任務も、同時に始まった。女王と言葉を交わしたい貴賓が多く彼女の周りに集まって来たからだ。みな頭を低くして、女王から声が掛かるのを待っている。イサ・アンナは一人一人に声を掛け、言葉を交わして回った。事前にロハクから借りた名簿だけでは顔と名前は一致しないが、アルテミシアには言葉の僅かな訛りと服装の特徴から、どこの国のどの家から来た者なのかなんとなく予想ができた。顔の特徴や好みの服装などは捨て置き、出身地と名前だけ覚えておいたのが功を奏したようだ。
 通詞として侍っていても皆マルス語を話すから、アルテミシアの活躍の場はあまり多くない。が、全く違う言語を話すエル・ミエルドや大陸西方のあまりマルス語が浸透していない地域の貴賓と言葉を交わす際は、間違いなくアルテミシアの手助けが重要だった。
 通訳をしながら、アルテミシアはこの場に余計な堅苦しさが無いことに驚いた。紺色の揃いの服装をした給仕係が銀の盆に酒や小さなケーキや片手で食べられる軽食をいくつも乗せて招待客の間を行ったり来たりし、招待客たちは思い思いにそれを手に取って食べ、或いは杯を交わしながら歓談している。
 無意識のうちに栗色の髪の大男を目で探していることに気付き、ハッと我に返って首を振った。
(集中、集中)
「イサ女王」
 と、リラックスした様子で近づいて来たのは、レオニード王だ。グラスを二つ手にしている。
「おや、レオニード王手ずからとは。光栄だ」
 イサ・アンナはレオニードから片方のグラスを受け取り、カチンと軽く触れ合わせた。
「ステファン王太子の姿が見えないが、もしやアストレンヌ城の代官を?」
「ああ。名目上だが。私の従弟が目付け役として付いている」
 エマンシュナのステファン・ルキウス王太子は、塔に籠り始めた初日に覚えた名前だった。アルテミシアを着飾らせながら「エマンシュナの王子様の顔をちらりとでもいいから拝みたい」と色めき立っていたケイナが知ったら、人目を憚らずに嘆くことだろう。アルテミシアは彼女に悪いと思いながらも、がっかり顔のケイナを想像してちょっとおかしくなった。
「さぞご立派におなりだろう」
「まだまだだよ。同盟国の君主に話すべきではないかもしれないが、我が嫡男には精神的に未熟なところがある」
「ハハ、子を持つ全ての者の宿命だな。心休まる時がない」
 アルテミシアは驚いた。この岩山のように不動の精神を持っている女王でさえ、我が子のことをこのように気に掛けているとは。アルテミシアは遠く離れた自分の母親に思いを馳せそうになったが、レオニードがこちらに視線を巡らせたのですぐに膝を折り、頭を低くした。
「そなたが新しい指南役とやらかな」
 レオニードに声をかけられ、アルテミシアは顔を上げた。やはり、美男子の面影がある。王子のご尊顔を拝したいというケイナの気持ちは分からなくもない。
 アルテミシアは礼儀正しく微笑み、恭しくお辞儀をした。
「アルテミシア・リンドと申します、レオニード陛下。恐れ多くもマルス語の指南役を仰せつかりましたが、マルス語に堪能なイサ・アンナ様にはご不要だったかと存じます」
「なに、謙遜することはない。明らかにイサ女王のマルス語は上達した。そなたの指導の甲斐があったということだ」
「恐れ入ります」
 頭を下げたアルテミシアの隣で得意げに笑って見せたのは、イサ・アンナだった。
「そうであろう。しかしわたしはそれ以上にこの者の他の面も気に入っている」
「ほう、美しいと言う以外にか?どんなだね」
 と、レオニードが目を細めてアルテミシアをじっと見た後でウインクしたので、アルテミシアは頬を赤らめた。国主が一介の通詞にこのような軽薄さを見せるとは、この二人は揃いも揃って変わっている。
「無粋な方だ。それを言っては面白くないではないか」
 レオニードは目の下の皺を深くして「それもそうだ」と笑った。
「私も美女の指南役を付けたかったが、嫉妬深い彼女の夫が許してくれなくてね」
「あなたの頼みごとを断るとは、余程の怖いもの知らずだな」
「ルドヴァンだよ」
 と、レオニードが口を片側に上げると、イサ・アンナもニヤリと笑った。
「コルネール公爵か。我らが曾祖父の血が反骨の精神を受け継がせていると見える」
 アルテミシアはまたもや必死で予習した系図を思い出した。「我らが曾祖父」とは、主君を討って玉座に就いたオーレン王のことだ。イノイルとエマンシュナは百年ほど前に両国の王女がそれぞれに嫁いでいるから、王族はみな姻戚関係にある。更に、代々エマンシュナのルドヴァン地方を治めるコルネール公爵家には、イノイルのオーレン王とエマンシュナのテオフィル王の孫にあたるエマンシュナ王女のミネルヴァが嫁いでおり、現当主であるコルネール公爵はその孫にあたる。八十年ほど前まではただの臣下に過ぎなかったコルネール公爵家は、今や王族の系図に名を連ねている。
「今年は来ているのだろうな。御隠居ばかりが宴に顔を出して当の当主はなかなか現れないが」
「来ているとも。通詞どのにも後で紹介しよう。コルネール公爵夫人は君と気が合いそうだ」
「身に余る光栄です、陛下」
「そんなことを言って、美女が二人並んでいるのを目の肥やしになさりたいだけではないのか」
「ばれたか」
 イサ・アンナが揶揄うと、レオニードは豪快な笑い声をあげた。アルテミシアも思わず声を出して笑った。
「おや、そなた」
 レオニードが顔を覗き込んだので、アルテミシアは緊張感を取り戻した。不敬だっただろうか。しかし、レオニードは全く別のことを言った。
「笑った顔がいっそう美しいなあ。コルネール公爵夫人を初めて見た時も思ったが、ルメオはやはり美人が多い」
 アルテミシアは拍子抜けして思わずぽかんと口を開け、イサ・アンナは呆れたように笑い出した。
「レオニードおじ!それでは我が国とエマンシュナの女たちに失礼ではないか」
「いいや、そんなことはない。イノイルもエマンシュナもそれぞれに女性の美しさは際立っているが、単にルメオの美人が群を抜いているというだけだ」
 レオニードは大真面目に反論した。
「まあ、レオニード陛下はルメオの女性がお好きなんですか?」
 足音もなくいつの間にかイサ・アンナのそばに近付いてきた少女が言った。ふわふわの真っ黒な巻き毛を背に流し、白いアンダードレスの上に輝くような黄色のドレスを着ている。瞳は髪と同じ漆黒で、大きな丸い目をした美少女だ。よく見ると、そのドレスの裾に黒いジャケット姿の二歳くらいの小さな男の子が隠れるようにしがみつき、その後ろに少年と呼ぶには少し幼いくらいの年頃の男の子が同じく黒いジャケットを着て物珍しそうにきょろきょろしながら立っている。二人の男の子も、少女やイサ・アンナと同じ真っ黒な髪の毛をしていた。
 アルテミシアには、この子供たちが誰なのかすぐに分かった。みな母親にそっくりだ。
「こらこら。そなたたち、エマンシュナ王の御前と言うことを忘れるな」
 と、イサ・アンナは少女を窘めたが、レオニードは孫を見るように目を細めて身を屈め、少女と子供たちをそばへ引き寄せた。
「もちろん、そなたがいちばんの美女だ、イナ・マリア王女!久しいなあ。いくつになった」
「十四ですわ、レオニード陛下」
「なんと、もうそんな年頃か。わたしも年を取るはずだ」
「まあ。まだまだ若々しいですわ」
 イナ・マリアは嬉しそうににっこりと微笑み、恭しく頭を下げた。イサ・アンナはその様子を微笑ましく見守っている。
 アルテミシアは、イサ・アンナの母親としての顔を初めて見ることになった。これまでこの女傑が三人の子供の母親であるということがとても不思議なことに思えていたが、いざ目の当たりにするとそれが当然の事実であることに気付いた。この女性は女王であると同時に、紛れもなく母親なのだ。
「ほら、そなたもレオニード王にご挨拶なさい」
 と、イサ・アンナは後ろに立っていた王子の背を軽く押し、小さな王子を抱き上げた。
「レオニード陛下、おひさしゅうございます」
 王子が年齢の割にしっかりした声色で挨拶をした。
「そなたはトージ・ガロ王子だな?前に会った時はまだ乳母の腕の中にいたが、ずいぶん大きくなった」
「はい、六さいになりました」
 レオニードはくしゃくしゃとトージ・ガロ王子の黒い髪を撫で、次にイサ・アンナから一番小さなロク・リエト王子を受け取って高い高いをしてやった。
 その様子を見ていたアルテミシアの隣にイナ・マリア王女がやって来て微笑みかけた。さくらんぼ色の勝気な唇がイサ・アンナと生き写しだ。
「あなたがミーシャね」
「はい、王女殿下。アルテミシア・リンドと申します」
「イナ・マリアよ。殿下と呼ばれるのにはあまり慣れていないの。あなたに会ってみたいと思っていたのよ。普段は父上や弟たちとルクゼ宮で暮らしているから、あまりお城の人たちとは関わらないけれど、母上があなたの話をよくするものだから」
「それは、重臣の人によく怒られるとか、城より鍛錬場にいる方が多いとかですか?」
「アハハ、違うわ!」
 イナ・マリアは鈴を転がすような声で笑った。
 そこへ、颯爽と現れた人物がいる。背はすらりと高く、光沢のある濃いグレーのジャケットを着た紳士だ。髪が黒いからイノイルの貴族かと思ったが、アルテミシアの予想を外れてその人物はエマンシュナ王レオニードを「おじ上」と呼んだ。
「噂をすれば。来たな、アルヴィーゼ」
「イサ・アンナ陛下。変わらずお美しい」
 アルヴィーゼ・コルネールはイサ・アンナの手の甲に口付けをし、三人の子供たちにも挨拶をした。
 アルテミシアは一歩下がって膝を折り、その様子を観察していた。イサ・アンナともレオニードとも祖母を通じて血縁関係にあるアルヴィーゼ・コルネール公爵は、イノイルとエマンシュナの王族の美点をそれぞれから受け継いでいる。まさに容姿端麗だ。その上、低く滑らかな声で発せられる美しい発音のマルス語は多くの女性を魅了するに違いない。現に、周囲の女性たちの視線はコルネール公爵に集中している。うら若い第一王女イナ・マリアも例外ではない。頬を染め、うっとりと目尻を下げている。
(奥方と気が合いそうだと仰っていたけど…)
 アルテミシアはこの美しい紳士の幸運な妻に興味が湧いた。コルネール公爵の近辺を見回してみたが、奥方らしき女性は見当たらない。しかし、その代わりに招待客のドレスの裾やズボンの間を縫って、ふわふわの胡桃色の髪をした小さな女の子が白いドレスのスカートをワサワサと上下させながらトコトコと近付いてきた。
「とっと、いた!」
 アルヴィーゼは娘の姿を認めると優しく目を細め、ひょいと抱き上げた。どことなく冷たい印象の男だと思ったが、こうして表情を変えるとずいぶん雰囲気が変わる。アルテミシアは不覚にもドキッとしてしまった。この紳士に視線と心を奪われる女性たちの気持ちは十分すぎるほど理解できる。
「ニケ!悪い子だな。おかあさまを置いてきたのか?」
 と叱るような口調で言いながら、アルヴィーゼはにこにこと目元を緩めている。娘が可愛くて仕方がないといった様子だ。
「あち」
 ニケと呼ばれた女の子はぷくぷくした人差し指を後ろ側に差した後、目の前のレオニードに抱かれているロク・リエト王子ににこにこと笑いかけた。ロク・リエトもにこにこして丸い手を伸ばし、ニケの手を掴んだ。
(ああ!なんてかわいいの…)
 アルテミシアは眩しいものを見るように目を細めて幼子たちを眺めた。春の野に降り立った天使たちのようだ。アルテミシアはこれまで小さな子供が周りにいる生活をしたことがなかったから、その分いっそう愛らしく見える。
「どれ、イサおばのところにもおいで」
 イサ・アンナはいつもよりも高い声で優しく話しかけ、アルヴィーゼに抱かれるニケに手を伸ばした。アルテミシアが終始にこにこ顔でニケがアルヴィーゼからイサ・アンナの腕に移っていくのを眺めていると、後ろから目元のきりっとした利発そうな黒髪の男の子が母親らしい貴婦人の手を引いてやって来た。年の頃はトージ・ガロ王子よりも少し下に見える。母親の方は、幼いコルネール公爵令嬢と同じ胡桃色のゆるい巻き毛をふんわりとシニョンに結い、オリーブ色のドレスを上品にまとって足早に近付いてくる。遠目でもその美しさが際立っていた。
「おかあさま、ニケがあそこに」
「ああ、よかった、アルヴィーゼ。ニケったらどこへ行ってしまったかと思ったわ」
「イオネ」
 アルヴィーゼは夫人の名を呼び、自然な動作で腰に手を添え、髪にキスをした。アルテミシアは、コルネール公爵夫人が両国王に美しいマルス語で挨拶をしているのを天使のような幼子越しになんとなく見ていたが、やがてコルネール公爵夫人の視線がイサ・アンナの後ろにいるアルテミシアの顔に向くと、アルテミシアも公爵夫人の顔をようやくはっきりと認識した。
「アリアネ先生」
「ベルージさん」
 二人はほとんど叫ぶようにして顔を見合わせた。
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