王城のマリナイア

若島まつ

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二十八、公爵邸 - le Duc du pays d'à côté -

 エマンシュナ王国の大貴族コルネール公爵家は、王家一門に列せられるその家格のみならず、貿易事業を手広く展開していることでも国内外に知られている。ルメオとの国境に位置し、陸路、海路共に発達した交易の要衝であるルドヴァン地方を代々治めているのがこの一族で、その起源はアストル家がエマンシュナを統治するよりも古い時代に遡る。
 当代の当主、アルヴィーゼ・コルネールは領地を治める傍ら、領内の更なる豊かな発展のため、古くから受け継いで来たコルネール公爵家の貿易事業を拡大させることに成功した。
 結果、現在の領地ルドヴァン地方は王都アストレンヌに引けを取らない経済都市に発展し、領民たちの生活も今までにないほど豊かになっている。コルネール公爵家は、政治力、財力共に抜きん出た存在となっているのである。
 コルネール公爵は、貿易事業のために諸外国の主要都市に邸宅を所有している。無論、どれもコルネール公爵家の名に相応しく立派な豪邸で、中には宮殿と思えるものもある。せっかちな割に万事こだわりを持って事に当たるアルヴィーゼ・コルネール公爵は、例え一年に何度も訪れない外国の別邸であっても売り家を買って済ませようとはせず、屋敷ひとつを建てるのに十分過ぎるほどの土地を買い上げて基礎から造らせる。それも、事前に綿密な普請計画を立て、膨大な人員と技術者たちを集め、驚くほどの短期間で建設を終えてしまうのである。これには、狙いがある。その莫大な財力と技術力を周囲に見せつけることで称賛と信頼を得、その地域でのビジネスを円滑に進める足掛かりにするというものだ。オアリスの邸宅も、そのうちの一つである。
 アルヴィーゼ・コルネールにとってイノイル王国は母国の同盟国であるというだけではなく、極めて重要な交易の相手であり、ビジネスパートナーでもある。貿易事業拡大のため、まだ父が領主を務めていた時期にアルヴィーゼがこの邸宅を建てたのだった。イノイル独特の建築様式を採用し、黒い瓦屋根に木材と石材を併せて使用した、三階建ての瀟洒な屋敷だ。
 このコルネール公爵邸はオアリス中心地の大通りに面し、周囲には銀行や高級店のほか、豪商や政治家たちの邸宅が軒を連ねるオーレン通りに位置する。オアリス城まで一直線で繋がっており、正にビジネスにはもってこいの一等地である。
 普段は商談や人脈づくりの為に宴を催したり、イノイルでの仕事の為に主人が逗留するだけの屋敷だが、今回は初めてこの屋敷に夫妻と子供たちが全員で滞在するということもあり、屋敷の内装をより明るいものに改めた。コルネール公爵家の家令、ドミニク・ファビウスがルドヴァンの本邸の仕事そっちのけで三か月前からこちらに泊まり込んで陣頭指揮を執り、空いていた客間を二つ子供部屋として改装し、主人夫妻の可愛い子供たちのために自ら室内に手製のブランコまで作ってしまうほどの熱の入りようだった。

 獅子と鷲の宴から一夜明けたこの日、日頃から早起きで好奇心旺盛なコルネールの子供たちは、すっきり晴れた気持ちの良い気候と異国情緒あふれるオアリスの街並みの誘惑に我慢できず、朝食が済むとすぐに教育係のマレーナの手を引いて街へと出掛けて行った。
 一方の主人夫妻は、昼も過ぎたというのにまだ寝室から出て来る気配はない。
「俺が出るまで誰も寝室に近付くな」
 と、昨夜予定よりも早く奥方を伴って宴から帰った主人にきつく言い含められたのだ。主人アルヴィーゼ・コルネールは、ここのところ多忙で愛する妻と夜を共に過ごせなかったために、オアリス滞在中に思う存分夫婦の時間を楽しむと決め込んだらしい。邪魔する者がいれば、ひどく気分を害するだろう。
 そのため、バルカ子爵家からの遣いだと告げてコルネール邸の門をくぐった人物の来訪は、ドミニクにとっては喜ばしいものではなかった。
 しかしながら一方で、ひどく興を引かれた。ひとつには、使者が美人だからだ。
 我が家の女主人ほどの美貌とまではいかないものの、陽光がきらきらといくつもの光彩を瞳に詰め込んで丸みのあるアーモンド型の目を輝かせ、赤みがかった明るいブロンドの髪はやや短いながらも人目を惹きつける。それに、気になることはそれだけではない。ただの使者と言うにはマルス語が上手すぎるし、イノイルの貴婦人よろしく地味ながら上等なドレスを着ているというのに、馬車ではなく自ら馬に乗ってやってきたらしい。
「コルネール公爵夫人にお会いしたいのです。ご都合のよろしい時に改めますので、訪問させていただける日時をお教え願えませんか」
 と、アルテミシア・リンドと名乗ったその女性は訛りのないマルス語で言った。
「かしこまりました、リンド様。客間へご案内致しますので、しばらくお待ち下さい」
 コルネール公爵家の家令として、あくまで柔和で慇懃な態度を崩さなかったが、内心ではどうしたものかと考えていた。我が家の主は、事が予定通りに進まないことなどは職業柄慣れているし臨機応変に対応できる柔軟さも持ち合わせているが、そこに妻イオネが絡むと事情が大きく変わる。客人に対して辛辣な態度を隠そうともしないだろう。
 朝から仕事をさせてもらえず暇そうにしていた奥方の侍女頭――と言っても奥方が常に側に置くことを許しているのはこの侍女一人しかいないが――のソニアに客人の世話を任せ、ドミニクはいつになく重い足取りで階段を上り始めた。久々に二人きりの時間を楽しんでいるところに水を差すのは忍びないが、仕方ない。

 アルテミシアは感銘を受けていた。
 屋敷は内装も外装も洗練されていて、大金持ちの大豪邸であるというのに華美すぎるところがなく、こざっぱりしていて居心地の良い空間になっている。殺風景にならない程度の装飾、大きな窓、落ち着いた色調のカーテンは、どれも趣味がいい。エントランスや客間には、広々とした海や草原の大きな風景画や神話画などが掛けられている。
 それに、使用人が多すぎないことにも好感が持てた。
(アリアネ先生はあれこれ世話を焼かれるのを嫌がりそうだからなあ)
 恐らく、この使用人の少なさはアリアネ先生の意向だろう。
「こんなにたくさん人がいるんじゃ、落ち着いて仕事ができないわ」
 と、大勢の使用人に囲まれて文句を言う姿が容易に想像できる。アルテミシアの口元が自然と緩んでいた。
 そこへ、先程ドミニクに奥方の侍女頭だと紹介された女性が茶を給仕しにやってきた。目と同じ空色のハイネックドレスを着て、ダークブロンドの髪を上品に後ろで一つに束ねている。気品がありながら溌溂とした雰囲気の女性だ。年の頃は自分と同じくらいだろう。
「ソニアと申します、アルテミシアお嬢様。奥様お気に入りのテ・ヴェール緑茶をお持ちいたしました。お口に合うとよいのですが」
「ミーシャで結構です、ソニアさん。どうもありがとうございます」
 ソニアはとても感じの良い女性だった。あのアリアネ先生の侍女だけある。陶の茶器を音も立てずに並べ、小さいながら可愛らしい砂糖細工の茶菓子を用意すると、気さくでにこやかな笑顔をアルテミシアに見せた。それだけで、アルテミシアはこの女性を好きになった。どことなくエラに似ている。
「失礼ながら、ミーシャ様。ひょっとして、イオネ様のご友人か生徒様では?」
 アルテミシアは意外に思った。侍女までがあの冷徹なイオネ・アリアーヌ・コルネールを、公称のアリアーヌではなく親しい者が使う呼び名であるイオネを使っているからだ。それほどアリアネ先生はこの侍女に心を許しているのだろう。
「ばれましたか。実は、昔の生徒なんです」
 アルテミシアが声を低くし、神妙な顔つきでそう言うと、ソニアはくすくすと笑い出した。
「ええ。マルス語があまりにお上手ですから。イオネ様に厳しく指導された学生は、皆そのようになられますもの。それに、所作もおきれいですし」
「さすがにアリアネ先生の侍女さんは観察眼が鋭いですね」
「滅相もない。イオネ様の助手の方がよくいらっしゃるので、耳に慣れているのですわ」
「先生に助手?」
 これにはひどく好奇心をくすぐられた。いつの間にあのアリアネ先生に助手ができたのだろう。アルテミシアは身を乗り出し、キラリと目を輝かせた。

 ドミニクが扉越しに声を掛けると、予想通り不機嫌な声色で返事が返ってきた。
「俺が出て行くまで近付くなと言ったはずだ」
「存じておりますよ。イオネ様にバルカ子爵家から遣いの方が見えています。改めるので都合の良い時を教えて欲しいそうですが、如何なさいますか」
 扉が開き、眉を寄せたアルヴィーゼが顔を出した。
「イオネはついさっき寝たところだ」
 細身のズボンにシャツを一枚羽織るだけで前がはだけたまま、精悍な胸が覗いている。汗に濡れて乱れた黒髪と血色を増した肌色は、その直前まで何をしていたのかを物語っている。扉を叩いたのが五分前なら悲惨なことになっていただろう。ドミニクはせめてものタイミングで訪ねてきたアルテミシアに、心の内でごく僅かながら感謝した。
「では、アルヴィーゼ様がお決めください」
 ドミニクの手には、使用人が前もって温かく蒸しておいた布が用意されている。
「何故バルカ子爵家からイオネに遣いが来る」
 アルヴィーゼは訝しげに眉間の皺を深くしながら、ドミニクから布を受け取り、顔と身体を拭った。
「使者の名は?」
「アルテミシア・リンド様です」
「ああ」
 アルヴィーゼの口の端に意地悪そうな笑みが浮かんだのを、ドミニクは見逃さなかった。
「お知り合いですか」
「イオネのお気に入りだ。儀礼に倣ったつもりだろうが、回りくどいことをする」
 アルヴィーゼはボタンを留めると乱れた髪をさっさと手櫛でなおし、シャツとズボンだけの姿のまま寝室を出た。

 アルテミシアはユルクス大学の教授の元で武者修行をしているというアリアネ先生の助手について、ソニアを質問攻めにしていた。
「ソニアさんはその助手をどう思う?」
 この最後の質問は、何故かソニアを動揺させたらしい。それまでハキハキと話していたソニアが途端に歯切れ悪くなり、何やら目を泳がせ始めた。
「えっ…、それは、もちろん親切な方ですが、男性としては、まだお若いですし…」
 アリアネ先生の助手として相応しい能力があると思うかという意図で尋ねたのだが、どうやらソニアは違う意味で受け取ったらしい。
 そこへ、アルヴィーゼ・コルネールが一人で姿を現した。アルテミシアは公爵のひどくラフな格好に内心驚いたが、一礼して辞去するソニアに礼を言い、礼儀正しい笑みを浮かべ、貴人を迎えるために立ち上がろうとした。
「そのままで結構だ、アルテミシア・リンド嬢。用向きは聞いたが、生憎妻はまだ寝室から出られない」
「公爵閣下直々のお出でとは、恐れ入ります」
 アルヴィーゼが対面のソファに腰掛け、長い脚を優雅に組んだ。この人物にはサゲン・エメレンスと同じく、視線で相手を威圧する能力が備わっているらしい。
「君もなかなかの横着者だな。自らを使者に立てるとは」
 アルテミシアはアルヴィーゼの皮肉に笑顔を見せた。
「火急のことにて、お許しください」
「それほどまでに昨夜は話し足りなかったかな」
 アルヴィーゼ・コルネールは冷淡な緑色の瞳でアルテミシアを見た。口元には薄っすらと冷酷な笑みが浮かんでいる。アルテミシアはこの言葉を額面通りには受け取らなかった。訪問の目的を今自分に言うよう、言外に命じているのだ。
 アルテミシアがわざわざイノイルではあまり重要視されない爵位まで持ち出してバルカ家という名目を使ったのは、内密ながらも正式な訪問にしたかったからだ。何しろ国境をまたいで外国の一地域に軍を派遣しようというのだ。その仲立ちなど、夫人の旧知だからと言ってふらりと同盟国の公爵を訪ねて気軽に頼めることではない。
 アルテミシアの見たところ、アルヴィーゼ・コルネールは面倒事が絡んでいることに気付いている。大切な妻を巻き込みたくないのだろう。
(この人に打ち明けて然るべきか)
 それが道理だろう。しかし、敬愛する恩師の夫だからと言って、やすやすと機密情報を打ち明けられるものではない。アルテミシアが探るような目つきで黙っていると、アルヴィーゼが先に口を開いた。
「リンド嬢、俺は回りくどいことは好きではない。妻が君を目に掛けているのは承知しているが、君がもしそれを利用して妻を煩わせるようなら、俺がどんな手を使っても排除する。肝に命じておけ」
 海賊相手にも怯まないアルテミシアでも背筋が寒くなるほどの怒気だった。公爵ともあろう者がたかだか通詞の小娘相手にこれほどまでに敵意を剥き出しにするとは、驚きだ。昨日の宴で見せた紳士的で如才ない姿とは全く別人だった。
「…ラウル・ヒディンゲルという男をご存知ですか、閣下」
 話す気になったのは、恐怖からではない。信頼に足ると判断したからだった。
「知らないな。アミラ人か」
「はい。海賊と結託して人身売買をしています。他にも、イノイル、エマンシュナ、アム、ルメオ、各国の有力者たちの関与が分かっています。わたしの悪しき養父も恐らくそのうちの一人ですが、情報が漏れる恐れがあるために大っぴらに動けません」
 アルヴィーゼは眉間の皺を深くした。
「それで妻に何をさせる気だ」
 アルヴィーゼは腕を組み、声を低くした。明らかに話を聞く前よりも怒っている。が、アルテミシアは表情も変えなかった。
「これは重大な機密事項です、閣下。あなたとアリアネ先生…イオネ・アリアーヌ様を信用して申し上げることだとご承知おきください」
 アルヴィーゼは眉をひそめた。全くイオネと言いこのアルテミシア・リンドと言い、神経の図太い女しか我が家の門をくぐらないのか。
 アルテミシアは、この沈黙を是と受け取った。
「養父エンリコ・ベルージをパタロアの自宅で内密に捕らえます。そのために、イノイル軍とルメオ軍がパタロア領内に立ち入ることをチェステ公にお許し願いたいのです。確か奥方様の妹君は――」
「チェステ公子息の妻、そうだ」
 アルヴィーゼが語気も荒く先を引き取った。
 アルテミシアがユルクス大学に入学した年、クレテ家からチェステ家に娘が嫁いだとユルクスでちょっとした騒ぎになっていたのだ。妹の婚礼のために数日間大学を休んだアリアネ先生が学生の自習のために残したとんでもない課題の量は、今でも忘れられない。
「妹君にチェステ公へお口添えいただけるよう、一筆したためていただけませんか」
 アルヴィーゼは相変わらず冷たい目でアルテミシアを射るように見ている。
「君は一度では飽き足らず、またしてもイオネの名を使おうというのか。全く厚顔なことだ。俺には悪しき養父とやらへの個人的な復讐のように聞こえる」
 アルテミシアは人知れず奥歯を噛んだ。確かに、また恩師の名を使おうとしていることには負い目がある。養父を捕らえようというのも、個人的な復讐と言われれば、それも理由の一つだからだ。あんな男は安穏と暮らしているべきではない。
「ええ、否定はしません」
 アルテミシアが認めると、アルヴィーゼは冷笑した。アルテミシアは唇を噛みそうになったが、直前でハッと気付いてやめた。弱みを見せてはいけない。
「海賊団を殲滅するためなら、恥も忍びましょう。敵陣に真っ向から挑むより、まずは目立たない場所からひっそりと入って内側から壊す方が手堅い。あなたのビジネスにも海賊団は邪魔なはずです。アリアネ先生だって、妹君の暮らすパタロアに重大犯罪者がいると知れば黙ってはいないでしょう」
「道理だ」
 だからこそ容易に首を突っ込ませたくないのだ。アルヴィーゼは腕組みをしてアルテミシアの顔を観察した。
「アリアネ先生や妹君には、絶対に危害は及ばないと約束します」
 アルヴィーゼは答えず、別のことを訊いた。
「…バルカ子爵は海軍の責任者だな。君とはどういう関係だ」
 アルテミシアは冷たい視線を受け止め、顔色を変えるまいとした。反射的に、笑顔を取り繕ったが、口元が引きつった。
「あなたに言う必要が?」
「個人的な感情を持ち込んで任務失敗などと言うことになれば、こちらが迷惑を被る。寝たのか」
 公爵たる者が口にするには、あまりに明け透けな言い方だ。アルテミシアは頬を赤らめたが、膝の上で拳を握って堪えた。
「わたしたちがどういう関係でも、閣下のご心配されるようなことはありません」
 アルテミシアは鼻に皺を寄せながらも、喧嘩腰にならなかった自分を大いに褒め讃えたい気分だった。
 アルヴィーゼは冷笑を浮かべたままソファから立ち上がった。表情から感情は読み取れないが、コルネール公爵が承諾しなくてもアリアネ先生に直接連絡を付ける方法なら、いくらでもある。
 が、アルヴィーゼ・コルネールの言葉はアルテミシアの予想とは違っていた。
「明日の夕刻に来い。詳細はドミニクが話す」
 アルテミシアは一瞬ぽかんとして固まった。協力してくれるらしいと気付き、慌てて立ち上がり礼を言ったが、既に公爵は背を向けて客間を後にしていた。

 アルテミシアがドミニクに見送られながらコルネール邸を出ると、既にコルネール家の若い馬丁がサゲンの愛馬ティティを門前へ引いてきていた。ティティはどうやら手厚くもてなされたらしく、真っ黒な美しい毛がいつもに増してつやつやしている。馬丁が「素晴らしい馬ですね」と称賛すると、ティティはぶるりと鼻を鳴らした。どことなく得意げだ。
 馬丁からティティを引き取ってオーレン通りへ出た時、人々が行き交う広い通りの向こうに、不機嫌そうな顔をしたサゲン・エメレンスが腕を組んで立っているのに気付いた。側には、バルカ邸の厩にいる中でいちばん若い鹿毛の雄馬がいる。
「何故俺を待たない」
 サゲンは例の射竦めるような目でアルテミシアを見た。「遣いを送る」と言って屋敷を出たアルテミシアがしたことは、兵舎で使者に立てる者を見繕うことではなく、ティティに跨って勢いよく城下の方へ向かうことだったからだ。サゲンが彼女の意図を理解した時には、既にアルテミシアの姿は木々に隠され見えなくなっていたのだ。
「バルカ子爵の使者っていう名目なのに、本人が来たらおかしいでしょ」
 サゲンはいらいらと鼻を鳴らし、渋面のまま若い雄馬に跨った。アルテミシアも鐙に足を掛けてひょいっとティティの背に跨り、ドレスのスカートが捲れないように裾を直した。馬を使うときは動きにくいドレスよりも軍装を選んでいたが、ここのところは簡素なドレスでなら乗馬が苦ではなくなっている。
「公爵夫人には会えたのか」
「ううん。代わりにコルネール公が対応してくれた。おかげで、その…機密事項を公爵に話すことになっちゃったけど。ごめん」
 サゲンは眉を寄せ、アルテミシアを睨みつけた。
「勝手なことを!」
 この怒気を含んだ静かな声と憤怒の表情を向けられた部下たちは、きっと地獄さえも居心地よく感じることだろう。が、アルテミシアは肩を竦めただけだった。
「でも、ほら」
 アルテミシアはサゲンの馬に並び、ティティをゆっくり歩ませながらドミニクから渡されたカードを見せた。鮮やかな着色の施された蔦や花の模様のカードだ。所々に金や銀の着色もあり、午後の日差しに照らされてキラキラと光っている。これも恐らく最高峰の職人や工房に作らせたものだろう。手のひらほどの大きさのカード一つにさえ手を抜かないあたりにも、コルネール家の格を感じさせる。
「協力してくれるみたい」
 サゲンはアルテミシアの手からカードを受け取り、さっと目を通した。カードには明日の日付と時間帯が流麗な書体で記されている。
「夜会の招待だぞ」
「コルネール公のビジネス関係のね。獅子と鷲の宴のためにいろんな国から有力者が集まって滞在しているから、それを機に夜会を開いて新規開拓や情報集めをしようとしてるんでしょう。さすがコルネール公爵は容姿だけじゃなく抜け目のなさも非の打ち所がないね」
「ほう」
 低く不機嫌な声のままサゲンが言った。確かに各国の豪商や有力者が集まる場所なら、有力な情報を持っている者がいるかもしれない。が、サゲンが最も関心を持ったのは、最後の部分だ。
「君がそれほどまでに男の容姿を褒めるのを初めて聞いた」
 子供じみているとは分かっているが、おもしろくない。
「だって本当だもの。アリアネ先生と並ぶと本当に美男美女で、もはや芸術の域だよ。子供たちも天使みたいに可愛いし」
 アルテミシアはふわふわの髪をした小さな女の子を思い出した。まるでアリアネ先生をそのまま縮めたような愛らしさだった。きっといつまで見ていても飽きないだろう。
「子供ねえ」
 サゲンはにやりとして、馬上で身を乗り出し、アルテミシアの手を取った。どことなく淫靡な仕草だ。手の触れた所から全身に痺れが回っていくような気がした。
「自分の子がいちばん可愛いだろうさ。君が望むなら、とことん協力するぞ」
 サゲンの切れ長の目が艶冶に弧を描くと、アルテミシアの顔はみるみるうちに真っ赤に染まった。
「そっ、そういう冗談は、やめて!」
 アルテミシアは手を引っ込めながら子供のようにいきり立ち、ティティの腹を踵で軽く蹴って走らせ、さっさと前へ駆けて行った。
 サゲンはおかしくなったが、笑わなかった。全くの冗談でもないからだ。昨日の行為の結果、子供ができたとしてもおかしくない。何しろ、避妊を念頭に置くことなくアルテミシアを抱いたのだ。それも、何度も。こんなことは初めてだった。
 彼女が望もうが望むまいが、いずれはそうなる。もう手放すつもりなどないのだから。
 昨夜の熱が身の内に蘇って不覚にも背中がぞくりとした。これほど誰かの身体を絶え間なく求めて渇望するとは、自分でも呆れてしまう。
 サゲンは踵で若馬の腹をトンと蹴り、既に遥か前方を駆けるアルテミシアを追った。
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