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三十九、真珠色の問題 - una problema di perle -
後ろから鼻をすする音が聞こえてくる。
サゲンは時折アルテミシアの方を注意深く振り返りながら、山道で馬を走らせた。
「大丈夫か」
などと声を掛ける愚は犯さない。ただ、時折赤い目元を擦って遠くを見つめる顔を前方から見守るだけだ。
アルテミシアは涙に濡れていても美しかった。自分の出生に関わる事実を知ってアルテミシアの気持ちに訪れた変化が、一層そうさせているのかもしれない。少なくとも数か月前、自分を何者とも思っていなかった彼女であれば、こんなふうに母親を想って涙を流すことはなかっただろう。
荷馬車と一緒に先発したリコとレイにはあと一時間もしないうちに追い着くだろうから、わざと速度を落として馬をゆったりと歩かせることにした。もう少し一人で気持ちを整理する時間を持たせてやりたい。アルテミシアも、赤く腫れた目を二人に見せたくはないはずだ。この分だと予定よりも手前の町で宿を取ることになりそうだが、致し方ない。
宿に着いたら、アルテミシアと話す必要がある。
この頃オアリスでは、ゴラン・イキ・ダリオス将軍を筆頭に、ロハクやトーラク将軍も慌ただしく働いていた。
先日、イサ・アンナ女王の名義でエマンシュナ国王並びにエマンシュナ海軍に公文書を送った。と言っても草案を練り、文章に起こしたのは秘書官であるロハクの仕事だったが、そのロハクの筆をもってしてもイサ・アンナのエマンシュナ海軍への熱望は書き尽くせない。
ナヴァレと呼ばれるエマンシュナ海軍は、砲弾や銃などの火器をはじめ、矢尻の金属や軍装に至るまで、どれを取っても他の追随を許さないほど質が高く、それらを扱う兵士たちの腕前も抜きん出ている。古の時代、馬と鉄の武器を使って大陸の多くの国を蹂躙しその領土を拡大してきたエマンシュナ王国は、軍国主義を放棄した現在にあっても屈強な騎馬民族の子孫であることに誇りを持ち、その強大さを自負しているのだ。
一方、古来より交易や漁で国を豊かにしてきたイノイルは、エマンシュナほどの軍事力がなくても造船技術や海戦術に優れ、なおかつ驚くべき統率力がある。
この二つが合わされば、海賊討伐も早々に片が付く。イサ・アンナの望むところは正にそれだった。ところが、エマンシュナのレオニード王は海よりも陸の問題に集中し、海賊のことはイノイルに任せきりで、自らは腰を上げようとしなかった。
間諜に探らせたところによれば、どうやら長らく休戦中だった西隣のアミラ王国との関係が悪化し、国境付近で小競り合いとは言えない程度のものが多発しているらしい。
百年もの間、アミラ王国とエマンシュナ王国は国境付近の領土を巡って戦争と休戦を繰り返しているが、二十年前に休戦協定を締結してからは落ち着いていたはずだ。それが、この数年で風向きが変わった。エマンシュナ国王はこれに集中したいがために、海賊の件に関しては強力な同盟国であるイノイルに頼り切っていたのだ。
このエマンシュナの態度に終止符を打ったのが、イサ・アンナからの通達だった。
南エマンシュナで偽の造船所を依り代として海賊たちが好き勝手に金を集めていることを知るや、エマンシュナ王レオニードは早々にイノイル軍との調整のため、ナヴァレの責任者である自らの従弟イアサント・アストル将軍をオアリスへ派遣する旨をイサ・アンナに申し入れた。
ナヴァレとの連携のために折衝を担当するのは本来ならイノイル海軍の責任者であるサゲン・エメレンス・バルカ将軍だが、サゲンが不在のために代理のゴラン・ダリオスがこれに当たることになった。
優秀なゴランは、彼らとの連携に関する話し合いのための考え得る材料を揃え始めた。過去の資料などから必要な船と船員の数、砲弾などの火器類を想定した上、それらに必要な軍費の試算をし、他同盟国から望める援軍の予測もつけなければならない。これらを、イアサント・アストルの入城前に終えておく必要がある。
この準備に駆り出されたのが、サゲンが補佐役としてオアリスに残してきたイグリとブランだ。二人とも数字に明るい方だが、さすがにゴラン自身を含む三名では、過去の海戦の資料を読み込み、どれほどの規模になるかいまいち予想のできない海賊討伐の軍費の試算をするのにはかなりの労力が要る。
そのため、ここ数日はブランと二人で城の塔の五階にある書庫に数日間泊まり込んでいた。
「前にミーシャが泊まり込んでくれてよかったよな。お陰で書庫にベッドがある」
ブランはそう言って苦笑した。
この時の彼らの息抜きと言えば、三度の食事のほか、エラが一日に数回置いていく軽食や温かい飲み物だった。
本来は女中が入ることのできない塔にエラがやって来て二人に給仕するのは、どうもロハクの計らいであるようだった。ロハクは塔に出入りできる者が制限されているために自分が赴かなくてはならなくなる事態を避けるべく、特例としてエラにその役目を負わせたらしい。新参で城の内情をそこまで深く把握していない上に、機転が利き他の女中たちと違って余計なことを口に出さないエラは、ロハクが考え得る限り最も適任だったのだ。
ブランが次の間で仮眠を取っている間、イグリは過去の海賊討伐の帳簿と日誌を引っ張り出し、負傷兵のための衛生用品がどの程度不足したかを調べていた。
過去の海戦では勝利を上げたものの、味方側の死傷者は決して少なくなかった。
「今回は死者が出ないといいけど…」
「そうですね」
と、急に声が聞こえ、背後から淡い灰色の袖に包まれた細い腕がにゅっと出てきて横にカップを置いたので、イグリは跳び上がった。その拍子に紅茶が湯気を上げながらカップから零れ、灰色の袖を濡らしてしまった。
「あっ!」
声を上げたのは、イグリだ。
エラは熱い紅茶が腕に掛かったにも関わらず、腕を引っ込めもせずに脇に置いた茶菓子に紅茶が掛からないよう咄嗟に皿を横へ退けた。
「大変だ」
エラは事もなげに手巾をエプロンから取り出したが、イグリは既に大慌てで席を立ち、薄暗い書庫の隅へと向かって行った。
「大丈夫ですよ。お茶菓子も無事です」
「茶菓子なんかどうでもいいだろ!」
キャビネットから飲み水用の瓶を取って戻って来たイグリは、エラの手から手巾を取り上げると、やや乱雑に灰色の袖を捲り上げ、白い肘の下に手巾を当てて腕にバシャバシャと水を掛けた。紅茶の掛かった場所が赤くなっている。
「本当に悪かった」
「いいえ、急にお声掛けして紅茶を置いたのはわたしですから。こちらこそ、驚かせてしまったみたいで、すみませんでした」
「いいや、今のは完全に俺の落ち度だ。ここ押さえて、ちょっと待ってて」
イグリは水で濡らした手巾をエラの腕に押し付けて戸口へ向かい、バタバタと出て行った。
エラは大人しくイグリの座っていた椅子に腰掛け、濡れた手巾を腕に乗せて待っていたが、イグリはものの十分で戻ってきた。息を切らせ、手には何か黒っぽい緑色のものがべったり塗られた布と包帯を持っている。
「ちょっとお茶が掛かったくらいで、大袈裟です」
エラは淡いブルーの瞳を大きく見開いて仰天した。城に常駐する侍医のところまで行ってきたのだろう。塔の四階から城郭へ入り広い城の一階まで行かなければならないはずだが、十分で戻るにはかなりのスピードで走らなければならない。
「大袈裟なもんか。俺のせいで君に火傷なんか作ってしまっては、取り返しがつかない」
「あら。わたし、火傷くらいで殿方に責任を取れなんて申しませんわ」
今度はイグリが目を見開いた。エラが憤慨している。どうもこの娘には自分の意図したことが伝わらない。
「エラ、俺はそういうつもりで言ったんじゃないよ。君の綺麗な肌に傷を付けるのは、俺が嫌なんだ。怪我をした女性をそのままにするなんて、例えそれが俺のせいじゃなくたって絶対に有り得ない」
イグリは慣れた手つきでエラの腕にツンとする匂いの薬を塗った布を貼り付け、包帯でくるくると巻き始めた。
エラは思いの外ひんやりと冷たい塗り薬に腕をぴくりとさせたが、イグリが包帯を巻いていくのを座って大人しく眺め、最後に白い頬を少しだけ染めた。
「…ありがとうございます。…その、失礼な態度を取ってしまって、すみませんでした」
「いいさ」
「でも、以前もこんなことがありましたわ」
イグリはウーンと唸って考え込むような表情を作り、わざとらしく眉を開いた。
「ああ。君が言ってるのは宴の前のことだろ?」
「ええ。ずっと気になっていたんです。あの時も、ちょっと態度がキツすぎました」
アルテミシアがドレスの試着をしている時にイグリがうっかりサロンの扉を開け、エラに物凄い剣幕で叱られた時のことだ。あれ以来、イグリはエラに嫌われていると思っていた。だからここ数日、塔でちょくちょく顔を合わせるようになってからも、他の女性に対するよりも慎重に礼儀正しく彼女に接してきたのだ。
「驚いたな。俺は君にすっかり嫌われてしまったかと思ってた」
イグリは包帯を結び終えると、つい一時間前までブランが座っていた隣の椅子に腰かけた。
エラはイグリの方を真正面に向いて座り直し、真っ青な目を真剣な面持ちでまっすぐ見た。
「そんなことはありません。だって、イグリ・ソノ様も命の恩人ですもの。何があっても嫌ったりなどは致しません」
「それを聞いて安心したよ。俺も失礼な態度を取ってすまなかった。前に君を番犬か何かのような言い方をしてしまった」
エラはひと月以上も前のやり取りを思い出してみた。
「ミーシャの前にまずはわたしに気に入られないといけない、とか何とかいうやつですね。確かにあれは失礼でした」
エラは眉尻を上げたが、声はもう怒っていない。むしろ、面白そうに桃色の唇に弧を描かせている。イグリは安堵し、ハハッと大きく口を開けて笑った。
「悪かったよ。でも、必死だったんだ。わかるだろ?」
「ええ。でも、きっとバルカ将軍も同じですわ」
「そうかな?」
「そうですよ。初めて会った時のミーシャは、自分の魅力に見向きもしないで、自分自身を軽く見ているところがあったように思います。でも、近頃はそれが変わってきました。周りと同じくらい自分も大切にしている気がします。それはきっと、バルカ将軍がミーシャを大切にしていて、それをミーシャも理解しているからですわ」
イグリは驚いた。アルテミシアとは気を許し合っているとはいえ、互いに多忙な女中と女王の通詞ではそこまで顔を合わせる機会が多くないだろうに、よく周囲を観察している。エラはやはり無力な少女などではなく、思いやりがあって明敏な女性だ。
が、尊敬する上司とはいえ恋敵をここまで褒められてしまったのでは、イグリとしては面白くない。
「俺だって、やれたさ」
と、イグリが拗ねてみせたので、エラは自分の失言を悟った。
「あ!ごめんなさい。失恋したばかりの人にこんなこと、言うべきじゃありませんでしたね」
「やめてくれよ。君は傷口に塩を塗ってるぞ」
イグリは唸りながらエラに懇願した。今にも涙目になりそうだったので、エラは悪いと思いながらもついくすくすと笑ってしまった。
「じゃあせめて、甘いお菓子でお心を癒してください」
エラは紅茶と一緒に持って来たビスケットや糖蜜がけのナッツをイグリの前に並べ、にっこりと笑いかけた。
「ありがたいけど、これだけじゃあ傷は癒えないな。一人でお茶しても面白くない」
「でも、仮眠中のブラン・コーリ様を起こすわけにはいきませんわ」
「君が付き合ってくれたらいいじゃないか」
エラは眉を上げた。イグリの瞳にはいつもの陽気な悪戯っぽさが戻っている。噂には聞いていたが、やはり生粋の女たらしだ。
「これってあなたの常套手段?わたしは本当に悪かったと思ったから謝罪したのよ」
「そうじゃないって」
またエラが怒りだす前に、イグリは両手を上げて弁解した。
「君と話していると気分が楽になるんだ。お互いに仕事を休憩して、話し相手になってくれよ。それで仲直りだ。いいだろ?」
「…わかりました。でも、ちょっとだけですよ。わたしもこう見えて忙しいんですから」
エラは両手を腰に当ててちょっと澄まして見せた後、おどけたように微笑んだ。
サゲン以下四人と荷馬車隊は真夜中になる前に山を越え、麓の大衆酒場の上の階に宿を取ることに成功した。田舎の山岳部だけあって人の出入りが多くないから、鼻の赤い酒場の主人は突然の客を喜んで迎え入れた。アルテミシアは御者として派遣されたルメオ兵たちに馬車の見張りを交代でやったらどうかと提案し、彼らにも部屋を取ろうとしたが、ルメオ兵たちはフラヴァリ提督にそれぞれが証拠品から離れることを固く禁じられていると言って固辞した。
サゲンとリコとレイが一階の酒場でカードゲームに興じている間に、アルテミシアは外にいるルメオ兵たちに温かいワインと鶏モモ肉の香草焼きを差し入れた。
「君も一緒にどうだい?」
と一人の兵が声を掛けたが、丁重に断った。外で温かいワインを飲むのはどちらかと言えば好きな方だが、色の付いた好意を受け取っては、サゲンが不快に思うだろう。
アルテミシアは酒場に戻ると、周囲で地元の常連客らしい男女がガヤガヤと酒盛りする中、奥のテーブルでちょうど四ゲーム目を終えた三人に手を振った。どうやらまたサゲンが勝ったらしい。賭けたコインの大半がサゲンの前に集まっている。レイの前には数枚、リコの前には一枚しかない。
「リコってば、顔に出すぎなんじゃない?」
「そんなことないさ。次は上官に勝つよ」
「無理だな。上官は表情が読めない」
と、レイが珍しく声を上げて笑ったので、アルテミシアはサゲンの方をチラリと見た。サゲンが片眉を上げ、青灰色の瞳を可笑しそうに輝かせて見返してくる。自然とアルテミシアの唇が吊り上がった。
「そうかな?けっこう分かりやすいと思うけど」
「挑発なら、受けて立とう」
サゲンは口元に薄く笑みを浮かべてカードを切り始めたが、アルテミシアはううん、と首を振った。
「みんなにおやすみを言いに来たんだ。わたしはもう寝る」
これを聞いたサゲンはカードを置いてグラスに残っていた酒を飲み干すと、目の前にたんまりと集まっていたコインを惜しげもなく部下たちの方へ押しやり、背後の壁に掛けてあったアルテミシアと自分の外套を持って席を立った。
「ではお開きだな。あとは二人で続けろ」
「恐縮です、上官」
「良い夜を」
そう言ってレイとリコは隅の階段を上っていくサゲンとアルテミシアに手を振った。
「――なあ、あの二人、今夜も…」
「よせ。言うな」
レイはカードを切りながら苦々しく同僚に不埒な口を閉じさせた。
アルテミシアは二階の角部屋の前で立ち止まり、後ろを振り返ってサゲンを見上げた。
酒場の喧騒から離れた静けさと狭く灯りの少ない廊下に漂う古い木造建築の匂いが、妙にアルテミシアの胸をざわつかせ、目の前に立つサゲンの存在を強く感じさせる。
暗いのが幸いだった。赤く染まった顔を見られなくて済む。
「…じゃあ、おやすみ」
「アルテミシア」
戸を開けて中に入ろうとした時、後ろからサゲンの大きな手が伸びてきてアルテミシアの手をそっと包んだ。
「君に話しておくことがある。入ってもいいか」
心臓がドキリと跳ねた。昨晩の熱を思い出してどくどくと騒ぎ出したアルテミシアの心臓とは対照的に、サゲンの声はいつものように低く、落ち着いている。
「どうぞ」
努めて冷静な声色で言ったのは、アルテミシアなりの虚勢だった。何となく癪だから、こちらが落ち着きなくサゲンを意識していることは悟られたくない。
アルテミシアは廊下に置かれたランプから火をもらい、部屋のランプに灯りをつけた。小さな真四角の部屋の中に、必要最低限のものが備えられている。即ち、カーテンとベッドだ。
アルテミシアが不自然なほど機敏な動きでベッドの端に腰掛けると、サゲンが二人分の外套をベッドのフットボードに引っ掛け、マットレスを大きく軋ませて隣に座った。
「指輪を見せてくれ」
アルテミシアは首を傾げたが、素直に外套を手繰り寄せてポケットから陶の箱を出し、真珠の指輪を取り出してサゲンの手のひらに乗せた。
サゲンがもう一つ何かを催促するようにもう片方の手を出してきたので、アルテミシアは指輪の入っていた箱を乗せたが、サゲンは吐息だけで笑い、すぐにそれをベッドに置いた。
「それじゃない」
陶の箱を置いたサゲンの手が次に触れたのは、アルテミシアの左手だった。が、すぐに離し、思い直したように右手を取ると、薬指に真珠のついた金の輪をするりとはめた。
サゲンの指が金の輪越しに自分の指に触れた瞬間、アルテミシアは身体中に熱が走ったのを感じた。たかだか指に輪を通すだけの行為が、それをするのが母親からサゲンに変わるだけでまったく違う意味を持つ。
サゲンは両手でアルテミシアの右手を目の高さまで持ち上げ、指輪をはめた薬指に唇で触れた。
「よく似合う」
吐息が指をくすぐる。指先から心地よい痺れが広がった。
「母から娘に、ずっと昔から受け継いできたんだって。家を離れて名前が変わっても、わたしたちは繋がっているって」
「女系の家宝とは、珍しいな」
「そうでしょう」
アルテミシアは誇らしげに笑って見せた。サゲンはアルテミシアの右手を両手に包んだままアルテミシアの目へと視線を移し、彼女の手を無意識のうちに親指で弄ぶように撫でた。
「あの…」
じりじりと焼けるように身体が熱い。アルテミシアはサゲンの物憂げな瞳の中に、決然とした強い意志を見た。どういうわけか、言葉が継げない。
「一つ聞かせてくれ。君は指輪を受け継いだことを俺に知られたくなかったか」
「違う。――」
アルテミシアは言葉に詰まり、思わず目を逸らしそうになったが、一瞬ぎゅっと目をつぶってからもう一度サゲンの目を見た。
「確かに、母さまにもらった後であなたの部屋に持って行かなかったのも、その話をしなかったのも意図的だった。だけど、ちょっと…、何ていうか、このことには少し時間が欲しかったの」
「それはこの指輪の持つ意味に関係するようだな」
アルテミシアは頷いた。サゲンはもう全て分かって言っているのだ。
「母親や先祖との繋がりを示す以外に、この指輪の意味するところは‘結婚’だろう。母から娘に渡すのであれば、誕生や成人の祝いの他にはそれくらいだが、前者はどちらも君に当てはまらない」
「まあね。でも母さまは、しきたりは気にしなくていいって。大切な人ができたお祝いだって言ってくれた。…あと、次会うのがいつになるか分からないからって」
「だが、君がこの指輪について強く意識したのは最も伝統的なことだ」
アルテミシアは観念し、頷いた。
「そうだね…」
「君が‘まだ分からない’と母上に言っていたのはこのことだな」
「うっ」
これにはぎくりとした。この男は忌々しいほど隙がない。
「そうだけど、だって…、わたしたちそんな話はしていないし、お互いに意思がはっきりしているわけでもないのに、あなたのいないところでそんな重大なものをもらっちゃったら気まずいじゃない。わたしも、今まで自分が結婚するなんて想像したこともなかったし。まだ言わないでおこうとしたのも、そういう理由で…」
アルテミシアは唇を噛み、俯いた。うまくサゲンの顔を見ることができない。今になって不安になってきた。
「もしかして、怒ってる?」
「何故そう思うんだ」
「わたしが、あなたの気持ちを確認しないで――」
「アルテミシア」
アルテミシアの手を包むサゲンの両手に力がこもった。
恐る恐るアルテミシアが顔を上げると、強い光を含んだ青灰色の視線とぶつかった。
「はっきりさせておく必要がある。以前も言ったが、俺は君を逃がす気はない」
「それって…」
「そうだ。君を妻にする」
断固とした口調だった。
アルテミシアはどくどくと自分の心音が鼓膜に響くのを聞いた。驚きも困惑もしなかった。ただ、衝撃に似た、熱く柔らかい感情が胸を占めただけだ。どういう感情なのか、他に形容のしようがない。
「勿論、すぐにとは言わない。君の状況は理解している。君が陛下に召し出されてオアリスへ来たのはついこの間のことだし、俺たちは任務の最中だ。その上、君は本当の父親について知ったばかりでまだ少なからず混乱している。君の気持ちが整うまで待つつもりだが、俺の意向は心に留めておいて欲しい」
「整わなかったら?」
と、つい憎まれ口を叩いてしまったのは照れ隠しだ。背中と手のひらには汗が滲み、耳まで顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
サゲンは目を細めた。彼女がどう感じているのかは分かっている。
「必ずその気にさせるさ。難しくないだろう」
「自惚れ屋」
アルテミシアが赤いままの頬を膨らませると、サゲンはニヤリと笑って見せた。
「俺たちが時折していることが子を成す行為だということも念頭に置いておけよ、アルテミシア」
ボッ、と音を立てて身体中に火がついた。
アルテミシアも子供ではない。サゲンとの行為の結果、妊娠する可能性があることは分かっている。それでもサゲンを求める気持ちには抗いようがない。覚悟の上だ。アルテミシアの心を乱したのは、サゲンが最初からそれを承知の上で彼女と深い仲になったということだ。
サゲンの手がアルテミシアの手から頬へと移り、優しく撫でた。
「それも君を確実に手に入れるための手段の一つだと言ったらどうする。怒るか」
心臓が破裂しそうだった。アルテミシアが目先のことにばかり気を取られている間、サゲンがこれほどまでに明確にこの先のことを見据えていたとは、想像もしていなかった。本当なら怒ってもいいのかもしれないが、怒りなど微塵も湧いてこない。
アルテミシアが薄明かりの中でもはっきり分かるほど顔を真っ赤にして首を横に振るのを見て、サゲンは自分でも可笑しくなるほど安堵した。
「もし、そうなったら」
アルテミシアが口を開いた。声が掠れている。
「そうなったらその時考えようと思ってた。相手があなたなら、どうなっても大丈夫だと思うから」
サゲンは破顔して衝動的にアルテミシアを抱きすくめた。――やはりそうだ。予感は正しかった。
(囚われたのは俺の方だ)
だが、アルテミシア・リンドにならいくらでも負けてやる。背中へ伸びてきたアルテミシアの手の感触でさえ、愛おしかった。
「ああ、でも、やっぱり今すぐはちょっと困るな…。海賊の件も片付いてないし、通詞の仕事もちゃんとやりたいし…」
アルテミシアが顔をサゲンの胸に埋めたまま、もごもごと言った。
「…善処する」
サゲンは絞り出すような声で答えた。彼女の意志を尊重したい気持ちに嘘はないが、約束はできない。妊娠を避ける方法はあるにはあるが、確実ではない上に、自分が彼女の奥で果てたい欲望に抗える自信がない。娼婦たちが実践している数々の怪しい避妊法を彼女に薦める気にもなれない。
――と、サゲンは腕の中でアルテミシアの肩が揺れていることに気が付いた。
「ふ、ふっ…」
声を漏らし、笑っている。
「なんだ」
「だってそんな、可哀想な声を出すから」
サゲンは苦り切って天を仰いだ。
未だかつて、女性からこんな扱いを受けたことはない。それなのに、この屈託ない笑い声さえどうしようもなく胸を熱くさせる。
「どうかしている」
「ごめん、真面目な話なのはわかってるけど…」
「君のことじゃない」
サゲンは何か聞きたそうに顔を上げたアルテミシアの鼻に自分の鼻をすり寄せ、彼女の口から疑問が飛び出す前に唇を塞いだ。
熱い舌がアルテミシアのそれを絡め取り、大きな手が腰を撫でると、身体中があわあわと痺れるようにアルテミシアの五感を支配し、気付いた時には目の前に迫ったサゲンの顔の後ろに暗い色の天井板が見えた。二人の影がぼんやりと伸び、揺れている。
「今、試してみるか。現実的かどうか…」
再び引き合った唇が互いに触れる寸前、バタバタと階段を上ってくる複数の足音と話し声が二人の動きを止めた。
「お前はもう少し感情を読まれないよう訓練すべきだ」
「君や上官は、ちょっと読めなさすぎるんだよ。筋肉が身体にばっかり行って顔には付いてないんじゃないか?」
レイとリコだ。すぐ隣で話しているように、声がはっきり聞こえてくる。
アルテミシアはサゲンの拍子抜けした顔を見ながら再び腹を上下させ、耐えきれずに笑い声をあげた。
「おっ、なんだよミーシャか?」
扉の外からリコの陽気な声が響いた。
「結局レイにも勝てなかったみたいだね。予想通り」
と、アルテミシアが扉の向こうのリコに応えた。声色はいつもと変わらないが、顔はサゲンの苦々しげな表情を見上げながら、今にも吹き出しそうだ。
「まったく君まで、うるさいなあ。明日も早いから、早く寝ろよ」
廊下の奥で扉の閉まる音がした後、サゲンは渋々アルテミシアの肉体の誘惑を振り払い身体を離すと、深い溜め息をついた。こんなに壁が薄いのでは、続けるわけにはいかない。
「お預けか」
「そうみたい」
サゲンはほとんど息だけで呟いて忌々しげに扉の方を一瞥したあと、くすくす笑い続けるアルテミシアに羽が触れるようなキスをした。
サゲンは時折アルテミシアの方を注意深く振り返りながら、山道で馬を走らせた。
「大丈夫か」
などと声を掛ける愚は犯さない。ただ、時折赤い目元を擦って遠くを見つめる顔を前方から見守るだけだ。
アルテミシアは涙に濡れていても美しかった。自分の出生に関わる事実を知ってアルテミシアの気持ちに訪れた変化が、一層そうさせているのかもしれない。少なくとも数か月前、自分を何者とも思っていなかった彼女であれば、こんなふうに母親を想って涙を流すことはなかっただろう。
荷馬車と一緒に先発したリコとレイにはあと一時間もしないうちに追い着くだろうから、わざと速度を落として馬をゆったりと歩かせることにした。もう少し一人で気持ちを整理する時間を持たせてやりたい。アルテミシアも、赤く腫れた目を二人に見せたくはないはずだ。この分だと予定よりも手前の町で宿を取ることになりそうだが、致し方ない。
宿に着いたら、アルテミシアと話す必要がある。
この頃オアリスでは、ゴラン・イキ・ダリオス将軍を筆頭に、ロハクやトーラク将軍も慌ただしく働いていた。
先日、イサ・アンナ女王の名義でエマンシュナ国王並びにエマンシュナ海軍に公文書を送った。と言っても草案を練り、文章に起こしたのは秘書官であるロハクの仕事だったが、そのロハクの筆をもってしてもイサ・アンナのエマンシュナ海軍への熱望は書き尽くせない。
ナヴァレと呼ばれるエマンシュナ海軍は、砲弾や銃などの火器をはじめ、矢尻の金属や軍装に至るまで、どれを取っても他の追随を許さないほど質が高く、それらを扱う兵士たちの腕前も抜きん出ている。古の時代、馬と鉄の武器を使って大陸の多くの国を蹂躙しその領土を拡大してきたエマンシュナ王国は、軍国主義を放棄した現在にあっても屈強な騎馬民族の子孫であることに誇りを持ち、その強大さを自負しているのだ。
一方、古来より交易や漁で国を豊かにしてきたイノイルは、エマンシュナほどの軍事力がなくても造船技術や海戦術に優れ、なおかつ驚くべき統率力がある。
この二つが合わされば、海賊討伐も早々に片が付く。イサ・アンナの望むところは正にそれだった。ところが、エマンシュナのレオニード王は海よりも陸の問題に集中し、海賊のことはイノイルに任せきりで、自らは腰を上げようとしなかった。
間諜に探らせたところによれば、どうやら長らく休戦中だった西隣のアミラ王国との関係が悪化し、国境付近で小競り合いとは言えない程度のものが多発しているらしい。
百年もの間、アミラ王国とエマンシュナ王国は国境付近の領土を巡って戦争と休戦を繰り返しているが、二十年前に休戦協定を締結してからは落ち着いていたはずだ。それが、この数年で風向きが変わった。エマンシュナ国王はこれに集中したいがために、海賊の件に関しては強力な同盟国であるイノイルに頼り切っていたのだ。
このエマンシュナの態度に終止符を打ったのが、イサ・アンナからの通達だった。
南エマンシュナで偽の造船所を依り代として海賊たちが好き勝手に金を集めていることを知るや、エマンシュナ王レオニードは早々にイノイル軍との調整のため、ナヴァレの責任者である自らの従弟イアサント・アストル将軍をオアリスへ派遣する旨をイサ・アンナに申し入れた。
ナヴァレとの連携のために折衝を担当するのは本来ならイノイル海軍の責任者であるサゲン・エメレンス・バルカ将軍だが、サゲンが不在のために代理のゴラン・ダリオスがこれに当たることになった。
優秀なゴランは、彼らとの連携に関する話し合いのための考え得る材料を揃え始めた。過去の資料などから必要な船と船員の数、砲弾などの火器類を想定した上、それらに必要な軍費の試算をし、他同盟国から望める援軍の予測もつけなければならない。これらを、イアサント・アストルの入城前に終えておく必要がある。
この準備に駆り出されたのが、サゲンが補佐役としてオアリスに残してきたイグリとブランだ。二人とも数字に明るい方だが、さすがにゴラン自身を含む三名では、過去の海戦の資料を読み込み、どれほどの規模になるかいまいち予想のできない海賊討伐の軍費の試算をするのにはかなりの労力が要る。
そのため、ここ数日はブランと二人で城の塔の五階にある書庫に数日間泊まり込んでいた。
「前にミーシャが泊まり込んでくれてよかったよな。お陰で書庫にベッドがある」
ブランはそう言って苦笑した。
この時の彼らの息抜きと言えば、三度の食事のほか、エラが一日に数回置いていく軽食や温かい飲み物だった。
本来は女中が入ることのできない塔にエラがやって来て二人に給仕するのは、どうもロハクの計らいであるようだった。ロハクは塔に出入りできる者が制限されているために自分が赴かなくてはならなくなる事態を避けるべく、特例としてエラにその役目を負わせたらしい。新参で城の内情をそこまで深く把握していない上に、機転が利き他の女中たちと違って余計なことを口に出さないエラは、ロハクが考え得る限り最も適任だったのだ。
ブランが次の間で仮眠を取っている間、イグリは過去の海賊討伐の帳簿と日誌を引っ張り出し、負傷兵のための衛生用品がどの程度不足したかを調べていた。
過去の海戦では勝利を上げたものの、味方側の死傷者は決して少なくなかった。
「今回は死者が出ないといいけど…」
「そうですね」
と、急に声が聞こえ、背後から淡い灰色の袖に包まれた細い腕がにゅっと出てきて横にカップを置いたので、イグリは跳び上がった。その拍子に紅茶が湯気を上げながらカップから零れ、灰色の袖を濡らしてしまった。
「あっ!」
声を上げたのは、イグリだ。
エラは熱い紅茶が腕に掛かったにも関わらず、腕を引っ込めもせずに脇に置いた茶菓子に紅茶が掛からないよう咄嗟に皿を横へ退けた。
「大変だ」
エラは事もなげに手巾をエプロンから取り出したが、イグリは既に大慌てで席を立ち、薄暗い書庫の隅へと向かって行った。
「大丈夫ですよ。お茶菓子も無事です」
「茶菓子なんかどうでもいいだろ!」
キャビネットから飲み水用の瓶を取って戻って来たイグリは、エラの手から手巾を取り上げると、やや乱雑に灰色の袖を捲り上げ、白い肘の下に手巾を当てて腕にバシャバシャと水を掛けた。紅茶の掛かった場所が赤くなっている。
「本当に悪かった」
「いいえ、急にお声掛けして紅茶を置いたのはわたしですから。こちらこそ、驚かせてしまったみたいで、すみませんでした」
「いいや、今のは完全に俺の落ち度だ。ここ押さえて、ちょっと待ってて」
イグリは水で濡らした手巾をエラの腕に押し付けて戸口へ向かい、バタバタと出て行った。
エラは大人しくイグリの座っていた椅子に腰掛け、濡れた手巾を腕に乗せて待っていたが、イグリはものの十分で戻ってきた。息を切らせ、手には何か黒っぽい緑色のものがべったり塗られた布と包帯を持っている。
「ちょっとお茶が掛かったくらいで、大袈裟です」
エラは淡いブルーの瞳を大きく見開いて仰天した。城に常駐する侍医のところまで行ってきたのだろう。塔の四階から城郭へ入り広い城の一階まで行かなければならないはずだが、十分で戻るにはかなりのスピードで走らなければならない。
「大袈裟なもんか。俺のせいで君に火傷なんか作ってしまっては、取り返しがつかない」
「あら。わたし、火傷くらいで殿方に責任を取れなんて申しませんわ」
今度はイグリが目を見開いた。エラが憤慨している。どうもこの娘には自分の意図したことが伝わらない。
「エラ、俺はそういうつもりで言ったんじゃないよ。君の綺麗な肌に傷を付けるのは、俺が嫌なんだ。怪我をした女性をそのままにするなんて、例えそれが俺のせいじゃなくたって絶対に有り得ない」
イグリは慣れた手つきでエラの腕にツンとする匂いの薬を塗った布を貼り付け、包帯でくるくると巻き始めた。
エラは思いの外ひんやりと冷たい塗り薬に腕をぴくりとさせたが、イグリが包帯を巻いていくのを座って大人しく眺め、最後に白い頬を少しだけ染めた。
「…ありがとうございます。…その、失礼な態度を取ってしまって、すみませんでした」
「いいさ」
「でも、以前もこんなことがありましたわ」
イグリはウーンと唸って考え込むような表情を作り、わざとらしく眉を開いた。
「ああ。君が言ってるのは宴の前のことだろ?」
「ええ。ずっと気になっていたんです。あの時も、ちょっと態度がキツすぎました」
アルテミシアがドレスの試着をしている時にイグリがうっかりサロンの扉を開け、エラに物凄い剣幕で叱られた時のことだ。あれ以来、イグリはエラに嫌われていると思っていた。だからここ数日、塔でちょくちょく顔を合わせるようになってからも、他の女性に対するよりも慎重に礼儀正しく彼女に接してきたのだ。
「驚いたな。俺は君にすっかり嫌われてしまったかと思ってた」
イグリは包帯を結び終えると、つい一時間前までブランが座っていた隣の椅子に腰かけた。
エラはイグリの方を真正面に向いて座り直し、真っ青な目を真剣な面持ちでまっすぐ見た。
「そんなことはありません。だって、イグリ・ソノ様も命の恩人ですもの。何があっても嫌ったりなどは致しません」
「それを聞いて安心したよ。俺も失礼な態度を取ってすまなかった。前に君を番犬か何かのような言い方をしてしまった」
エラはひと月以上も前のやり取りを思い出してみた。
「ミーシャの前にまずはわたしに気に入られないといけない、とか何とかいうやつですね。確かにあれは失礼でした」
エラは眉尻を上げたが、声はもう怒っていない。むしろ、面白そうに桃色の唇に弧を描かせている。イグリは安堵し、ハハッと大きく口を開けて笑った。
「悪かったよ。でも、必死だったんだ。わかるだろ?」
「ええ。でも、きっとバルカ将軍も同じですわ」
「そうかな?」
「そうですよ。初めて会った時のミーシャは、自分の魅力に見向きもしないで、自分自身を軽く見ているところがあったように思います。でも、近頃はそれが変わってきました。周りと同じくらい自分も大切にしている気がします。それはきっと、バルカ将軍がミーシャを大切にしていて、それをミーシャも理解しているからですわ」
イグリは驚いた。アルテミシアとは気を許し合っているとはいえ、互いに多忙な女中と女王の通詞ではそこまで顔を合わせる機会が多くないだろうに、よく周囲を観察している。エラはやはり無力な少女などではなく、思いやりがあって明敏な女性だ。
が、尊敬する上司とはいえ恋敵をここまで褒められてしまったのでは、イグリとしては面白くない。
「俺だって、やれたさ」
と、イグリが拗ねてみせたので、エラは自分の失言を悟った。
「あ!ごめんなさい。失恋したばかりの人にこんなこと、言うべきじゃありませんでしたね」
「やめてくれよ。君は傷口に塩を塗ってるぞ」
イグリは唸りながらエラに懇願した。今にも涙目になりそうだったので、エラは悪いと思いながらもついくすくすと笑ってしまった。
「じゃあせめて、甘いお菓子でお心を癒してください」
エラは紅茶と一緒に持って来たビスケットや糖蜜がけのナッツをイグリの前に並べ、にっこりと笑いかけた。
「ありがたいけど、これだけじゃあ傷は癒えないな。一人でお茶しても面白くない」
「でも、仮眠中のブラン・コーリ様を起こすわけにはいきませんわ」
「君が付き合ってくれたらいいじゃないか」
エラは眉を上げた。イグリの瞳にはいつもの陽気な悪戯っぽさが戻っている。噂には聞いていたが、やはり生粋の女たらしだ。
「これってあなたの常套手段?わたしは本当に悪かったと思ったから謝罪したのよ」
「そうじゃないって」
またエラが怒りだす前に、イグリは両手を上げて弁解した。
「君と話していると気分が楽になるんだ。お互いに仕事を休憩して、話し相手になってくれよ。それで仲直りだ。いいだろ?」
「…わかりました。でも、ちょっとだけですよ。わたしもこう見えて忙しいんですから」
エラは両手を腰に当ててちょっと澄まして見せた後、おどけたように微笑んだ。
サゲン以下四人と荷馬車隊は真夜中になる前に山を越え、麓の大衆酒場の上の階に宿を取ることに成功した。田舎の山岳部だけあって人の出入りが多くないから、鼻の赤い酒場の主人は突然の客を喜んで迎え入れた。アルテミシアは御者として派遣されたルメオ兵たちに馬車の見張りを交代でやったらどうかと提案し、彼らにも部屋を取ろうとしたが、ルメオ兵たちはフラヴァリ提督にそれぞれが証拠品から離れることを固く禁じられていると言って固辞した。
サゲンとリコとレイが一階の酒場でカードゲームに興じている間に、アルテミシアは外にいるルメオ兵たちに温かいワインと鶏モモ肉の香草焼きを差し入れた。
「君も一緒にどうだい?」
と一人の兵が声を掛けたが、丁重に断った。外で温かいワインを飲むのはどちらかと言えば好きな方だが、色の付いた好意を受け取っては、サゲンが不快に思うだろう。
アルテミシアは酒場に戻ると、周囲で地元の常連客らしい男女がガヤガヤと酒盛りする中、奥のテーブルでちょうど四ゲーム目を終えた三人に手を振った。どうやらまたサゲンが勝ったらしい。賭けたコインの大半がサゲンの前に集まっている。レイの前には数枚、リコの前には一枚しかない。
「リコってば、顔に出すぎなんじゃない?」
「そんなことないさ。次は上官に勝つよ」
「無理だな。上官は表情が読めない」
と、レイが珍しく声を上げて笑ったので、アルテミシアはサゲンの方をチラリと見た。サゲンが片眉を上げ、青灰色の瞳を可笑しそうに輝かせて見返してくる。自然とアルテミシアの唇が吊り上がった。
「そうかな?けっこう分かりやすいと思うけど」
「挑発なら、受けて立とう」
サゲンは口元に薄く笑みを浮かべてカードを切り始めたが、アルテミシアはううん、と首を振った。
「みんなにおやすみを言いに来たんだ。わたしはもう寝る」
これを聞いたサゲンはカードを置いてグラスに残っていた酒を飲み干すと、目の前にたんまりと集まっていたコインを惜しげもなく部下たちの方へ押しやり、背後の壁に掛けてあったアルテミシアと自分の外套を持って席を立った。
「ではお開きだな。あとは二人で続けろ」
「恐縮です、上官」
「良い夜を」
そう言ってレイとリコは隅の階段を上っていくサゲンとアルテミシアに手を振った。
「――なあ、あの二人、今夜も…」
「よせ。言うな」
レイはカードを切りながら苦々しく同僚に不埒な口を閉じさせた。
アルテミシアは二階の角部屋の前で立ち止まり、後ろを振り返ってサゲンを見上げた。
酒場の喧騒から離れた静けさと狭く灯りの少ない廊下に漂う古い木造建築の匂いが、妙にアルテミシアの胸をざわつかせ、目の前に立つサゲンの存在を強く感じさせる。
暗いのが幸いだった。赤く染まった顔を見られなくて済む。
「…じゃあ、おやすみ」
「アルテミシア」
戸を開けて中に入ろうとした時、後ろからサゲンの大きな手が伸びてきてアルテミシアの手をそっと包んだ。
「君に話しておくことがある。入ってもいいか」
心臓がドキリと跳ねた。昨晩の熱を思い出してどくどくと騒ぎ出したアルテミシアの心臓とは対照的に、サゲンの声はいつものように低く、落ち着いている。
「どうぞ」
努めて冷静な声色で言ったのは、アルテミシアなりの虚勢だった。何となく癪だから、こちらが落ち着きなくサゲンを意識していることは悟られたくない。
アルテミシアは廊下に置かれたランプから火をもらい、部屋のランプに灯りをつけた。小さな真四角の部屋の中に、必要最低限のものが備えられている。即ち、カーテンとベッドだ。
アルテミシアが不自然なほど機敏な動きでベッドの端に腰掛けると、サゲンが二人分の外套をベッドのフットボードに引っ掛け、マットレスを大きく軋ませて隣に座った。
「指輪を見せてくれ」
アルテミシアは首を傾げたが、素直に外套を手繰り寄せてポケットから陶の箱を出し、真珠の指輪を取り出してサゲンの手のひらに乗せた。
サゲンがもう一つ何かを催促するようにもう片方の手を出してきたので、アルテミシアは指輪の入っていた箱を乗せたが、サゲンは吐息だけで笑い、すぐにそれをベッドに置いた。
「それじゃない」
陶の箱を置いたサゲンの手が次に触れたのは、アルテミシアの左手だった。が、すぐに離し、思い直したように右手を取ると、薬指に真珠のついた金の輪をするりとはめた。
サゲンの指が金の輪越しに自分の指に触れた瞬間、アルテミシアは身体中に熱が走ったのを感じた。たかだか指に輪を通すだけの行為が、それをするのが母親からサゲンに変わるだけでまったく違う意味を持つ。
サゲンは両手でアルテミシアの右手を目の高さまで持ち上げ、指輪をはめた薬指に唇で触れた。
「よく似合う」
吐息が指をくすぐる。指先から心地よい痺れが広がった。
「母から娘に、ずっと昔から受け継いできたんだって。家を離れて名前が変わっても、わたしたちは繋がっているって」
「女系の家宝とは、珍しいな」
「そうでしょう」
アルテミシアは誇らしげに笑って見せた。サゲンはアルテミシアの右手を両手に包んだままアルテミシアの目へと視線を移し、彼女の手を無意識のうちに親指で弄ぶように撫でた。
「あの…」
じりじりと焼けるように身体が熱い。アルテミシアはサゲンの物憂げな瞳の中に、決然とした強い意志を見た。どういうわけか、言葉が継げない。
「一つ聞かせてくれ。君は指輪を受け継いだことを俺に知られたくなかったか」
「違う。――」
アルテミシアは言葉に詰まり、思わず目を逸らしそうになったが、一瞬ぎゅっと目をつぶってからもう一度サゲンの目を見た。
「確かに、母さまにもらった後であなたの部屋に持って行かなかったのも、その話をしなかったのも意図的だった。だけど、ちょっと…、何ていうか、このことには少し時間が欲しかったの」
「それはこの指輪の持つ意味に関係するようだな」
アルテミシアは頷いた。サゲンはもう全て分かって言っているのだ。
「母親や先祖との繋がりを示す以外に、この指輪の意味するところは‘結婚’だろう。母から娘に渡すのであれば、誕生や成人の祝いの他にはそれくらいだが、前者はどちらも君に当てはまらない」
「まあね。でも母さまは、しきたりは気にしなくていいって。大切な人ができたお祝いだって言ってくれた。…あと、次会うのがいつになるか分からないからって」
「だが、君がこの指輪について強く意識したのは最も伝統的なことだ」
アルテミシアは観念し、頷いた。
「そうだね…」
「君が‘まだ分からない’と母上に言っていたのはこのことだな」
「うっ」
これにはぎくりとした。この男は忌々しいほど隙がない。
「そうだけど、だって…、わたしたちそんな話はしていないし、お互いに意思がはっきりしているわけでもないのに、あなたのいないところでそんな重大なものをもらっちゃったら気まずいじゃない。わたしも、今まで自分が結婚するなんて想像したこともなかったし。まだ言わないでおこうとしたのも、そういう理由で…」
アルテミシアは唇を噛み、俯いた。うまくサゲンの顔を見ることができない。今になって不安になってきた。
「もしかして、怒ってる?」
「何故そう思うんだ」
「わたしが、あなたの気持ちを確認しないで――」
「アルテミシア」
アルテミシアの手を包むサゲンの両手に力がこもった。
恐る恐るアルテミシアが顔を上げると、強い光を含んだ青灰色の視線とぶつかった。
「はっきりさせておく必要がある。以前も言ったが、俺は君を逃がす気はない」
「それって…」
「そうだ。君を妻にする」
断固とした口調だった。
アルテミシアはどくどくと自分の心音が鼓膜に響くのを聞いた。驚きも困惑もしなかった。ただ、衝撃に似た、熱く柔らかい感情が胸を占めただけだ。どういう感情なのか、他に形容のしようがない。
「勿論、すぐにとは言わない。君の状況は理解している。君が陛下に召し出されてオアリスへ来たのはついこの間のことだし、俺たちは任務の最中だ。その上、君は本当の父親について知ったばかりでまだ少なからず混乱している。君の気持ちが整うまで待つつもりだが、俺の意向は心に留めておいて欲しい」
「整わなかったら?」
と、つい憎まれ口を叩いてしまったのは照れ隠しだ。背中と手のひらには汗が滲み、耳まで顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
サゲンは目を細めた。彼女がどう感じているのかは分かっている。
「必ずその気にさせるさ。難しくないだろう」
「自惚れ屋」
アルテミシアが赤いままの頬を膨らませると、サゲンはニヤリと笑って見せた。
「俺たちが時折していることが子を成す行為だということも念頭に置いておけよ、アルテミシア」
ボッ、と音を立てて身体中に火がついた。
アルテミシアも子供ではない。サゲンとの行為の結果、妊娠する可能性があることは分かっている。それでもサゲンを求める気持ちには抗いようがない。覚悟の上だ。アルテミシアの心を乱したのは、サゲンが最初からそれを承知の上で彼女と深い仲になったということだ。
サゲンの手がアルテミシアの手から頬へと移り、優しく撫でた。
「それも君を確実に手に入れるための手段の一つだと言ったらどうする。怒るか」
心臓が破裂しそうだった。アルテミシアが目先のことにばかり気を取られている間、サゲンがこれほどまでに明確にこの先のことを見据えていたとは、想像もしていなかった。本当なら怒ってもいいのかもしれないが、怒りなど微塵も湧いてこない。
アルテミシアが薄明かりの中でもはっきり分かるほど顔を真っ赤にして首を横に振るのを見て、サゲンは自分でも可笑しくなるほど安堵した。
「もし、そうなったら」
アルテミシアが口を開いた。声が掠れている。
「そうなったらその時考えようと思ってた。相手があなたなら、どうなっても大丈夫だと思うから」
サゲンは破顔して衝動的にアルテミシアを抱きすくめた。――やはりそうだ。予感は正しかった。
(囚われたのは俺の方だ)
だが、アルテミシア・リンドにならいくらでも負けてやる。背中へ伸びてきたアルテミシアの手の感触でさえ、愛おしかった。
「ああ、でも、やっぱり今すぐはちょっと困るな…。海賊の件も片付いてないし、通詞の仕事もちゃんとやりたいし…」
アルテミシアが顔をサゲンの胸に埋めたまま、もごもごと言った。
「…善処する」
サゲンは絞り出すような声で答えた。彼女の意志を尊重したい気持ちに嘘はないが、約束はできない。妊娠を避ける方法はあるにはあるが、確実ではない上に、自分が彼女の奥で果てたい欲望に抗える自信がない。娼婦たちが実践している数々の怪しい避妊法を彼女に薦める気にもなれない。
――と、サゲンは腕の中でアルテミシアの肩が揺れていることに気が付いた。
「ふ、ふっ…」
声を漏らし、笑っている。
「なんだ」
「だってそんな、可哀想な声を出すから」
サゲンは苦り切って天を仰いだ。
未だかつて、女性からこんな扱いを受けたことはない。それなのに、この屈託ない笑い声さえどうしようもなく胸を熱くさせる。
「どうかしている」
「ごめん、真面目な話なのはわかってるけど…」
「君のことじゃない」
サゲンは何か聞きたそうに顔を上げたアルテミシアの鼻に自分の鼻をすり寄せ、彼女の口から疑問が飛び出す前に唇を塞いだ。
熱い舌がアルテミシアのそれを絡め取り、大きな手が腰を撫でると、身体中があわあわと痺れるようにアルテミシアの五感を支配し、気付いた時には目の前に迫ったサゲンの顔の後ろに暗い色の天井板が見えた。二人の影がぼんやりと伸び、揺れている。
「今、試してみるか。現実的かどうか…」
再び引き合った唇が互いに触れる寸前、バタバタと階段を上ってくる複数の足音と話し声が二人の動きを止めた。
「お前はもう少し感情を読まれないよう訓練すべきだ」
「君や上官は、ちょっと読めなさすぎるんだよ。筋肉が身体にばっかり行って顔には付いてないんじゃないか?」
レイとリコだ。すぐ隣で話しているように、声がはっきり聞こえてくる。
アルテミシアはサゲンの拍子抜けした顔を見ながら再び腹を上下させ、耐えきれずに笑い声をあげた。
「おっ、なんだよミーシャか?」
扉の外からリコの陽気な声が響いた。
「結局レイにも勝てなかったみたいだね。予想通り」
と、アルテミシアが扉の向こうのリコに応えた。声色はいつもと変わらないが、顔はサゲンの苦々しげな表情を見上げながら、今にも吹き出しそうだ。
「まったく君まで、うるさいなあ。明日も早いから、早く寝ろよ」
廊下の奥で扉の閉まる音がした後、サゲンは渋々アルテミシアの肉体の誘惑を振り払い身体を離すと、深い溜め息をついた。こんなに壁が薄いのでは、続けるわけにはいかない。
「お預けか」
「そうみたい」
サゲンはほとんど息だけで呟いて忌々しげに扉の方を一瞥したあと、くすくす笑い続けるアルテミシアに羽が触れるようなキスをした。
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