王城のマリナイア

若島まつ

文字の大きさ
89 / 95

【番外編3-1】雪と太陽の愛すべき事情 I - Le circostanze dell'amore I -

 雪は嫌いだ。
 昔は他の多くの子供がそうであるように、雪が降る季節を心待ちにしていたものだが、それは二年前、愛する家族に死の病をもたらした。
 それからというもの、雪はエラにとって喪失の象徴となった。
 夏空を乞い、心が凍り付く季節だ。

 そしてまた季節は冬を迎え、この年もオアリスに大雪を降らせた。
「ねえ、雪だるまさん」
 同僚で親友のケイナに声をかけられ、エラは振り返った。
 ケイナは鼻を赤くしながらくすくす笑ってエラに近づき、頭にかぶった雪をパサパサと払い落としてやった。
 雪の白さが辺りを眩しいほどに明るく輝かせ、ケイナの肌も一層白く、いつもよりそばかすが目立って見える。
「帽子を被らないとダメじゃない。風邪ひくよ」
「ありがとう」
 エラはいつものように笑って、ケイナが持ってきてくれたふわふわの毛糸の帽子をかぶった。
「積もったねえ」
 ケイナは辺りをぐるりと見回した。大人の膝が埋まるくらいの雪があたり一面を真っ白に染め、陽光を雪の粒に閉じ込めてキラキラと眩しいほどに輝いている。
「旦那さまとミーシャさまの雪用のブーツを出しておかなくちゃ」
 ケイナが腕を組んで寒さにぶるりと震えたとき、屋敷の窓が開いてアルテミシアがひょっこりと顔を出した。肌を刺すほどに空気が冷たいというのに、両肩が見えている。幸い窓の外からは肩より下は見えないが、多分何も着ていないのだろう。アルテミシアはこちらには気付かずに、少女のように顔をぱあっと明るくした。
「すごい!真っ白だよ」
 そう言ってアルテミシアが部屋の中を振り返った瞬間、彼女は何か強い力で後ろへ引っ張られるように窓際から姿を消した。間を置かず窓を閉じるために伸びてきた逞しい腕は、サゲンのものだ。寝室に引き戻されたアルテミシアの身体は今頃サゲンがベッドで暖を取るための熱源になっていることだろう。
 ケイナは顔を赤くしてエラと顔を見合わせた。
「あーあー、朝っぱらから。本当に仲がよろしいこと」
「ほんとね」
 エラは笑った。
「正直、去年の冬にミーシャさまが出てっちゃったときは旦那さまもこの屋敷もどうなっちゃうのかって、まー焦ったけど、よかったよねぇ」
 ケイナが感慨深げに腕を組んだ。
「もう別れちゃうかもと思ってがっかりしてたところに、二人ともデレッデレで帰ってくるんだもの。しかも、一年以上経ってもずっと同じようにデレッデレしてるの、すごくない?」
 ケイナが大真面目に言うと、エラはおかしくなって笑い声をあげた。
「それは、そうよ!でも同じようにじゃないわ」
 ケイナもケタケタ笑い出した。
「ああ、そうだった。更にデレッデレが増してるよね」
 職務の間はそれぞれ立場ある人間として有能な仕事ぶりを見せる彼らだが、二人の時は常にこんな感じだ。女王の通詞と護衛として、仕事が一緒になることも多い。職務の間は互いに自制しているようだが、はっきり言って、周りからすればちょっと恥ずかしくなるくらいの熱愛ぶりが、二人の身振りや視線から伝わってくる。今では王都でも評判のおしどり夫婦だ。
 二人の仲が深まっていくことを一番に喜んでいるのは、わたしだ。と、エラは密かに自負している。この二人が出逢っていなかったら、今自分はここにいない。命もなかっただろう。そして彼らには恩義以上に深い情を感じている。
 大切な二人だから、幸せでいてくれなくては困る。

 この時期バルカ家では、使用人たちが続々と里帰りの準備をしていた。
 年末に開かれる本邸の集まりに出席するのに合わせて、主人であるサゲンが使用人たちに休暇を取らせたのだ。
 例年ならサゲンが一日だけ集まりに顔を出してさっさと森の屋敷に帰ってくるだけだが、今年は事情が違う。サゲンがアルテミシアと夫婦になって初めての年末だから、遠方に住む妹や従兄弟たちがオアリス中心地にある本邸に滞在し、祝宴を開くことになっている。しかも、一日だけでは終わらない。十二月二十日は家族や親族のみで集い、翌日は親類の他に知人を大勢招待して、とてもささやかとは言えない規模の宴を予定している。この準備のために、サゲンもアルテミシアも二日前から現地へ赴かなくてはならないのだ。
「エラも来ない?」
 とアルテミシアが訊ねたのは、出発の二日前のことだった。
 実は、身寄りのないエラが休暇の間どこに滞在したいとも言わないので、アルテミシアは密かに気にしていた。が、エラもそこは心得たもので、余計な気を遣われたくないがためにそれとなく旅行へ行くような素振りを見せていたのだった。
「休暇の間にちょっと行ってみたいところがあって、友達と泊まりがけで遊びに行こうと思ってるの」
 アルテミシアは鋭いからこんな嘘はすぐにバレてしまう。だから、よく気が回るエラは王城勤めの友人に話を合わせてもらうよう頼んでいた。友人が王城でエラと旅行に行くことを周囲の同僚に吹聴し、それが兵士たちの耳にも入って、サゲンやアルテミシアのところへ情報として入ってくる。
「ああ、そんなこと誰かが言ってたかも」
 と、アルテミシアは何の疑いも持たなかった。
 エラがここまでするのは、バルカ家本邸へ行きたくないわけではなく、彼女なりの理由がある。
 バルカ家と言えばイノイル国内でも名家中の名家なので、家族の集まりならまだしも、大々的に催される祝宴ともなれば普段暮らしている気軽な森の屋敷とはまるで勝手が違うだろう。こういうときに主役の一人である貴婦人に侍女として就くのは、本家の責任者に選ばれた良家の子女と決まっている。しかも、アルテミシアは注目の人だ。海賊団討伐に大きく貢献し、女王のお気に入りの通詞ともなれば、侍女になりたがるやんごとない令嬢は山ほどいる。
 ここにどこの馬の骨とも分からないエラがのこのこ侍女としてついて行って出しゃばってしまっては、本家の面目が立たない上、侍女候補だった令嬢たちから不要なやっかみを買うことになる。おまけに少女時代からずっと男社会に身を置いていたアルテミシアはこういう女同士のドロドロとした争いには不慣れだから、こんなことが起きたら余計に気を遣うだろう。
 そういう事態を回避するべく、敢えてアルテミシアにはついて行かないという選択をしたのだ。エラは生来、そういう人情の機微には敏感だ。
 そう言う折だった。
「うちに来なよ」
 という誘いがあった。
 エラは今まさに拭いている窓の外から機嫌良く顔を覗かせるイグリの顔を、キョトンとして見た。白く積もった雪の跳ね返す陽光がイグリの明るい金色の髪をいっそうキラキラと輝かせ、青空のような瞳をいつもより明るく見せている。
「うちって?」
「俺の実家」
「じっか」
 なんだか頭が追いつかない。
「あー、お気遣いありがとう。でもわたし――」
「聞いたよ。でも旅行なんて嘘だろ?」
「…本当だけど」
「ほら、嘘だ」
 イグリは窓ガラス越しにエラの額を指でツン、と弾いた。
「エラは嘘を吐くときちょっとだけ鼻の穴が膨らむんだ。気付いてる?」
「そっ、そんなことないわ!」
 エラが顔を真っ赤にして、窓を拭いていた雑巾を顔に押し当てて鼻を隠した。
「大体、今までイグリに嘘ついたことないもの。嘘ついてるかどうかなんて、分かるはずない」
「わかるんだなぁ、それが。ミーシャがいなくなった時にたくさんついてただろ。‘わたしは平気’、‘ミーシャが望んだことなら仕方ない’ってさ。君がそう言うとき、今みたいに鼻の穴が――」
「もう!やめてったら!」
 怒ったエラが窓を勢いよく外側に開いたので、バン!と窓がイグリの頬を激しく打った。
「あっ!ごめんなさい…」
 窓を慌てて閉じようとした手を、イグリは掴んだ。頬に窓の木枠の痕が赤く残っているが、痛そうな素振りなど微塵も見せずにニッと笑った。
「ねえ、一緒に来てよ」
「理由がないわ」
 エラは手を振りほどいて窓を閉めた。が、イグリがもう一度外から窓を開け、エラの目をまっすぐに見た。
「あるさ。実は、君に頼みたいことがあるんだ」
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

『床下に札束を隠す金髪悪女は、毎朝赤いマットの上で黒の下着姿で股を開く』〜ストレッチが、私の金脈〜

まさき
恋愛
毎朝六時。 黒の下着姿で、赤いヨガマットの上に脚を開く。 それが橘麗奈、二十八歳の朝の儀式。 ストレッチが終わったら、絨毯をめくる。 床下収納を開けて、封筒の束を確認する。 まだある。今日も、負けていない。 儚く見える目と、計算された貧しさで男の「守りたい」を引き出し、感情を売らずに金だけを回収してきた。 愛は演技。体は商売道具。金は成果。 ブリーチで傷んだ金髪も、柔らかく整えた体も、全部武器だ。 完璧だったはずの計算が、同じマンションに住む地味な男——青木奏の登場で、狂い始める。 奢らない。 触れない。 欲しがらない。 それでも、去らない。 武器が全部外れる相手に、麗奈は初めて「演じない自分」を見られてしまう。 赤いマットの上で、もう脚を開けなくなる朝が来るまでの話。

【完結】【ママ友百合】ラテアートにハートをのせて

千鶴田ルト
恋愛
専業主婦の優菜は、夫・拓馬と娘の結と共に平穏な暮らしを送っていた。 そんな彼女の前に現れた、カフェ店員の千春。 夫婦仲は良好。別れる理由なんてどこにもない。 それでも――千春との時間は、日常の中でそっと息を潜め、やがて大きな存在へと変わっていく。 ちょっと変わったママ友不倫百合ほのぼのガールズラブ物語です。 ハッピーエンドになるのでご安心ください。

イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在 唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話 中山加恋(20歳) 二十歳でトオルの妻になる 何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛 中山トオル(32歳) 17歳の加恋に一目ぼれ 加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する 加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる 会社では群を抜くほどの超エリートが、 愛してやまない加恋ちゃんに 振り回されたり落ち込まされたり… そんなイケメンエリートの ちょっと切なくて笑えるお話

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

義姉と押し入れに隠れたら、止まれなくなった

くろがねや
恋愛
父の再婚で、義姉ができた。 血は繋がっていない。でも——家族だ。そう言い聞かせながら、涼介はずっと沙耶から距離を取ってきた。 夏休み。田舎への帰省。甥っ子にせがまれて始まったかくれんぼ。急いで飛び込んだ押し入れの中に、先客がいた。 「……涼介くん」 薄い水色の浴衣。下ろした髪。橙色の光に染まった、沙耶の顔。 逃げ場のない暗闇の中で、二人分の体温が混ざり合う。 夜、来て。 その一言が——涼介の、全部を壊した。 甘くて、苦しくて、止まれない。 これは、ある夏の、秘密の話。