王城のマリナイア

若島まつ

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【番外編3-2】雪と太陽の愛すべき事情 II - Le circostanze dell'amore II -

 三日後。エラは馬車に揺られていた。目的地は、イグリの故郷だ。
「疲れてない?もうすぐ水場につくから、少し休憩しよう」
 馬車の窓の外から、馬に跨がるイグリが声を掛けてきた。エラは短く返事をして、柔らかくはない馬車の背もたれに背を預け、馬車の中の淡いベージュ色の壁紙と小さく描かれた花々をぼんやりと眺めた。
 石畳の上を車輪が回る音とガタガタと尻の下から響く振動に身を委ねながら、一体どうしてついてきてしまったのだろうと考えた。
 結局、頼みたいことが何なのかよくわからないまま里帰りに同伴することを承諾してしまった。家業の関係で年末は人手が必要なのだとか言っていたが、詳しいことは明らかになっていない。
(なんか、うまいこと口車に乗せられたのかも)
 と、疑わざるを得ない。唯一の救いは、リコも一緒にいることだ。イグリとは同郷の幼馴染みだから、里帰りの時は毎回連れ立って帰っているらしい。
 よく考えたら、場違いではないか?家族でも幼馴染みでもない自分がイグリの実家の家業の手伝いをし、おまけに一日ならず滞在して世話になるというのは、なんだか、どう考えても――
「意味深じゃない…?」
「何が?」
「ひゃあっ!」
 突然扉が開いてリコが声を掛けてきたので、エラは仰天して悲鳴を上げた。考えが声に漏れていたらしい。
「あれ。驚かせてごめん」
 リコがくすくす笑ってエラに手を差し出した。見慣れた軍装ではなく、街中によくいる若者と同じように、シャツとセーターの上に分厚い黒の外套を羽織って、雪が降ってきてもよいように厚めの革のブーツを履いている。
 後ろから馬を下りたばかりのイグリが血相を変えて駆け寄ってきた。イグリもリコと同じように平服だが、リコよりも彩りが多い。外套はレンガ色に染められた分厚い毛織物で、光沢のある真っ黒なブーツを履き、明るい金色の髪は、海洋生物の描かれた美しい小さな布でもって一つに縛っている。いかにも洒落者のイグリらしい装いだ。
「どうした、エラ!何かあった!?」
「あ、ごめんなさい。何でもないの。大丈夫…」
「よかった」
 イグリがほっと肩の力を抜いた。リコはそれをおかしそうに眺め、ヤレヤレと首を振った。
「心配性だな。パパみたいだぞ」
「次から俺が開けるからな」
「わかったよ、パパ」
 揶揄うリコにイグリは渋面を向け、エラの手を取って水辺へ案内した。水辺、と言っても、湖や川の類ではなく、街道に設置された旅人用の噴水だ。それほど豪華とは言えない彫刻の装飾が施された円形の噴水で、その四方に湧き水を汲める水道が設置されている。旅行く人は皆ここで馬に水をやったり、自分たちの水分を確保したりするのだ。
 エラはイノイルに来て以来オアリスから離れたことがほとんどないので、こういう旅路は新鮮だった。故郷のエマンシュナとも海の上とも、どこを見ても違う。噴水から広がる小道には露店が軒を連ね、焼き栗やパイを売る店、温かいワインやドライフルーツを売る店、珍しいチーズや、馬の行商も来ている。馬が走れなくなった時には、ここで調達できる。辻馬車も何台か客を待っていた。王都から一時間ほどの場所だが、なかなか賑わっている。
 エラはキョロキョロと興味深げにあたりを見回し、珍しい布地を売っている店に目を留めた。遠目から見ても、織られた模様の精密さが分かる、まるで絵画のような生地が並んでいる。
「一緒に見に行こう」
 と、馬に水をやりながらイグリが言った。
「いいの。せっかく休憩なんだから、イグリは休んでいて。わたし、ちょっといろいろ見てくるね」
 軽やかに離れて行くエラの後ろ姿を見送りながら、イグリは小さく溜め息をついた。
 なんだか、うまく伝わっていない気がする。
「俺、結構わかりやすく伝えてるつもりなんだけど、あれどう思う?脈ないのかな」
 生地屋の派手なローブを身に纏った若い店主にあれこれと質問するエラを遠目で眺め、イグリはぼやいた。リコが隣でナッツをぽりぽり食べながら、鼻で笑った。
「これはまた、呼吸するように女を口説くのが生態の珍獣イグリ・ソノの言葉とは思えないな。思春期に戻っちゃったのか?」
「珍獣って…。そういうのはもうやめたんだよ。知ってるだろ」
「ミーシャに惚れてからな。知ってるよ」
「今は違うぞ。大事な友達だ」
「人妻だし?」
 リコがニヤリとした。
「人妻じゃなくても、もう違う。俺は誰よりエラと一緒にいたいんだよ」
「それは彼女、分かってるんじゃないか?他人の感情に敏感な方だろ」
「じゃあ――」
「でも、だ。イグリ・ソノ」
 リコが人差し指を立ててイグリの顔の前にズイと差し出した。
「エラはミーシャを尊敬してる。お前がミーシャにベタ惚れだったのも知ってる。実際、彼女の尻を追いかけてたのだってずっと見られてたわけだ」
「その言い方やめろ」
「まあ、聞け。だからこそ、本気かどうか疑ってるんじゃないか」
「う…」
 そうかもしれない。
「気が多いとも思われてるぞ。エラは頭がいいから、そういう男は避けた方がいいってわかってる」
「俺って気が多いと思われてるのか?」
 イグリは心外だというように目をギョロリとさせた。
「多いだろ」
「今は違うのに…」
「それを、ちゃんと彼女に証明しろよ」
「迫るだけじゃだめなのか」
「自分が迫れば靡くと思ってるあたりがお前のダメなところだぞ」
 リコはピシャリと言った。が、知っている。アルテミシアに恋してから、イグリは少し変わった。
「でも、嫌われてはいない。どっちかって言うと俺のこと好きなはずなんだ」
 例えば誰かがイグリの昔の女性の話をすると、エラは決まって不機嫌になる。軍で催される剣術や武術の試合には必ず応援に来てくれるし、何度か夜会にも誘って、パートナーとして参加してくれたこともある。
「友達としてだけどな」
 リコの指摘は正しい。イグリはムスッとして口を閉じた。
 実際、そうだ。友達から関係が進む気配は確かにあるのに、例えばダンスをしている時や帰りの馬車で話している時、物理的にも心理的にも二人の距離が近づいたとイグリが感じると、まるでエラの顔にヴェールが下りるように、その心が見えなくなる。
「まあ、本気なら他の男に持っていかれないように頑張れよ。ほら、今も――」
 リコが向こうで買い物をしているエラを眺めながらニヤリと笑ってイグリの肩をつつこうとした時、イグリはそこにいなかった。

 エラは目の粗い緑の織物に目を留めた。程よく厚みと張りがあり、何より小さく散りばめられた不規則なオレンジや赤の花模様がかわいらしい。
 これでアルテミシアの外套を作ったら似合いそうだと思ったのだ。
「そちらは可愛らしいあなたによく似合いますよ。姿見で合わせてみましょう」
 派手な身なりの若い店主がにこやかに言って生地を取り、姿見を前に出してエラの肩に当てた。
「ああ、これはわたしのじゃないの」
「おや、そうなのですか?それなら、あなたにはこちらを…」
 店主は茶色い目を細めて淡いブルーの織物を広げ、エラの両肩にふんわりと被せて、前をドレスの襟の形になるように胸の前でまとめた。
「あなたの美しい瞳の色にぴったりです」
 確かに、かわいい。銀色の糸で小さく散りばめられた模様が、黄昏迫る空に広がる銀河のようだ。
 姿見の向こうで、若い店主がエラの胸の前で生地を押さえながらにっこり笑った時、背後からニュッと手が伸びてきて、エラの肩から生地を取り上げた。
 背後に、いつの間にかイグリが立っている。
「それ、両方買うよ」
 いつものように陽気な笑みをうかべているのに、青い目はどこか冷ややかだ。
「わたし、自分で買えるわ」
 エラは慌てて財布を出そうとしたが、イグリが店主の言い値で支払いを済ませる方が早かった。
「行こう」
 筒状に巻かれた生地をさっさと肩に担ぎ、イグリはエラの手を取った。
「イグリったら。青い方はこんなにたくさん必要ないわ。わたしのドレスを作ろうと思っただけだから…。もしかして、急いでるの?」
 イグリがピタリと足を止めたので、エラは勢い余ってイグリの背中にぶつかってしまった。バランスを崩したエラの腰をイグリが咄嗟に支え、その拍子に肩に担いだ生地がぐらりと揺れて落ちそうになった。これをエラが支えたので、二人は熱烈に抱き合うような格好になった。
「ごめん。いや、別に、急いでない。ただ――」
 エラは口籠もってみるみる顔を赤く染めるイグリをじぃっと凝視した。なんだかつられて顔が熱くなる。
「だ、大丈夫?」
 なんという愚問だろう。エラは恥ずかしくなった。なぜなら、自分が大丈夫じゃない。鳩尾がパタパタと落ち着かない。
「大丈夫じゃないよ」
 イグリがちょっとぶっきらぼうに言って、エラの腰を支える手に力を込めた。
「君が他の男に触られてたから、大丈夫じゃない」
 かっ、とエラの顔が熱くなった。
「べ、べつに触られてないわ」
「肩に触れられてたろ。あの店主もなんだか君に気がある素振りだった」
「それってちょっと考えすぎだわ。あの人に失礼よ。仕事してただけじゃない」
「いや、それにしては近すぎだ。普通あそこまでベタベタしないよ」
 エラは納得いかずに頬を膨らませてイグリからそっと離れた。
「イグリったら、過保護」
 馬車に戻ったエラは窓に頭を預けてふぅ、と息をついた。
 まだ心臓が速く打っている。
(買ってもらったのに、ちょっときつく言いすぎたし、お礼を言うのも忘れちゃった…)
 イグリ・ソノは素敵な人だ。正義感が強く、優しくて、どことなく太陽神ソラヒオンみたいに陽気だ。そういうところは、ちょっとアルテミシアに似ている。
 自分を特別に思ってくれていることも、わかっている。
 それだけに、エラは「なんでわたしなんか」と思うのだ。どうしてこの好意が憐れみでないと言えるだろう。自分みたいな境遇の女が、世間からどういう風に見られているのか、分かりすぎるほど分かっている。
 当事者にしてみれば残酷なほどの憐れみと、蔑みの目を向けられるのだ。
 ケイナのように全て知った上で何も気にせず接してくれる人は、少ない。上司であり、バルカ邸では父親役のシオジも、エラに対してはやや過保護気味なところがあるし、アルテミシアでさえそうだ。未だに、亡くした従妹と自分を重ねているように感じる時がある。
 彼らの場合は憐れみではなく、家族のような愛情でもって慈しんでくれていることはわかっている。それでもときどき、「守ってくれなくてもいいのに!」と叫びたくなることがあるのだ。
(イグリは、どうだろう)
 窓の外を走る山並みをぼんやりと見つめながら、エラは考えてみた。
(わたしのこと、危なっかしい妹みたいに思ってるのかしら)
 それもあり得る。
(でも、さっきのが本気の嫉妬だったら?)
 と思いついて、エラはブンブンと頭を振った。
 嬉しいと思う自分に戸惑ったからだ。こんな自分が恋なんて、できるわけがない。
 男だろうが女だろうが、善良な人間もいれば邪悪な人間もいる。そんなことはわかっている。
 それでもエラは、色恋に焦がれることができるくらいのまっさらな心に傷を負う程度には、男性というものが信用できなくなっている。娼館で働かされていたときは幸いにも暴力的な客に当たることはなかったが、少なくとも人格を持った一人の人間として扱われることはなかった。年老いた貴族に身請けされて囲われたときは衣食住に苦労しないどころか十分すぎるくらいだったもののまるでお人形扱いだったし、海賊船に囚われていた時のことなど、思い出したくもない。地獄の方がまだましだと思った。首を絞められた時に抵抗してついた小さな傷が、まだ首の右側に残っている。鏡の中の自分にこれを見つけてしまうたび、自分が虐げられ、搾取された存在だと思い知らされる。
 時折、これは家族の中で一人だけ生き残ってしまった自分への罰なのではないかと思う時がある。
 いつものエラならそんなことは思わない。が、雪の白さは、伝染病に倒れ、衰弱し、死んでいく家族を見守ることしかできなかったあの冬を思い出させるのだ。
 馬車の窓の外では、白く厚い雪雲が空に迫っていた。
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