赤い玉

Eisei 5

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赤い玉

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 「 『のの』、おやすみ… 」

 私は、廊下のトイレのドアの前に座る『のの』にそう声を掛けると、優しく彼女の頭をでた。   
 そして廊下の電気を消し、トイレ脇の階段を二階の寝室へと上って行った。
 後には、玄関ホールを見詰めて座る『のの』の姿が、廊下のわき常夜灯じょうやとうの黄色いあかりに照らされ、夜闇の中に白いシルエットとなって浮かび上がっているだけだった。

 
 『のの』は今年で十二歳になった。クリーム色の被毛けいろをした、ロングコートチワワの女の子だった。
 彼女は、リビングの北側の一角に置かれたピンク色のサークルで、まだ目がいたばかりのホンの子犬の時に我がに来てから、ずっとそこで暮らしている。
 
 家族が家を空ける日中は、『のの』はいつも、サークルの中で留守番をしていた。
 夕方、最初に帰った家族の誰かが、サークルから彼女を庭へと出してあげる。彼女はずっと我慢していたおしっこを、いつも庭の芝生の上でしていた。サークルの中には、吸水シートが敷かれたトイレがあるのだが。
 そしてそのまま『のの』は、家族達が就寝しゅうしんのため、リビングから各自の部屋に戻るまでの間を、リビングで自由に家族と一緒に過ごしている。
 
 リビングで過ごす時間、彼女は、ソファーの上に座る家族の誰かのひざの上か、床に寝転ぶ背中かお腹の上に座っていた。
 家族の誰かと甘えたい時、彼女は近くに寄って来ると目をうるうるとうるませ、鼻でクウンと小さく鳴きながら顔を見詰めて見上げるのだった。そんな時、私は黙って彼女を持ち上げると、膝の中に座らしてあげるのだった。

 
 そんな彼女だったが、十歳を超える頃から、部屋の中でのトイレの失敗も無かった事から、夜もサークルの入口を開けたままにして、リビングだけでなく、玄関へと繋がる廊下も自由に動いて過ごせるようにしてあげていた。

 それは、いつの頃からだったのだろうか、深夜、『のの』が玄関を見通すことのできるトイレの前の床に、玄関の方を向いて座っている事が増えるようになった。
 ふと、彼女がリビングにいない事に気づくと、いつもトイレのドアの前に座っていた。

 「‥『のの』⁉ …、どうした?」

 トイレの前に座る『のの』の横に行き、彼女の背中のクリーム色の毛並みをそっと撫ぜながら、そう彼女に聞いてみる。だがいつも『のの』は、気持ちよさそうに目を閉じ撫でられながらも、そのまま玄関を見て座っているだけだった。
 たまに私も、何が見えるのかと、彼女の横に腰を下ろし玄関をながめる。
 だが見えるのは、奥の二階へと続く階段ホールにある大きな窓と、そこから玄関へと続く階段とその先の廊下、そして玄関ドアに設けられた縦長の幅十二センチほどの二本のガラス窓に、外の街灯の光が映っているだけであった。
 
 「何が見えるの? 『のの』」
 クリーム色のリンゴの様な頭に手の平を載せ、軽くぽんぽんしながらそう聞いてみても、彼女は目を潤ませて私を見ているだけである。


 
 その場所では以前、私は赤い玉が玄関に向かって飛んで行く動いていくのを見た事があった。
 それは同居していた母が、まだ存命中の頃である。
 
 ある晩秋あきの夕方、夕闇が迫り辺りが暗くなっていたリビングで、私は電気も点けずにぼんやりとソファーに腰掛け、何気なく、そこから見えるリビングに続く和室の開け放されたふすまの先の、玄関へと続く廊下を見ていた。

 するとそこに、右手側からゆっくりと動いてくる赤い玉が見えた。その玉は、LED信号機しんごうき赤信号の色あかいろの様に鮮やかな赤い色をした、大きめのスーパーボールくらいの大きさの玉だった。
 それはゆっくりと右から左へと、それこそ本当にゆっくりと空間そこを玄関のとびらの方へと動いて行くと、襖の戸の反対側の向こうへと見えなくなった。
 
 「      …⁉ 」
 それが目に入った瞬間いっしゅん、私は黙ってそれに目を向け、ただ静かにそれがゆっくりと空間を動いて行くのを見送っていただけであった。
 恐らく、その現実離れした出来事怪異を目の前に、呆気あっけに取られていたのだろう。
 
 「   ……   」

 赤い玉が左手の襖の陰に消えると、そこにはただ、薄暗い廊下の向こうの壁に組み込まれている下駄箱の扉が薄暗く見えているだけだった。
 その赤い玉は、再び戻って来ることはなかった。

 その刹那せつな、私の頭はふっと、現実の感覚に戻っていた。
 ソファーから勢いよく立ち上がると、私は和室を抜け、襖の向こうの玄関への廊下へと駆け出していた。

 襖の向こう側には、もう暗闇の中に黒く沈んで見える、こげ茶色の玄関のドアだけがあった。
 赤い玉はもう、どこにも見えなかった。多分それは、二階への階段の途中にある踊場おどりばの北側の窓から入って来ると、廊下から玄関ホールへと移動しうごき、そのまま玄関ドアを通り抜け家の外へと出て行ったのだろう。

 「これが、人魂ひとだまというモノなのか⁉…」
 その時、私はそう感じていた。


  
 トイレの前に毎夜まいよ座り続ける『のの』を見て、もしかして彼女もそこで、私と同じ様に何か不思議なモノを見て、またそれに出会うため、そこに毎夜座っているのだろうか。
 何となく、そんな思いにもなる。

 よく怪談の本では、家の中にそういうモノが通る霊道れいどうがあるとも書かれる。
 もしかすると我が家も、階段ホールの窓から玄関に掛けてのラインがそれで、『のの』は毎夜、ここから家の中に侵入して来る《良く無いモノ》の見張り番をしてくれているというのだろうか。家の守り神として。
 
 確かにこの家ではたまに、誰もいない二階の部屋から階下へと夜中に物音が聞こえたし、不思議だなと、首を傾げあやしく思える出来事も何度かあった。

 
 
 
 今夜も、『のの』はトイレの前の床に座り、そこから見える玄関をジッと見詰め続けている。
 彼女のには、毎夜、何が見えているのだろうか。
 本当に、この世のモノでは無い、何かが見えているというのだろうか。


 「 おやすみ。『のの』… 」

 毎夜、就寝のため二階の寝室に向かう私は、そこに座る『のの』の頭を撫でてから階段を上がって行く。

 ただ、そんな彼女が、私は無性にいじらしくも思えるのだった。

 (了)



深夜 1時過ぎ。トイレのドアの前に座る初代『のの』
(当時の写真が、一枚だけ残っていました)

 
 この話に登場した初代の『のの』も、もう大分前に亡くなり、今は二代目の『のの』が家に居てくれます。

 やはり、クリーム色の毛並をしたロングコートチワワの女の子… いや、いつの間にか彼女も私の歳を追い越して、もうおばあさんと言っても良い歳になっています。

 でも二代目は、深夜トイレの前には居ません。ちゃんとサークルの中でいびきをかいて寝ています。(笑)

 チワワにも個性というか、霊感(?)があったりなかったりするんですかね。



 お読みいただき、ありがとうございました。

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