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第一章
いい悪魔は家庭的な悪魔
しおりを挟む「ただいま」
時間は現在八時頃。
教室を借りての学習――もといおしゃべり大会から帰還した真琴は、夜風により冷たくなったドアを開けた。
「あ、おかえりなさい、真琴さん。遅かったですね。お風呂は先に頂いちゃいましたよ」
「いいお湯だったなの」
玄関を上がり、少し広めのリビングには、テレビを見ながら楽しそうにしている二人の姿があった。
「お前ら一日目なのにくつろぎすぎだろ。もうちょっと借りてきた猫みたいになっとけよ」
ほんのわずかではあるが、ココとサンドラを心配しながら帰ってきた道のりを考えると、真琴は自分がいかに考えすぎだったかを思い知らされることになる。
何もすることなく正座でずっと帰りを待っているかもしれない、と考えていたがそんなことは一切なかった。
何ならこの家の主である真琴よりもくつろいでいるほどだ。
「あ、時間があったので晩御飯も作っておきましたよ。まだ私たちも食べていないので、一緒に食べましょう!」
「お姉ちゃんの料理はベリーグッドなの」
「……へぇ、それは楽しみだな」
妙に家庭的な悪魔、そして大食漢な妹悪魔だった。
二人が予想以上に馴染んでいた衝撃によって気付かないでいたが、ある程度冷静になると美味しそうな匂いが部屋を包み込んでいることに気付く。
匂いで何が作られているか分かるほど、真琴の鼻は優れていない。
見てみるまでは何とも言えないが、期待するには充分である。
「じゃじゃーん! トカゲの丸焼きでーす!」
「何でゲテモノ系なんだよ!」
「ほらほら、遠慮しないでください。はい、あーん」
「あーん、じゃねえよ! 食えねえよ!」
ココが持ってきた物は、トカゲの丸焼きだった。
美味しそうな匂いだっただけに、見た時のショックは大きい。
サンドラは当たり前のように、バクバクとトカゲを口の中に放り込んでいるが、普通の人間である真琴にそんな事は出来ない。
文化の差――と言うべきだろうか、悪魔と人間の間にある壁はまだまだ縮まりそうになかった。
「好き嫌い言ってちゃ大きくなれませんよ。若いんだから沢山食べないと」
「お前は僕の母さんか! それに僕にだって選ぶ権利はある! せめて鳥か豚か牛を使ってくれ!」
好き嫌いを言う子どもをあやす時のような母親の口調で、ココはトカゲを真琴の口元へ突きつけた。
だが、やはり普通の人間である真琴に、いきなりトカゲを食えといっても無理な話である。
これまでの人生で、食事に対して特にこだわりを口にしたことがなかった真琴だったが、初めて最低限のこだわりを口にした。
「……え? そっちの方が良かったですか? 結構難しいですね……」
「頼むから理解してくれ。少し贅沢を言うと僕は豚が好きだ」
ココは信じられないといったような顔で真琴を見つめていた。
トカゲにはかなりの自信を持っていたのだろう。ココもこの瞬間に文化の違いというものを理解する。
「なるほどなるほど、参考になります」
「まこと、なかなかいいセンスしてるなの」
ココは真琴の希望を叶えられるよう、どこからか取り出したメモに書き加えた。
サンドラからは、何故か賞賛するような言葉が出てくる。
豚をチョイスするとは、なかなか分かってるじゃないか――とでも言わんばかりの態度だ。
「まこととは好みが合いそうなの。豚さんは、安さと美味しさと手軽さを兼ね備えた最強食材なの」
「よ、よく分からないけど嬉しいよ。ありがとう、ドラちゃん」
「ほぅ、グルメなサンドラが認めたということは、真琴さんもかなりのグルメですね。どうりで私の理解が追いつかないはずです」
僕がグルメなんじゃなくて、お前がズレてるんだぞ――というセリフをグッと堪え、真琴はサンドラの論を受け止めた。
どうやらサンドラから高評価を貰えたようだ。そして好みが合うというのは、単純に嬉しい。
真琴も趣味が合う人と友達になったり、付き合ったりしたいと思うような人間である。
意外と悪魔と人間の間にも共通点は多いのかもしれない。そんな考えがふと真琴の頭に過ぎった。
「そういえば、悪魔って人間と食べるもの同じなんだな」
「そうですね。そもそも、悪魔といっても人間と殆ど変わりませんよ。悪い奴もいれば良い奴もいます」
「一応聞いておくが、お前たちは良い悪魔なんだよな?」
「もう、怒りますよ。私たちは悪魔の中でも、最も温厚といわれる種族ですから」
真琴の問いに、ココは予想以上の答えをしてくれた。
そしてそれは、随分と納得できる。
良い悪魔と悪い悪魔がいる――人間だって同じように分類されているだろう。
良い悪魔というのは変な響きだが、ココやサンドラと少しだけ接してみて、ちゃんと実感することができた。
悪い人間なんかより、二人の方が何倍も印象がいい。
「それを聞いて安心したよ。まぁ、そんなに強そうな見た目してないからな」
「えへへ、ってあれ? もしかして馬鹿にされてます?」
「気のせい気のせい」
少し真琴の口が滑ったが、ココの鈍感さによってカバーされる。
まあいっか、と何事も無かったかのように流れ、事なきを得た。
ココのこういった所は、気を遣わなくてよいので好きな所だ。
「そうだ。勝手ながら寝室を作らせてもらったんですけど、よろしかったでしょうか?」
「よろしくねえよ。おい、本気か? どんなになったんだ?」
勝手ながら――というのも本当に勝手だが、真琴は何とか冷静にココの事後報告を受け止める。
寝室を作った――というのはどういう事だろうか。
文字のまま受け取れば部屋を一個作ったという事だが、そんな事は有り得ないだろう。
ならば考えられるのは、今ある部屋を寝室に改造したという線だろう。
「この部屋を使わせていただきました。布団とかは魔法的な力で取り寄せたので、ご心配なさらないでください」
やはり真琴の予想は当たっており、使われていなかった部屋には、二つの布団と一つのベッドが設置されていた。
「おいこら、このベッド僕の部屋にあったやつじゃないか! 移動させてんじゃねえ!」
「え? でもこの国では家族は川の字になって寝るって聞きましたよ?」
「おいおい、勝手に家族になるな。それに何で僕が真ん中なんだよ。こんな寝にくい空間があってたまるか」
なんとそこには、真琴の部屋にあったベッドが丸々移動させられていた。
しかも何故か真ん中に、だ。
修学旅行で友達が相手でも苦労したのに、こんな狭い空間で隣に女の子がいるとなると、真琴が耐えられるはずがない。
「残念なの。まことと一緒に寝たかったなの」
「……ごめんね、ドラちゃん。僕の精神安定のために我慢してくれ」
「あ、でも今日は力を使い果たしたので、ベッドを運ぶのは明日になりそうです」
しかし、サンドラを説得した真琴にココの無慈悲な一言が突き刺さる。
「……嘘だろ? 頑張ってくれよ!」
こう言われてしまったら、真琴はどうすることも出来ない。あったとしても応援するくらいだ。
自分でベッドを運ぼうかと一瞬考えたが、平均より一回り非力である真琴にそんなミッションは難しい。
そもそも持ち上げれるかすら怪しいのだ。
「明日には必ず戻しますので安心してください。大丈夫ですよ、私からは何もしませんから」
「……そんな意味深な言い回しはするな。お前はどうやってベッドを戻すかだけを考えてろ」
真琴は、少し顔を赤く染め体をくねらせているココの脳天を軽くチョップしておく。
一応運搬の約束は出来たので、最悪の事態は防ぐ事ができた。
あとはこの夜を乗り切るだけである。
******
結局、真琴はこの数年間で一番寝苦しい夜を過ごすことになり、隣で爆睡しているココを恨めしく思いながら羊を数え続けた。
真琴がようやく就寝したのは、羊が五百匹を超えた時だった。
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