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第3話『中野ツタンカーメンに激上するミシマユッキーナ』

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ギラつく8月が、川ぞいのアスファルトを照らしつける、アラウンド中野スタンツィヤ=中野Cの午前7時。

ダフは、ノースリーヴのシャツに身を包み、汗をぴちぴちと飛ばしながら、ジョギングに精を出していた。
まだ、気温は最高潮に達していない。

害鳥はナワバリに糞を落とし、カナブンの屍体が腹を空に向け寝転がっている。
サナギ姿のセミはのろりのろりとストリートを横断していて、大変危険だ。

腹の出た中年の人民はドッグに鎖をつなぎ、あへああへあとヨダレを垂らしながら、徘徊徘徊。

川の生臭い香りが鉄柵を越え形の整った鼻腔を刺激して、はやくこのエリアを走り抜けようとダフのモチベーションを喚起した。
ドブ川ほどは汚れていないので、微生物のせいではないだろう。

しかし、スピードを上げてみても、行き交うゴミ収集車が生ゴミのスメルを撒き散らしては、ダフの感性を野性にする。

「ふんぬぅ、ハッスルゥ、ハッスルゥゥ!」

シュタタタ!シュタタタ!シュタ!
シャドウボクシングをしてみたり、ノリノリである。

オートマティズモのダフは打楽器をプレイするので、身体の鍛錬を欠かさない。
鍛えれば鍛えるほど、20代半ばの若き肉体は高次元へ進化するし、セロトニンが分泌されて、精神も高められる。
そう、信じていた。

--ドーパミンはダメよねぇ。セロトニンでなきゃぁ。

オートマティズモでは脳筋キャラにカテゴライズされがちだが、ほんとうのところダフは、刹那的な快楽に身を委ねるようなタイプではない。
脳内麻薬によりガリガリと即物的な快楽を消費していくのではなく、丹田から染み渡る前向きなムーヴメント、高揚。
ほとばしるセロトニンが、脳みそをジイーンとさせ、多幸感に溢れる超体験。

彼にとっては神経伝達物質がすべてなのだ。

「ポジティブゥ、ポジティブゥ」
短く刈り揃えた髪の毛の下には、玉状の汗粒がにじみ、太陽光を反射して、縮れた光を放っている。

高貴なるマインドの閃光、可能性に満ちたボディは、ちっぽけな人間存在を超えて、歴史や宇宙との接続をじっかんできるし、何よりやわらかくほぐれた筋肉は、芯の詰まった、感じのよい高速ビィトを刻める。

と、アラ、アラアラ、後ろから、フード・デリバリィのバイシクルボウイに追い抜かれちゃったりしちゃって。
こんな歩道で、でっかいバッグを背負ってゆらりゆらり、危ないじゃなぁぃ。

「ヒュゥゥゥ、シュゥゥゥゥゥゥゥ、シュタ!シュタタタタ!」

スピードを上げて、彼を追い抜こうとするダフ。
90度に揃えた肘を上下にふりおろしふりあげ、ふりおろしふりあげ。高速ハンマービートがバーチャルに鳴り響く。

「っしゃぁぉぉぉうらぁぁぁ!!」
天を仰ぎ咆哮を上げると、気持ちの良い汗が1滴、2滴。
地面に落ちた。

ワイヤレスイヤホンは、走行速度はもちろん、心拍から、呼吸まで測定して、ランナーのモチベーションを高めてくれる。
今のスピードアップで、本日の平均時速は好調だろう。
--もちろんツァイトガイストの予兆をとらえる機能はダフ専用だ。

ふと視線を前方に戻せば、白のブラウスに蛇腹のロングスカートを着た女がとぼとぼと歩いていて、ご丁寧に日傘なんて差しているものだから、あぁらこんな時間からご出勤とは人民女子も大変ねぇと、まだつやつやと茶色の色めきを放つファウンデイションも、その小さき肩幅から推測するに少し童顔の彼女には浮いているようで。
蛇腹のスカートは、急なお泊まりでも、シワが目立たないから、
こんな肩幅の狭き清純ぶった女でも、共産大学時代からのボウイ・フレンドには、いっちょまえにヒィヒィいったりしているのかしらん。
ダフは少し微笑ましい気持ちになった。

「うぅーん、夏・しちゃってるねぇ」

現在摂氏28度。数時間で30度は優に超えるだろう。
真夏のトキオグラードは、もはや熱帯だ。
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