チータープール

伊阪証

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第五話

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朝、布の擦れる音が二回続いて、耳の中の線がそれに合わせて細くなった。細くなった線のまま外へ出ると、砂の上の靴音がいつもより揃っていた。揃った靴音は早い。早い靴音の中に、紙の擦れる音が混ざる 。紙の音は乾いていて、乾いた音ほど耳の線が太くなる 。

膝の横はまだ軽い。肩紐の重さもない。手が勝手に探して、探した指が空を掴む。掴んだ空が何も返さない 。返さない感触に、口の中が少しだけ乾く。乾いても水は出ない。出ないから舌が上顎に貼りつく。貼りついた舌を剥がすと、喉が擦れて痛い 。

縄は三重のままだった。結び目だけがまた増えている。結び目の端が短く揃っていて、揃っているものほど触らない方がいいと体が覚えている 。大砲の布も揺れない。石が等間隔で、等間隔が朝の影の中で白く見える。白い石は目立つ 。目立つものは近づけない。近づけないのに、目だけがそこへ戻る 。

石の陰に子供が二人いた。二人とも座っている。座り方が昨日より低い。低いのに肩が上がっている 。肩が上がっていると、首の筋が張る。張った首の筋が動くたびに、耳の線が一瞬だけ揺れる 。

靴音が来た。一直線。止まる。砂が沈む音 。上から落ちる声は短い。

「時間だ、こっちへ来い。お前のやることはもう決まっている」

腕を掴まれる。掴む力は強くない 。強くないのに指の向きが決まっている。決まっている向きへ足が動く。足が縄の線の間を通るとき、歩幅が勝手に縮む 。縮んだ歩幅が地面の硬い場所を探す。探した硬い場所に足の裏が乗る。乗ると冷たさが少しだけ上がってくる 。

縄の内側は匂いが薄い。砂の匂いが薄い代わりに、布の匂いと油の匂いが混ざる 。油の匂いが指先に残っている気がして、指が勝手に握る形になる。握る形のまま、何も掴めない 。

襟の立った服がいた。今日も襟に砂が付いていない。襟の角が硬い 。硬い角が視線を止める。止まった目の前で、襟の立った服が棒を一本だけ渡した。棒は細い。手のひらより長い 。木の表面が乾いていて、ささくれがある。ささくれが指に刺さって、指が痛い。痛いのに手は離れない 。離すと言われていないからだ 。

「余計なことは考えるな、しっかり持て。それがお前の新しい得物だ」

横の兵士が短く言う。

持つ。持つと棒が軽い。軽い棒は遊びの棒に似ている 。似ているから肩の力が一瞬だけ抜ける。抜けた瞬間、耳の線が太くなる 。太くなった線が一本になって、空の斜めを指す。指す空は白い。白い空に影はまだない 。

「そこへ立て。昨日教えた線を踏み外すんじゃないぞ」

立つ。立つ場所は昨日と同じ線の上だった。線の上は砂が固い 。固い砂は沈まない。沈まない足は安定する。安定すると膝が勝手に固定される 。固定された膝の上で棒を立てようとして、腕が少し揺れる。揺れは止まらない。止まらない揺れに合わせて、耳の線も揺れる 。

「いいか、合図があったら空を指せ。お前の耳で見える場所を、その棒で示すんだ」

声は短い。指す先は言われない 。言われないから、体の中の線を探す。探すと線が一本になる。一本になった線が空の一点を硬くする 。硬くなった一点に棒の先が向く。棒の先が向いた瞬間、息が短くなる。短い息が揃っていく 。揃っていくと、目が一点に貼りつく 。

音が来た。

遠い。遠いのに太い。太い音が近づくにつれて、耳の線が太くなる 。太くなった線が棒の先と同じ方向へ伸びる。伸びた線の先に薄い影が出る 。影は小さい。小さいのに速い。速い影は縄の外側をなぞるように滑っていく 。滑る影を追う前に、棒の先が勝手に少し前へずれる。ずれた場所が体の中で決まる 。

襟の立った服がこちらを見ない 。見ない代わりに、横の兵士が短く言う。

「いいぞ、そのまま動くな。影を逃がせば、次はないと思え」

動かない。動かないまま棒の先だけが少しずつ動く 。動く先が影の少し前を追い続ける。追い続けると、呼吸が揃う 。揃った呼吸の中で口の中が乾く。乾いた口の中が鉄の味になる 。鉄の味が強くなると歯が鳴る。鳴る歯の音が耳の線に混ざって、線がさらに太くなる 。

砲の周りが動いた。布の端が上がる 。上がった布の下から砲身の影が見える。影が太い。太い影が空の薄い影に重なりそうで重ならない 。重ならない距離がある。距離があるのに、体は「ここだ」と決める 。決めた場所に棒の先が止まる。止まった瞬間、喉が鳴る。鳴った喉が痛い 。痛いのに声は出ない 。

砲声が来た。

胸でぶつかる。腹が叩かれる。舌の根が跳ねる 。口の中が一気に鉄になる。目の前が白く割れて、白の中で薄い影が一瞬だけ欠ける 。欠けた影が揺れる。揺れが戻らない。戻らない揺れが、影の線をずらす 。ずれた影が高い方へ逃げる。逃げる影に棒の先が追いつかない 。追いつかないのに、耳の線がまだそこを指し続ける 。

爆ぜた音が遅れてくる。遅れてきた音が耳の奥を押す 。押された耳の奥が痛い。痛いから目が瞬きする。瞬きした瞬間に影が小さくなる 。小さくなって、遠くなる。遠くなって、消える 。

「もういい、棒を下ろせ。今日は終わりだ」

声は短い。

棒を下ろす。下ろした腕が重い 。重い腕の重さが昨日までの銃の重さと違う。違う重さが手首に残る 。残ったまま手が震える。震えを止める前に、襟の立った服が紙を折った 。折った紙をしまう。しまう動きが静かで、静かな動きほど周りの靴音が揃う 。

「自分の場所へ戻れ。余計な動きはするなよ」

戻る。縄の間を歩く足が勝手に遅くなる 。遅くなると熱が足の裏に上がってくる。上がってくる熱が膝を溶かす 。溶ける膝のまま石の陰へ戻る。戻ると子供二人がこちらを見ない 。見ない目は地面を見ている。地面を見る目は、遊びが始わらない目だ 。

昼、空は白いままだった。白い空に影は出たり出なかったりする 。出るたびに耳の線が太くなる。太くなる線が勝手に一本になって、同じ方向を指す 。指す方向が日ごとに少しずつずれる。ずれるのに、体の中では「合っている」みたいに残る 。残るから、口の中がまた乾く。乾くと鉄の味が出る。鉄の味が出ると歯が鳴る 。

大砲の布は一度も外れなかった 。布が外れない代わりに、縄の外側で地面を均す人が増えた。均す手が速い 。速い手は砂を薄く剥いで、布に集めて、布ごと運ぶ。運ぶ背中が曲がらない 。曲がらない背中が揃う。揃う背中の間から、濃い色の石が一瞬だけ見える 。見えた瞬間、肩が掴まれる。

「そっちを見るな。お前が気にする必要のないものだ。自分の役割だけを考えていろ」

短い。

見るなと言われたから、視線を外す 。外した視線が棒のささくれの刺さった指に落ちる。刺さった場所が赤くなっている 。赤いのに砂は付かない。付かない赤は目立つ。目立つものは隠す 。隠す癖が出て、指を握る。握ると痛い。痛いと指が確かになる 。確かになると、体が今ここにいるだけが分かる 。

夕方、また音が来た。今度は二つ 。二つの音が重なって厚くなる。厚くなる音が耳の線を三本に割る。割れた線が交差する 。交差が増えると胸の中が狭くなる。狭くなると呼吸が短くなる 。短い呼吸が揃っていく。揃っていくと、棒を持っていなくても指が勝手に空を指す形になる 。形になった指が、縄の外側の空を指す 。

砲声は来ない。

来ない音の代わりに、靴音が揃って遠ざかる 。遠ざかる靴音が一度だけ止まって、短い声が落ちた。

「明日も同じ時間にここへ来い。遅れることは許されないぞ」

明日も、という言葉が落ちると、耳の線が太くなる 。太くなった線が夜の空を指す。夜の空には影がない 。影がないのに指す。指す線が消えない。消えない線が胸の奥に残る 。

夜、寝床に戻っても、耳の線は細くならなかった 。細くならない線が布の擦れる音を拾わず、遠い金属音だけを拾う。拾った金属音は一定の間隔で続く 。一定の間隔が呼吸を揃える。揃った呼吸の中で、口が勝手に動く 。声にはならない。声にならないまま、舌が上顎を押す 。押した舌が乾いて痛い。痛みが出ても、目は閉じる 。

閉じた目の裏で、棒の先が影の少し前にずれる感覚だけが残っていた 。
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