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第一章:八日前

天使_1-1

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 その日、天使は署内を歩き、とある場所へと向かっていた。彼が歩けば歩くほど、人は徐々に少なくなり、いつしか誰もいなくなっていく。そんな同じ建物中であるにも関わらず、辺境のような場所――そこに向かって彼は歩いた。
 やがて見えてきたのは寂れた建屋だった。そこは基本的には誰も近づくことはなく、また、何の目的の場所かも教えられることのない場所だ。
 もしかしたら、倉庫だと勘違いしている人が大半かもしれない。そんな場所だ。
 建屋の中は埃っぽく、かび臭い――でも、天使には懐かしい匂いだった。更に進むと、表札のないドアがある。いや、表札は床に落ちて埃にまみれていた。

『庶務二課』

 それが、ここの表向きの名前だ。しかし、その名前は組織図には存在しない。
 当然だ。庶務課なんて、一つで充分で、人員も足りているのだから。
 それでも、そこには仮の名前が必要だったのだろう。そして、いつからかその名前すらも必要なくなったのだろう。
 天使は表札を踏んで、目の前にあるドアに手を掛ける。彼は自分の意思でここに来た。それはここの本当の意味を、存在意義を知っているからだ。
「失礼します」
 そう言って、天使は中へと入る。

 二十畳ほどのスペースには乱雑に机が並び、資料や本が散らかり、ドアの開閉で埃が舞う。その奥には一人の老いた男性が座って、煙草をふかしていた。
 白髪で少し禿げており、べっ甲のフレームのメガネを掛けているその男は天使を見ると、錆び付いた体を動かすようにぎこちなく椅子に座り直した。そして、過去の怪我により動かす度に痛みが走る左腕を動かし、舌打ちをした後に煙草を掴んで机でもみ消した。右腕を使わなかったのは体を支えていたからだろう。
 天使はその男性に近づくと、
「方波見(かたばみ)さん、お久しぶりです」
「珍しい奴が来たもんだ。まぁ、お前が来たってこは――『捜査四課』に用事なんだろ?」
 方波見がそう問うと、天使は肯定するように笑顔を見せた。
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