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第二章:開幕

有栖_2-5

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 発表の護衛を終えた有栖は、再び高本からコーヒーを預かってアース博士のいる部屋へと向かった。
 一度入って慣れたのか、先程よりも緊張はなくドアを開け、キーボードを叩くアース博士のデスクにコーヒーとチョコレートを置いた。相変わらず反応することなく彼女は作業を続けている。
 この場にいる必要はないな、と判断すると有栖は部屋を出る為にドアへと向かう。そして、出る前にアース博士を一瞥した。その背中を見ると、
「天才ってのも不自由なもんなんだな」
 ぼそり、と思ったことを呟いた。そのときだ――アース博士がキーボードを叩く手をぴたり、と止めた。
「どういう意味だ?」
 アース博士はイスを回して有栖を見て、聞いた。まさかの反応に有栖は彼女の真っ黒な目に見つめられ、固まった。
「いや、その……」
 失礼なことを言ったので気に障ってしまったか、と焦る。だが、その心情を察したのかアース博士は穏やかな口調で語りかけた。
「別に責めているわけではない。気になったから聞いただけだ。率直に何故そう思ったか聞かせてほしい」
 はぐらかしても無駄のように感じた有栖は素直に話すしかない、と思い、口を開いた。
「その……天才故に常に注目されているじゃないですか。外を歩けば護衛がいるし、公共の場に立てば誰かに見られ、近づいて来る。それって自由がないように思えて」
 有栖の言うことは正しかった。アース博士の行動は一挙手一投足――全て見られている。それは注目されていると同時に監視されているとも言えた。
 普段の仕事中でも質問等で誰かがいる。外に出るときもマザー・エレクトロン株式会社は彼女の身を案じてSPをつけていた。一人になれるときは彼女が研究室に籠もっているときぐらいだが、その時間も基本は仕事をしている。
「なるほどな。では、一つ聞きたい――キミは自由なのか?」
 その質問に有栖は少し考える。
「確かに……自由ではないと思います。労働なんかは守るべきルールが多いので不自由だと思うことは多いです。プライベートでも似たようなことを感じることもあります。ですが――」
 有栖はポケットから高本から貰ったチョコレートを取り出し、口に含む。
「このチョコレート、美味しいんですよ」
「だから?」
「そんな些細なことで幸せを感じる――それぐらいの自由はあります。アース博士には、その余裕すら感じません」
「なるほどな……参考にしておくよ。出て行っていいぞ」
 アース博士はそう言うと、イスを回して再び作業を再開する。
「失礼します」
 有栖は一礼して出て行く、アース博士がコーヒーを一口飲んだを見た。部屋を出た彼女は、

 ――あのコーヒーは美味しく飲めているのかな?

 そんなことが気になった。
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