おいちゃんとぼく

ふしきの

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おいちゃんとぼく

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 わかみや食堂に行くといつも大将は、酒焼けしたダミ声で
「何する、刺身?ちゃんぽん?」
 と、お客さんには聞く癖に、ぼくには
「オムライスか、オムライスだろう」
 と、言う。
 おいちゃんは、ぼくがいつも「チキンライス」と言うのを
「オムライスにしていいよ」
 と、注文するからだ。
 50円高いオムライスを遠慮していると思われているんだ。
 本当のところ、どうかなって思う時がある。 
 実はチキンライスが好きだし、オムライスの上に乗っているケチャップも好きだし、きれいにくるんと回った黄色の形も好きだ。
 でもぼくは、
「おいちゃん、卵食ってね」
 口を尖らせて言う。
 焼酎を飲みながら、おいちゃんが、仕方ないなぁという感じでご飯を食べてくれるのを見るのが、ぼくは好きだった。

 保育園で男の子か女の子か間違われてパンツを脱がされた時も、小学生でかけっこが一番になった時も、剣道で賞状をもらった時も、母親が離婚したときも、おいちゃんの手を引いてわかみや食堂へ入って行った。
 そして、いつもオムライスを食べていた。
 初めて彼女ができた時も、学ランで煙草を吸っておいちゃんの仕事帰りを待っていた時も、同じ柱のある畳の座敷だった。
 おいちゃんは、けっして叱ったり殴ったりすることはなかった。
 ただ、黙っていつも笑っていた。

「煙草を吸うなとは言わんがのぉ、学ランは脱いで置かんといけんよのぉ」
 っては、言われたことがある。
 おいちゃんの黄色い箱のエコーをぽんとテーブルに置いた。
 二人で黙って同じ灰皿に灰を落とした。

 ぼくが俺となって、大きな顔してガニ股で意気込んで歩いていても、同じようにびっこを引きながらガニ股で歩くおいちゃんが好きだった。
 しんしょーしゃという言葉を聞いたのはおいちゃんが、定年退職したときに生家に帰らず老人ホームへ入居するときに
「これがあると入居申請がしやすいから」
 と初めてとった時に、おいちゃんがしんしょーしゃの人の一人なんだと初めて気がついたくらいだった。
 それでも、おいちゃんが俺とご飯を食べるとうれしいと言ってくれて、飲みすぎで酒に飲まれては、古い共同アパートの階段を俺が背負って上ったことは何度もあったのに。そういう世間体には全然気がつかなかった。

「おかんなぁ、今度また結婚するんだってよ」
 俺は、おいちゃんに負けないほどのきつい煙草を吸ってそうつぶやくと、前歯の抜けた歯に、挟むように煙草を咥えるおいちゃんは、いつも通りの顔で何も言わず笑っていた。
「金がない金がない、っていう婆のくせに、自分のことになるとあれがほしいこれがほしいとか言うんだ」
 親の現金さにうんざりで愚痴って愚痴って、声が息切れし出す頃、
「なんか食うか?」
 と、聞かれるので、飯が食いたくなり、
「チキンライス」
 と言うと、
「オムライスにしとけ」
 とおいちゃんが言う。
 最近ではオムライスにしとけって言うのが、これでシメロっていうことを理解してきた。もうこの先この愚痴は言わないって。
「じゃ、おいちゃんは、ご飯とみそ汁」
 と、いつもおいちゃんが注文するのを俺が言うと、店のおばちゃんが大将に大声で
「オムライス一丁。ご飯大盛り、みそ汁」
 と言う、大将はカウンター越しからテレビを見るのをやめて厨房に入るんだ。


 結婚する気になった彼女ができた。
 親に会わせるよりもまず先においちゃんに合わせた。
 おいちゃんは
「何を食う?」
 と、俺よりも先に彼女に聞いた。
「鍋焼きうどん」
 彼女は言った。
 出てきた鍋焼きうどんは彼女の郷里のうどんと違ってこの地方は麺も細いし、土鍋じゃないしで、すごい泣きそうな顔をしていたのを、おいちゃんは俺を試すように見ている。思わず言わないと、と、喋った。
「大丈夫か?俺、食ってやるから、別のを注文しようか?」
「いえ、いいです、鍋焼きうどん好きです」
 その時もおばちゃんが「はい、お待ち!」
 と、俺の前に黄色と赤のオムライスを出してくれた。

 それから、彼女はこの店に来ることを「おいちゃんに会いに行く」と言いだした。
 そして彼女はいつも
「鍋焼きうどん」を注文した。
 毎回締めの注文が決まっているので、おいちゃんが笑ってた。
「お前ら、よー似とるわぁ」
 その時、俺は彼女と結婚しようと思った。
 彼女に
「よろしく頼むのぉ」
 って、親より先に頭を下げたのも、おいちゃんだった。


 おいちゃんが、しんだ。
 おいちゃんは、冷たくなってしまった。
 いつも笑っている顔で鼻に脱脂綿を詰められて、線香の煙の中に寝ていた。
 みんなして泣いた。
  
 老人ホームの整理は結婚した彼女と俺とでした。 
 いろいろもめた。

「おいちゃんのお墓はなんで遠くへあるの、結婚していないのに、実家の墓には入れないの?」
 嫁に真面にこたえることはできなかった。
 お金の管理をしている親類のねーちゃん夫婦が新しく墓を建てて見ることになった。嫁は俺の親のところにも全く顔を見せることをしなくなった。おいちゃんの墓参りすら行くことを拒否した。
 同じ部屋にいる嫁と疎遠になっていった。
 嫁は白紙の離婚届を置いて出て行った。
 郷里に帰っても、頭を下げても玄関に顔を出すことはなく、白紙の紙はずっとテーブルの上に置かれ続けて、とうとう時間に負けて、しわしわになっていたのを俺は最近気が付いた。

 俺は、わかみや食堂へもいかなくった。
 
 オムライスを食べることもなくなった。

 ケチャップで口が赤くなるオムライスをほおばりながら
「これがうめーんだよ」
 って、肩肘ついて煙草をふかすこともなくなった。

 おいちゃんがぼくの前では誰とも口汚く喧嘩をする姿を一度として見たことはなかった。
 言葉が不自由で喋られないパチンコばかりするおっさんとは、どこで習ったのか身振りで話をしていた。
 常連の妾をもらった老夫婦には「今日は温泉に行った」という話をうなずいて聞いていた。
 たまに「何日にお前から会社に電話しろ」ってときには、おいちゃんが家族持ちと同じように家族が呼んでいるから定時で帰りたいときだと、遅れて知ったのは、何時の時だろう…。

 あの、いつもの場所、いつものきたねぇ油でぼやけた一等席の座敷。
 「しょんべんくせぇ」も、「おいちゃん、腰が抜けてんじゃないか」
 のぼくの声は、大将に言わせたら「今日はえらくご機嫌じゃねぇ」とぼくらに言って会計を負けてくれる奥の部屋の婆ちゃんももういない。
 ぼくは誰よりもおいちゃんが好きだった。
 おいちゃんと食うオムライスが好きだったんだ。
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